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イオンド大学問題

[ウィキペディア]

正式な文章は後日まとめるとして、論点だけ挙げておきます。

  • 一人で悪徳業者と立ち向かったBeyond氏の言い分も分からんでもないが、普通の人が腰が引けるのは仕方がない
  • 脅しに対する脆弱性と人材不足は無関係ではない
  • 財団の判断を仰ぎ、一時的措置として記述を削除するのは止むを得ないが、それが最終措置となるなら問題あり
  • 一般論として、表現の自由を保障する義務を負うのは国であって、明確な侵害行為がなければ民間団体の責任は問われない
  • ボランティアに過度の責任を追及するのは適切ではないが、公共に情報を発信する行為は非営利でも責任あり(だから訴訟問題にもなる)
  • 一度でも脅しに屈したら、歯止めが利かなくなる
  • ちょっと問題が長引き過ぎかも?←顧問弁護士不在を知られると悪い奴らにつけ込まれるので状況説明できなかったらしい

以下、参考資料。

以下、未完成文章

近況

このページはすぐに更新する予定だったのに放置状態だった。で、いつの間にか、普通に編集できるようになっていて、イオンド大学側に不利な情報も書き込まれているようだ。

ウィキペディア側の責任

ウィキペディアに限らず、事実でない情報を発信することには責任を問われるが、自己が発信する情報を削除することには何の責任もない。だから、掲載している情報を削除するのはウィキペディア側の自由である。しかし、後で述べるように、支配的地位にあるメディアが恣意的な情報削除を行なえば、国民の表現の自由が脅かされてしまう。直接的な権利侵害を行なわないはずの完全に自由の範疇の行為が、間接的に自由を脅かしてしまう。それが問題の本質である。そして、その問題にどう対処すべきか、現時点では、明確な社会的コンセンサスはない。だからこそ、問題は複雑なのである。

イオンド大学は学位商法か?

結論から言えば、学位商法を疑う根拠は十分でしょう。

 非認定「大学」

国際間の業務提携契約を締結している日本校は、日本の文部科学省の所管している大学ではありません

Wikipedia:認定校制度にもリンクされている以下の公的機関の公表する非認定大学リストには、IOND Universityってしっかり書いてありますね。

非認定でUniversityと名乗るのは誇大広告では?

 学校教育法違反

第一条  この法律で、学校とは、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、大学、高等専門学校、特別支援学校及び幼稚園とする。

第四条  国立学校、この法律によつて設置義務を負う者の設置する学校及び都道府県の設置する学校(大学及び高等専門学校を除く。)のほか、学校(高等学校(中等教育学校の後期課程を含む。)の通常の課程(以下全日制の課程という。)、夜間その他特別の時間又は時期において授業を行う課程(以下定時制の課程という。)及び通信による教育を行う課程(以下通信制の課程という。)、大学の学部、大学院及び大学院の研究科並びに第六十九条の二第二項の大学の学科についても同様とする。)の設置廃止、設置者の変更その他政令で定める事項は、次の各号に掲げる学校の区分に応じ、それぞれ当該各号に定める者の認可を受けなければならない。

第八十三条の二  専修学校、各種学校その他第一条に掲げるもの以外の教育施設は、同条に掲げる学校の名称又は大学院の名称を用いてはならない。

Universityと英語表記にすることで、法律から逃れようとしているようだけど、

この米国ハワイ州のイオンド大学と国際間の業務提携契約を締結しているイオンド大学(日本校)は、

【大学付属機関・研究所】

〜 IOND Universityの特徴 〜

1.産学協同のシンクタンク大学

2.経験を査定評価するアセスメント大学

3.距離的・時間的制約を克服したインターネット大学

「大学」と名乗ってるから、学校教育法違反ですね。はい、アウト!

