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医療自由化の是非

[社会問題]

人気漫画「エンゼルバンク」に医療自由化のことが書いてあったので、それについて意見する。この漫画、間違いが結構ある。医療篇以前は、瑣細な間違いばかりだったので許容できたが、医療篇に入ってからかなり内容が怪しくなっている。なんと、週刊モーニング2010年6月3日号(No.25)掲載の第122話では、円天そっくりの詐欺システムを肯定的に紹介してる。今回の内容は、おそらく、連載開始以来、最もデタラメな内容だろう。もっとまともな漫画かと思っていただけに、今回の内容には失望した。

ボランティア?

ポイントを貰っているなら、これは、決して、「ボランティア」ではない。「ボランティア」と言いながら、その実は、報酬を対価とする労働なのである。では、何故、敢えて「ボランティア」と言うのか。それは後で指摘するが、自転車操業であることを誤摩化すための目眩ましであろう。

無償で必要な労働力が集まるなら、ポイントは必要がない。ポイント制にするのは、労働力を集めるのに対価が必要だからである。ようするに、治療「債権」として報酬を払っているのである。現物支給になる分、現金支給よりは無駄が少しは少なくなるだろう。とはいえ、合理化分は、実質的な時間給を割高にする分で相殺される。何故なら、労働力を確保するためには、他の雇用需要より時間給を高くしなければならないからである。他の雇用需要と同等の時間給なら、労働力は現金支給の雇用に流れてしまう。このように、必要な労働力を確保する前提では、「人件費を大幅に圧縮」することは不可能である。

労働者の側から見ても、時間給が高くても、他の仕事より少し割が良いくらいにしかならない。報酬支給を長期間待たされる分の利子を考えれば、決して、お得とは言えないだろう。時間給が安ければ、同じ時間を現金支給のアルバイトにまわした方がマシである。

つまり、雇う側から見ても、雇われる側から見ても、どちらから見ても得にはならない。雇う側が得するような条件では、必要な労働力が確保できない。雇われる側が得するような条件では、返って経費が増大する。雇う側、雇われる側のいずれかが得するようでは、当初の目的を達成することはできない。ポイント制「ボランティア」に何か意味があるとするならば、経費支払の先送りができることくらいである。単なる支払の先送りを「人件費を大幅に圧縮」と言うなら、これは、円天詐欺事件に等しい自転車操業そのものである。ウェイソンの選択課題(四枚カード問題 )で人間の非論理性を批判した作者が、こんな子供騙しを使うとは何事か。これでは、詐欺師の騙し文句と何ら変わらない。

報酬を払うなら、その分のコストが発生するから、人件費削減にはならない。とは言え、無償では人が集まらないから、これまた、人件費削減の効果はない。労働量を削減することもできず、かつ、労働対価に報酬が必要なら、人件費を減らしようがない。しかし、人件費削減が可能なように見せなければ、話が成り立たない。話を成り立たせるためには、コスト0の報酬というあり得ない話が必要になる。そこで、報酬を目に見えるようにしつつ、かつ、発生するコストを分かり難くするために、ポイント制「ボランティア」という話を持ち出したのである。そう、これは、ちょっとした勘違いではなく、分かっていて故意に詭弁を使っているのである。

他にも、10年超ポイント留保における民法上の消滅時効はどうなるんだとか、その病院の倒産リスクが無視できないとか、細かいことを言えばキリが無い。たとえ、自転車操業でも、労働力が集まりさえすれば、従来と同じコストでの運用は可能だろう。しかし、労働力が集まらなければ絵に書いた餅である。労働力が集まってようやくトントン、集まらなければ経営が成り立たない。ポイント制「ボランティア」は、そんな欠陥アイデアであり、説明するのも馬鹿馬鹿しいほどデタラメすぎる

 シミュレーション

次の定義に基づいてシミュレーションしてみた。

  • 「ボランティア」報酬率=p÷k
  • 応募率=β÷α
  • 経費率=「ボランティア」採用時経費÷全員が正規職員の場合の経費
  • 「ボランティア」採用時経費=(αーβ)×k+β×p
  • α=必要な職員人数
  • β=「ボランティア」人数(正規職員1人と同等の労働時間で「ボランティア」1人と数える)
  • k=正規の給料(1人当たり)
  • p=ポイント経費(正規職員1人と同等の労働時間当たり)

