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小泉流郵政民営化法案

[政治]

文章が長いのでさよなら小泉内閣から移転した。

簡単な改革?

at most countable「郵政改革」ができなければ「他のもっと難しい改革」はできない、のか?(今度の選挙について・パート3)は全く違う視点で小泉純一郎氏の主張の不自然さを指摘している。

あれ、なんかね、小泉さんや自民党ってこういう事を「言外」に言ってるような気がしません?

つまり「郵政改革ができればもっと難しい改革に進んでいく事ができるんだ?」みたいな・・・

でも、そんな事なんて、全く言ってないし言えないって事です。

確かに、そう言ってるような気になるだろうし、そう思わせるのが手口なのだろう。

さて、まとめましょう。

「郵政改革のような『簡単な改革』ができなくて『もっと難しい改革」はできない」は、「可能性の論議」という点では正しい

だけど「政治で求められる」のは可能性ではなく「やる/やらない」じゃないか?

何かをやり遂げるには時間もコストも必要

「易しいかどうか」でやるならば時間やコストを無駄にしないか?

「必要かどうか」で優先順位は判断すべきだと思う

全くその通りであろう。

ユニバーサル・サービス

そもそも、何故、郵政民営化が必要なのか分からない。ユニバーサル・サービスを義務づけると骨抜きになるという新聞の社説を読むと、益々、訳が分からない。それが正しいなら、事業が効率的でないのは、官営だからではなく、ユニバーサル・サービスのせいだということになり、民営化は必要がないことになる。

郵便事業に参入したいと手を挙げた企業があったが、ユニバーサル・サービスの義務化には強硬に反対した。それは、ユニバーサル・サービスが経営の足かせになるからである。逆に言えば、民間がやりたがらないから儲からなくても国がやっているのである。それを、国がやって儲からないのはけしからん、民営化にすべきだというのは何かおかしい。国にだけユニバーサル・サービスを義務づけるなら、国営より民営の方が効率的とする話は、同じ条件で比較されていないことになる。違う条件で比較しておいて、国営より民営の方が効率的というのは詭弁である。確かに、国営より民営の方が優れている部分が多数あることは否定できない。しかし、違う条件で比較しておいて、民営の方が優れていると言うのは明らかにおかしい。

結局、ユニバーサル・サービスは必要なのか。必要ないなら、そもそも、国が事業に関わる理由がないはずである。ユニバーサル・サービスが必要なら、民営化による経営効率化には大いに疑問が残る。なぜなら、ユニバーサル・サービスを義務づける限り、半官営的企業体質になるのは目に見えている[1]からだ。

特定郵便局

マスコミでは特定郵便局の問題が大々的に取りざたされている。しかし、それは、本当に大きな問題なのだろうか。どうも、ワイドショー的に面白可笑しく報じるネタのように扱われているとかしか思えない。

特定郵便局は廃止すべき物であろうが、それは国の責任[2]で段階的に廃止すべき物であるはずだ。それが今日まで全く手つかずだったのは、完全な政府の怠慢である。その証拠として、郵政事業に関する行政監察結果に基づく勧告―施設整備、資材調達を中心として―を挙げる。

郵便局の設置数の推移を、平成4年度から9年度までの5年間でみると、全体では390局の増加となっている。この内訳をみると、普通郵便局については9局の増加(新設が17局、廃止が3局、局種の変更による減が5局[3])、簡易郵便局については8局の増加(新設が110局、廃止が102局)とほぼ横ばいである。一方、特定郵便局については、この間、全体では373局の増加となっており、このうち、集配特定郵便局は114局減少(新設、廃止はなく、すべて局種の変更による減)に対し、無特局は487局増加(新設が447局、廃止が79局、局種の変更による増が119局[4])しており、取り分け、無特局(平成10年3月末現在で1万5,109局。郵便局全体の61.2パーセント)が大きく増加している状況にある。

また、行政監察結果に基づく勧告では、郵便局設置形態の在り方の見直しの根拠を次のように述べている。

1.住宅団地内や大学病院内等に設置されている無特局の中には、立地条件上、利用者が周辺住民等に比較的限られており、また、簡易局で取り扱えない業務に対する需要も少なく、必ずしも無特局である必要のないものがある。

2.大都市部のビル内に設置されている無特局の中には、利用者が当該ビル内の特定の事業所等に限られ、また、簡易局で取り扱えない料金後納郵便等の業務はあるもののその利用者は少なく、大規模な無特局が近接して設置されているため、それを利用することも可能であることから、新設の際に、簡易局の設置で需要にこたえられないかの検討を行うべきであったとみられるものがある。

