テラスハウス(木村花さん自殺)事件と開示請求問題

最初に 

本ページは開示請求のハードルを下げるべきか?の一部である。

コスチューム事件 

プロバイダー責任制限法について次のような記事をよく見かける。

会員制交流サイト(SNS)で誹謗(ひぼう)中傷を受けた女子プロレスラー、木村花さん(22)が死去するなど、インターネット上で行われる匿名の誹謗中傷が社会問題化する中、被害者が発信者の電話番号の開示を求めることができるよう、総務省が今夏にも開示項目を定めた省令を改正する方針を固めたことが19日、分かった。

高市早苗総務相が同日の記者会見で、省令改正の意向を安倍晋三首相に伝えたことを明らかにした。 高市氏は「省令改正で対応できるものに関しては、この夏を目標にしたい」と述べた。

木村さんの死去を受け、総務省は誹謗中傷の書き込みをした投稿者の特定を容易にし、悪意のある投稿を抑止するための制度改正を急いでいる。 7月には有識者検討会が中間取りまとめを行い全体像を示す方針。

制度改正にはプロバイダー責任制限法の改正が必要でまだ時間がかかるが、国会手続きが不要な省令改正であれば総務省の判断で可能なため、省令部分だけでも先行して改正する。

発信者の電話番号開示へ 今夏にも省令改正 ネット中傷問題で - 産経新聞

しかし、これは明らかに論点がおかしい。

法的な対策 

木村氏の自殺については、発信者情報開示のハードルを下げても、何ら解決にはならない。 何故なら、木村氏は数の暴力を苦にして自殺したからである。

まず、誹謗中傷であっても、放送内容にない事実を摘示しない限り、名誉毀損には問えない。 ただの悪口なら侮辱罪に問えるかもしれないが、批判的な内容であっても放送内容に紐づけられた具体的な論評(例:「〇〇という行為をしたなら△△の理由で人として恥じるべき」)であれば、多少きつい言い方であっても侮辱罪にも当たらない。 そもそも、木村氏を自殺に追い込んだのは数の暴力であり、一つ一つの投稿の内容が不当な権利侵害であるかどうかは別問題であるから、それぞれの投稿に対して刑事上や民事上の責任を問えるとは限らない。 本件のような事件を防ぎたいなら、必要なことは、数の暴力への対処法であり、個別の投稿への責任追及ではない。

また、発信者の個人責任追及は、抑止力としても効果が期待できない。 既に説明した通り、本件のようなケースでは、一つ一つの投稿に対して刑事上や民事上の責任を問えるとは限らない。 事実無根の誹謗中傷ならば名誉毀損に問えるだろうし、少数による多数投稿であればストーカーとして規制が可能であろう。 しかし、本件の問題はそのいずれかではなく、発信者情報開示のハードルを下げても、発信者の個人責任を問えるとは限らない。

さらに、記事では「悪意のある投稿」と書かれているが、本件の誹謗中傷の多くには自覚した悪意はなかろう。 誹謗中傷をした人の多くは、木村氏の言動は叩かれて当然と思っていただろうから、正義の味方のつもりなのだろう。 悪いことをしている自覚のない人に個人責任追及をチラつかせても抑止力とならないことは言うまでもない。

本件のような問題を解決するために有効な措置は、集団による誹謗中傷があった場合に、一時的かつ一括に送信防止措置を講ずる規定の新設であろう。

ネットに関する教育・啓蒙 

「お前やばい」「早く消えろ」「ブス」「二度とテレビに出るな」

このような言葉を、あなたもネットで一度は見たことがあるだろう。 これらは実際に被害者の木村花さんに対し、直接ネット上で投げかけられていた言葉だ。

私が以前実施した研究では、75%の人が「ネットには攻撃的な人が多い」と感じていることが分かっている。 なるほど、こういった心ない言葉が並ぶ様子を見ていると、まさにネットは怖い空間のように思える。

しかし、よく考えるとこれは不思議な話である。 なぜなら、現代社会ではネットを利用していない人はほとんどいない。 「ネットユーザー≒社会にいる人」のはずで、ネットだけに怖い人が多いというのは実に奇妙だ。

その答えは、ネットがもつ根本的な特性にある。 ネットというのは「発信したい人だけが発信する世界」だ。 そして、強い思いを持っていたり、攻撃的な感情を持っていたりする人ほど、多くの発信をすることが社会心理学的にも実証されている。

テラハ事件「極論ばかりのネット民」と「炎上で儲けるマスコミ」は反省を(p.2) - 現代ビジネス


これに対し、少なからぬマスメディアが「ネットは『テロリスト』などと女性を強く非難するコメントで炎上」「誹謗する書き込みがインターネット上で相次いでいる」などと報じ、ネット上での誹謗中傷をやめるように訴えかけた。

しかし私は、当該女性の行動を事細かにテレビが取り上げ、痛烈で攻撃的な批判をしていたのを知っている。 ネットでの誹謗中傷が、マスメディアの報道によって急速に加熱していったのは間違いない。 「数字が取れるから」という理由で一般人にすぎない女性について繰り返し報じ、この件を知らなかった人にまで知らせ、「こいつは叩いていいやつ」という大多数のコンセンサスを作ってしまったのである。

テラハ事件「極論ばかりのネット民」と「炎上で儲けるマスコミ」は反省を(p.3) - 現代ビジネス

帝京大学の吉野ヒロ子氏の調査によると、ネット炎上について、Twitter経由で知る人は20%程度だったのに対し、テレビのバラエティ番組から知る人は60%程度にのぼった。 炎上はネット上の現象であるが、それを拡散しているのはマスメディア、とりわけテレビなのである。

