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経済の本質

[経済]

経済の本質

 よくある間違い

よく、お金が回ることが好景気だと思っている人や株価が上がることが好景気だと思っている人がいるが、それは違う。貨幣は物流の道具に過ぎず経済の本質を根本から変えるものではない。株も経済の道具に過ぎない。これらは、景気のバロメータとはなっても、景気そのものではない。バロメータだけを見て、それを実体と勘違いしては、物事の本質を見極めることはできない。ここでは、それら経済の本質を簡単に述べたい。

 裕福さとは?

裕福になるとはどういうことなのであろうか。それは、欲しいものが全て手元にある、または、何時でも手に入れることができる、欲しいもので満たされている、そういう状態であろう。欲しくもないものをいくらたくさん持っていても、裕福とはいえない。欲しくないものは、当人にとってはゴミも同然であるからだ。尚、近代経済は物質的裕福さばかり追い求めて精神的裕福さは満たされていないとも言われるが、そのあたりは基本ではなく応用の話となるので、ここでは論じないものとする。ただし、ここで言うところの物質とは流通やサービスなどの無形物も含むものとする。

 裕福になるには?

個人的に裕福になるにはどうすればよいか。理屈の上では簡単である。できる限り沢山の物を作って完売できれば、お金が沢山儲かる。儲かれば、欲しい物を沢山手に入れることができて裕福になる。

 裕福さと景気の関係

個人の裕福さと景気の善し悪しは関係がないようで関係がある。自分ひとりの裕福さは、景気とは直接関係しない。しかし、多くの人の裕福さは、景気そのものである。つまり、好景気とは、簡単に言えば、多くの人が裕福になっている状態、裕福さの平均値が非常に高い状態である。逆に、不景気とは、多くの人が裕福でない状態、裕福さの平均値が非常に低い状態である。

 景気を良くするには?

では、景気を良くするにはどうすればよいか。これも、理屈の上では簡単である。経済は、皆で物を作って(=生産)、皆で分ける(=分配)ことによって成り立っている。生産と分配は表裏一体であり、それこそが、経済の本質である。沢山生産すれば、沢山分配できるのである。ようするに、たった今、説明した裕福になる方法を皆が実践できれば、皆に欲しい物が行き渡り、誰もが裕福になれるはずである。つまり、景気が良くなるはずである。もちろん、欲しくもない物を買うバカはいないという前提である。休日返上で働くのが裕福なのかという問題は、応用問題として取っておきたい。ここでは、稼いだお金を使う機会が十分にあるという前提で話を進める。

ここで大きな問題がある。たくさん物を作ることはさほど難しいことではない。しかし、作った物を完売するのは簡単なことではない。誰も欲しがらない物を作っても売れない。また、欲しがる人がいても、必要な量以上の物を作っても売れない。例えば、100万人の人が1個ずつ欲しがっている物を100万個生産すれば、完売できるかもしれない。しかし、200万個生産すれば、確実に、100万個は売れ残る。経済効果として見れば、売れ残り品を作った分は、労働してないのと同じ事である。だから、ニーズに対して過不足なく生産することが重要である。では、生産力がニーズを超過した場合はどうすればよいのか。生産力はあり余っているのに、それ以上作っても売れない、そういうときにどうすればよいのか。それも、理屈の上では簡単である。別のニーズを探して、その新たなニーズに生産力を振り分ければよいのである。皆が欲しがる物は一種類だけではない。実際のところ、世の中には満たされていないニーズが沢山ある。多くの場合、生産者は、そのニーズを気付いていない。潜在的ニーズと呼ばれる物である。中には、消費者本人が欲しいということに気付いていないニーズもある。

 景気の足かせ

ここまで、述べたとおりのことを皆が同時に実践できれば、景気は良くなるはずである。ところが、事はそう簡単ではない。というのも、「同時に」ということが非常に重要であるからだ。うまく歯車が噛み合わず、同時に実践できない場合が沢山ある。その要因には様々なものがあるが、その中で最も大きいのは失業問題であろう。その他に、インフレやデフレなどがある。例え話として、出入口のない一方通行の環状高速道路に車がひしめいている状態を考えて欲しい。理屈の上では、すべての車が全く同時にスタートし全く同じ速さで動ければ、何キロでも出せるはずである。ところが、実際には全く同時には動けない。実際の車の運転を思い起こして欲しい。前の車が動いて車間が十分に空いてからスタートを切るはずだ。では、誰が、最初に動きだすのか。その人の前の車はまだ動きだしていないのである。まさに、経済の膠着状態はこの例のような状態である。最終的にどうなればよいのかは明白なのに、それに至る過程に難問が山積みなのである。

