毒素条項

中立かつ客観原則 

ここでは中立的な立場で事実関係を検証する。 賛成か反対かという結論は先に立てず、現実に起きた出来事、確実に起き得ること、一定程度の期待値を示す根拠のあることを中立かつ客観的に検証する。 可能性レベルの物事を論じるためにも、無視できない可能性があることを示す根拠を重視し、根拠のない当てずっぽうや思い込みや伝聞等の不確かな情報は、それが妄想に過ぎないことを示した上で門前払いとする。 賛成論でも間違いは間違いと指摘するし、それは反対論でも同じである。 ここでは賛成論にも反対論にも与しない。

TPP総論 

長期的視野では話は別だが、短期的視野で見ればTPPに参加するかしないかは大きな問題ではない。 それよりも、TPPとは全く無関係な混合診療完全解禁がもたらす患者の治療機会喪失の危険性やイレッサ訴訟の行く末によるドラッグラグ・未承認薬問題の悪化の方が、遥かに大きな問題であろう。 だから、TPPよりも重要な争点において国民に不利益をもたらす政策を党員に強要する日本維新の会は落選運動の対象とせざるを得ない。 混合診療の完全解禁を公約とする日本維新の会およびみんなの党には一切の主導権を握らせてはならない。 そのためには、これらの党に対する落選運動が必要なだけでなく、与党とこれらの党との連携も絶対に阻止しなければならない。 具体的運動の詳細は自民党への抗議方法を見てもらいたい。

毒素条項 

TPPの毒素条項と噂されているものの殆どは次のリンク先のとおりデマであることが判明している。

毒素の元ネタとして考えられるもの 

上で挙げたようなデマとは全く違うが、投資協定が一定の危険性を孕んでいるという指摘はある。 ISD条項に基づく国際投資仲裁の判断例が示した判断基準の中には、政府の規制を不当に制限しかねないものがあるとされている。 しかし、損害賠償が認められた何れの事件においても、政府の行為に悪意または重大な過失があり、判断内容が著しく不当なものはない。 問題とされていることは、その事件における判断内容ではなく、そこで示された判断基準が先例として活用された時に不合理な判断となる可能性である。

そうした問題の一因として、仲裁定に付託されたことは、その事件における判断であり、一般化した判例を示すことではないことが挙げられる。 もちろん、先例との整合性については一定程度考慮されるが、 ICSID条約53条1項は「仲裁判断は当事者のみを拘束する」と定めている ISDS 条項批判の検討 - 京都大学大学院法学研究科P.41 ように、仲裁定には、後の事件のための判例を示すことは求められていない。 だから、その事件における前提条件に従って、判断基準と判断結果を示すため、一般化した判例としては不合理に見える判断が示されることがある。 収用の判断基準に関しては、そのことが原因である。 例えば、Metalclad事件では、政府の措置の効果の程度を収用の主たる基準とした。 しかし、一方で、同事件では、政府の行為の不当性を認定している。 政府の故意については判断する必要がないとしているケースでも、規制の目的を判断基準から排除するよう求めてはおらず、政府の行為に悪意または重大な過失があることを認定していることが多い(間接収用参照)。 それ以外の仲裁判断例においては、規制の目的やそのバランスを考慮しており、政府に落ち度がないケースで収用を認めた事例はない。 以上、仲裁判断例を見る限り、収用の判断基準における懸念は杞憂と言える。

また、別の一因として、投資協定には簡潔な文言の記載しかなく、細部の判断が仲裁定に委ねられていることが挙げられる。 例えば、一時期、公正衡平待遇義務について、国際慣習法上の最低基準以上のものを指すとの解釈が問題となったことがあった。 とはいえ、問題とされたMetalclad事件やS.D. Myers事件では、政府の行為の不当性を認定している。 また、Pope and Talbot事件では、仲裁コストを下回る僅かな損害賠償額しか認められていない。 いずれの仲裁判断においても、条約法に関するウィーン条約に従って、「用語の通常の意味」による投資協定の忠実な解釈に努めている。 「用語の通常の意味」で素直に解釈して仲裁判断が示した通りの解釈になるなら、例え、それが想定外の解釈であったとしても、それは、投資協定を締結した政府が負うべき責任である。 そして、その解釈を認めたくないならば、その都度、修正すれば良い。 NAFTAの公正衡平待遇義務については、実際に修正が行なわれている(公正衡平待遇義務参照)。 以上、投資協定の解釈問題については、投資協定に必要事項を明記すれば防げることである。 仮に、問題が見つかった後に修正しても、せいぜい数件の仲裁判断が想定外の解釈になるだけであろう。 協定文を曖昧にしたことによって生じた問題は、曖昧にした当事国自身が負うべき責任である。

その他、Pope and Talbot事件では、賠償額より多い仲裁費用を政府に求めたことを問題視する人もいる。 しかし、これは、結果論と印象に基づいた批判であり、全く馬鹿げているとしか言い様がない。 まず、賠償額が仲裁費用を下回ったことは、完全な結果論である。 仲裁判断によっては賠償額がゼロの場合もあるのであり、賠償額が仲裁費用を下回ることは何ら珍しいことではない。 そして、賠償額が少額とは言え、仲裁定が政府側に非があると判断したなら、仲裁費用の負担を政府側に求めるのは当然である。 その結果として、賠償額より多い仲裁費用を政府が負担することは何らおかしなことではない。 そもそも、仲裁費用は賠償額によって左右されるものではないのだから、賠償額と比較することがおかしい。 仲裁費用の絶対額が妥当かどうかを論じるならともかく、賠償額と比較した相対額を論じる根拠は何もない。 そして、仲裁定が政府側に非があると判断したなら、国際投資仲裁を利用した投資家側にも落ち度はない。 むしろ、この場合は、政府負担が少なく済んだ事例なのだから、政府の負担が大きいという批判はあたらない。 どちらかと言えば、本件は投資家側のリスクとして考えるべき問題であろう。 勝っても仲裁費用を下回る賠償金しか得られず、負けると仲裁費用の全額負担を迫られるのでは、確率的に国際投資仲裁を利用するメリットがなくなる。 それでは、政府側に非があるケースでも、国際投資仲裁を利用し難くなる。 そちらの方こそ大きな問題であろう。

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