国民皆保険制度はISD条項で潰されるか?

中立かつ客観原則 

ここでは中立的な立場で事実関係を検証する。 賛成か反対かという結論は先に立てず、現実に起きた出来事、確実に起き得ること、一定程度の期待値を示す根拠のあることを中立かつ客観的に検証する。 可能性レベルの物事を論じるためにも、無視できない可能性があることを示す根拠を重視し、根拠のない当てずっぽうや思い込みや伝聞等の不確かな情報は、それが妄想に過ぎないことを示した上で門前払いとする。 賛成論でも間違いは間違いと指摘するし、それは反対論でも同じである。 ここでは賛成論にも反対論にも与しない。

TPP等のISD条項の影響 

結論から言えば、TPP等のISD条項による国際投資仲裁では、国民皆保険制度を違反認定することはできない。 以下に適用条項別の可能性を示す。

内国民待遇
特例措置を採らない限り、製薬会社か保険会社かに限らず、外国投資家も内国投資家も対等であるので、内国民待遇違反には当たらない。特例措置を採った場合も、「in like circumstances(同様の状況)」下(一般に競合関係にあるかどうかが重視される)にない場合は内国民待遇違反には当たらない。例えば、すい臓がんの治療薬に特例措置を採った場合、肺がんの治療薬は「in like circumstances(同様の状況)」下にないため、内国民待遇が適用されない。また、効果や副作用が同等の治療薬であれば同様の特例措置は受けられるはずであり、効果や副作用の比較も「in like circumstances(同様の状況)」下の判断材料と考えられるので、特例措置の有無を適正に判断している限り、内国民待遇違反には当たらない。
最恵国待遇
内国民待遇と同様。
待遇に対する最低基準
「公正衡平待遇」や「十分な保護と保障」を参照。
公正衡平待遇
特例措置を採ったり、あるいは、特例措置を約束しない限り、「正当な期待(legitimate expectation)」を構成しないので公正衡平待遇違反には当たらない。正当な理由のある特例措置は、他の医薬品に対しては「正当な期待(legitimate expectation)」を構成しないので公正衡平待遇違反には当たらない。たとえば、オプジーボの事例のような大幅な薬価引き下げが行なわれる場合も、「想定される患者数や製造コストなどのデータ」を元にした「原価計算方式」の趣旨を考慮すれば、効能拡大による患者数の激増から得られる莫大な利益は「原価計算方式」が想定していない事態であるから「正当な期待(legitimate expectation)」を構成せず、公正衡平待遇違反には当たらない。
収用及び補償
承認済みの医薬品等の取消を行なわない限り、投資済財産をほぼ無に帰すような損害を与えないので、収用違反とはならない。正当な理由がある場合も適切な補償を行なうことで収用違反とはならないが、正当な理由がある場合とは効果がなかったり、効果に比べて副作用が著しいことが判明した場合であるので、その場合は、その時点で投資財産の価値がほぼ0になっているため、補償は必要なくなる。投資ができない場合は、投資済財産がないため、収用違反とはならない。
十分な保護と保障
物理的な暴力等ではないため、適用対象外。
武力紛争又は内乱の際の待遇
武力紛争や内乱ではないため、適用対象外。
特定措置の履行要求
輸出数量規制、現地調達率規制、国内品購入強要、技術等の譲渡強要、国内技術の調達強要等の履行ではないため、適用対象外。
経営幹部及び取締役会
経営幹部の任命要求ではないため、適用対象外。

以上のとおり、不適切な特例措置を採らない限り、TPP等のISD条項による国際投資仲裁で違反認定される余地はない。 仮に、不適切な特例措置を採ったとしても、それは不適切な特例措置に対して違反が認定されるだけである。 国民皆保険制度そのものが違反となるわけではないので、国民皆保険制度への影響はあり得ない。

