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トンデモの見分け方

[科学基礎]

素人判断[1]

現代物理学は極めて複雑である。ハッキリ言って大学等で専門に勉強しなければ、その内容を正しく理解するのは難しい。だから、その人の話が信用できるかどうかを知るには、まず、その人の経歴を調べればいい。肩書きを重視すると言うと権威主義のように思うかも知れない。しかし、こと現代物理学に関しては素人の太刀打ちできる分野ではない。

昔は、独学で科学を学んだ素人でも科学に貢献することは可能だった。例えば、SF作家ヴェルヌは自らの小説の中で宇宙開発の基礎技術を預言しているし、数学教師ツィオルコフスキーは独学でロケットに関する数々の理論を発表して宇宙旅行の父と呼ばれている。しかし、それは、誰も宇宙旅行なんて真面目に考えてなく、現代の中学生レベルの物理学で重大な貢献が可能だった時代のことである。

現代物理学は、素人が我流でかじったぐらいでは到底理解できないほど、複雑かつ高度な内容になってしまった。一般相対性理論や量子力学は専門に研究している物理学者の手にも余るような代物である。それを素人が我流で理解しようとするのはムシが良すぎる。かの高名なSF作家で天文学者のカール・セーガンでさえ技術的アイデアは専門の物理学者に依存している。。

現代の科学者の多くは何らかのSF作品の影響を受けていて、科学界は宇宙旅行を夢見た人で溢れかえっている。だから、素人で分かる範囲のネタは、夢見る多数の科学者によって探索され尽くしていると言って間違いない。素人では、従来の理論の矛盾や新しい理論を発見するのは、不可能と考えてほぼ間違いないだろう。

自分が理解している内容に矛盾を感じた時、可能性が高い順に次のようなことが考えられる。

  • 間違って理解している
  • 矛盾があると思うことが誤解
  • 理論の間違いを発見した

長年、多くの物理学者が間違いを見つけることが出来なかった理論であれば、可能性が高いのは自身の誤りである。凡人が考えるようなことは、多くの先人がとっくの昔に考えついている。凡人が理論の間違いを発見する可能性は殆どないのである。だから、まず、自身の間違いを省みなければならない。しかし、それは決して容易ではない。そもそも、どこが間違ってるかさえ分からないから矛盾を感じるのである。それでも、近道をしようとせずに敢えて遠回りすることが大事である。横着をして、近道しようとすればとんでもない罠に填ることになる。

量子力学は対案を出すことが難しい。それゆえ、「理論の間違い」と結論付けるのは容易ではない。一方で、量子力学は、分からないことを許容している。よって、量子力学に矛盾を感じた時の最も簡単な逃げ道は、「良く分からないけどそれが正しい」と思考を停止することである。こうして、トンデモは、量子理論に関する間違った理解を正しいことにしてしまう。

しかし、相対性理論は量子力学ほど寛容ではない。一方で、相対性理論は、真偽は別として対案を出しやすい。よって、相対性理論に矛盾を感じた時の最も簡単な逃げ道は、「相対性理論は間違っている」と決めつけて対案を出すことである。こうして、トンデモは、相対性理論が間違っていることにしてしまう。

いずれの場合も、自身を検証にかける真摯な態度に欠けることが、トンデモの原因である。疑問に感じること、分からないことは、素直に、疑問や質問としてぶつけるべきである。そして、分からないうちは、安易に結論を出さずに分からないこととして認識することが重要である。

科学に対する無理解[2]

 科学界は閉鎖的?

科学界が閉鎖的だと主張する人がいる。科学界が新たな理論を受け入れないのだと。しかし、本当に科学界が閉鎖的なら、相対性理論も量子力学も受け入れられず闇に葬りされられたはずである。

科学の世界では、順当な理論であっても、突拍子もない理論であっても、どんな理論であろうとも、同じ土俵、同じルールで勝負させる。そして、勝ち残った理論を採用する。

例えば、スポーツの大会で一回戦負けして「大会が排他的だ」と言い訳する奴はいない。誰が考えても、負けるのは実力で劣っているからであって、何かの陰謀がそのチームを排除したわけではない。

それと同様に、勝ち残れる理論が科学的に有力なのであって、すぐ負けるような理論は科学的に無力なのである。科学理論として受け入れられないのは、科学的に無力だからであって、閉鎖的な科学界の陰謀のせいではない。

 科学は盲信的?