 故意のインチキ

まじめに教養を身につけるための機関として開設しているなら、文部科学省の認可を受ければ済むことです。認可を受けようともせず、Universityなどと名乗るのは明らかにインチキ行為です。認可申請して却下されたなら、「大学としての要件を満たしている」とお墨付きを貰えなかったのですから、Universityなどと名乗るべきではないでしょう。本気で教養を身につける機関を運営したいと思っていて、認可を受ける努力をしているが認可に至らないということであれば、まずは、認可を受けられるようにレベルアップを図るべきです。それまでは、私設塾として運営すべきであって、Universityなどと名乗るべきではありません。そうした手続を踏まずに、Universityなどと紛らわしい名称を名乗って運営している所を見る限り、無知な人を騙そうとする意図があるのは明らかでしょう。それだけで学位商法を疑うには十分です。これだけ疑わしい行為を行なっている以上、違うと言うなら、イオンド大学側がその証拠を示して証明すべきことでしょう。

日本の大学は国家のために作られた。このことは多くの日本人にとっては当たり前のように思われるかもしれないが、実はこれ、大変なことである。というのも、欧米の大学は日本の大学とはまるっきり正反対の歴史と性格を持つからである。

見事な論点のすり替えですね。何処の国からも相手にされない箸にも棒にもかからないような存在だから認定されないだけなのに、それを日本の制度に責任転嫁しているわけです。こんなことを書いている時点で胡散臭さ300%ですわ。こういうことは欧米の大学の認定を受けてから言わないと、ただの負け惜しみです。インチキ行為を誤摩化すために、論点をすり替えた論説で制度批判をするのは、詐欺師の常套手段です。(文面は、どうやら、他人の著作を勝手に拝借しているだけの模様)

イオンド大学は提訴するか?

結論から言えば、放置した所で、本気で提訴することはないでしょう。というのも、今のウィキペディアの知名度を考えれば、訴訟になれば、間違いなくマスコミ沙汰になるからです。それでは、イオンド大学の悪評を広めるようなものです。イオンド大学側には訴えて特になることは何もありません。ただ、訴えるぞと脅して、都合の悪い記述を消させているだけです。このようなヤクザのようなやり口は、インチキ商法の常套手段です。

Beyond氏らは、それが分かっているから、ウィキペディアの対応を疑問に思うのでしょう。だから、裏取引があるんじゃないかと想像を膨らませてしまうわけです。まあ、私は、それは考え過ぎだと思いますけどね。単に、脅迫に対する耐性がないだけでしょう。

訴訟対応の能力と覚悟

(書きかけ)能力も覚悟も個人差があって当然なのだから「俺にできたからお前もやれ」とは言えないのである。また、特定の管理者個人を名指しにして非難する姿勢にも疑問を感じる。

脆弱性と人材

表現の自由

ここで言う表現とは「独自の理論」に限ったものではない。崎山伸夫氏のBlogによれば、歴史的に見て、百科事典(百科全書)の発行も表現の自由を巡る闘争の一部であることは間違いない。よって、Wikipediaが「独自の理論」を認めていないということは、表現の自由の無関係と言うことにはならない。[1]

一方的主張だけを選択的に掲載することが表現の自由の侵害となるには、その広報手段が支配的地位にあることが前提条件となる。支配的地位になければ、誰でも容易に対抗できるから、一方的な主張だけを選択した広報が行なわれようとも、表現の自由の侵害とはならない。たとえば、K産党がビラを配ったとする。そこに左翼的思想しか書かれておらず、右翼的思想が書かれていないとき、それは、表現の自由を侵害したことになるだろうか。この場合は、別の団体が、右翼的思想を書いたビラを配れば、これに容易に対抗できる。だから、このような場合は、表現の自由の侵害にはならない。

