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新世紀エヴァンゲリオン

[創作物語]

前置き

流行っているので、TVシリーズを1話から見てみました。それで、いろいろ書こうと準備していたものの、映画2作目を見て書く気力をなくしました。ある程度、出来の酷さは想像していたものの、それを遥かにしのぐ酷さであったので、評論する価値さえ見いだせませんでした。未完成品を体裁だけ整えて公開した1作目も酷いものの、完成品である2作目も別の意味で酷いものです。TVシリーズは、シナリオも無茶苦茶だし、最後もグダグダだったけど、楽しませようとするサービス精神が少しは垣間みられました。ところが、映画2作目は、そうした最低限の作品の体裁すら整っていません。褒める所が何処にあるんだろうかというより、評価に値する部分が何処にあるんだろうかという感じです。TVシリーズには、funnyな意味での面白さがありました。映画2作目には、それすらありません。詰まらないことは詰まらないのですが、ただ詰まらないのではなく、全編に渡って唖然とする詰まらなさ、これを何と表現して良いのか分かりません。

御都合主義

まず、第一点は引っ張り過ぎです。何の進展もないのに時間だけは過ぎていくという、中身のない映像をダラダラと流されるのはたまりません。序盤あれだけ手際の良かった敵が、尻すぼみに手際が悪くなるのは、明らかな時間稼ぎでしょう。

TVシリーズと映画には、つじつまが合わない部分が多数あります。TVシリーズの終盤の間に合わせ的な作りは有名なところですが、それらを総合して考えると、シナリオや設定が未完成のまま見切り発車していたことが明らかでしょう。シナリオ制作の遅れから、TVシリーズ中に完結できなかったばかりか、映画制作も間に合わずに2作に別れたというのが真相でしょう。つじつま合わせを行うだけの時間的余裕がなかったということでしょうか。というより、つじつま合わせの必要性すら認識していなかったのかもしれません。

人間ドラマ

何より人間が全く書かれていない点が最悪です。誰がどういう思惑の元に何をしてどういう結果を引き起こしたのかが、全く描かれていませんし、考えられてもいないようです。非常によく似た設定の物語として、週間少年サンデー連載の「ARMS」という漫画があります。この漫画には、様々な人物が様々な思惑の元に行動し思いも掛けない方向に事態が展開していくという面白さがあります。比較してみると「新世紀エヴァンゲリオン」の物語の稚拙さがよくわかります。

中でも最悪なのが、主人公の自慰シーンです。主人公は、引きこもりで、女性経験もなく、自慰経験も少ない(女性に囲まれて暮らす引きこもりでは隠れての自慰は難しい)と推測されます。加えて、真に心を許せる友達がおらず、性的知識を得る情報源も限られています。このタイプの童貞少年が、この場面に遭遇したら、下半身を弄くる前に、まず、裸体の方に釘付けになるでしょう。下半身を弄くるという発想すらなく、裸をもっと見たいという感情に引っ張られるはずです。そして、いろんな角度から、もっとよく見える角度がないかと探してみたり、衣服をチョコっとめくってみたりと、裸を見ることに必死になるはずです。(これが、TV版だったら、確実に、そういう展開になったはずです。)その結果として、気がついたら下着が汚れていたということはあるでしょうが、下半身を弄くるという発想に至らないでしょう。よく見える角度も探さず、衣服をチョコっとめくることもせず、まず、下半身を弄くるなんて、確実にオヤジの発想です。この設定の人物ならどう行動するか、ということが分からないようでは、人間を書くことができるわけがありません。

設定

物語にとって必要最低限必要な設定が未熟です。おかしいというよりは、決まっていないというほうが正しいようです。どうでもよい細かい設定が決まっていない、ということではありません。そこが物語の核心になる、という部分の重要な設定なのに、その設定内容を明確にする描写どころか、仄めかすような描写さえ全くありません。それで、一体、物語の何を理解しろと言うのでしょうか。