また、TPP第9・16条「投資及び環境、健康その他の規制上の目的」により、環境、健康その他の必要な措置を妨げると解釈してはならないとも規定されている。

医薬品価格による影響 

「米国は、医薬品の価格決定プロセスに要求を突きつけているが、これに応じれば国民皆保険制度が崩壊する」という者もいる。 しかし、現実は、全く逆である。 現状で既にドラッグラグや未承認薬という国民皆保険制度を適用できない医薬品が発生している。 その原因は日本の医薬品の価格が不当に安く抑えられているためである。 医薬品の価格が安いがために、既に国民皆保険制度が崩壊しかかっているのである。 国民皆保険制度を守るためには、医薬品の価格を適正レベルまで引き上げなければならないのだ。 その詳細はドラッグラグ・未承認薬の本質と改革案を見てもらいたい。

「医薬品の価格が上がれば、財政破綻して国民皆保険制度が崩壊する」という者もいる。 しかし、現実にはそんなことはない。 赤字になっているのは無職と老人を大量に抱える(=収入が少なく支出が多い)国保だけなので、国保と組合管掌健康保険と政府管掌健康保険の財政を一本化すれば財政は大幅に改善する。 国保だけが無職と老人の分の負担を強いられていることが謂れなき不公平なのであって、これは是正して当然のことであろう。 その他、現実的医療財政改革を複数実施すれば、保険財政にはかなりの余裕ができる。 必要な改革に抵抗するから保険財政に余裕がなくなるのであって、必要な改革を行なえば理論的には現在の何倍もの支出に耐えることすら可能なことは公的機関が公表しているデータからも明らかである。

もし米企業が提供する超高額医療まで健康保険を適用させることになれば、ただでさえ赤字の日本の健康保険制度は、早晩、破綻する。 しかし、保険適用を拒否すれば、ICSIDに提訴され、巨額の賠償金を支払わされる可能性がある。 これを避けるために、日本政府としては法律を改正して、「混合診療」を解禁することになろう。

TPP加盟で健康保険制度が崩壊する危険性を孫崎亨氏が指摘P.2 - NEWSポストセブン

直前に例示した話はEli lilly(Zyprexa)事件であるが、話が完全に摺り替えられている(ISD仲裁事例のEli lilly(Zyprexa)事件参照)。

  • Eli lilly(Zyprexa)事件は特許申請の話であり、「健康保険を適用」とは全く関係がない
  • Eli lilly(Zyprexa)事件は有用性の有無が争点であり、「超高額」であるかどうかは争点ではない

Eli lilly(Zyprexa)事件について、物凄く偏見に満ちた言い方をすれば「有用性の証明が不十分な医薬品の特許が認められる」ということはできる。 しかし、Eli lilly(Zyprexa)事件は「超高額医療まで健康保険を適用させる」事例では全くない。 この人の言っていることは、事実関係を捻曲げて、あたかも「超高額医療まで健康保険を適用させる」が起きたかのように偽装しているだけである。

というか、このわずか3行の話の辻褄すら全く合っていない。 「超高額医療」に「保険適用を拒否」できないなら「『混合診療』を解禁」は「破綻」回避策として全く機能しない。 何故ならば、本当に「超高額医療まで健康保険を適用させること」を「拒否すれば」「巨額の賠償金を支払わされる」ならば、「超高額医療」を「混合診療」下で自由診療扱いとすれば「保険適用を拒否」したとして「巨額の賠償金を支払わされる」ことに変わりがないからである。 「超高額医療まで健康保険を適用」により「破綻」しても「日本の健康保険制度」を潰すことができなくなる…と主張するなら辻褄は合っているが、「『混合診療』を解禁」というシナリオに持って行くにはどう考えても無理があり過ぎる。 以上のとおり、もし、仮に、TPP等のISD条項が医薬品価格による影響を与えることがあっても、それによる「『混合診療』を解禁」というシナリオはあり得ない。 仮に、医薬品価格が「『混合診療』を解禁」を引き起こすとしたら、それは、TPP等のISD条項とは全く無関係なことによって引き起こされるはずである。

