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郵政民営化反対派の建前と本音

[政治]

2010年追記

久しぶりに、自分が過去に書いた文章を読み直してみた。自分の過去の未熟さを思い知らされるのかと思っていたら、意外としっかりした文章で驚いた。さて、久しぶりついでに、郵政民営化の実情を検証してみよう。

郵政民営化に向けて日本郵政公社がまとめた郵便局の再編リストが27日判明した。郵便の集配業務を行っている全国4696の郵便局のうち約22%に相当する1048局で集配業務を廃止。都道府県別では北海道や新潟県などで集配業務がなくなる郵便局が多く、東京都や大阪府など都市部では極端に少ないのが特徴だ。

集配業務がなくなると、郵便局での時間外窓口サービスが原則廃止されたり、従来に比べ配達距離が長くなり配達が遅れる地域が出る懸念もある。無集配化される郵便局を抱える市町村では「サービスが低下する」などと再編計画への反対が強まる可能性もあるが、公社は地元説明を重ね、今年9月以降順次、実施する計画。再編リストは28日にも正式発表する。

集配業務を廃止する郵便局が多いのは、北海道の160局、新潟県55局、広島県46局、長野県45局、山口県43局など。公社の支社別では中国支社管内が167局、東北109局、九州118局などとなっている。

一方、大阪府では3局、東京都5局、神奈川県6局など、大都市圏では無集配化される郵便局は少ない。

日本郵政公社の方針は、大都市の業務を極力維持し、かつ、地方の業務を減らすことである。民間企業なら、赤字が拡大させるような逆の選択はしないだろう。常識で考えれば、民営化前の無集配局が都会に集中しているであろうことは想像に難くない。何故なら、単位面積当たりの店舗数が少ないほど、1店舗当たりの縄張りが大きくなるからである。都会のように、店舗が集中している地域では、全ての店舗が集配業務を行なう必要はない。逆に、過疎地では、集配しない店舗があれば、隣接する店舗の集配エリアが広くなりすぎて、負担が大きくなる。つまり、当初、無集配局は、都会に沢山あったのであって、その局が行なう必要がないから集配業務を行なわなかったのである。それが、民営化による合理化策では、地方の集配局を無集配化することとなった。それは、そうだろう。交通渋滞等の影響も考えると、地方と同じ広さの集配エリアを面倒見るのは難しい。元々、都会には、無駄な局などなかったのである。だから、合理化を命じられたら、過疎地の集配局を無集配化することは、容易に想像がつく。それは子供にでも分かる理屈である。

郵政民営化を10月1日に控え、簡易郵便局の閉鎖が全国で相次いでいる。

日本郵政公社から業務を受託していた農協が、民営化で郵政事業と競合が強まるのを機に「本来業務に専念する」として受託を打ち切る例が多いことなどが理由。

郵政公社は「一時的な閉鎖。民営化後も郵便局ネットワークは水準を維持する」として、新たな受け皿探しを急ぐが、過疎地域の高齢者らに不安が広がっている。

郵政公社によると、全国の簡易局は8月末現在で4299局あるが、このうち42道府県の310局が「一時閉鎖」となっている。静岡が38と最多で、愛知20、新潟19、岡山16、長野14と続く。144局は農協の撤退による閉鎖で、残りは受託していた個人の高齢化などによるという。

簡易局の一時閉鎖は、03年4月の郵政公社設立以降に見られるようになった。郵政公社は今年1月、年間委託費を約80万円増の約240万円としたが、閉鎖に歯止めがかからない。

元々、無理を言って業務委託を引き受けてもらっていたのに、年間委託費を25%も削減したら、断られるのは当然だろう。平成19年度地域別最低賃金の全国加重平均額が時給687円である。この時給を、週休2日、8時間営業に当てはめると、1人約140万円となる。つまり、簡易郵便局の年間委託費額では、最低賃金でも2名は雇えない。必要経費を考慮せず、全額、個人の給与になると仮定しても、240万円はかなりの低賃金ではないか。不況期では贅沢を言えないとはいえ、1人暮らしの若者でもなければ、かなり厳しいのではないか。さらに、寒冷地ともなれば、燃料費などもかかってしまう。都会であれば、何かの店と兼業すれば、そちらからの利益も期待できよう。しかし、人が少ない田舎で兼業しても大した利益にはならない。何故なら、商品を買ってくれる人がいないからである。だから、田舎では、ほとんど郵便を専業とせざるを得ない。それで、240万円しかもらえないのでは、馬鹿馬鹿しくてやってられないだろう。