まとめると、次のとおり。

  • 「住宅団地内や大学病院内等に設置されている無特局」は「簡易局で取り扱えない業務に対する需要」が少ない
  • 「大都市部のビル内に設置されている無特局」には「大規模な無特局が近接して設置されている」ものがある

それら根拠に基づく勧告内容は次のとおり。

1.郵便局の新設に当たっては、想定される利用形態、取扱業務量等、地域特性を十分勘案しつつ、簡易局の設置で需要にこたえられる場合は、簡易局で対応すること。

2.既定の方針に基づく無特局の見直しについては、利用状況等を全国的かつ定期的に把握し、計画的な推進を図ること。

つまり、行政観察結果では、全ての無集配特定郵便局が簡易郵便局で置きかえられるとは言ってない[5]が、むやみに無集配特定郵便局ばかり増やしすぎていることに対しては警鐘を鳴らしている。普通郵便局にできない場合は、簡易郵便局の可能性も検討して、なるべく、特定郵便局とならないように配慮する必要がある。しかし、簡易郵便局の可能性が検討されずに特定郵便局が新設されていることが多いと行政監察で判明した。だから、新設の場合は簡易郵便局の可能性もしっかり検討しなさい、既設の置きかえもしっかり検討しなさいと勧告しているのである。

日本郵政公社の公表する都道府県別郵便局数によると、平成15年度の郵便局総数は次のとおり。

局種 局数
集配普通郵便局 1262
無集配普通郵便局 48
集配特定郵便局 3530
無集配特定郵便局 15405
簡易郵便局 4470
総計 24715

無集配特定郵便局だけが突出して多い。これら全てが簡易郵便局に置きかえられるわけではないとしても、その多くは置きかえ可能と考えられる。無からスタートしなければならなかった時代ならいざ知らず、今の時代に特定郵便局を増やすことは時代の流れに逆行するから極力避けるべきである。それなのに、特定郵便局だけ新設の桁が違う。廃止が79局あり、時代の流れとともに減る傾向が見られるのに、わざわざ、447局も新設して数を増やしている[6]。徐々に減らすべき時代の遺物が、逆に、急速に増えているのである。数が多いのにまだ増やしていると言うべきか、いつまでも増やし続けるから突出して多くなったと言うべきか。このように、特定郵便局は時代の流れとともに徐々に減らしていくことが出来たはずなのである。しかし、政府は、それを怠ったばかりか、逆に、大幅に特定郵便局を増やしてきたのである。そして、現状で、これだけ問題が明らかである以上、民営化しなくても特定郵便局の利権は解消可能である。

では、これらの特定郵便局の利権はどの程度の規模か。首相官邸郵政民営化に関する有識者会議第8回会合 議事要旨によると、無集配特定郵便局の運営経費は次のとおり。

無集配特定局が年間の運営コストが2,833万円、簡易局が1,170万円ということが行政監察結果に出ておりまして、それに集配特定局は過疎地においては5人という前提を置いて人件費を3分の5倍して、それではじきました。

単純計算で、無集配特定郵便局にかかる運営経費は年間数千億円程度である。この金額全てが局長の取り分とは言えないが、大凡半分くらいは局長の取り分だろう。利権として決して小さくはない。しかも、特定郵便局長は、公務員の世襲という甘い汁を吸っている。しかし、それは、政府側の都合で持ちかけた取引である。その条件を変更するなら双方の合意が必要である。一方的に変更するのは身勝手であり、同じ条件で取引を継続したくないなら取引関係を解消すべきである。特定郵便局長は、国の要請に応えて土地や建物を提供した人物なのだ。それなのに、国の責任を放棄し、特定郵便局長を諸悪の根元に仕立て上げて、都合の良い条件をゴリ押しするやり方は卑怯である。

このように特定郵便局は一種の利権だろう。しかし、財政投融資の数百兆円等の足元にも及ばない。もちろん、だからと言って見過ごして良いわけではない。ただ、もっと大きな問題から目をそらすべきではないだろう。少し甘い汁を吸っている人を巨悪に仕立て上げて注目を集めさせ、すごく甘い汁を吸っている人達の存在から目をそらして巨大利権を守ろうとするなら、小泉改革はマヤカシの塊ということになる。

