経済の本質

最初に 

ネット上では偉そうに経済について講釈を垂れる人は少なくないが、その多くは経済の本質を分かっていない。

経済の正体 

いつになったらトンデモさんは「お金を使うと対価を貰えたうえで他者に渡り、その他者がお金を使うと対価を、という無限の連鎖こそが経済効果の正体なのだ」という謎思考から抜け出せるのか。

いつになったら日本人は「お金は使うとこの世から消滅する」という謎思考から抜け出せるのか。 お金を使うと対価を貰えたうえで他者に渡り、その他者がお金を使うと対価を、という無限の連鎖こそが経済効果の正体なのだと、いつになったらこの世界の常識が日本に広まり根付くんだろう。

2017年7月26日 - Twitter

百歩譲って「お金を使うと対価を貰えたうえで他者に渡り、その他者がお金を使うと対価を、という無限の連鎖こそが経済効果の正体」が正しいと仮定すれば、無限連鎖講(いわゆる「ネズミ講」。当然のことながら違法)はその被害額に応じた経済効果があることになる。 もちろん、無限連鎖講が経済効果を産まないことは言うまでもない。

では、この人は何を間違えたのか。 解説を後回しにして結論を先に言えば、この人は「経済効果の正体」と手段を取り違えているのである。 (実質的な)付加価値の創造こそが「経済効果の正体」であって、金銭使用の連鎖は「経済効果の正体」ではない。 金銭使用の有限の連鎖は経済効果を高める手段になり得るが、それ自体が「経済効果の正体」にはなり得ない。 次のような金銭使用の連鎖は経済効果を高める手段として機能しない。

  • 連鎖の輪の中に(需要に見合った)生産が含まれない金銭使用の連鎖
  • (実質的な)付加価値が既に飽和している場合における追加の金銭使用の連鎖

無限連鎖講のように、連鎖の輪の中に(需要に見合った)生産が含まれなければ、いくら金銭使用の連鎖を増やしても、(実質的な)付加価値は増えようがない。 それでは、経済効果を高める手段として機能しないことは言うまでもなかろう。 補足しておくと、無限連鎖講は、(実質的な)付加価値を減らすので、経済損失を産む。

そして、有限の人間が有限の能力で生産する以上、(実質的な)付加価値を創造できる余力も有限である。 よって、生産余力が限界までフル稼働した後は、それ以上(実質的な)付加価値を増やすことはできない。 だから、当然、金銭使用の連鎖による経済効果にも自ずと上限があり、上限を超えた金銭使用の連鎖は経済効果を生まない。

実際に生み出される(実質的な)付加価値は、生み出すことが可能な(実質的な)付加価値と金銭使用の連鎖のいずれか小さい方で決まる。 だから、両者が等しい場合が経済が最も効率的な状況となる。 (実質的な)付加価値を生み出す余力が有り余っているのに、金銭使用の連鎖が不足する状態を不況と言う。 逆に、金銭使用の連鎖の方が上回る状況は、いわゆるバブル経済と呼ばれる過負荷状態であり、(実質的な)付加価値の備蓄分を使い果たした時点で破綻する。 一般には、金銭使用の連鎖の方が小さいことが多いので、金銭使用の連鎖を増やせば経済が活性化すると言われる。 その場合は、経済効果を高めるために、金銭使用の連鎖を増やすことが有効となる。 しかし、余力を使い切ったなら、金銭使用の連鎖を増やしても経済効果を高めることはできない。 もっと(実質的な)付加価値を増やしたいなら、規制緩和や技術革新などによって生産効率を上げて、生産余力を増やす必要がある。

以上の通り、金銭使用の連鎖が「経済効果の正体」であるなどあり得ないし、「無限の連鎖こそが経済効果の正体」はもっとあり得ない。 ようするに、経済のことをまるで分かってない人が自分のことを棚に上げて持論とは違う内容を批判しているだけである。 しかし、金銭使用の「無限の連鎖」が「経済効果の正体」などという「謎思考」の方こそ、社会に与える害は大きい。

経済の仕組み 

まず、次の質問を読んでもらいたい。

お金を儲ける事に遠慮してしまいます。 自分でもおかしいと思っているのですが、自分が得をすればどこかの誰かが損をしているのではないかと考えてしまいます。 こういう考え方をなんとか払拭できないものでしょうか。 個人的に仕事で稼げるチャンスがあったのですが上記の理由によりフイにしてしまい、同僚からも馬鹿にされる始末です。 欲がないというか金銭的に裕福になる事に怖さも感じます(これは自分でもよく理解できない感情です)。 必要最低限の収入があればよしと思っているのですが、そうは言っても自分から稼ぐチャンスを避けるのは異常だと気付きました。 具体的に言いますと、お金は無限に沸いてくるものではないから、自分が大金を手にすると、どこかの誰かが貧乏になるのではないかと思い躊躇してしまいます。 こんな考え方を改めるためにアドバイスを下さい、お願いします。

お金を儲ける事に遠慮してしまいます。自分… - Yahoo!知恵袋

この場合は、対価と生み出した(実質的な)付加価値のバランスで、回答の内容が変わる。 この質問の文章だけを見ても、「個人的に仕事で稼げるチャンス」が真っ当なビジネスであるかどうかはわからない。 もしも、詐欺や悪徳商法の類により自分が生み出した(実質的な)付加価値を遥かに超える対価を得ているなら、「自分が得を」しているわけであり、その分、「どこかの誰かが損をしている」。 逆に、真っ当なビジネスで、対価以上の(実質的な)付加価値を生み出しているなら、「どこかの誰かが損をしている」ことはない。