項目 民営化推進論 日本郵政公社または日本郵政株式会社の選択
集配局 都会の無集配局を簡易郵便局にし、田舎の集配局は維持すれば問題ない 田舎の集配局を無集配化する
簡易郵便局 特定郵便局から振替で簡易郵便局が増える 年間委託費削減で田舎の簡易郵便局が減る

これらは、郵政民営化関連法可決後、新たに就任した総裁である西川善文氏が、民営化方針に従って決定したことである。その西川善文氏は、銀行上がりの民間実業家であり、日本郵政株式会社の初代社長でもある。つまり、民間会社の民間実業者が決めた合理化方針は、地方の切り捨てである。それは、郵政民営化反対派が預言した通りの出来事である。民営化推進派は大都市の業務を削減しろと言ったが、民間会社の民間実業者は全く逆の選択をした。しかし、そんなことは言うまでもなく当たり前だろう。民営化推進派の言う通りにしたら、日本郵政株式会社は発足間もなく倒産しかねない。民間会社の民間実業者だからこそ、民営化推進派の主張と逆の選択をしたのである。

民営化推進派の言っていたことは、絵に書いた餅どころではなかった。絵の中でも餅の形をしていない得体の知れない物体だったのだ。そんな絵空事以下の妄言が現実になるはずがない。理屈の通じない人は、与えられた事実と常識から自明の理として導かれる結論さえ否定する。「そんなの、まだ、何も決まってないじゃないか」と。そのくせ、常識で考えてあり得ない妄想論をぶち上げる。さて、それでは、現実はどうだったか、その目で良く確認してもらいたい。自明の理が真実だったと証明されているではないか。そろそろ、現実を見るときが来たのではないか。

前文

とあるブログ「過疎地の郵便局が無くなる」という脅しに騙されるな!の内容を検証する。

書かれたとおり素直に読む

 全体構成

まずは、文章の全体構成を見てみよう。

選挙戦も盛り上がってきているが、未だに根拠の無いデマや印象操作による民営化反対論を見かける。今回は「民営化されると過疎地の郵便局が無くなって不便になる」という主張について検証してみる。

まず大前提として「ライフラインとしての郵便局は維持される」事が郵政民営化法案の付帯決議として明記されているのが大前提だが、それ以上にこの問題は既得権益に胡座をかく民営化反対派が過疎地に住む人が持つ不安を巧妙に煽り、有権者を恐怖に陥れ郵政民営化論の本質を誤魔化そうとする罠だ。

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(説明前半部)

テレビで流れる「過疎地で頑張る郵便配達のオジさん」の映像は、無集配特定郵便局長等の郵政利権を守る為のプロパガンダだ。

(説明後半部)

「民営化されると過疎地の郵便局が無くなって大変だ」という論は、既得権益に胡座をかく郵政利権の亡者達が己の自助努力や創意工夫を一切拒否して、「とにかく現状維持」「赤字が出たら税金投入」と既得権益にしがみ付くために有権者を脅しているだけにしかオレには見えない。

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郵政民営化についてきちんと議論されるのは大歓迎だが、今の民営化反対派(マスゴミ含む)は根拠に乏しいデマまがいの反対論や印象操作でこの問題の本質をズラしている事が多い。それはネットでも然り。ネットの掲示板等で何度論破されてもゾンビのように繰り返される、知識不足の人の恐怖心を煽る事を目的としたデタラメのコピペで、民営化論争の本質がブレる事を避ける為に下記の関連エントリーをテンプレ代わりにご利用いただければ幸甚です。

このうち、論理展開の進行について述べているのはたった一カ所だけ。

今回は「民営化されると過疎地の郵便局が無くなって不便になる」という主張について検証してみる。

つまり、この文章全体は、反対派の建前[1]に関する検証だと主張しているのである。

 冒頭部

議事進行に関する部分を除いて引用する。

まず大前提として「ライフラインとしての郵便局は維持される」事が郵政民営化法案の付帯決議として明記されているのが大前提だが、それ以上にこの問題は既得権益に胡座をかく民営化反対派が過疎地に住む人が持つ不安を巧妙に煽り、有権者を恐怖に陥れ郵政民営化論の本質を誤魔化そうとする罠だ。

