ある日のラジオ番組から

以下は旧サイトの文章です。

ある日のラジオ番組から

それは、1983年10月の最初の日曜日の晩でした。 とある深夜放送を聞くためラジオの電源を入れた私は何かがいつもと違うことに気がつきました。 どうやら、関西方面で人気のあったヤングタウンという番組の日曜版が始まったようです。 当然、その後の番組編成にも変更があるはずですが、とくに新聞の番組欄を確認することもなく、ダラダラと時間を過ごしていました。

ほどなくして、日曜版ヤングタウンも終わり、私は運命のあの番組に出会うことになるのです。 その番組は、唐突に始まりました。 女の子3人組の自己紹介から始まったと記憶しています。 まだ、テーマ曲やコーナー等の企画も決まっていなかったような気がします。 確か、コマーシャルを挟んだ後にお互いの体のサイズを測りっこしだすなど、「キャーキャー」騒ぐだけで、およそ、番組としての体裁を整えていないものでした。 正直、なんじゃこりゃ?と思ったものです。 よくもまぁ、こんなお粗末なものを放送したものだと・・・。 問題の番組は30分で終わり、その後、目的の番組を聞いた後、その日は寝ました。

番組名里美・仁美・有希子の何かいいことないか子猫ちゃん
放送局毎日放送
放送時期1983年10月~1984年3月
出演滝里美さん、川久保仁美さん、岡田有希子さん

それから、当の番組について、その後の何週分かの放送は聞き逃したのですが、しばらくして聴取してみると、テーマ曲も各自の受け持ちのコーナーも決まり、リスナーからのはがきを読んだりリクエスト曲を流したりと、ずいぶんとそれらしくなっており、何となくホッとしました。 それ以来、私はこの番組をよく聴取するようになりました。

そして、この番組から、まず、最年長の里美さんが演歌歌手としてデビューし、その後、有希子さんがアイドルデビューすることになりました。 コレはゼヒ応援せねば!と思い、私は主に同世代である有希子さんを応援することにしたのです。

今振り返れば、彼女達を応援するに当たって、複雑な思いがあったものです。 そもそも、彼女達を応援する理由は自分だけのアイドルであるからで、名前が売れることは自分だけのアイドルではなくなるということです。 それはかなしい、でも、頑張って欲しい、そういう葛藤が常に自分の心にありました。

月日は経過し、番組が終了後2年が経ったある日、皆さんご存じのあの不幸な事件が起きました。 以来、世間では、初めから彼女がいなかったかのように振る舞われ、彼女のファンを公言することはタブー視され、そのタブーを破る者は変人のように扱われるようになりました。 しかし、私は世間でどう言われようと、青春時代の貴重な想いまで捨て去ることは出来ません。 これが、もし、自分の身内のことであったならどうなのでしょうか。 さっさと忘れ、確かに存在した事実さえ否定してしまうことは、極めて冷酷であると思います。 だから、私は忘れません。 自分の命の続く限り、残されたものとして精一杯生きていこうと思います。