公的資金

小泉内閣メールマガジンによると、財政投融資改革は次のようなことらしい。

この構造を改革するためには、資金の「入口」の郵政事業、資金の「出口」の特殊法人、そしてこの間をつないで資金の配分をしている財政投融資制度。これを全体として改革し、資金の流れを「官から民へ」変える、そして、民間で資金を効率的、効果的に活用してもらおう、というのが、資金の「入口」である郵政民営化から「出口」の特殊法人改革までの大掛かりな改革の狙いなのです。

これを読んでなるほどと思う人は、自らの論理的思考力を疑った方が良い。改革の直接の対象は「出口」であって「入口」ではない。ここでは、「出口」を改革するためには「入口」を改革する必要があるといってるに過ぎない。しかし、何故、そうなのかの説明は全くない。「出口」を閉めたから今度は「入口」だ・・・では、何の説明にもなっていない。「入口」を閉めれば相乗効果が見込めるという人がいるが、その相乗効果とは何か。先にも述べたとおり改革の直接の対象は「出口」なのだから、相乗効果とは「出口」をもっと閉められるということである。だったら、「入口」を閉める必要は全くない。「出口」をもっと閉めれば済むことである。言い替えると、現状では「出口」が閉まりきっていないのであり、小泉内閣が「出口」の改革に失敗したということである。そして、その言い訳として、「入口」を開くために無理矢理「出口」を開いているのだと言う。だから、「入口」を閉めないと「出口」が閉まらないのだ言う。

では、本当に「入口」のせいで「出口」が閉まらないのか。その検証のため、財務省平成17年度発行国債の発行方法、種類別発行予定額を見てみる。

会計 区分 発行額(億円) 比率(総額) 比率(会計別)
新規財源債 市中消化 328847 19.40% 95.62%
新規財源債 郵便局販売 15053 0.89% 4.38%
借款国債 市中消化 748768 44.17% 72.13%
借款国債 個人向け 36000 2.12% 3.47%
借款国債 日銀 230436 13.59% 22.20%
借款国債 財投資金 10000 0.59% 0.96%
借款国債 郵便局販売 12947 0.76% 1.25%
財融資特別会計 市中消化 120000 7.08% 38.34%
財融資特別会計 郵貯引受 123000 7.26% 39.30%
財融資特別会計 年金引受 52000 3.07% 16.61%
財融資特別会計 簡保引受 18000 1.06% 5.75%
合計 1695051

全国債発行額の70%以上が市中消化であり、郵貯引受と簡保引受を合わせても8%強に過ぎない。国債に係る入札参加者一覧(平成17年6月28日現在)に郵政公社の名前はないから、市中消化には郵政引受分はないと考えられる。以上により、仮に、郵貯や簡保に国債を特別に用立てる必要があったとしても、その分だけ市中消化を減らせば国債発行総額を増やす必要は全くない。財政融資資金特別会計にだけ限ってみても、市中消化は郵貯や簡保にほぼ匹敵する程度の割合がある。過去がどうだったかは分からないが、少なくとも、平成17年度については、郵貯や簡保の運営のために国債発行額を増やしているとは考えられない。ようするに、「出口」が閉まらないのは「入口」が開きすぎているせいとは、全く言えないのである。それでも、以降は、敢えて、「入口」を閉める必要があるとの前提で論じてみる。一つ言っておくと、どうしても「入口」を閉めたければ、郵貯引受や簡保引受の比率を減らせば良いだけだろう。それは郵政民営化しなくても出来ることである。

財政投融資の資金の不透明な流れを解消することが、首相になる前からの小泉純一郎氏の持論である。しかし、ただ民営化するだけで、その問題は解決するのか。箱物行政の常を考えれば、民営化後も準公的資金として不透明な流れが継続することは想像に難くない。看板だけ「官」から「民」に架け替えただけで中身は何も変わらないということは十分に考えられる。自由民主党議員の大多数が賛成したのは、実態が何も変わらないからではないのか。

多様性の中の統一: ある政治学研究者の考え事小泉郵政改革が骨抜き民営化である理由1によると、財政投融資には全くメスが入らないらしい。

しかし、この巨額の資金は、小泉民営化のあとも、独立行政法人(特殊法人の一種)に引き継がれ、国債を買い続ける(つまり、以前と同じく国の公共事業の財布となる)ことが、法案によって定められている。http://www.kantei.go.jp/jp/singi/yuseimineika2/houan/2005/gaiyou-s.pdf

つまり、簡単に言うと、今ある郵貯簡保は国営化状態で残るということである。

この民営化案が通ったら、公共事業への資金垂れ流しは止まりません。これで、なぜ皆さん民営化だと思うんですか?ご意見お聞かせください。

どれどれ、総理官邸の文書を見ると・・・

独立行政法人郵便預金・簡易生命保険管理機構法(公社承認法人)