各メディアの義務の程度は、支配的地位がどのようにして築かれたかを考える必要がある。その支配的地位が国の庇護等によって得たものであるならば、表現の自由を保証する義務を負うことには疑う余地がない。しかし、そうではない場合は、義務を負うかどうかは微妙としか言い様がない。例えば、TV局やラジオ局は、国から電波法および放送法上の免許を受けて運営している。一定の資格基準を満たせば誰でも開設できる、というわけではなく、国策によって排他的に許認可を受けている。そうした国の庇護を受けることによって支配的地位を得ている以上、国に代わって表現の自由を保障する義務を負うと考えられる。新聞はどうだろうか。新聞社開設には許認可がない。しかし、公的機関等から独占的に情報を得たり、再販許可商品に指定されたりという点で、国の庇護を受けていると言える。また、「社会の木鐸」との印象を与えて営利活動を行なっていることを考えれば、非営利団体や個人よりは重い責任を背負っていると言えるだろう。

GoogleやWikipediaは、純然たる民営団体であり、国から特別な庇護を受けているわけではないので、これらのメディアには表現の自由を保証する義務はない。しかし、他者の表現の自由を侵害すれば、それに対する責任は発生する。これらのメディアが、今日において、ネット上の支配的地位を得ている、もしくは、支配的地位を得つつあるという点は疑う余地がないだろう。よって、これらのメディアによる表現の自由の侵害は十分に可能である。問題は、これらのメディアにどこまで責任を問えるかであろう。その点については、社会的な合意が確立されていないのではないだろうか。それ故に、何が正解かを単純に結論づけることは難しい。

一つ確実に言えることは、GoogleやWikipediaのような支配的地位にあるメディアが偏向的な情報を発信することは、社会にとって非常に危険であるということである。そのことを踏まえた上で、これらのメディアがどのような責任を果たすべきかを論じるべきだろうと思う。

ボランティアの責任範囲

例えば、私が非営利で開設するサイトの掲示板に、チャイルドポルノ画像が投稿されたとする。もちろん、投稿者は私の全く知らない人である。そして、私は、その投稿の存在を知りながらずっと放置していたとしよう。さて、私には、何の責任もないだろうか。別の例を挙げる。私は、その日、23時に就寝した。そして、その日の24時頃にチャイルドポルノ画像が投稿されたとする。翌日、私は、会社から帰ってきた後でサイトのチェックをして、初めて、投稿に気がついた。私は、そこで、慌てて、その投稿を削除した。さて、私は、何らかの責任を問われるべきだろうか。

前者の事例で責任を問われないことはあり得ない。実際に逮捕され有罪判決を受けた者もいる。問題は後者である。もし、後者の事例で責任を問われるなら、画像を投稿できるような掲示板を開設することができない。非営利の個人運営である以上、24時間張りついて管理することは不可能である。日常的な生活を行なっている時に起きれば、まだ、放置期間も短くて済む。もし、これが旅行中に起きたらどうだろうか。考えただけで恐ろしい。

このように、非営利個人の活動について、過度の責任を問われるなら、怖くて何もできなくなる。それを理由に活動を停止しろと言うなら、それこそ表現の自由の侵害だろう。非営利の個人、ましてや、善意で行なわれた行為なら、当然、責任は限定的であるべきだろうと思う。ただし、無制限に免責されるのも筋が通らない。可能なのにやらなかったのであれば、責任を問われて当然だろう。しかし、不可能を要求されて、それに応じられないから責任を取れと言うのは言い過ぎである。

脅迫に屈することがもたらすこと

最終的な対応はどうなるか

(書きかけ)なし崩し的に検討中の対応が最終的な対応になってしまうのではないかと懸念してしまう。

最終更新時間:2010年02月07日 00時16分38秒

ウィキペディア

  • [1]ちなみに、WikipediaはGFDLライセンスを採用しており、そこに書かれた記述が著作物であることを明確に認めている。著作権法によれば、著作物は「思想又は感情を創作的に表現したもの」でなければならないので、Wikipediaの記述にも間違いなく「思想又は感情を創作的に表現したもの」が存在する。よって、「Wikipediaは個人の思想信条を表現する媒体では無い」とまでは言えない。

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