もしも、前者であるなら、「自分が大金を手にすると、どこかの誰かが貧乏になる」との認識は全く正しい。 それなら、「こんな考え方を改める」べきではなかろう。 逆に、後者であるなら、「自分が大金を手にすると、どこかの誰かが貧乏になる」との認識は正しくない。 経済の仕組みを説明して、対価以上の(実質的な)付加価値を生み出しているならば、他人に損をさせていないことを説明すれば良かろう。

しかし、この質問に対する回答はかなり酷い。 「個人的に仕事で稼げるチャンス」の内容を誰も確認していないし、経済の仕組みを正しく説明することもできてない。 「ベストアンサー」の内容は特にひどい。

富という物は、増える物なのだよ。 そのメカニズムを説明いたしましょう。

たとえば、世界に二人(A君とB君)しか人間がいないとしよう。 そして、1万円札が1枚だけあるとしよう。 この時点では、世界全体の富の合計金額は、たったの1万円ということになる。

最初、A君が1万円札を持っていたとしよう。 B君はそれが欲しかったので、A君のために家を作ってあげて、A君に1万円で売ってあげた。 その結果、今度はB君が1万円札の所有者となった。 A君の手からは1万円札が失われたが、かわりに家が残った。 この時点で世界全体の富の合計金額は2万円ということになります。 (1万円札+1万円相当の家)

次に、A君くんは、ふたたび1万円札が欲しいと思い、B君のために家を作ってあげてB君に1万円で売ってあげた。 その結果、今度はA君は1万円札と家の所有者となった。 B君の手からは1万円札が失われたが、かわりに家が残った。 この時点で世界全体の富の合計金額は3万円ということになります。 (1万円札+1万円相当の家が2軒)

こうして、A君とB君との間を1万円札が行ったり来たりするたびに、A君とB君の手元には、様々な不動産や価値ある品物が増えていった。 (つまり世界全体の富の合計金額が増えていった)

やがて、二人は良い考えを思いついた。 お互いに価値ある財物をたくさん所有するようになったので、それらを担保として1万円札をもっとたくさん作ろうと。 (10万円相当の財物を担保に1万円札を10枚作るということ)

その結果、もっと多くのお金が二人の間を行き来するようになり、もっとたくさんの財物が生産されるようになった。

お金を儲ける事に遠慮してしまいます。自分… - Yahoo!知恵袋

説明の主要部分以外にも、次のような細かいツッコミの余地がある。

  • 「世界に二人(A君とB君)しか人間がいな」くてお金で買えるものがないなら、「B君はそれ(1万円札)が欲しかった」となる動機がない
  • 「世界全体の富」が「1万円札+1万円相当の家が2軒」だけなら「世界全体の富の合計金額は3万円」にはならない
    • 貨幣で数えるなら1万円
    • 付加価値で数えるなら2万円
    • 理論的には両者の額はほぼ一致するが、この例では倍の開きがある(物価が適正ではないと考えられる)

このような誤りの原因も経済の本質を全く理解できていないせいであろう。 しかし、そこはこの問題の本質ではない。 本質的な問題は、この例えが「A君とB君との間を1万円札が行ったり来たり」することと経済効果の関係を全く説明できていないことである。 この例えでは、A君もB君もそれぞれが自分の家を欲しいと思っていた(消費欲求)ところに、それぞれが1軒ずつ家を建てた(付加価値創造)だけにすぎない。 これは生産増による経済効果を示しているが、自給自足で間に合う条件で説明しているので、取引による経済効果を全く示せていない。 貨幣交換の経済効果を説明しようとしたようだが、その前提となる取引の経済効果すら説明できていないのである。

経済効果を説明するなら、次のような例を出すべきであろう。

  • A君は物品αと物品βを1個ずつ欲しいが、自分では物品βをつくれず、物品αなら2個作れる。
  • B君は物品αと物品βを1個ずつ欲しいが、逆に、自分では物品αをつくれず、物品βなら2個作れる。

この仮定では、取引の有無により結果は次のように変わる。

  • 2人の間で取引がなければ、A君は物品αを1個しか得られず、B君は物品βを1個しか得られない。
  • 2人の間で取引があれば、A君もB君も物品αと物品βを1個ずつ得られる。

つまり、この例では、取引がある場合は、ない場合に比べて、A君とB君が得る付加価値の合計が倍になる。 ここで物々交換の不便な点をいくつか挙げる。

  • 個々の物の価値の差の吸収が難しい
  • 物によっては蓄財に向かないことがある
  • 物によっては持ち運びしにくい場合がある

貨幣を使えば、こうした欠点を解消して、取引を効率化することが可能になる。 つまり、「A君とB君との間を1万円札が行ったり来たり」は取引の発生を意味している。 取引によって得られる付加価値が増えることは既に説明したとおりであるから、以上の説明で「自分」(A君)が「大金を手にする」としても、「どこかの誰か」(B君)は「貧乏になる」どころか、得られる付加価値が増えて豊かになることが説明できる。

余談だが、物々交換の例をもう少しだけ複雑にするとリカードの比較優位説も容易に説明できる。 A君もB君もC君も物品αと物品βと物品γを1個ずつ欲しいとしよう。

  • A君は、物品αなら3個、物品βなら2個、物品γなら1個作れる。
  • B君は、物品αなら1個、物品βなら3個、物品γなら2個作れる。
  • C君は、物品αなら2個、物品βなら1個、物品γなら3個作れる。

結論だけ示すと、3者が得る付加価値の合計を最大にするには、A君が物品αを作り、かつ、B君が物品βを作り、かつ、C君が物品γを作りると良い。


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