・郵貯・簡保の既契約にかかる資産(旧勘定資産)の運用は外部(郵便貯金銀行、郵便保険会社を予定)に委託(特別預金及び再保険)し、安全運用(国債、地方債、地方公共団体貸し付け等)

確かに、旧勘定は「安全運用(国債、地方債、地方公共団体貸し付け等)」としっかり書いてある。旧勘定は、国だけではないが、公共事業の財布になることは確かなようだ。ただ、郵貯の旧勘定は期限があるので10年でなくなるらしい。しかし、簡保の旧勘定は期限がない。さらに、旧勘定がなくなることは、郵政が持つ国債が売却されて換金されることを意味しており、それら莫大な国債が市場に出てくる事による価格の暴落も懸念されている。

では、新勘定は民間に資金が流れるのか。財政投融資の問題は、郵便事業の資金運用が安全運用[7]に依存してきたことが原因であるなら、郵便事業会社には民間投資のノウハウを持つ人間がいないはずである。もし、いたとしても、焦げ付いた時の責任を取る覚悟をしてまで、民間投資に踏み切ることが出来るだろうか。本職の銀行でさえ貸し渋る現状で、官営体質に慣れてきた人間に民間投資が出来るのか。失敗したら国からの損失補填を期待できる官営でも出来ない冒険が、どうして民営化すると出来るのだろうか。結局、民営化後も無難な安全運用に逃げるだけではないだろうか。でなければ、危なっかしくて誰も新規契約などできない。だとすれば、財政投融資には全くメスが入らないことになる。民営化しただけで何もかも上手くいく・・・と考えるのは、甘すぎる幻想ではないだろうか。

新勘定の資金を民間に流すことが目的なら、何故、官営では出来ないのだろうか。確かに、官営では民間投資の専門家が育ちそうもない。しかし、民営化しただけ専門家が勝手に育つと考えるのも、取らぬ狸の皮算用だろう。専門家育成対策のある民営化なら意味があるかも知れない。しかし、その対策のない民営化は官営と何が違うのだろうか。

財政投融資を改革したいなら、まず、表も裏も含めて詳しい仕組みや構造を調べ、不透明となった原因、腐敗の原因を論じるべきだろう。そして、官営であることに根本的原因があると分かったなら、民営化論も正論である。しかし、原因を解明せず、民営化しさえすれば良くなるはずだと希望的観測で民営化するようでは、建物さえ建てれば優れた行政サービスが提供できるとする箱物行政と何も変わらない。ただし、原因を解明せずに改革する方法が一つだけある。それは、資金そのものを無くしてしまえばいいのだ。そのためには、貯金事業の縮小が必須のはずである。しかし、郵政民営化法案には、貯金事業の具体的縮小プランがないと言う。

貯金事業を縮小すると経営が苦しくなるだろう。なぜなら、ユニバーサル・サービスを義務づけられた郵便事業がかなりの赤字を出すと考えられるからである。これでは、本当に民営化でやっていけるのか疑わしい。公的資金の流れを改善する目的を果たすには、経営効率を改善できそうもない。一方で、官業のままでも、貯金事業を縮小すれば、巨大公的資金の不透明な流れを断ち切ることはできるはずである。経営を悪化させてでも、本来の目的を達成しようと考えるなら、官営の方が都合が良くないだろうか。とすると、問題の本質が、民営化にすり替えられている疑いがある。

日本郵政公社が公式に発表する郵便事業損益計算の推移郵便業務の区分に係る損益状況によると平成15年度の郵便事業の利益は約263億円で、過去に多額の累積赤字を抱えていた時期もある。それに対して、平成15年度の郵政事業全体の利益は損益計算書によると2.3兆円であり、郵便事業の利益は全体の1%強しかないことになる。また、非公式だが、郵政公社発足時の郵便事業の累積赤字が約8500億円とする説もある。郵便事業の利益の比率を見る限り、「郵政三事業は一体的に経営されており、郵便事業の赤字が直ちに表面化することはありません」とする主張にも不自然さはない。公式発表のデータだけ見ても、郵便事業が経営上のお荷物であることは確かなようだ。