大前提として付帯決議への言及があるが、これには法的拘束力がないため、反対派の建前の検証に使うには不十分である。いずれにせよ、文章構成の常識で考えて、冒頭部では結論は出ないだろう。この先の論理展開を読んでから判断することとする。

また、ここでは、反対派の建前の裏に別の本音[2]があるだろうことも指摘されている[3]

 説明前半部

全国に24715局ある郵便局。だがそれには大きく分けて5種類ある:

1)集配をする普通郵便局   1262局

2)無集配の普通郵便局      48局

3)集配をする特定郵便局   3530局

4)無集配の特定郵便局   15405局

5)簡易郵便局        4470局

  合計          24715局

(参考平成15年度都道府県別郵便局数 郵政公社調べ郵便局の種類・分類

テレビでよく過疎地の郵便局の様子として取り上げられる、深い山奥の民家に郵便局員がバイクで郵便物を配達し、一人暮らしのお年寄りの話し相手になるサービス等は集配を行う普通郵便局・特定郵便局合計4792局によって賄われている。だからユニバーサルサービスとしての郵便事業だけを成り立たせるには、この4792局を維持すれば良い。

ちなみに、行政監察結果によると無集配特定郵便局の運営コストは年間2,833万円、一方簡易郵便局の運営コストは年間1,170万円(ソース:郵政民営化に関する有識者会議第8回会合 翁主席研究員

全ての無集配特定郵便局15405局を全廃すれば年間約4400億円の経費削減。それは暴論というならば、無集配特定郵便局を簡易郵便局にするだけで年間約2600億円の経費削減になる。

内容は少々眉唾物である。しかし、次の前提が正しいと仮定すると、年間2600億円の経費削減が可能とは言える。

  • 全ての無集配特定郵便局が簡易郵便局に置きかえ可能
  • 簡易郵便局に置きかえても収益は減らない

また、平成15年度都道府県別郵便局数を見れば分かる通り、実は無集配特定郵便局が集中しているのは過疎地ではなく大都市圏だったりする。東京1379局・神奈川681局・埼玉543局・千葉590局・愛知716局・大阪1010局・京都368局・兵庫696局、これらを合計すると合計5983局に上る。北海道の果てや長野の山奥ならまだしも、銀行もコンビニもあるこんな大都市圏で窓口業務をわざわざ高コストの特定郵便局として現状のまま維持する理由なんて全く無い。

人口集中地域に店舗が多いことは、郵便局に限ったことではなく、何ら不自然ではない。どうやら、無集配特定郵便局が簡易郵便局に置きかえ可能だと言いたいのだろうが、これは全くの蛇足である。無集配特定郵便局にすべきか、簡易郵便局にすべきかは、需要と供給の関係で決まる物である。行政監察結果でも「簡易局で取り扱えない料金後納郵便等の業務」について言及している。簡易局で取り扱えないサービスは、人口集中地域に需要が多いのだから、店舗数の大小だけで単純に論じることは出来ない。

簡易局で取り扱えないサービスが目当ての人は、簡易郵便局になれば、その郵便局を利用しなくなる。そして、それが、郵便需要の減少に繋がれば、大幅な収益減になる。そうした収益源を無視し、「年間約2600億円の経費削減」と言うのは、捕らぬ狸の皮算用である。そのような理屈が通じるならば、コンビニも全ての店舗の業務を縮小すれば良い。経費が削減できて大いに儲かることだろう(笑)。

ただ、郵政事業に関する行政監察結果に基づく勧告―施設整備、資材調達を中心として―を読む限り、簡易郵便局に置きかえ可能な無集配特定郵便局が少なからず存在するのは確かだろう。つまり、ここで、置きかえ可能であることを論じたいなら、この行政監察を引用して論じるべきである。もちろん、それは「年間約2600億円の経費削減」の根拠とはならないが。

