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面白さをパクれ

[スタートレック]

面白さをパクれ

新旧問わずスタートレックはパクられるネタの宝庫です。しかし、どれも表面的なパクりであって、その真の面白さの秘密をパクったといえる作品を私は見たことがありません。

成果品の中身をパクれば盗作になります。しかし、シナリオ作成の基本的考え方をパクるのは、文化的発展のための勉強であって盗作にはあたりません。ここでは、その秘密を少しだけ追求してみたいと思います。

 普遍性

時代や場所が変わっても、決して変わることのないものがある。物事の表面だけを理解している限りは見えてこないものである。スタートレックの世界では、見事に描かれている。

人と人とのつながり

天体には自己相関性がある。月が地球の周りを回り、地球は太陽の周りを回っている。太陽は銀河の周りを回り、銀河は更に大きな何かの周りを回っている。

同じように、人と人の関係にも自己相関性があってもおかしくはない。というよりは、そう考える方が自然である。

スタートレックでは、ロミュラン人、クリンゴン人、フェレンギ人、などいろいろな人種が登場するが、彼らの風習や文化は地球人からは理解しがたいものである。しかし、これは、地球上の人種間の関係を誇張したものに過ぎない。かつて、白人にとって、有色人種は未知の存在であり、彼らの風習や文化を理解できずに見下していた。日本人にとっての西洋人も同様であった。彼らのことを理解できずに、南蛮人などと呼んで、見下していたのである。

風習や文化に善悪があるわけではない。後にも述べるように各種族とも種族自体が絶対的悪とはならない。いつの時代にでも、理解しがたいものが確かに存在することを認めなければならない。それこそが、スタートレックが追求する未知である。

機械デザイン

生物においても、技術においても、進化を支配するのは、変異ではなく淘汰である。短期的には変異によって進化の行く末が変化するように見える。しかし、長い目で見れば、それは確率学的な誤差要因に過ぎず、他の誤差要因の発生によって相殺されてしまう。しかし、淘汰は環境等によって決定され、誤差要因は生じ得ない。環境に適しない生物は生存競争に勝てないし、ニーズに合わない技術も販売競争に勝てない。だから、進化の行く末は淘汰によって、決定的に支配される。

将来どのような技術が開発されるか、すなわち、変異については全くの予測不可能である。しかし、どのような技術が求められるか、すなわち、淘汰については予測可能である。だから、未来科学の成果品を予測することはある程度可能である。そのためには、ニーズの正確な分析が欠かせない。

TVの進化の歴史を見ればよく分かる。昔のTVは、今のTVの30インチくらいの筐体に14インチくらいのブラウン管が使われていた。ステレオのスピーカが搭載されていたが、中を開ければ音響効果など全く考えられていないことが分かる。というより、音の出る穴がスピーカーの大きさ分しかない。飾りばかり立派で、中身がセコイ。それが、今はどうか。筐体の大きさに対する画面の大きさは年々大きくなっている。その究極の姿は液晶TVである。価格が下がれば爆発的に普及するだろう。実質的な豪華さが求められていたのは今も昔も代わりはない。しかし、昔は、それを実現するだけの技術力がなかったから、表面的な豪華さで誤魔化していた。実現できる技術が開発されたから、ニーズに応えることが出来たのである。

TVの例でもっと凄いものを挙げると、レーザーを使って網膜に直接映像を投射する技術も開発されている。こうなると筐体の大きさより大きな画面を実現することが可能である。このように、相当無茶なニーズであっても、何百年も先の未来であれば技術力で何とかしているかも知れない。というより、予測できないものを論じても意味がない。将来の技術が今の人間に説明の付くはずがない。今、説明が付くものは今の技術である。フィクションなのだから、思いっきり嘘をつけばよいのである。どれだけスケールのでかい嘘がつけるか面白さの鍵である。

スタートレックの世界では、全体的にそれが出来ている。ただし、詳細においては、まだ、追求が甘い部分はある。

 テーマ

スタートレックには、生き様に関するテーマがある。特に、TNGでは、それがはっきりと打ち出されている。

秩序

惑星連邦の士官として行動するときは艦隊の誓いというルールに縛られる。ずるがしこいフェレンギ人にも彼らの社会独自のルールがある。乱暴なクリンゴン人も臆病者は人の上に立てない。テロリストと見なされる人達にも理念がある。

どのような立場において行動するにしても、自分たちの掲げたルールを守らなければならない。しかし、ルールを守ることと自分たちの使命などが相反することが少なくない。惑星連邦の士官は、しばしば、この葛藤にさいなまれることになる。その場合でもルールは絶対であり、ルール違反を回避して、いかに、使命を達するかが問われている。

ルールに反する行為が行われることもあるが、その場合は、厳しい罰が待っている。いかなる使命のためとはいえ、例え、人道的な救助が目的であってとしても、ルールに反するには、その罰を甘んじて受け入れる覚悟が要求される。

最善策の模索

惑星連邦の士官たちは、常に、自己の置かれた立場で最善を尽くしている。他人に頼り切ったりはしない。いかなる危機的状況でも、状況を冷静に分析し、適切な処置を模索している。その際に、先に述べた、ルールを守ることは当然のことである。

危機を回避するために都合の良い設定が後から出てくることはない。必要な設定は早い段階で明かされる。それらの既知の事実を組み合わせて回避策を編み出すところに、物語の構成のうまさを感じる。

善悪と偏見

スタートレックの世界では、各種族に対し、敵味方の区別をすることがあっても、単純に絶対的な善と絶対的な悪に振り分けることをしない。ロミュランは策略的で、クリンゴンは暴力的で、フェレンギは卑怯であるが、彼らを悪とは決めつけていない。シナリオによっては、主人公達が悪として書かれていることもある。

普遍性の項でも述べたが、人間は、未知のものに対して、恐怖したり、見下したり、悪と決めつけたりする。スタートレックでは、宇宙という未知の世界を舞台にして、そういった人間の持つ偏見性を明らかにしている。そして、その偏見とどう向き合うべきかが問われている。

 シナリオの自由度

最終更新時間:2005年08月15日 22時20分21秒

スタートレック