「ボランティア」報酬率と応募率の関係が不確定要素となるが、p=kのときβ=α、p=0のときβ=0となるものとして、4パターン作図する。

僅かな報酬で「ボランティア」が殺到するとは考え難いので、パターン1のようになるとは考え難い。常識的に判断すると、良くてもパターン2が限界だろうと予想できる。パターン2では、最大で25%の経費が削減できるが、パターン3では1割も削減できない。実際は、パターン4かもっと悪いかも知れず、それならば、数%が限界となる。

これは、資格を必要としないスタッフの経費に限った話である。資格を持った人は、積極的に就職する意欲の高い人であろうから、安い報酬の「ボランティア」に応募する人は少ないだろう。資格を持ったまま現役を引退したがいれば応募してくるかもしれないが、必要人数に比べれば全然足りないだろう。いずれにせよ、有資格者を考慮した総合的な経費の削減率はグラフの値より低下することになる。結局、良くて数%程度が経費削減の限界、悪ければ殆ど削減できないだろう。もちろん、これは、パターンを正確に予測して、的確に報酬率を設定した場合の限界値である。パターンを読み違えれば、経費削減率はもっと下がる。

以上のとおり、「人件費を大幅に圧縮」するのは不可能である。

無報酬の応募率を0より大きくすると、面白い結果が出る。

仮に無報酬で5%の応募があるとすると、パターン4の場合は、ポイントはない方が経費削減できる。この場合は、ポイントを増やすと経費が増えるのだから、ポイント制が根拠を失ってしまう。

この場合も、先程のグラフと比べて削減率の最大値はあまり変わらない。

情報自由化

ここでは医者の能力にバラツキがあるに決まっていると言っている。しかし、この後の話は、全ての医者が疾病を治せることを前提としている。つまり、作者の言うバラツキがある能力とは、疾病を治す能力のことではないのだ。作者の言う能力とは、疾病を治す能力を除外した、付随サービスの能力のことを指しているのだ。

言うまでもなく、最も重要な医療技術は命を救うことである。しかし、作者の言う「医療技術」には命を救う技術は含まれていないのである。そして、作者は、命を救う医療技術にバラツキがあるという事実を知らない。今回だけでなく、医療篇が始まって以来ずっと、そうした傾向が見て取れる。

  1. 疾病を治す技術
  2. インフォームドコンセント
  3. この作者の言う「医療技術」

作者の言う「医療技術」=付随サービスに能力なんて全く必要ない。作者の言う「いい医療は」、選定療養として何処でも誰でも受けることができる。病院に設備があって、かつ、患者が金を払いさえすれば、無条件で受けられるのである。そして、選定療養を受けるのに「特別なルート」は全く必要がない。金でサービスに差があるのは確かだが、情報格差は全く関係がない。

そして、疾病を治す技術の差は、情報格差だけが問題なのではない。確かに、医者の腕に関する情報の格差もあるのだが、それ以上に、未承認医療の問題の方が大きい。未承認医療は、金持ちだけが受けられるが、それは、情報格差のせいではない。保険が利かないから、高過ぎて貧乏には手が届かないだけなのである。

以上のことは「混合診療」で検索すれば、いくらでも情報が得られる。農業篇では「ネットで検索して犯罪白書で調べたらすぐに確認できる」と言っていたのに、医療篇では「ネットで検索」すらしないでデタラメなことを言うのは如何なものだろう。

自由化で医療費は下がる?

ここに、大木こだま・ひびきが居たなら、きっと、こう言うだろう。

ひびき「夢みたいな話やなあ」
こだま「夢やがな〜」
ひびき「嘘みたいな話やなあ」
こだま「嘘やがな〜」

医療問題を少しでも知っているなら、こんなおとぎ話が実現しないことは分かるだろう。このおとぎ話は、2010年4月15日号(No.18)掲載の第116話とも矛盾する

保険会社が「支払いを拒否」して医療費が払えなくなるのは、それが、個人で払えないほど高額だからである。作者は、それが「サブプライムローンの問題の根底」だとしているのだから、米国の高額な医療費の実態を知っているのである。それが、医療費を自由化している米国の実態である。患者が「価格を安め」にした病院を自由に選べるなら、こんなことは起こり得ない。起こったとしても、極まれな事例であり、「サブプライムローンの問題の根底」となるような社会問題にはなり得ない。高額な医療費を払えないことが「サブプライムローンの問題の根底」であるということは、それは、自由化しても「価格を安め」にした病院を自由に選べるようにはならないことを意味する。仮に、「価格を安め」にした病院があったとしても、それは、一部の人しか利用できない極まれな事例にしかなり得ない。このように、作者の主張は、自分の漫画の中ですら致命的な自己矛盾に陥っている。

