間接収用

中立かつ客観原則 

ここでは中立的な立場で事実関係を検証する。 賛成か反対かという結論は先に立てず、現実に起きた出来事、確実に起き得ること、一定程度の期待値を示す根拠のあることを中立かつ客観的に検証する。 可能性レベルの物事を論じるためにも、無視できない可能性があることを示す根拠を重視し、根拠のない当てずっぽうや思い込みや伝聞等の不確かな情報は、それが妄想に過ぎないことを示した上で門前払いとする。 賛成論でも間違いは間違いと指摘するし、それは反対論でも同じである。 ここでは賛成論にも反対論にも与しない。

TPP総論 

長期的視野では話は別だが、短期的視野で見ればTPPに参加するかしないかは大きな問題ではない。 それよりも、TPPとは全く無関係な混合診療完全解禁がもたらす患者の治療機会喪失の危険性やイレッサ訴訟の行く末によるドラッグラグ・未承認薬問題の悪化の方が、遥かに大きな問題であろう。 だから、TPPよりも重要な争点において国民に不利益をもたらす政策を党員に強要する日本維新の会は落選運動の対象とせざるを得ない。 混合診療の完全解禁を公約とする日本維新の会およびみんなの党には一切の主導権を握らせてはならない。 そのためには、これらの党に対する落選運動が必要なだけでなく、与党とこれらの党との連携も絶対に阻止しなければならない。 具体的運動の詳細は自民党への抗議方法を見てもらいたい。

直接収用 

直接的な収用については定義が非常に明確である。

「収用(expropriation)」とは国家機関による財産権の剥奪または管理及び支配権の永久的な移転を指す。 外国人財産に対する収用は、原則として国際違法行為を構成する。 しかしながら、一定の条件を満たした場合にはその収用は例外的に適法なものとみなされる。

2006年度提出リサーチペーパー「国際法上の間接収用の概念-仲裁判例の分析を中心に-」 - 東京大学公共政策大学院P.2,3


しかし、一般国際法上、収用それ自体が違法とされることはなく、一定の要件に従っていない場合にのみ、違法とされる。 現在、殆ど全ての投資協定がその要件を明示する。 すなわち、①公的目的のもとになされること、②無差別に行われること、③正当な法の手続きに従うこと、および④補償の支払いを伴うことである。

規制と間接収用 - 経済産業研究所P.1

ようするに、国家への財産の移転があれば直接収用になる。 収用違反は、ISD条項に基づく国際投資仲裁で賠償を求めることができる。

間接収用(収用と同等の措置、しのびよる収用) 

「収用と同等の措置」を俗に間接収用と呼ぶ。

逆に増加しているのが、公式には財産権の剥奪等を宣言はしないものの、法令の適用等の手段によって、間接的に個人の財産権に対して制限を加える措置である。 代表的なものとしては、投資家の事業に対する免許の更新の拒否、当該事業に不可欠な活動の禁止などの措置が挙げられる。 これらの措置は、実質的に投資家の事業を不可能とし、その財産権に打撃を与え、結果的には直接収用と同じ結果を引き起こす。 ここでは、それらの措置を間接収用と呼ぶものとする。

2006年度提出リサーチペーパー「国際法上の間接収用の概念-仲裁判例の分析を中心に-」 - 東京大学公共政策大学院P.5,6


本稿では、(i)直接収用は、所有権が投資家から国家又は第三者に移転する効果を有するもの、(ii)間接収用は、所有権が投資家のもとに止まるが、投資財産の使用、享有又は処分、もしくは支配と管理が奪われる効果を有するものという理解のもとに議論する。

規制と間接収用 - 経済産業研究所P.8


多くの投資協定の収用に関する規定では、「国有化され、収用され、又は国有化若しくは収用と同等の効果を有する措置」と規定し、国家による財産権の移転を伴う直接の収用のみでなく、間接的な措置(収用と同等の措置)をも規律対象としている。

V環境保護と投資協定の関係 - 経済産業省P.78

間接収用が直接収用と同様に扱われるのは、「結果的には直接収用と同じ結果を引き起こす」からである。 間接収用は、近年の投資協定に盛り込まれており、違反すればISD条項に基づく国際投資仲裁で賠償を求めることができる。

こうした流れの中、現在の国際法では、投資の保護の観点からは、いわゆる「直接収用」ばかりでなく、むしろ「間接収用」への対応が重要となってきている。 実際、各国が結ぶ二カ国ないし多数国間の投資協定においては、収用及び「収用と同等の措置」を禁止するという規程が盛り込まれ、それにより間接収用が規律が試みられている。 そして、これらの協定に基づく仲裁裁判においても、実際に直接収用以外の政府の措置に対しても、「収用」の認定がされている。