失業率が高くなると、それは景気にとって大きな足かせとなる。失業者は全く生産に携わっていない。つまり、それは社会全体の生産量が減っているということである。かといって、彼らに何も分配しないわけにもいかない。最低限、食料だけは与えないと死んでしまう。失業者を完全に社会から切り離してしまえば、景気を即座に回復することは可能だ。しかし、それは、失業者にとって死刑宣告も同然なのである。そうはいかないから、失業者を支えることになる。失業者を支えるということは、失業者も消費者の頭数に数えるということである。その結果、消費者の頭数が変わらないのに、生産量が減っているから、一人あたりの分け前が減るわけである。

実は、この失業問題は産業革命がもたらしたねじれ現象である。働く意思がないのであれば話は別だが、自給自足の生活であれば失業はまず考えられない。土地さえあれば農業が出来る。ただ、その土地も人口爆発によって多いとはいえない。しかし、大都市に住むことをあきらめれば全くないわけではない。一方で、産業革命以降の経済では、失業者の多くは大都市に住んでおり農業を始めるような土地はない。商才のある人であれば首を切られることもないだろうから、その身一つで起業家となるのも難しい。次に述べるような理由もあって、彼らが再就職するのは非常に厳しい状況である。

失業者はお金がないから物を買えない。つまり、その分だけ物が売れないから生産を縮小しなければならない。その生産量縮小のために余った労働者の首を切り、失業者が生まれているともいえる。誤解しないで欲しいが、この話は、ニワトリが先か卵が先かということであって、止めどなく続く悪循環ということではない。先の例え話で言うなら、好景気は100キロで走行している状態、不況は50キロというところだろうか。走行速度が低下しているからといって、その速度が維持できるかどうかは別である。そして、走行速度の低下の原因は、どの車にとって見ても前の車が遅いせいだが、だとすると、元凶を作っているのは誰なのだろうか。まさに、ニワトリが先か卵が先かという状況だろうか。この「前の車が遅い」という輪のつながりを断ち切れれば、つまり、皆が同時に100キロに加速できれば、失業問題は解消するはずなのだが、先にも述べたとおりそれは簡単ではない。

 まとめ

好景気というのは、先の例え話で言うところの、最高速度で突っ走っている状態である。皆が、限界一杯まで物を作り、しかも、それがニーズにぴったりあっている状態である。ところが、世の中そういう状況はいつまでも続かない。時代の流れとともに、ニーズやその他の状況が変化するからだ。先の例で言えば、微妙に速い車と微妙に遅い車が出てくるような物だ。そうすると、車間距離にもムラが出てくる。車間距離が縮まればブレーキを踏むしかない。微妙に遅い車の後ろの車はブレーキを踏み、その後ろの車もブレーキを踏み、というように連鎖的に速度低下が起きる。そうして、段々と速度が低下してくる。不況への突入である。好景気は、経済の限界一杯の高いところであって、それより高い位置へは行けない状況だと思えばいい。平均台の上を渡っているようなものだ。巧みに安定した状態を維持できれば最高である。しかし、一度転落してしまうと、止どまるところを知らずに落ちつづけることになる。そして、再び、はい上がるのは難しい。

本当のところ、一番恐いのは、勤労意欲なのである。景気の悪いときは、何とか、今を乗り切ろうと皆必死になる。しかし、景気が良くなると気の緩みが生じるものである。本当に自分の作っているものが消費者ニーズに見合っているかの分析など、つまり、経営努力をおろそかにしがちになる。そういうところから、景気は綻び始める。そして、本格的不況になってから慌て始めるのである。好景気のときに平均台の上で必死にバランスをとらなければならないという危機感を皆が持っていれば、そうそう不況にはならないはずなのだ。

景気対策

国家が、直接的に経済を支えることは不可能である。なぜなら、国家の財源は、税金であり、元をたどれば経済活動の産物であるからである。金の成る木が無ければ永久機関は成り立たない。それが可能なら、誰も働く必要はなくなる。結局のところ、景気回復の鍵を握るのは国民であり、各自が一所懸命働くしかない。しかし、働きたくとも仕事がない。失業という名の矛盾をなんとかしなければならない。

先の例え話で言うところの皆が同時に100キロで走り出せない要因を取り除けばよい。別の例え話で言い替えよう。チェーンの外れた自転車を必死に漕いだところで、前には進まない。まず、外れたチェーンを掛け直さなければならない。もちろん、チェーンを掛け直したところで、ペダルを漕がなければ、先には進まない。政府がやるべき景気対策とは、外れたチェーンの掛け直し作業である。ペダルを漕ぐのは国民の役割であり、国家にペダルを漕ぐことを求めるべきではない。税金の元を辿れば、誰かがペダルを漕いでいる。その負担は決して他人事ではない。自分だけが納税を逃れるなどという都合のいい話があるわけがなく、そういう考えが広まれば国民は勤労意欲を失い景気は大きく後退するだろう。

つまり、国がやるべき景気対策は乱れた環境を正常に整備することであり、実際に景気を回復させる原動力を担うのは国民なのである。

最終更新時間:2005年08月30日 19時19分10秒

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