ネットがない時代であれば、マスメディアで誰かを痛烈に批判したところで、それに乗っかる人々の批判の場は、せいぜい数人が集まる井戸端会議や居酒屋の席くらいだっただろう。 もちろん数千、数万人が同時に同じ場所で攻撃することはなかったし、ましてや対象となっている人への直接攻撃はなかった。

しかしながら、ネット社会ではそのような「私刑」ともいえる大多数の直接攻撃が、当たり前のように出来てしまう。 マスメディアは「ネットでの現象に自分達は責任がない」「ネットは悪」と決めつけている節がある。 しかし彼らこそが、自身の影響力と向き合い、ネット時代における正しい報道や番組作りの在り方を考え、変化していくべきなのではないだろうか。

テラハ事件「極論ばかりのネット民」と「炎上で儲けるマスコミ」は反省を(p.4) - 現代ビジネス


意外な結果だが、その背景には誹謗中傷を書く人の「動機」が関係している。

ネット上で誹謗中傷や非難を書く時、多くの人はふざけてやっているのではなく、本気で「こいつ許せない」「失望した」と考えて書いている。 いわば、各人が各々の価値観で持っている「正義感」に基づいて、「自分はいいことをしているのだ」と思いながら他人を攻撃しているのである。

テラハ事件「極論ばかりのネット民」と「炎上で儲けるマスコミ」は反省を(p.5) - 現代ビジネス

この記事の事実関係の分析は概ね妥当だろう。 この背景には、情報発信のあり方についての個人の認識の問題が考えられる。

  • 個人の正義感は正義とは限らない
  • ネットへの書き込みは、友人・知人との井戸端会議とは違い、不特定多数への情報発信である
    • 友人・知人との井戸端会議で許されることも、不特定多数への情報発信では大きな責任を伴う
  • いわゆる、「チラ裏」
    • 具体的根拠等がない誰でも考えそうなことには情報価値がない(情報拡散も含む)
    • 独りよがりを不特定多数に見られることはとても恥ずかしいこと
    • 価値がない情報でネットが埋め尽くされることはとても迷惑

人は何故デマを拡散するのかにも書いたが、深く考えずに安易に情報を発信する人には、悪いことをしているという自覚が全くない。 それを教育や啓蒙で改善することこそ、同様の悲劇を防止するために最も重要なことであろう。

正義とは何か 

まず、本件のような事例において、誹謗中傷した当人は正義感に基づいてやっているようだが、その誹謗中傷行為は正義ではない。

  • 誹謗中傷している人は十分な情報を持っていない
  • 一般人かつ第三者には他人を断罪する権利がない

ヤラセなどの問題はさておき、視聴者は放送された部分の事実しか把握していない。 だから、たとえ、ドキュメンタリー番組であっても、登場人物の行動の背景を視聴者が完全に把握することはできない。 であれば、登場人物の行動に妥当性があるかどうか、視聴者が判断することはできない。 判断するための情報が足りないのに登場人物を断罪しようとするなら、それは単なる視聴者の自己満足である。 そこには正義など存在しない。

仮に、登場人物の行動が断罪されて当然だったとしても、視聴者には他人を断罪する権利などない。 他人を断罪する権利のない人が他人を断罪すれば、過剰な罰が科されることになる。 例えば、頬を1回叩かれるべき罪を犯した人に対して、断罪する権利のない1億人が頬を叩いたら、その罪人は頬を1億回叩かれることになる。

まとめると、適切に罪を認定し、かつ、適切な罰を与えるためには、一般人かつ第三者がシャシャリ出るべきではないのだ。 でなければ、断罪すべきでない人を断罪する恐れがある。 仮に、登場人物の行動が断罪されて当然だったとしても、過剰な罪が認定されたり過剰な罰が科される恐れがある。

もちろん、妥当な裏付けを示して新事実を告発することの是非は全く別問題である。 しかし、他人から聞いた情報に基づいて人を断罪することに正義などありはしない。

不特定多数への情報発信の責任 

友人・知人との井戸端会議では、ゴシップに基づいて有名人を批判しても、問題になることはない。 しかし、それは、その場限りで終わる話だからである。 一方で、ネットに書き込みを行えば、それはその場限りで終わらず全世界に拡散されてしまう。 特定少数で問われる責任と不特定多数で問われる責任は、その重さが全く違う。 だから、ネットの書き込みでは名誉毀損等の事件に発展するのだ。

ところが、ネットで誹謗中傷等を書き込む人には、不特定多数で問われる責任に対する自覚がなさすぎる。 だから、友人・知人との井戸端会議と同等の感覚で、気軽に誹謗中傷等を書き込んでしまうのである。 責任を自覚して、思慮深く行動すれば、そうした事は容易に防げるはずである。

いわゆる、「チラ裏」 

先ほどの記事に書かれていた「お前やばい」「早く消えろ」「ブス」「二度とテレビに出るな」等は誰にでも思いつくことである。 他人から見れば全く情報価値がない。 他人にとって情報価値が全くないことを他人に見せたがるのは自意識過剰だからである。 自己を過大評価しているから、他人にとって全く価値がないことでも、自分にとっては大きな価値となる。 だから、自分の偉大さを他人に見せたくてしょうがないのだ。 しかし、実態は「俺は馬鹿だから馬鹿なことしか言えない」と大々的に公言しているようなものである。 馬鹿だと思われたくないなら、「事実だとしたら遺憾ですね」程度で済ませておくことを勧める。

価値がない情報でネットが埋め尽くされれば、価値のある情報が埋もれてしまい、社会的に迷惑をかける。 次のような情報以外は、本人にとっても恥なだけでなく、他人にとっても迷惑である。

  • これまで明らかになっていない新事実(妥当な裏付けがあるものに限る)
  • ほとんどの人が思いつかないような視点での考察

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