2006年度提出リサーチペーパー「国際法上の間接収用の概念-仲裁判例の分析を中心に-」 - 東京大学公共政策大学院P.5,6


またNAFTA1110条は以下のように定める。

いずれの締約国も、その領域内において直接的にまたは間接的に、他の締約国の投資家の投資財産を国有化または収用もしくは国有化または収用と同等の措置をとってはならない。 ただし、(a)公共の目的のためのものであり、(b)差別的なものでなく、(c)正当な法の手続きおよび1105条(1)に基づき、かつ、(d)第2から6段落の定めに従い、補償の支払いを伴う場合を除く。

規制と間接収用 - 経済産業研究所P.5

しかし、間接収用違反の認定基準については、国際上の明確かつ統一的な基準が確立されていない。 各々の事件の仲裁定が、各々の事件の事情等を考慮して個別に判断している。 それら仲裁判断については、大きないくつかの傾向が見られる。

間接収用の認定方法については、現時点では国際法上、明確かつ統一的な基準が確立されているとは言いがたい。 一見すると仲裁判例ごとに、多様な認定方法がとられているかのようにも見える。 しかしながら、大別すれば二つの説に分類できるように思われる。 一つは具体的な措置の「効果」が収用と同等であるかどうかによって、収用と合法な規制を区別する議論である。 ここではとりわけ、個人の財産権に対する「干渉の程度」が問題にされる。 もう一つの説は、規制措置の「性質」、とりわけ「目的」と「手続きの適正」を基準にする議論である。

2006年度提出リサーチペーパー「国際法上の間接収用の概念-仲裁判例の分析を中心に-」 - 東京大学公共政策大学院P.6


通常、直接収用については、①侵害された権利が明確であり(有体財産の所有権など)、②政府の行為も直接的な侵害的行為であるために、収用であるかどうかについて議論が生まれる余地が少ない。 例を挙げれば、空港建設のための土地の収用に対して補償を支払うことについてそれほど異論がおこりにくい。 政府の行為がまさに土地を取り上げることを内容とするものであり、土地という明確な財産が完全に奪われるからである。 一方で、間接収用やしのびよる収用の場合は、①侵害された権利が明確なものではなく、②政府の行為も直接的な侵害的行為ではなく、環境や安全など他の目的を有する行為であることが多い。 さらに、③殆どの政府の規制的行為は、私人の財産に対して何らかの制限を課し、経済的利益を侵害する可能性があり、全ての規制に対して補償を支払うことは政府機能を破綻させる。 従って、理論上は、補償の必要となる規制(間接収用)とそうでない通常の規制を区別する線が存在するはずであるが、概念によって明確に区別することは不可能である。 間接収用の認定の難しさは以上のような点に起因する。


現在まで、収用に関しては、仲裁判断の分析をもとに多くの議論がなされてきている。 それらの多くが、収用判断は、個別の事実関係に大きく依存し、明確かつ簡易なルールは存在しないという点で一致する。 その上で、仲裁判断法理の研究は、仲裁判断がどのような点に着目して判断したかという観点から整理するものや、問題となる事実関係に着目して整理するものが多い。 中でも代表的なものは、仲裁判断の着眼点に基づいて、二つの流れがあるとするものである。 一つは、「政府の意図は、措置が所有者に与える影響に比して重要でない」と述べたイラン米国請求権裁判所判断や後述するNAFTAのMetalcald事件判断の判示に着目し、投資財産に与える侵害のみを、唯一又は最も重要な判断基準と解するものである。 極論すれば、正統な規制であっても、侵害の程度がある一線を超えれば収用となるという考え方ともいえよう。 この考え方は、最近の投資協定仲裁でもしばしば申立人によって主張される。 もう一つの流れは、投資財産に与えた効果の重要性は認識しつつも、政府の行為の性質や目的も考慮することによって、投資財産保護と政府の規制による目的のバランシングを可能とするものである。 この考え方は、被申立人である国が主張することが多い。 これは、国家の主張する公的目的を尊重する限りにおいて、国家の規制権限に配慮したものとなる。 はたして、収用に関する投資協定仲裁判断には、①規制の態様にかかわらず、侵害を重視する立場と、②侵害を重視しつつも同時に規制目的・性質についても考慮するという立場、という二つの立場があると考えられるのだろうか。 もしくは、規制に対するアプローチとしてこれとは異なる対立軸があるのだろうか。

規制と間接収用 - 経済産業研究所P.8,11,12

最も多い仲裁判断は、効果を基準とするものである。

ある規制行為が間接収用にあたることを認定する基準として最も広く受け入れられているものは、当該規制の効果である。 すなわち、財産権への干渉の程度において規制の効果が直接収用と同様であった場合にはその規制を間接収用とみなすという判断である。 実際、二カ国間投資協定の文言においては「収用」という定義の中に「収用と等しい効果を持つ他の措置」を含めているものも多く、また仲裁判例においてもこの立場をとるものは多い。