矛盾が生じるのは、医療に掛かるコストを完全に無視しているからである。

  • 人件費
  • 医薬品代、医療器具代

今でも、大学病院は、研修医に過酷な労働を強いているが、それでも赤字経営である。最低人数の医者や看護士や事務員等のスタッフの人権費は必要である。今の価格でも人権費がまかなえないのだから、価格を下げたら赤字が拡大するだけだである。ここで、百歩譲って、価格を安く設定する病院が出てきたとしよう。そのために人件費を削減するなら、スタッフの給料を下げるしかない。給料を減らしたら優秀なスタッフに逃げられるだろう。結果として、安い病院には質の悪いスタッフしか集まらなくなる。

そして、最新の医薬品や医療器具(以下、「医薬品等」)の代金はかなり高いが、医療を自由化しても、これらには競争は生じない。何故なら、最新の医薬品等は、開発した企業が技術を独占しているからである。古くからある医薬品等で治せる疾病もある。しかし、全ての疾病が治せるわけではない。だから、医療には新技術が不可欠なのである。新技術は、特許が切れるまで開発企業が技術を独占する。特許切れの古い医薬品等が競争で安くなれば、開発企業はその分を新しい医薬品等に価格転嫁するだろう。その結果、医薬品等の価格は、新旧で完全に二極化する。

  • 特許切れの医薬品等の価格は暴落する
  • 特許期間が継続している最新の医薬品等の価格は高騰する

結果として、「価格を安め」にした病院が出来ても、そこでは、藪医者が特許切れの医薬品等を処方するだけである。貧乏人は、優れたスタッフを有する病院には行けないし、高価な医薬品等には手が出ない。藪医者が特許切れの医薬品等で治せる疾病なら、それでも何ら問題はない。しかし、優秀な医師や高価な医薬品等が必要な疾病の場合は、治せる医師や医薬品等がこの世に存在しても、治療してはもらえない。つまり、医療自由化とは、貧乏は黙って死ねという制度である。車は買わなくても我慢すれば良い。しかし、命を失っては我慢できない。

おまけ

医療問題を論じると、必ず、「開業医が儲けすぎてけしからん」という低俗な議論に持ち込みたがる輩が居る。そして、この漫画も、それに漏れず、そうした低俗な議論に持ち込んでいる。確かに、税金で不当で儲けている者が本当に居るなら、それは是正すべき問題ではある。しかし、そんなことは、人の生死に比べれば二の次であろう。どうすれば多くの人の命が助かるかという話に比べれば、金で済む問題なんて後回しで良い

そして、金で済む低俗な議論に持ち込みたがる輩に限って、人の命を左右する問題について問われたら、その問題を無視するか、あるいは、事実関係を無視した非現実的なおとぎ話しか語らない。それは、ちょうど、今回のこの漫画の内容と大差ない。「経済成長のためには貧乏人を見殺しにしても仕方ない。日本経済が破綻すれば日本人全員が見殺しになる。金持ちだけでも救えるなら、全滅よりはマシだ。死ぬのが嫌なら頑張って金持ちになれ!」と言うならそれは1つの意見足りうるが、「医療を自由化すれば何の問題もなく全て解決」などという巫山戯たファンタジーは意見ですらない

尚、この漫画の論理を適用すると、日本経済のためにも医療を自由化しない方が良いことになる。何故なら、米国の事例が、医療の自由化が経済の首を絞めた事例になっているからである。作者の主張によれば、米国の自由な医療がサブプライムローン問題を引き起こしたことになっている。そして、サブプライムローン問題は、米経済に深刻な打撃を与えた。つまり、自由な医療が経済に打撃を与えたことになる。よって、経済を守るためには、医療を適切に統制する必要があることになる。誰でも直ぐに気づくと思うが以上の話は何かおかしい。では、この話の何処がおかしいのか。医療問題がサブプライムローン問題を引き起こしたとする事実認識が間違っているのだ。