「彼らは全国民が加入し、未就学児10割、大人7割を税金が負担する日本の皆保険制度を残したまま、アメリカのように適用範囲を風邪や小さなケガなどに狭めたい。 そうすれば日本人の税金が外資製薬会社や民間保険会社に流れるからです。 狙いは“国民皆保険つぶし”でなく“形骸化”です」

こうなると、見えてくるのは「金持ちしか助からない」という将来図だ。 アメリカで自己破産した人のうち、原因の6割を医療費が占めるという。 今後、日本もそうなるのだろうか。

TPP「狙いは“国民皆保険つぶし”でなく“形骸化”」 - 週刊女性PRIME

これは陰謀論に良く見掛ける支離滅裂さである。 国民皆保険制度の枠組みの中で薬の単価を上げれば「外資製薬会社」は儲るが、「『金持ちしか助からない』という将来図」では利用者数が激減して「外資製薬会社」の儲けは減る。 それなら、まだ、現状の薬価のままで国民皆保険制度の枠組みを適用した方が儲かるだろう。 「日本人の税金」が「外資」「民間保険会社に流れる」ことを目的とするなら、「“国民皆保険つぶし”」を狙った方が効率的であり、「“国民皆保険つぶし”でなく“形骸化”」を狙う理由がない。 そもそも、「外資」「民間保険会社」の立場で言えば、「風邪や小さなケガ」を「適用範囲」に残す意味はなく、「風邪や小さなケガ」も「日本人の税金」が「外資」「民間保険会社に流れる」方が都合が良いに決まっている。 というより、一回の利用額は少なくとも、利用頻度が多い分だけ、「風邪や小さなケガ」の方が儲かる。 現状の皆保険制度での高額療養費は1割程度に留まるので、「風邪や小さなケガ」の方が圧倒的に多いのである。

ニボルマブ(オプジーボ)騒動 

ちょうどタイムリーな話題としてとある新薬が高過ぎると騒がれている。

  • 「1剤が国を滅ぼす」高額がん治療薬の衝撃 年齢制限求む医師に「政権がもたない」(産經新聞)
  • 第1部新薬の光と影「たった1剤で国が滅ぶ」(毎日新聞)

「国が滅ぶ」と言っているのは薬価制度をよく知らない医師である。 詳細はニボルマブ(オプジーボ)は国を滅ぼすか?を見てもらいたい。

まとめると、本件は、患者数の少ない疾病の治療薬として承認された医薬品が、その後、患者数の比較的多い疾病に効能拡大されたことによる、極一時的に発生した珍事に過ぎない。 そして、そうした珍事も、薬価の引き下げで解消される。 だから、「薬剤費が、2割近く跳ね上がる」という事態は起きないし、「国が滅ぶ」こともない。 こんな氷山の一角に過ぎない珍しい出来事よりも、薬価が低く抑えられていることによるドラッグラグ・未承認薬の方が遥かに深刻な問題である。

民間保険会社 

例えば、日本政府や地方自治体が患者の負担を軽減した場合、米国の民間保険会社が、 民間医療保険の販売が縮小することを理由に、日本政府に対し、損害賠償をおこすことができるようになります。

月刊保団連臨時増刊号「TPPが医療を壊す」P.6

この場合、適用条項は公正衡平待遇義務しか考えられない。 公正衡平待遇で保護されるのは、「正当な期待(legitimate expectation)」と判示されている。 ここで言う「期待」はhope(願望)ではなくexpectation(予想)であることに注意する必要がある。 そして、公正衡平待遇違反を認定するには、「法制度の安定性に対して投資家が正当な期待を抱きうる状況」と「追求される公益に比して均衡を失するような過大な権利侵害」が必要と判示されている。 また、「投資協定はビジネス判断の誤りに対する保険ではない」とも判示されている。