財産権への干渉の程度に基づき、収用を認定した仲裁判例の代表的な例としては、イラン・米国請求権法廷の Starret housing Corp.事件が上げられる。 この事件においては、米国企業の Starret housing Corp に対してイランがイラン人のマネージャーを一方的に任命して、同社のプロジェクトを進めさせたことが問題となった。 収用の認定について、仲裁法廷は「仮に国家が収用を公式に宣言せず、財産についての法的権利が公式には本来の持ち主に残っていたとしても、国家のとった措置が財産権に対してその権利を利用不能(useless)にする程度まで干渉した場合には、当該財産は収用されたとみなされなければならない」と判示した上で、本件のイランの措置は収用に当たると認定した。


Metalclad事件はアメリカ籍企業Metalclad社とメキシコ政府の間の事件である。 この事件においては、Metalclad社はメキシコ政府から誘致されて、同国内において廃棄物処理事業を行おうとしていた。 しかし、処理施設の建設先である市及び州が、それぞれ建設不許可の決定および操業禁止命令を出したため、同社は事業を断念するにいたった。 Metalclad社は仲裁申立を行い、市及び州の措置がNAFTA上の「収用」に当たると主張した。 仲裁は、「収用」について、「NAFTAのもとでの収用は、明白な差し押さえや公式または義務的な権限の投資受入国への移管のようなはっきりとした意図的かつ認定される財産の剥奪だけでなく、たとえ投資受入国が(当該措置から)明確な利益を得ていないとしても、財産の使用に対する隠されたもしくは付随的な干渉で、所有者から財産の使用および合理的に予測可能な経済的便益の、すべてもしくは主要な部分をも奪う効果を持つものも含まれる」という一般的見解を示した。


一方、Pope&Talbot 事件は、同様に間接収用の基準を効果に求めながら、収用の認定を行わなかったケースである。 この事件は、米国の木材加工業者のPope and Talbot社とカナダ政府の間で生じた事件である。 同社は、カナダのブリティシュ・コロンビア州に子会社を設立して、そこから木材を輸入していた。 1996年に米加間で軟材協定が結ばれ、カナダの軟材の主要産地4つ(ブリティシュ・コロンビア州を含む)から無関税で米国に輸出できる軟材の総量を147億ボードに限定したために、カナダ政府は無関税輸出枠を軟材輸出業者に配分した。 その配分について、ブリティシュ・コロンビア州の割当は従来の無関税輸出量の59パーセントから56パーセントに削減され、とくにPope and Talbot社の輸出削減量は他の業者よりも25パーセントも高かった。 そこで同社はカナダ政府の輸出量削減が、NAFTA違反に当たると主張してUNCITRAL仲裁に申し立てた。 この事件において仲裁廷は(収用を認定するための)「テストは財産が所有者から剥奪されたという結論を支持するのに十分なほどに、事業への干渉が制限的であるかどうかである」とした上で、「国際法上、収用には実質的な剥奪(substantial deprivation)が必要である」と述べた。 その上で、本件においては、数量割当によってPope and Talbot社に被害は発生したものの、同社はそれでもなお軟材を輸出し続けていて実体上は収益を上げているという点を指摘し、「数量割当による財産権侵害は収用に要求されているレベルには達していない」と結論付けた。

2006年度提出リサーチペーパー「国際法上の間接収用の概念-仲裁判例の分析を中心に-」 - 東京大学公共政策大学院P.6-8


以上に示したように、Pope and Talbot事件判断が示した「相当程度の剥奪」基準は幅広い支持を得ている。 その際、問題となる投資財産が企業の場合は、企業に対する所有、支配、管理、利用等、企業所有に伴う権利を構成する諸権利がどのような影響を受けたかが検討されている。 その際、特に、投資家が現地企業の所有および支配を継続している場合には、収用の主張が認められにくいことを示している。

また、ある侵害が「相当程度」であるか否かを判断するにあたっては、投資財産が何であり、またその全体の価値がどのようなものであるかについて画定することが必要になると考えられる。 さらに、何が「相当程度」であるかは、通常量的な判断(ほぼ全部か、それとも一部に過ぎないか)であると考えられるが、GAMI事件判断は、ある財産(例として土地を挙げる)の収用は、それが全体の一部にすぎなくても収用となりうるとの考えを示した。 この議論は、「相当程度」が必ずしも量的な判断にかぎられず、質的な問題としても捉えられうることを示唆している。

一方で、侵害の程度には、ある時点における侵害の深刻さと侵害が継続した期間の二つの要素があると考えられる。 S.D.Myers事件は、そのうち後者に着目して収用の主張を否定した。