以下、ネットで見た、この漫画の医療篇への批判である。

確かに、サブプライムローンを借りた人々の中には、医療費を捻出するためにローンを組んだ人も居る。

しかし、それがまるで大多数であるかのように書いてしまうのは間違っている。

また、アメリカでは富裕層でないと保険料を支払っていても貧乏人相手には保険会社がマトモに保険金を支払わないというモラル崩壊があると読める部分がある。

その手の問題が皆無とは言わないが、それがサブプライムローンを借りた上でのセカンドモーゲージで医療費を捻出しようという動きにストレートに繋がっているわけではない。

貧しい人々が身分不相応の贅沢をする為にローンを組んだわけではないという印象操作をやらないと、この回での話である「医療は国の根幹に関わる問題」というテーマに繋げることが出来なかったのだろうが、

真実をねじ曲げてはイケナイ。

身分不相応な贅沢を手っ取り早く出来るという欲望にかられて、サブプライムローンに手を出した人々が大多数であるという世間一般の認識に、大きな間違いは無い。

私自身が米国で住宅ローンを組んだ経験があり、その時にセカンドモーゲージで車を買わないかだのなんだのと勧誘されたのでよくわかるのだ。

そして、医療費に困って住宅ローンを組むという話は全然聞かなかったが、車が欲しいから住宅ローンを組んだとか、セカンドモーゲージで旅行に行くとか、そういう話はあちこちで聞いた。

なんでセカンドモーゲージを利用しないのかと、不思議そうに聞いてくるアメリカ人もいたぐらいだ。

私としては、金利が低かろうが不動産の価値が上昇しようが、借金は借金なんだからと思っていたのだが、アメリカ人の浪費癖には驚いた。(しかも中流以下にその傾向が強い)

医療費の為にサブプライムローンに手を出した人々が少数派である限り、

医療問題がサブプライムローンの拡大を招いたと読み取れるような「エンゼルバンク」の指摘は間違いと言うしかない。

これは原因と結果をひっくり返したら正しくなくなる類の話なのだ。

先に説明すると、サブプライムローンは住宅ローンでなので、ローンで借りた金を直接的に医療費の支払いに充てることはできない。よって、「医療費を捻出するため」にサブプライムローンを利用した人がいるとするならば、ローンを利用した直接的な不動産投資、あるいは、それを元にした金融商品で利ざやを稼ごうとしたことになる。ローンで土地を買っても、その直後のセカンドモーゲージは0円である。だから、不動産が値上がりしない限り、医療費の支払いに充てるための資金は発生しない。よって、サブプライムローンでは、投資による利ざやでしか「医療費を捻出する」ことはできない。

「保険会社が支払いを拒否」してから投資を始めても遅すぎる。投資は、将来のために行なうものであって、今すぐお金が必要な人のやることではない。「住宅価格の値上がり分」は、将来の話であるから、今、支払いに困っている人にとっては1円も捻出できないのだ。いくらハイリターンだからと言って、相応の金額を稼ぐにはかなりの時間が掛かるはずであり、請求が来てから投資を始めるのは遅すぎる。だから、「医療費の為にサブプライムローンに手を出した」という話には全く説得力がない。

米国医療の最大の問題は、公的保険の対象外となる人たちの保険の加入率の低さにある。米国には、低所得者を対象とした公的保険はあるが、中産階級以上を対象とした公的保険がない。中産階級の人は、少し収入に余裕があっても、その分を、必要性が不透明な医療費よりも、日々の生活の足しに使う人が多い。懸るかどうかも分からない将来の病気のために、事前に民間保険に加入する人は、かなり堅実な人である。米国人が堅実な人ばかりなら、保険未加入者が何千万人も発生するはずがないのである。そして、本当に堅実な人は、サブプライムローンのような怪しい投資には手を出さない。

医療の値段を一部の集団が決めているといったって、大多数の多数決で決めるわけにもいかんやろう、コンビニの値段を客に決めさせるか?そして、「一部の集団」が決めているのは「保険医療」の値段であって、自費にすれば自分で決められる。自費より、保険のほうが自己負担が少ないから患者はそこから離れないし、医療機関も、ある程度の収入が確保できるものだから少々収入が下がってもそれに合わせて動く。保険にぶら下がって大儲けしようというのが、そもそも根性からしていけない。

いけない根性の開業医もいるが、そこそこ保険審査の仕組みで突っ込めるようになっているし、しょせん開業医がやったってたかが知れている。

動く金のでかい病院がどんどん「儲かる」ようにすればみなそっちに鞍替えして、あっというまに日本の財政は破綻するわ。

今週のエンゼルバンクは医療編。「後医は名医」「誤診を繰り返して最終的な診断にたどりつく」はいい。待合室での簡易診察もいい。でも、「本格的な診察を待っている間に薬で症状が改善すれば診断が正しかったとわかる」はありえんな。