どう考えてみても、郵政族が反対しても建設族が賛成するような民営化法案ではまやかしである。建設族が反対するような民営化法案を出すべきだろう。そして、反対票を投じた建設族を敵に回して選挙を戦ってこそ、真の改革であるはずである。小泉内閣は、建設族に対しては妥協する一方、郵政族を敵に回して抵抗勢力に仕立て上げて、改革を演出しているだけに過ぎない。政治家としての初心を忘れ、見せ掛けだけの改革を演出するだけの小泉純一郎氏は、ただの権力欲に取り憑かれた亡者に過ぎない。

民業圧迫解消

郵政民営化は、民間より有利な立場に立つ国営「銀行」が民業を圧迫するのを解消する目的があると言う。銀行側は、確かに、80年代なら郵政民営化に大歓迎したと言う。しかし、今、銀行も郵政民営化に困惑していると言う。何故なら、有利な投資先がないのに預金だけ集まっても運用に困るからである。結局、増えた資金も、国債を買うくらいしか使い道が無く、銀行にとっても美味しくないし、公的資金の不透明な流れも解消されないというオチがつくようだ。誤解のないように補足しておくと、銀行は郵政民営化には賛成している。ただ、時期が悪いだけなのだ。

郵便経営の効率化

経費削減によって過疎地の郵便局はなくなるのだろうか。首相官邸郵政民営化に関する有識者会議第8回会合 議事要旨には、過疎地の郵便局の維持に必要な運営経費が試算されている。

さっき竹内審議官が過疎地のコストの話をされましたが、これも簡単に試算してみたんですけれども、行政監察結果で99年に集配特定局と簡易局の年間の運営コストというものが出ていまして、このデータを基に、過疎地の郵便局が大体4,500ありますけれども、簡易局と無集配特定局と集配特定局の内訳はわかっていますので、これで一定の前提を置いて過疎地の郵便局のコストを試算すると年間大体1,300億くらいしかかかっていないことになります。

(中略)

無集配特定局が年間の運営コストが2,833万円、簡易局が1,170万円ということが行政監察結果に出ておりまして、それに集配特定局は過疎地においては5人という前提を置いて人件費を3分の5倍して、それではじきました。

99年の行政監察結果とは郵政事業に関する行政監察結果に基づく勧告―施設整備、資材調達を中心として―のことと思われるが、そこには運営経費の具体的数値は書かれていない。

日本郵政公社の公表する損益計算書によると、平成15年度の経常収益は24.6兆円、そのうち郵貯と簡保を合わせた収益は22.7兆円、経常経費は22.1兆円、経常利益は2.5兆円となっている。この金額に比べれば、過疎地の郵便局を維持する費用は少ない。経常利益の5〜6%程度である。この数値を見る限りでは、過疎地の郵便局の運営経費を削減するメリットは少なく、ユニバーサル・サービスを維持した方が経営的にも良いように見える。ところが、それは取らぬ狸の皮算用なのである。何故なら、民営化のうたい文句には、郵貯や簡保の優遇を止めて郵便局に集まっていた金が銀行に流れるようにするというものがあるからである。それを前提にして考えると、民営化後の郵貯や簡保の収益は減るはずである。とすると、郵政事業は簡単に赤字になってしまうのである。その赤字をどうやって減らすかを考えると、少しでも経費削減になるなら意味のあることであり、過疎地の郵便局を維持する費用も十分に経費削減の対象になりうるのである。

日本郵政公社の公表する郵便局別損益の試算についてを元に赤字局の比率の多い順に都道府県を並べてみた。

都道府県 黒字局数 赤字局数 合計局数 赤字局比率
鳥取 0 147 147 100%
秋田 4 269 273 98.53%
島根 4 253 257 98.44%
熊本 16 376 392 95.92%
岩手 13 295 308 95.78%
鹿児島 20 417 437 95.42%
宮崎 9 187 196 95.41%
北海道 64 1162 1226 94.78%
山形 16 273 289 94.46%
大分 19 289 308 93.83%
青森 18 249 267 93.26%
高知 16 213 229 93.01%
長崎 22 289 311 92.93%
新潟 40 496 536 92.54%
沖縄 14 166 180 92.22%
福島 41 394 435 90.57%
佐賀 16 150 166 90.36%
山口 35 319 354 90.11%
宮城 50 315 365 86.30%
広島 86 498 584 85.27%
長野 67 378 445 84.94%
福井 38 173 211 81.99%
愛媛 59 258 317 81.39%
石川 48 206 254 81.10%
富山 43 169 212 79.72%
福岡 153 561 714 78.57%
山梨 44 157 201 78.11%
岡山 95 324 419 77.33%
徳島 51 152 203 74.88%
和歌山 72 191 263 72.62%
全国[8] 6092 14155 20247 69.91%
三重 120 252 372 67.74%
滋賀 78 151 229 65.94%
茨城 163 302 465 64.95%
京都 168 274 442 61.99%
東京 586 928 1514 61.29%
兵庫 331 509 840 60.60%
栃木 127 184 311 59.16%
群馬 124 178 302 58.94%
岐阜 145 208 353 58.92%
香川 80 109 189 57.67%
奈良 107 134 241 55.60%
静岡 253 234 487 48.05%
千葉 362 331 693 47.76%
大阪 593 502 1095 45.84%
神奈川 535 219 754 29.05%
愛知 650 187 837 22.34%
埼玉 497 127 624 20.35%