規制と間接収用 - 経済産業研究所P.25,26

効果基準においては、Pope and Talbot事件の「相当程度の剥奪」基準が幅広い支持を得ている。 また、規制の性質を考慮する仲裁判断も多い。

上述したような「効果」に基づく間接収用の認定の方法が広く採用される一方で、収用の認定の際に問題となっている規制措置の「性質」に着目して間接収用を認定するアプローチも有力に主張されている。 これは主として、措置の目的及び手続きの適正などを基準に収用の認定を行う手法であり、police powerの行使の範囲内と認められる措置については収用の成立を否定するものである。 この手法は、複数の仲裁判決において採られている。


「効果」に基づく収用の認定を主張する説の中には、収用認定の際に措置の「目的」等の考慮を行うことは否定されるという立場をとるものが多い。 その論拠となるのは、収用認定の際に「措置についての国家の意図への考慮を排除する」という立場に立っていると見られる判例の存在である。 具体的には、PCIJの上部シレジア事件、米国・ノルウェー間の仲裁であるノルウェー船主事件、上述Tippet事件、及びMetalclad事件などがその例として挙げられる。

しかし、国家の「意図」という表現を用いる際には、その意味する内容について注意が必要である。 一口に国家の意図といっても、「国家が個人の財産権の剥奪を意図しているか」という意味での「故意」と、「当該規制措置によって国家がいかなる利益を実現しようとしているか」という意味での「措置の目的(動機)」とでは、その指し示すところは大きく異なる。


以上のような判例を鑑みるに、収用が成立するためには、国家に個人の財産権を剥奪するという故意は不要である」という意味においては、確かに国家の意図は問題にならない。 しかし、「措置の目的」という意味での国家の意図を収用の認定の際に考慮することが禁じられるかというと、その点については議論の余地がある。 確かに複数の判例において、「効果」のみを考慮する形で、間接収用の認定がなされ、かつ一部の判例においては、収用の認定の際に「規制措置の目的を考慮しない」という言明もなされている。 それは主に「当該事件の収用認定において規制措置の目的を考慮することは必要ない」という意味であって、収用の認定において一般的に規制措置の目的を考慮することを禁止したものと解することは困難なように思われる。

例えば、上述Metalclad事件はそのような「措置の目的の考慮を禁止した判例」としてしばしば引かれるが、その理解は適切ではない。 確かに、同事件において仲裁廷は、州政府の出した環境令を収用と認定する際に「仲裁廷は環境令の動機・意図について決定する必要はない」と述べられている。 しかしながら、これは既に仲裁廷がそれ以前に市政府の行った行為について収用を認定しており、収用認定のための詳細な議論を行う必要がなかったためである。 実際、この文の後で判決は「実際、法廷がNAFTA1110条の違反を認定するためには、当該環境令に基づいて収用を認定することは必要ない」としている。 従って、その後に続く、「しかしながら、仲裁廷は環境令は収用と同等の措置を構成すると考える」という記述は、詳しい理由付けを省略する形で結論のみを予備的に述べていると解するべきであろう。

従って、「効果」の基づき収用を認定した判例も、措置の性質を考慮することを禁止・排除しているとまではいえない。


ただし、仲裁法廷は常にこれらの全ての要素を詳細に検討することが求められるとは限らない。 例えば、「効果」及び「police power」の一方について、当事者が争っていない場合においては、仲裁法廷は争いのある側の基準についてのみ詳細に審査をして、収用の認定の判断を行うことになる。 また、「効果」ないし「police power」のいずれか一方の観点からの審査のみで当該措置が間接収用にあたらないことを示しうる場合には、他方の審査を行わずに結論を出す場合もある。 逆に、問題となっている措置が、一方の基準を満たすことが明らかな場合(たとえば、規制の目的が明白に「police powerの範囲外」の場合など)においても、他方の基準についてのみ詳細に審査を行うことも少なくない。

ただ、このように裁判所が「効果」及び「police power」の一方について詳細な審査を行わない事例があることは、ある措置が両基準の一方を満たすのみで間接収用を構成しうることは意味しない。 「収用と同等の財産権の剥奪の効果を持つが、police powerの行使の範囲に含まれる措置」、「police powerの範囲には含まれないが、収用と同等の財産権剥奪の効果も有さない措置」を間接収用と認定した仲裁判例は存在しない以上、やはりある措置が間接収用を構成するためには両基準を満たす必要があるように思える。

2006年度提出リサーチペーパー「国際法上の間接収用の概念-仲裁判例の分析を中心に-」 - 東京大学公共政策大学院P.9,11-13,21


また、同じく初期の事例であるMetalclad事件では、施設の建設に際して、建設及び運営については連邦政府の許可のみが必要であり地方政府は、連邦政府の許可を拒否できないと連邦政府職員から伝えられていたにもかかわらず、施設建設後、地方政府によって、地方政府の許可を受けていないことなどを理由にして施設の操業停止を命じられ、Metalclad社は操業不能となった事案であった。