それとは別に、漫画の最新号では、次の提案をしている。

・ 医療に市場原理を導入する

・ 医療ボランティアを導入する

しかし、この二つは、まったく駄目だ。駄目だという以前に、あまりにも陳腐である。(わざわざ漫画で書くほどのことじゃない。)

今回は、あまりにアレな人にも「駄目だという以前に、あまりにも陳腐」と看過されるほど酷い内容のようだ。

しかし、大ケガをした患者にとっては、目の前にいるただ一人の医者しか頼りになるものはない。

実に的を射た意見だが[1]、これは大怪我に限らない。頭痛や腹痛でも同じである。車を買うときは、見積を貰っても、その場では買わない。少なくとも、一度は、家に帰って検討する(という名目で時間を値引交渉の材料にする)。しかし、病院で、こんなことはしない。医者に見積を貰って、「じゃあ、じっくり検討してみますね」と家に帰る馬鹿はいない。直ぐに治療を受けたくて病院に行くのだから、選り好みしている余裕はない。

では、お品書きがあればどうだろうか。事前に複数の病院の価格表を手に入れておき、家を出る前に病院を選ぶのである。しかし、病名も治療法も、診断して初めて分かるのであれば、このやり方は通じない。診断結果に応じた価格は、診察を受けて初めて分かるのだから、他の病院と価格を比較することは困難である。

結局、ジェネリック医薬品の普及が進む程度で、それ以上の競争は生じ得ない。そして、ジェネリック医薬品の普及は、現行制度でも十分に実現可能なことである。つまり、市場原理を導入することによる競争は全く生じ得ない。

また、どの医者が名医かは、評判以外に判断のよすがになるものがない。評判が正しいという保証はない。

実に的を射た意見である[2]。例えば、「名医」を紹介するような書籍がいくつかあるが、「名医」として紹介された人が必ずしも名医とは限らない。専門医から見れば、医療技術が最低の医師でも「名医」として紹介されていることもある[3]。生存率などのデータを公表しても、それが持つ意味は、一般人には分かり難い。専門医でも判断が難しい情報を与えられても、一般の患者は上手に利用することが困難であり、返って混乱を招くだけだろう。

「ボランティアはタダでやる労働だから、ポイントを渡せば有効だろう」と思うのだろう。だが、そもそも、医療ボランティアというのは、無償でやることに意義がある。何かの実益を目的にするとしたら、もはやボランティアではない。ただの低賃金労働者(奴隷)みたいなものだ。

作者が「低賃金労働者」を想定しているとするなら論外である。無償では労働力が確保できないから、ポイントを付与するのである。しかし、ボランティアで集まらない労働力が、低賃金労働では殺到する、ということは、どう考えてもあり得ない。労働力確保を目的とするなら、「低賃金労働者」では全く話にならないのである。

どうしても市場原理を導入したいのであれば、医者の参入障壁をなくすべきだ。つまり、誰でも勝手に医者をできるようにして、医者の免許制を廃止するべきだ。そうすれば、供給不足の問題は解決する。……しかし、そのかわり、無知な素人が勝手に治療をすることになり、それによる死者は続出するだろう。その場合も、「駄目な医者が淘汰されればいい」という理屈で、「市場原理は正しい」と言われるだろう。

これは実に皮肉が効いている[4]

もしそうなれば、多くの人命が犠牲になる。しかしながら、人間の命というものは、「サービスが悪かったので請求した代金を返上します」という具合には行かないのだ。人が死んだあとで治療費を無料にしてもらっても仕方ないのだ。……というわけで、人命に関する分野では、物事を経済原理だけではとらえきれない。

と、この方でも理解できる簡単なことが、作者には全く分かっていないようだ。

最終更新時間:2010年05月25日 02時46分03秒

社会問題

  • [1]こんなに的を射た意見は、この方らしくない。
  • [2]これまた、この方らしくない。
  • [3]平岩正樹医師によると、ある「名医」の手術を見学したとき、がんにメスを入れたそのままの手袋を取り替えもせずに患部の縫合をしたので驚いたそうだ。がんにメスを入れると、がん細胞が飛び散る。その飛び散ったがん細胞が患者の体内に入ると、転移を起こす危険性が高まるとされる。この「名医」は、患者の患部にがん細胞をなすり付けたわけである。
  • [4]これまた、この方らしくない。

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