 前半部結論

前半部の結論は次のとおり。

テレビで流れる「過疎地で頑張る郵便配達のオジさん」の映像は、無集配特定郵便局長等の郵政利権を守る為のプロパガンダだ。

説明文からは、合理化によって無集配特定郵便局から簡易郵便局への置きかえが進む可能性があることが分かる。そして、それが、特定郵便局の利権を解消することは言うまでもなく明らかであろう。以上のことから、特定郵便局長が反対するであろう事は想像に難くない。そして、反対派議員の本音が、それら特定郵便局長の利権を守ることにあるとする疑いは、何ら不自然なことではない。しかし、それは、何ら根拠があるわけではなく、推測に基づく疑いに過ぎない。

ところで、これは何を説明する文章だったのだろうか。

今回は「民営化されると過疎地の郵便局が無くなって不便になる」という主張について検証してみる。

そう、反対派の本音ではなく建前を検証するはずだ。しかし、前半部では、反対派の本音についての推測は書かれているが、反対派の建前については全く検証していない。後半部での検証に期待しよう。

 説明後半部

ただし、無集配特定郵便局(特に利便性のいい場所にある局)を窓口ネットワークという「資産」として見れば整理統合し上手な活用をすれば凄い優良資産になる可能性もある。「15年度 郵政事業における郵便局別損益(試算)の概要−郵政公社調べ」を見れば分かる通り、恒常的な経費に着目した収支相償方式において約6000の郵便局が潜在的な黒字局と考えられる。

これらの潜在的優良資産を高付加価値で高収益なサービスを提供するネットワークに進化させる為には、現状の税金や預金保険料等優遇措置を受けていている公社という形態のままでは民業圧迫となるため不可能だ。ちゃんと民営化されて他の民業と同じ土俵で、知恵を絞って、汗を流して、競争しなければならない。

ここで、述べられていることは、約6000の郵便局が潜在的な黒字局であること、民業圧迫の可能性があること、民営化しても営業努力で利益を上げることが可能であることが述べられている。

 後半部結論

後半部の結論は次のとおり。

「民営化されると過疎地の郵便局が無くなって大変だ」という論は、既得権益に胡座をかく郵政利権の亡者達が己の自助努力や創意工夫を一切拒否して、「とにかく現状維持」「赤字が出たら税金投入」と既得権益にしがみ付くために有権者を脅しているだけにしかオレには見えない。

確かに、競争の中では自助努力や創意工夫が必要である。しかし、それはタダの事実であって、感情でも都合でもない。よって、そのことからは、そうした競争から逃れたいとか、既得権益にしがみつきたいとする動機は全く読みとれない。もし、そうした方向に話を持っていきたいなら、具体的な既得権益の内容、楽して金が儲かる実態等を書くべきだろう。後半部の説明からは、このような結論を導くことは不可能である。

ところで、これは何を説明する文章だったのだろうか。

今回は「民営化されると過疎地の郵便局が無くなって不便になる」という主張について検証してみる。

そう、反対派の本音ではなく建前を検証するはずだ。しかし、ここまで、反対派の本音についての推測は書かれているが、反対派の建前については全く検証していない。さて、いつになったら、反対派の建前を検証するのだろう。

 まとめ

郵政民営化についてきちんと議論されるのは大歓迎だが、今の民営化反対派(マスゴミ含む)は根拠に乏しいデマまがいの反対論や印象操作でこの問題の本質をズラしている事が多い。それはネットでも然り。ネットの掲示板等で何度論破されてもゾンビのように繰り返される、知識不足の人の恐怖心を煽る事を目的としたデタラメのコピペで、民営化論争の本質がブレる事を避ける為に下記の関連エントリーをテンプレ代わりにご利用いただければ幸甚です。

結局、反対派の建前は、一度も検証されることなく、「根拠に乏しいデマまがい」や「印象操作」と決めつけられている。もし、仮に、反対派の本音が別の所にあったとしても、それは、建前が「根拠に乏しいデマまがい」や「印象操作」である根拠にはならない。にもかかわらず、一体、何を根拠に、反対派の建前が「根拠に乏しいデマまがい」や「印象操作」と決めつけているのだろうか。謎である。