仲裁廷は、NAFTA1110条が禁止する「投資を直接若しくは間接に国有化し若しくは収用し、又は当該投資の国有化若しくは収用と同等の措置」には、「明白な財産の接収のみならず、財産の所有者から財産の使用や合理的に期待される経済的利益のすべて又は相当な部分を奪う効果」を有する行為が含まれる、として、地方政府による措置が収用に該当するとの判断を示した。

03. Thus, expropriation under NAFTA includes not only open, deliberate and acknowledged takings of property, such as outright seizure or formal or obligatory transfer of title in favour of the host State, but also covert or incidental interference with the use of property which has the effect of depriving the owner, in whole or in significant part, of the use or reasonably-to-be-expected economic benefit of property even if not necessarily to the obvious benefit of the host State.

こうした本件の判断は、措置の効果にのみによって収用の発生を認定するものとして批判されることになった。 しかし、本件仲裁廷は、この判断に至る過程で、かならずしも措置の効果のみを考慮したのではない。 法制上も事業に関する許認可は連邦政府の権限であり、かつ連邦政府によって、地方政府には権限がないという説明がなされた上で、同社がその説明を信頼して投資を行なった事実、さらに地方政府が明確な根拠なく権限に反して、この許可を取り消したという法令違反があったという本件における事実関係を重視している。


以上、収用及び間接収用に関する仲裁廷の見解は、その力点を異にするものの、相互に排他的なもののというよりは、初期の仲裁判断における収用に関する一般的な言明に対する批判を受けて、後続する仲裁廷が、個別の事案における事実関係、協定の前文や文脈が自覚的な検討の結果として、時系列的な展開として形成されてきたものと理解することが出来る。

こうした収用及び間接収用に関する仲裁廷の解釈の展開は、既存の条文の解釈の蓄積とその分節化の結果であり、NAFTA1110条のような従前からの条文・表現であったとしても、COMESA(2007)やASEAN(2009)の条文に規定されているのと同様に、仲裁廷は、個別の事案に照らして、慣習法上の国家のPolice powerを根拠として、収用と同等の効果を有する措置に対して賠償義務が存在することを認める判断を示してきた。 そして、新たな投資協定における収用に関する規定の追加・修正は、こうした一連の仲裁判断によって明確化された収用及び間接収用の外延、あるいは、収用と同様の効果を有する措置であっても補償の義務を負わない場合の条件・内容を取り込み、投資の保護と他の経済社会政策上の措置とのバランスを図るものとなっている。

V環境保護と投資協定の関係 - 経済産業省P.79


以上に述べた仲裁判断は、いずれも投資財産に与える侵害の程度に着目して収用の主張を認めたという点で共通する。 また、あくまでも公的目的の存在自体は収用の合法性の一要素であり、公的目的の存在が収用であることを否定するものではないことは条文上明白であるが、目的や意図よりも投資財産の侵害を重視する点もほぼ共通する。 しかし、Tecmed事件判断以外は、国家の規制の妥当性判断がどう影響したかは定かでない。 SantaElena事件判断以外は、いずれも正統な規制とは認めず、侵害のみを議論しているからである。 すなわち、政府の規制の目的や性質に関わらず、侵害のみが判断要素となるとの立場にあるとまでは考えにくい。 この点については、収用を否定した判断について述べた後で、改めて検討する。


これらの判断を総合的に見ると、仲裁廷の間接収用に対する判断アプローチとして、規制目的・性格にかかわりなく、侵害のみを考慮するという流れがあるとは考えにくい。 本稿の分析は、「相当程度の剥奪」に至らないことを理由に収用を否定されることが多いことを示したが、深刻な侵害があるにもかかわらず正統な規制であるとして収用を否定した判断がいくつかある。 これを踏まえれば、ある規制が収用かどうかの判断法理として、以下のことが暫定的に言える。 まず、ある規制が「相当程度の剥奪」と言えるほどの侵害に達しているかが検討されるべきであり、それが否定される場合には、そもそも収用ではない。 逆に肯定される場合には、収用でない規制の判断アプローチとしては、二つのアプローチがある。 それは、①Tecmed事件判断(およびAzurix事件判断等)のように、投資財産の保護と規制によって果たそうとした目的とのバランシングによって補償の必要のない規制と収用を区別するアプローチと、②Methanex事件およびSaluka事件、またVivendi事件傍論に示されるよう、特にバランシングは明示せず、政府の行為が正統な規制と言えるか否かという観点から検討するアプローチである。 後者においては、規制を実施するにあたっての法的根拠やプロセス、規制の目的などが考慮要素とはなっているが、事案によっては、その他の点も考慮される可能性がある。 現時点では、①および②の実際的な違いは明確ではない。Methanex事件判断およびSaluka事件判断に続く今後の仲裁法理の蓄積を待つ必要がある。