相対性理論等が疑われることなく受け入れられていると主張する人がいる。だから、科学は宗教と大差ないと言う。

しかし、これは事実に反している。相対性理論も量子力学も、発表以来、ずっと疑われ続けてきたのである。特殊相対性理論も発表当時は、誰も信じなかった。疑われ続けて検証されてきたのである。肯定する理由は見つかっても否定する理由が見つからないから、今日では受け入れられているのである。一般相対性理論は、今でも、検証のまな板の上にある。ほぼ正しいが修正の余地があるとするのが、多数の見解だろう。量子力学に至っては、未だに諸説があり、何が正しいという結論は出ていない。

確かに、専門家以外には、検証もせずに専門家の発表を鵜呑みにする人がいるだろう。しかし、自己の専門分野以外の検証を簡略化したり省略できるのは、その道の専門家がしっかりと検証していると信じるからである。決して、検証の必要性を否定しているわけではない。

数式を無視[3]

トンデモ批判をする科学者によれば、相対性理論や量子力学の理解には数式が不可欠であると言う。近代科学を学ぶ上で、数式は避けて通れないと言う。数式は科学理論を表現する一種の言語であると言う。

確かに、それは正論である。しかし、数式を理解した人が、数式無しに概要を説明することは可能であると私は思う。そうした説明が皆無であるために、数式を理解できない人が間違った理解をしてしまうのではないだろうか。数式が苦手な人が数式抜きに理解したいと思うのは世の常である。確かに、それは横着かも知れない。しかし、誰もが科学を専門的に学んでいるとは限らない。専門外の人間だって、相対性理論や量子力学の概要を知りたいと思う。そうした、欲求は決して不純ではないはずだ。そして、専門外の人間には、数式の理解に費やす時間がない人も多い。

トンデモ批判をする科学者が、トンデモ認定したサイトを見ると、確かに数式を避けているところが多い。しかし、そうしたサイトは数式云々以前に、論理破綻等の数式以外でもおかしな所がいくらでも見つけられる。よって、トンデモを見分けるために数式は必須ではないと私は思う。

また、数式を多用するトンデモもある。もちろん、計算が間違っていては話にならない。数式の持つ意味を誤解しているケースもある。数式=現実という誤解に陥ると、数式の導く結論を真に受けてトンデモなことを信じかねない。もちろん、数式は現実を記述する一手段であって、数学=現実ではない。たとえば、ある方程式の解が複数存在するとき、そのいくつかの解が実在しないことは珍しくない。言い替えると、実在する解において成り立つように立てた方程式が、実在しない解にも成り立つことがある。しかし、それは方程式がその解の正しさを保証したわけではない。

このように、素人には、数式の有無でトンデモか否かの判断は難しい。

出所がトンデモ

トンデモな主張をするサイトが誰から学んだかを調べてみると、実は、トンデモなサイトからだった・・・ということは珍しくない。トンデモを十分に検証せずに真に受けてしまったために、自らもトンデモになってしまうわけである。松田卓也氏(神戸大学教授)世界を変えた科学10大理論には、トンデモな通俗書が同類の通俗書だけから知識を得て、さらに、その通俗書の内容さえ誤解していることが指摘されている。

トンデモ批判をする科学者によれば、こうした間違いを犯さないためには原典を読むべきであると言う。私は、直接原典を読んだことはないが、原典を読んで主張している人の話に耳を傾けるようにしている。

歴史的経緯を無視

トンデモには歴史的矛盾が発生している物も少なくない。その場合は、歴史的経緯を調べるだけでトンデモだと分かる。

論理的に破綻

トンデモには論理破綻が見られることが非常に多い。いや、論理破綻のないトンデモを見つける方が難しいだろう。例えば、ある現象がある理論の証拠だと言っているのに、その「証拠」では他の理論の可能性を否定できないなど、証拠不十分だったりすることは珍しくない。証明されていないことなのに、その件を有耶無耶にして、定理であるかのように扱っていることもある。論理の飛躍を見つけることが出来れば、トンデモを見分けることは簡単だろう。松田卓也氏(神戸大学教授)世界を変えた科学10大理論には、トンデモ本に対するある阪大教授の見解が紹介されている。

これらの本が誤りであることは「彼らの本の始めの5ページ内に発見できる程度なのだから」といわれている。

良くある間違いが循環論証である。ある理論が正しいと仮定して矛盾がないとしても、それは、矛盾のない理論であることを示しているだけであって、その理論の正しさを証明していない。なぜなら、たいていの場合は、その理論が間違っていると仮定しても矛盾が生じないからである。循環論証は何も証明しない。

とくに量子力学系のトンデモ循環論証モドキの場合は、量子力学が分からないことを許容しているだけに、タチが悪い。何が問題かというと、分からないことを含む場合は循環論証さえも成立せず、矛盾のない理論であることさえ示せていないことである。

その手の循環論証読んでなるほどと思う人にはトンデモの素質がある。本来疑問を持つべき事に何の疑問を持たずに納得してしまうことは非常に危険である。分からないことを分からないと思うのは問題がない。でも、分かってないのに分かった気になるのは危険である。

片手落ちもよく見られる論理矛盾である。ある理論の矛盾を根拠に対案が正しいと主張する場合、その対案に矛盾があれば主張は成り立たない。しかし、実は、対案にも同様かそれ以上の矛盾があるのに、その事実に触れずに誤魔化していることもある。これでは、持論と対立する理論を葬る口実を作っているだけに過ぎない。

実験事実等を無視

トンデモは、都合の悪い事実を無視する。実験事実が何を肯定し何を否定するのかをよく考えよう。

最終更新時間:2006年02月24日 21時10分02秒

科学基礎

  • [1]かく言う当サイトの内容も素人判断(笑)
  • [2]これも素人判断の一種
  • [3]数式を使わない点は当サイトも該当してしまう(笑)

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