以上のように、これらの文章は、反対派の建前の検証としては、全く論が通っていない。というより、致命的な論理飛躍の塊である。しかし、この文章が、反対派の建前の間違いを証明したと信じて疑わない人が少なくない。

辻褄の合うように解釈する

これらの矛盾はどうしたことか。この文章を書いた人は飛躍した論理で反対派の建前が嘘だと決めつけようとしているのか。そうではないと仮定して、別の解釈を考えてみよう。

論が正しいかどうかはともかく、各説明は、主として、反対派の本音について言及しているように見える。とすると、この文章は、反対派の建前ではなく、本音を検証したつもりなのだろうか。とすると、単なる、言い間違いである。つまり、次の一文が致命的に間違っているのである。

今回は「民営化されると過疎地の郵便局が無くなって不便になる」という主張について検証してみる。

これは、「〜」という主張の裏にあるであろう本音を検証してみる・・・が正しい。タイトルも、「反対派の建前に惑わされずに裏にある本音を見抜け」等が正しい。三省堂国語辞典によると騙すとは次のとおり。

(1)巧みな言葉・仕掛けなどを用いて本当だと思わせる。あざむく。

(2)なだめすかす。機嫌をとる。

この場合の「騙す」は、前者の意味で使われているのだから、「脅し」の内容が嘘であることを意味しているのである。しかし、これらの文章では、その内容が本当か嘘かは検証していない。反対派の建前が裏にある本音から目を背けさせる物であるという意味、つまり、何かから目を背けさせて違う方向へ話を誘導するという意味なら、「騙す」を使うのは日本語として誤りである。

もちろん、反対派の本音についても、全て推測や蛇足の塊なので、検証としては不十分である。誤解の無いように言っておくが、私は、反対派の本音の存在や内容を否定しているわけではない[4]。ただ、これらの文章が検証として不十分だと言ってるだけである。反対派の本音の追求の仕方が甘い、核心に迫ってないと言ってるのである。

もし、故意なら・・・

もし、故意に、ミスリードしているなら、騙し絵のような高度なテクニックを使っており、かなりの知能犯と言えよう。反対派の建前の嘘を証明したと思ってくれれば、それでよし。証明できてないと思われても、「そんなことは言ってない」と言い訳できる。どちらに転んでも、損はしない。見事なプロパガンダであり、私は、これに太刀打ちする手段を思い浮かばない。

ブログを検証した意味

何のためにとあるブログを検証したのか。それは、キチンと論じて欲しいからである。建前の裏に隠された本音を暴露するのも、ひとつの有効で適正な論法であることは間違いない。しかし、本音の存在は建前が間違っている証拠にはならないし、本音を想像で論じて良いわけではない。建前を否定したいなら建前のどこが間違ってるか指摘すべきである。本音を指摘したいなら、証拠に基づいて論じるべきである。いずれにせよ、物事を区別して、キチンと論じるべきだろう。でなければ、「問題の本質をズラしている」「根拠に乏しいデマまがいの反対論や印象操作」や「知識不足の人の恐怖心を煽る事を目的としたデタラメ」でしかない。

反対派議員が「過疎地の郵便局が無くなる」と主張するのは特定郵便局の利権を守る本音を隠すためではないかと疑うのは当然の疑問だろう。しかし、反対派議員は、何故、本音を言わず建前を持ち出すのか。それは本音より建前の方が正論だからである。逆に言えば、本音をほじくり返す行為は正論から目を背けさせる行為とも言える。つまり、過疎地の郵便局がどうなるかについて考えて欲しくないから、特定郵便局の利権という分かりやすくて国民が喜ぶ餌を与えて、都合の悪い話から注意を逸らしていることでもある。そう批判されたくないなら、過疎地の郵便局がどうなるかについて最後まで論理的に言及したうえで、彼らの本音を暴くべきだろう。他人を批判するときは、まず、自らの襟を正すべきだろう。でなければ、主張に説得力を欠く。

最終更新時間:2010年01月25日 20時40分10秒

政治

  • [1]「民営化されると過疎地の郵便局が無くなって不便になる」という主張
  • [2]利権保護
  • [3]「以後、それについて論じる」とは書かれていない
  • [4]特定郵便局の集票力を考えれば、そうした本音が存在するのは間違いないだろう

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