この表を見る限りでは、大都市圏ほど赤字局の比率が低いように見える。これでは、郵便局の統廃合による経営合理化を計ろうとすれば、地方の郵便局の閉鎖は免れない。

コンビニの数は大手4社だけで3万店ヤマト運輸の取扱店は4万店であり、これは日本郵政公社の公表する都道府県別郵便局数による郵便局数2.4万より多い。つまり、全国平均では、郵便局よりコンビニの方が多いのである。一方で東京都に限って言えば、コンビニ大手4社で3千店超であるのに対し、郵便局数は1522に過ぎない。郵便局に比べたコンビニ数は、全国で2〜3割り増し程度に過ぎないのに、東京都では倍以上ある。また、地方には郵便局があってもコンビニのない所もある。一例を挙げると、福島県には郵便局があってもコンビニのない町村が14ある。以上により、コンビニと比べて、大都市圏の郵便局は少なめで、過疎地は郵便局は多めであると考えられる。このように、過疎地の郵便局は、経営努力をしても黒字が見込めないほど、立地条件の悪いと考えられる。大手コンビニ・チェーンの系列会社はマーケティングの専門集団である。その彼らが出店したがらない過疎地において、コンビニより郵便局の数が多くて利益を出せと言う方が無理なのである。このように、郵政民営化しても、過疎地の赤字局の経営改善は容易ではない。官営だから営業努力が足りないと決めつけるのは実態を考慮しない偏見である。ユニバーサル・サービスの維持が、間違いなく経営の足を引っ張るのである。

何故か、全く痛みの伴わない郵政改革

そもそも、民営化の目的が、特定郵便局の利権潰しなのか、財政投融資にメスを入れることなのか、郵政事業を効率化することなのかがハッキリしない。それぞれの目的の相性を全く考慮せず、個々の目的が単独で実現可能であることをもって全てが両立できるとするのは、明らかな論理の飛躍である。あちらを立てればこちらが立たないはずなのに、両立可能か否かが全く触れられないまま、いつの間にか両立できることになっているのである。これでは、建物さえ作ってしまえば良い事づくしと考える旧態依然の箱物行政の典型である。三兎も四兎も追って全て得られるはずがないことに気付くべきだろう。

例えば、財政投融資にメスを入れることと郵政事業を効率化は、互いに相反することである。特定郵便局の利権潰しも、先に述べたとおり、郵政事業の効率化と逆行する恐れがある。郵政民営化賛成派は、民営化した方が効率が良いというが、それもユニバーサル・サービスを義務づけられない前提での話に過ぎない。ある条件下で成り立つことを持ち出して、条件の変化が結果をどう変えるかを論じず、別の条件でもそのまま当てはまると決めつけるのも論理の飛躍である。

民営化の必要性についても、具体的に論じられずにいきなり、改革が必要と結論付けられている。郵政民営化賛成派は、官営では改革が出来ないと言いながら、現状の具体的な問題点を指摘する。そして、官営では闇の中に葬り去られるから改革が出来ないと言う。しかし、本当に闇の中に葬り去られているなら、具体的な問題点が明るみになるはずがない。つまり、具体的な問題点が指摘できる時点で、そこにメスを入れることが可能であるということである。それならば、民営化せずとも改革は可能なはずだ。

郵政民営化賛成論は、ユニバーサル・サービスと経営の効率化や、財政投融資の改革と経営の効率化がそれぞれ両立できることを前提としている。しかし、それらはどちらも相反する物事である。郵政民営化賛成論は、両方の良い所取りが出来ることを前提としているが、それは本当に実現可能なのか。どちらか一方だけなら実現可能な話の都合の良い所だけをつなぎ合わせて、ベストな結果が両立できるとするのは絵に描いた餅ではないだろうか。二兎追う者は一兎も得ずとなるのではないのか。