最も酷いのはゼーレという組織の設定です。明らかに狂気に満ちた組織が、国連だけにとどまらず、中国まで含めた世界の主要国を影から操るだけの力を持っているのは、非現実的です。そもそも、それだけの力があるにもかかわらず、行動が不必要にまわりくどいのは説明がつきません。同じ目的のために動いていたはずの組織であるネルフ本部と袂を分かつからには、何かしらの思惑の違いがあるはずです。しかし、それは明確にされていません。というより、どう見ても、両者は同じ思惑の元に行動しています。仲違いする理由が全く見られません。

人類補完計画とやらと使徒殲滅を同じ組織が担うことにも無理があります。だいたい、人類を脅かす存在を使徒と呼ぶこと自体に無理があります。あれだけのテクノロジーを擁しながら、原始的な戦闘に頼るのも不可解です。新しい(?)国連の位置づけ、国連軍に対するネルフという組織の位置づけ、国連と各国政府の関係、いろいろ挙げるときりがありませんが、特殊で不可解な設定に対し、視聴者を納得させるだけの理由が全く用意されていません。何でもありで、無茶苦茶で、子供の発想と大差はありません。

 ARMSと比較

先に引き合いに出した「ARMS」と、設定の点でも比較してみます。「ARMS」には得体の知れない人物は1人も居ません。名前も無いような端役はともかく、敵も味方も、物語の展開に重要な影響を与える人物は、1人残らず、どのような思惑の元に、そこに居るのかが明らかにされています。登場時には得体が知れなくても、必ず、何処かで明らかにされます。1人だけマッドサイエンティスト(それも並のマッドとはレベルの違う)が居ますが、1人だけです。皆が皆、マッドサイエンティストでは興ざめですが、1人だけならば、居た方が話が盛り上がります。

殆どの人は、マッドサイエンティストに振り回されただけですが、何故、振り回されることになったのかも、軍事技術に転用可能な未知の強大なテクノロジーという納得に値する設定が用意されています。そして、そのテクノロジーの正体、悲劇の展開、心の共鳴によって強大な力を引き出せる理由、それらが密接に絡み合って話が進んでいきます。時々、多少の御都合主義はあるものの、それほど酷いものはなく、全て、架空の話として許容できる程度に留まっています。たとえば、核発射ボタンを握られるという設定は、多少の技術的知識があればあり得ないことが分かりますが、その程度は笑って許せるでしょう。死んだ人にそっくりな人とか、目の前で死んだはずなのに生きてた人とか、生身でありながら強大なテクノロジーを凌駕する親父とか、その辺りは、話を面白くするための展開であって、御都合主義とは違うものです。

いずれにせよ、「ARMS」には、人間関係で明確になっていない設定はありません。

結末

結末は完全に意味不明です。人間がポンポンはじけるシーン等、何が起きてるのかサッパリ分かりません。何がどうなったのか、全く意味不明のまま進行し、いつの間にかヒロインと主人公の二人だけがとある場所に居るという状況で、主人公が意味不明の行動をとって終わり。登場人物の行動が報われるハッピーエンドなのか、裏目に出る悲劇なのかも分からない。どんなテーマが込められているのか以前に、どういう終わり方だったのかが分からない。これで、一体、どんな感想を持てと言うのでしょうか。

 ARMSと比較

「ARMS」のラストは、マッドサイエンティストとの対決です。途中の展開まではややこしかったけれど、最後は戦って勝つか負けるか、非常に分かり易い展開です。負けたら終わり。勝ってもテクノロジーに飲み込まれたら終わり。相手にも自分にも勝つ、という少年漫画の王道であり、結末は単純明快です。

まとめ

結局、描きたかったことは漫画「ARMS」のような世界観なのでしょう。しかし、壮大なスケールの話を書きたいけれども、それだけの実力がないため、シナリオをまともに仕上げることも出来ず、ずるずるとスケジュールを引き伸ばしたということでしょうか。最後には、意味不明の前衛芸術的結末でお茶を濁すという、ありがちな反則技で、何とか公開にこぎつけたわけです。

最終更新時間:2009年11月25日 00時14分36秒

創作物語