規制と間接収用 - 経済産業研究所P.19,20,35,36


間接収用をめぐる非常に困難な問題は、そもそもいかなる場合に間接収用が成立するのかという点である。 国家への財産権の移転という明確な指標がないため、どのような状況であれば「収用と同等」の措置が行われたと言えるのかを、他の何らかの基準で判断する必要がある。 これについては、まず、政府の規制行為により投資財産に重大な経済的侵害が発生したという事実のみを根拠として間接収用の成立を認める立場がある。 これは「単独効果説」と呼ぶことができ、過去の仲裁判断の中には、この立場に依拠したと思われるものもある。 しかし、こうした基準では収用が成立する可能性がかなり高く、投資受入国の政策裁量に対する介入度が大きすぎる。

そこで、経済的侵害の事実のみでなく、政府が追求しようとした目的や価値をも考慮し、それを達成するために投資財産の侵害を行うことが正当化されるかという観点から審査を行う立場が現在では支持されている。 これは「行為性質説」と呼ぶことができる。 つまり、投資家の財産権の侵害を正当化できるだけの公共的利益があれば、当該政府規制は収用には当たらないと考えるのであり、もし収用に当たらないとすれば、そもそも補償を支払う義務もなくなる(補償の支払いはあくまでも「収用」を合法的に行うための要件である)。


以上のように、過去の仲裁判断では間接収用の成立を判断する基準として、投資財産への損害、投資家の合理的期待の侵害、政府行為の目的及び性格、といった要素を考慮してきた。 最近の投資協定では、こうした判断枠組みを明文で規定するケースも増えている。


以上を踏まえれば、間接収用の存否に関する3つの判断要素のうち、とりわけ「経済的侵害の程度」と「政府行為の性質・目的」との関係は、比例性原則に即して評価されることとなろう。 したがって、たとえ重要度の高い公益を追求する規制であっても、そこで用いられる手段が不必要に、または均衡を失して投資財産の価値を毀損するものであれば、間接収用に該当するという判断がなされうるのである。 文化政策に関する規制についても、それが間接収用に当たるか否かは、追求される文化的価値の重要度と、当該投資家が被る経済的侵害との比較衡量に基づき、あくまでも個々の事案ごとに評価がなされることになる。

文化政策と投資保護 - 独立行政法人経済産業研究所P14-16,21

これだけでは少し分かり難いので、間接収用について、主として効果基準を採用した仲裁判断例と主たる基準が不明な仲裁判断例を表にまとめてみた。

仲裁判断例 付託機関 判断基準 収用 背景事情 出典
Starret housing Corp.事件イラン・米国請求権法廷効果認定本事件における規制目的は政府の規制権限に明らかに含まれていないと認定された。2006年度提出リサーチペーパー「国際法上の間接収用の概念-仲裁判例の分析を中心に-」 - 東京大学公共政策大学院
Tippet事件効果認定故意性については言及しているが、規制目的には言及していない。2006年度提出リサーチペーパー「国際法上の間接収用の概念-仲裁判例の分析を中心に-」 - 東京大学公共政策大学院
Metalclad 事件ICSID効果認定政府側に明らかに落ち度があり公正衡平待遇義務違反も認定された。2006年度提出リサーチペーパー「国際法上の間接収用の概念-仲裁判例の分析を中心に-」 - 東京大学公共政策大学院規制と間接収用 - 経済産業研究所V環境保護と投資協定の関係 - 経済産業省
Eureko事件不明認定政府の行為が規制として許容できない不当な行為であると認定された。規制と間接収用 - 経済産業研究所
Siemens事件不明認定政府の規制が公的目的であるかどうかは疑わしいとに認定された。規制と間接収用 - 経済産業研究所
Vivendi事件不明認定会社は濁りの除去、住民説明等の努力を行なったが、政府は健康上の問題がないと認識していたにも関わらず健康上の被害のおそれを表明した。また、政府は、契約時に認められた料金の値上げを非難した。政府が行なった罰金等の賦課、料金徴収の差し止めを行なった。仲裁定は規制の正統性を否定した。規制と間接収用 - 経済産業研究所
Pope and Talbot事件UNCITRAL効果否定2006年度提出リサーチペーパー「国際法上の間接収用の概念-仲裁判例の分析を中心に-」 - 東京大学公共政策大学院
GAMI事件不明否定規制と間接収用 - 経済産業研究所
CMS事件不明否定規制と間接収用 - 経済産業研究所

主として効果基準を採用した仲裁判断の典型とされている事例も、政府の行為の明らかな不当性に言及したものが多く、規制目的を判断基準から排除すべきとした事例は見当たらない。 間接収用を否定した事例では、効果基準に照らして収用に当たらないので、規制目的に言及する必要がなかったと考えられる。 これらの考察によれば、規制の効果と性質の総合判断とすることが一般的な仲裁判断であるように思われる。