結局、小泉内閣は郵政民営化で何がしたいのだろう。

  • 特定郵便局の廃止
  • 財政投融資の廃止
  • 経営の効率化

これまで述べたとおり、これら互いに相反すること全てを実現するなんてあり得ない。これでは、小泉内閣以前から繰り返されてきた箱物行政のマヤカシそのものである。次の何れであっても「痛みの伴う改革」と名乗れなくはない。しかし、小泉改革の郵政民営化法案は絵に描いた餅であり、何の改革もしていない。

  • 財政投融資を放置してでも効率的経営を目指す
  • 郵政を破綻させてでも財政投融資にメスを入れる
  • この際、ユニバーサル・サービスは切り捨て
  • 郵貯圧縮&ユニバーサル・サービスで生じる赤字は公金で補填

だいたい、小泉純一郎氏自身が、散々、改革に痛みが伴うと言い続けておいて、郵政民営化だけ「国民には全く痛みがありません」という話はおかしい。正直に言えばいいのだ。「国民の皆さん、改革のために痛みに耐えてください」と。小泉流郵政民営化法案が本当に改革になっているかどうかは別として、痛みを伴うことを隠すのはフェアじゃない。

ネットで見かける議論

ネットで見かける郵政民営化賛成論は、一見すると論理的であるかのように見えて、論理の飛躍が見られることが多い。初めから賛成論ありきで、その結論に都合良く論理構築しているようだ。まとめると問題点は次の3点に集約される。

  • 相反することをどうやって両立するかが論じられていないのに、何故か両立できることになっている。
  • 改革方法まで明らかなのに官営での改革は不可能だと決めつける。
  • 特定条件を前提とする話を持ち出して、条件の変化を論じずに別の条件でも当てはまる、または、結論が変わると決めつける。

その一方で、郵政民営化反対論は極めて稚拙な内容が多い。賛成論と反対論を比較する限り、論理的風に物を言っている賛成論の方が正論であるかのように見える。しかし、少ないながらも、論理的に無理のない主張をしているサイトも見かける。たとえば、bewaad institute@kasumigaseki郵政民営化と解散を考える・その2:民営化すべき理由の批判的検討などがそうだ。さらに、郵政民営化の別の要し方は分かりやすい[9]。要点を勝手にまとめると次のようになるだろう。

  • 改革が必要なのは郵貯を資金とした財政の使い方であって、郵貯そのものではない
  • 特定郵便局の持ち主に賃貸料を払うのは借りている以上当然
    • 賃貸料の評価法も欠点はあるだろうが、代替案がなければ民営化しても変わらない
  • 特定郵便局長制度に問題があるなら制度を直接変えた方が早い
    • 民営化案は反射的効果が見込めるかもしれない程度
    • 民間部門にも世襲は山のようにある
    • 公務員身分を剥奪することは公社形態のままでも可能
    • 民営化案の方が直接改革より抵抗が大きい[10]
  • 現在の運用環境では、郵貯の預金者が流れてきても銀行はあまり美味しくない
    • 資金需要が細り運用難
    • BIS規制の導入等によりリスク・リターンバランスに重点を置いている
    • 個人向け国債の方が強力なライバル
  • 民営化会社の資産はタダでくれてやるわけではない[11]

反対論者には改革の必要性まで否定してしまう人も少なくないけど、論理的に物を言っている人は政治改革の必要性には肯定的である。ただ、小泉流郵政民営化法案が、ベストの改革案ではない[12]、もっと良い方法があると言ってるに過ぎない。

自民党議員の賛成理由

郵政民営化法案は参議院で否決された。しかし、造反があったとは言え、自由民主党議員の大多数は賛成したのである。このことを不自然だと思わない人の目は節穴である。

なぜなら、小泉内閣になっても自由民主党の体質は何も変わっていないからである。もし、古参議員と中堅議員が全員引退して、若手議員だけの政党に急激に世代交代し、派閥政治が政策政治に移行したなら、自由民主党は新しく生まれ変わったと言えるだろう。しかし、牙が折られたとはいえ、相変わらず、派閥が幅を効かせている。確かに、一部の古参議員は辞めさせられた。しかし、多くの古参議員、中堅議員は自由民主党に未だに居座っている。今まで改革に背を向けてきた彼らが、小泉内閣になって、突然、改革に目覚めたと思うのは楽観的すぎる。政権交代が起こっていないことを忘れてはならない。常識で考えれば、彼らが抵抗勢力でないはずがない。その彼らが、何故、郵政民営化法案に賛成するのか。