一般に、民間医療保険や民間医療特約がカバーするのは、次のようなものである。

  • 保険診療の自己負担額の補填
  • 病気時の生活費の補填
  • 三大疾病における定額給付
  • 介護・身体障害の保証
  • 評価療養の特定療養費の負担
  • 自由診療の治療費の補填(自由診療保険に限る)

このうち、保険診療の自己負担額の補填のみを目的として保険に入る人はまず考えられない。 何故なら、高額療養費制度があるため、保険診療の自己負担額は一定以上大きくならない。 それすら払えないという人は、任意保険に入る経済的余裕などないだろう。 つまり、「日本政府や地方自治体」が保険診療の自己負担額の補填を行ったとしても、それにより「民間医療保険の販売が縮小する」ことはない。

それ以外に「日本政府や地方自治体」が「患者の負担を軽減」するためには、正当な理由がなければ、血税を無駄遣いする背信行為であろう。 たとえば、自由診療については、命に関わる病気であって、さらに、欧米の複数の国が承認していて、かつ、他に治療手段がない場合に限定すれば、「患者の負担を軽減」しても正当な理由が成立しよう。 そして、その場合は、保険会社に与える影響も小さい。 よって、「追求される公益に比して均衡を失するような過大な権利侵害」とはならないので、公正衡平待遇違反が認定される余地がない。 それ以外の場合も、国民に対する背信行為とならない範囲の「患者の負担を軽減」であれば、「追求される公益に比して均衡を失するような過大な権利侵害」とはならないので、公正衡平待遇違反が認定される余地がない。 逆に言えば、「追求される公益に比して均衡を失するような過大な権利侵害」が認定される場合は、「日本政府や地方自治体」の行為が血税を無駄遣いする背信行為であるので、その政策を選択した政府が非難されるべきだろう。 つまり、「日本政府や地方自治体」の行為に正当性がある場合は、損害賠償を認められる余地がない。

「TPPが医療を壊す」というデマも参照のこと。

どうでも良いが、ISD危険論を唱える連中には、何故か、「損害賠償をおこすことができる」と訴える行為が可能になることを殊更に問題視する者が多い。 だったら、日本の行政裁判も禁止すべきだと言うのだろうか。 そう言っている彼らのような左翼系の連中こそが真っ先に日本政府を訴えて裁判を起こしていないだろうか。

デマを流布する者こそが患者にとっての最大の敵!!! 

混合診療とTPP等のISD条項による国際投資仲裁を結びつけるデマは混合診療問題にとって害悪にしかならない、と、ずっと言い続けて来たが、どうやらそれが本当になってしまった。 最初の頃は、そう言いながら、少し大げさかな?とも思っていたのだが、予想に反して予言が当たってしまったようだ。

最初の頃は、出汁にして利用されることについて漠然とした危険性を感じていただけだった。 何がどう危険なのかは具体的には分かっていなかったが、直感的、かつ、経験則的に感じていた。 一見すると利害が一致しているように見えるだけの同床異夢の勢力は信用ならない。 軒を貸して母屋を取られることは歴史でもありがちなことである。 最初の頃はただ漠然と背中から刺されそうな予感がしていただったのに、ここに来て危険性がハッキリして来た。

混合診療問題における諸悪の根源は、ドラッグラグ・未承認薬の存在である。 そして、ドラッグラグ・未承認薬の根本原因は、薬価が不当に安く抑えられていることにある。 だから、生存に必要な医療を全て国民皆保険制度でまかない、貧乏でも命を諦めなくて良い社会を作るには、絶対に、薬価の適正な引き上げが必要なのである。 混合診療とTPP等のISD条項を結びつける連中は、その最大の抵抗勢力として我らの前に立ちはだかっている。 我々の長き悲願である所持金によって左右されない生存権を勝ち取るためには、デマに対して毅然とした態度を取る必要があろう。

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