尚、規制の目的として環境保護も当然認められるが、環境保護に偽装した目的は認められない。

投資家保護の目的 

投資協定が投資家保護のための規定を設ける理由は、政府の理不尽な規制によるリスクを回避するためである。 投資協定は、投資家をあらゆるリスクから保護するものではなく、投資家が背負うべきビジネスリスクは保護対象とされていない。

言うまでもないことだが、投資家が受入国で直面するリスクは、政府に関係するものだけではない。 契約相手(私企業)の契約違反や資金調達コストの上昇など、純粋なビジネスリスクに属するものも多い。 このことを考えれば、受入国における事業の採算性が悪化する原因の一つが政府の作為又は不作為であるとしても、他の原因があることも希ではないだろう。 仲裁判断のいくつかは、このことを明確に指摘し、「投資協定はビジネス判断の誤りに対する保険ではない」等と述べる。 しかし、政府の単独の行為ではなく、一定期間中の政府の作為・不作為が全体として収用と認められる侵害を引き起こしたと申立人が主張する場合(「しのびよる収用」の主張)は、因果関係の認定は簡単ではないだろう。 以下に示す判断は、投資財産が被った損害と政府の作為又は不作為の因果関係に着目して、収用の主張を否定した。

(1)で検討したWaste Management事件では、市の契約違反が収用となるかが問題となった。 市が契約を履行できなかった背景には、ゴミ収集サービスが有料となることに対する住民の反発とWM社よりも安価でゴミを収集する違法事業者の存在があった。 仲裁廷は、「企業の実質的な収用(taking)又は収益の上がらない状態にすること(sterilising)に相当する政府による恣意的な介入が無い場合にまで事業の失敗に対して補償することは(NAFTA)1110条(収用についての規定)の機能ではない」と述べ、アカプルコ市による契約違反の背景には、市だけでなく、WM社の現地法人の事業見通しが楽観的すぎたことがあることを挙げ、収用の主張を認めなかった。

Fireman's Fund Insurance Company 事件(NAFTA)では、メキシコにおける金融危機後に、政府が銀行に対してとった措置が問題となった。 米国の保険会社であるFireman's Fund Insurance Company(FFIC)社は、メキシコでの個人保険種目に参入すべく、メキシコの金融持ち株会社GFBの発行する5000万USドルの転換社債を購入した。 同額相当のペソ建て転換社債も同時に発行され、それらはメキシコ投資家が購入した。 GFBのメインの資産はBanCareerという銀行であり、FFICが転換社債を購入した時点ですでに経営は厳しい状況にあった。 BanCareerはJPモルガンとともに資本増強計画を作成し、政府との協議を始めた。 この計画では、40%の持ち株比率で戦略的パートナーとして新規の投資家を参加させることとしていた。 FFICは、当該計画について政府関係者と合意が成立したと主張し、戦略的パートナーが見つからなかった場合には、2500万ドル分の社債についてはGFBに払い戻しをさせる了解があったと主張した。 さらに、当該計画の不履行や、メキシコ投資家に対してはペソ建て社債の払い戻しを求めたものの、FFICに対しては認めなかったこと等について収用を主張した。

仲裁廷は、まず、FFICは厳しい経営状況にある銀行に投資をした時点で、投資価値がなくなるリスクを負っていたとし、もし何らかの行動がとられなかったならば、BanCareerは倒産していた可能性が高いとした。 そして、再建計画は最終合意には至っていなかったと認定し、すでにFFICの取得した社債には殆ど価値がなかったとして、再建計画の不履行についての収用の主張を認めなかった。 また、社債の払い戻しに関する差別的な対応については、内国民待遇違反や公正待遇義務違反の問題とはなりうるとしつつも、収用ではないと判断した。


仲裁廷が、いわゆる「しのびよる収用」としてチェコ政府の一連の措置をとらえなかった理由は、サルカの経営悪化には、チェコの事業環境や共産主義時代から続く不良債権処理問題等も影響しており、本件に直接関係する政府の作為・不作為の寄与度は大きくないと判断したためと考えられる。

規制と間接収用 - 経済産業研究所P.26,27,32

「投資協定はビジネス判断の誤りに対する保険ではない」とされるように、これには経営判断や自然環境の変化や社会情勢の変化等のリスクは含まれない。 このように、保護対象は、政府の理不尽な規制によるリスクに限定されており、投資家が背負うべきビジネスリスクから投資家を保護することはない。

協定の曖昧さ 

投資協定では、規定の曖昧さが問題視されることがある。

実はNAFTA投資章の起草時においても、補償を必要としない規制と収用の明確な区別をする必要性は認識されていた。 しかし、米国憲法上の収用に関する裁判例や国際裁判所判決においても明確にされなかったという経緯を勘案し、明確化は見送られた。 このことは、規制が収用とされるか否かという問題について協定の条文上の明確化には限界があることを示唆する。