考えられる理由は一つである。それは、郵政民営化法案が、抵抗勢力の懸念する真の改革に程遠いからである。そして、郵政民営化法案を通すことで、真の改革を阻止できると考えるから賛成するのである。つまり、真の改革を阻止する歯止めとして、見せ掛けの改革に妥協したに過ぎない。そして、郵政民営化法案に反対した自由民主党議員は、見せ掛けの改革にさえ妥協できなかったのである。

見せ掛けの改革が真の改革への歯止めとなるなら、やらない方が真の改革の可能性が残るだけマシだろう。やるなら真の改革をやるべきである。以上の理由で反対した議員は、どれだけいるのだろうか。与党議員にも野党議員にも居たのだろうか。

以上を読んで、辻褄が合わないと思うだろうか。確かに、小泉純一郎氏が絶対的権力を手中にしたなら、真の改革にも賛成させられそうに見える。しかし、ここで言う絶対的権力とは、他の政治家に比べて抜きん出ていることであって、無限の権力のことではない。権力には必ず限界がある。小泉純一郎氏の権力は、選挙権によって支えられている。だから、民意の支持が得られないような政策を押し通すだけの権力はない。民営化法案の細かい中身の是非については、多くの国民の合意は形成されていない。だから、せいぜい、何が何でも民営化を押し通すことくらいが関の山であろう。また、小泉純一郎氏の権力は党内での妥協の産物でもある。ということは、常に党内各派に一定の妥協をしなければ成り立たない権力なのである。その程度の権力は怖くないと思うのは大間違いである。ファシズムの怖さは、その中身を論じずに、賛成か反対化の二極論に走って踏み絵を強要されることにある。真に恐ろしいのは、民意が安易に煽動されることである。今、それを可能にできる政治家は小泉純一郎氏だけである。

郵政民営化に固執する理由

何故、小泉純一郎氏は、郵政民営化の中身を重視せずに、民営化することだけに固執するのか。それは、小泉流権謀術を維持するためである。

小泉流権謀術は無条件で成り立つわけではない。その証拠に、最初の総裁選出馬時には落選した。小泉流権謀術が成り立つためには、国民の圧倒的支持があることを他の議員に理解させることが不可欠である。それがなければ、小泉流権謀術はただの虚勢に過ぎない。国民の支持が目に見える形で大きな力を形成したからこそ、小泉純一郎氏は、思う存分、アメとムチを揮えるのである。

小泉純一郎氏は、いつか自由民主党が愛想を尽かされる時が来るのを予想していたのだろう。そして、その時、国民の圧倒的支持を受けるために、旧態依然の政治家と一線を画することをアピールしてきた。郵政民営化論は、その一番重要なアピール事項である。それが頓挫すれば、小泉純一郎氏の主張は説得力を失ってしまう。そうなれば、小泉人気も地に落ちるだろう。それでは、小泉流権謀術は全く効き目を失ってしまう。だからこそ、中身を問わず、郵政民営化を実現する必要があるのである。民営化によって、一度口にした改革はやり遂げることをアピールし、人気を不動のものにする魂胆である。

しかし、それでは、中身のない政策、いや、返って日本の政治経済を悪くしかねない政策を、ただ実行に移したことだけを殊更アピールし、「改革力」などと自画自賛する某コバンザメ政党のやり方そのものである。

最終更新時間:2005年09月12日 21時49分32秒

政治

  • [1]万国郵便条約第1条によると、郵便業務のユニバーサル・サービスは加盟国の義務であって民間会社の義務ではない
  • [2]特定郵便局長会の圧力があったかも知れないが、当時の郵便局の整備は国の事業であり最終判断は政府が下している
  • [3]簡易郵便局には局種の変更がないので、これは特定郵便局化したのか?
  • [4]5+114=119で計算は合ってる
  • [5]置き換えの根拠となる近接した大規模無集配特定郵便局は必要とする前提
  • [6]こんなアホなことやってたら民営化のやり玉に挙げられて当然だろう
  • [7]国債、地方債、地方公共団体貸し付け等
  • [8]全国平均と比較するために敢えて入れてみた
  • [9]私がウダウダ言ってることよりずっと簡潔明瞭で分かりやすい
  • [10]賛成派が言うように実質的に直接改革を内包するなら民営化案は直接改革以上の抵抗が予想される
  • [11]ただし、これは民営化反対論の矛盾の指摘
  • [12]私は改革案ですらないと思うけど

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