規制と間接収用 - 経済産業研究所P.4

しかし、規定の明確化は非常に難しい問題である。

しかし、一方で国家は自国の国内において、必要な規制を合法的に行う権限も有している。従って、国際法による間接収用の規律は、ともすれば国家の自国国内を管理統制する権限を奪うことにもなりかねない。

そのため、このような間接収用の議論をする際には、「合法な規制」と「間接収用」を分ける基準が何なのかを明確にすることが必要となる。

2006年度提出リサーチペーパー「国際法上の間接収用の概念-仲裁判例の分析を中心に-」 - 東京大学公共政策大学院P.5

こうした規制と補償のバランスについては各国で議論されている。

尚、投資協定の投資家保護は、米国企業を儲けさせるためのものだとする主張があるが、これは、明確な間違いである。 過度な投資家保護については、当の米国自身が問題視しており、投資協定上の文言の修正を図ろうとしている。

米国においては、国際法上の「収用」は、国内の財産権保障との比較という観点からも論争を巻き起こした。 具体的には、初期のNAFTAの仲裁判断について、米国憲法上の財産権保障を上回る財産権の保障を投資家に与えるものだとの批判がされた。 憲法上の財産権保障の枠組みは、個人の財産権の保護と国家の規制による公的目的の追求をバランスさせようとするものである。 このバランスの取り方が国際法と国内法で異なれば、議論がおこるのは避けられない。 米国議会の示した反応は、米国における外国投資家が、米国投資家よりも投資財産保護に関してよい待遇をうけることのないようにするべきであり、米国内の法原則や実行と整合的であるべきというものだった。 これを反映して、最近の米国の投資協定には、収用の判断基準について、米国国内判例とも整合的なものとするような注釈をつける。

規制と間接収用 - 経済産業研究所P.4


米国モデル投資協定(2004年)


(1)収用の範囲

環境や公衆衛生等の公共福祉目的の措置を無差別にとることは、原則、間接収用を構成しない旨明記

主要国モデル投資協定の比較 - 外務省

このように、米国政府が定めた米国モデル投資協定においても、間接収用について制限を設けることが明記されている。 この点、フランスやドイツのモデル投資協定では、無頓着な規定となっている。

フランスモデル投資協定(2006年)


(1)収用の範囲

米国モデル投資協定のような公共福祉目的の措置に関する規定はない


ドイツ・モデル投資協定(2008年)


(1)収用の範囲

米国モデル投資協定のような公共福祉目的の措置に関する規定はない

主要国モデル投資協定の比較 - 外務省

以上のとおり、米国こそが、間接収用の拡大解釈を懸念しているのである。

賠償範囲 

収用時点から判決時点までの逸失利益 

賠償範囲には、収用時点から判決時点までの逸失利益も含まれる。

その際の賠償の額は、通常の収用に対する補償の場合のように没収の際における価格とそれに利息を加えたものに制限されるものではない。 イラン米国請求権法廷のAmoco事件によれば、違法な収用に対する賠償には、収用時点から判決時点までの逸失利益も含まれる。

2006年度提出リサーチペーパー「国際法上の間接収用の概念-仲裁判例の分析を中心に-」 - 東京大学公共政策大学院P.2,3

「収用時点から判決時点まで」の逸失利益を考慮するのは、その期間も投資家が実際に損害を受けているからである。 それは、収用から賠償が支払われるまでの期間について、収用違反が発生しなかった場合と比較すれば良く分かる。 もしも、収用違反がなかったら、その期間も、投資家は収用額相当分の資金を元手に運用益を得ることができたと推測できる。 もちろん、収用そのものがないか、それとも、適切な補償の元に収用が行なわれたかによって、投資家の投資先は変わる。 しかし、いずれにせよ、投資先からの財産の剥奪がないため、資金を運用に回すことが可能である。 言うまでもなく、投資先が変わることよる運用益の差額は、投資家の投資判断の問題であって、政府の責任ではない。 だが、収用違反が発生すれば、投資家は、運用に回す元手を失ってしまい、運用益を全く得ることができなくなる。 つまり、収用から賠償が支払われるまでの期間にも、その間の運用益が実際の損失として発生しているのである。 細かいことを言えば、判決時点から賠償が支払われるまでの期間が補償されていない。 しかし、そこまで言えばキリがない。 「収用時点から判決時点まで」の逸失利益が考慮されるだけでも遥かにマシであろう。

DCF(割引現在価額) 

近年では、一定の条件においてDCF(割引現在価額)が賠償額算定法として認められる。

第2に、次に問題となるのがFMVの算定方法であるが、この点については唯一正しい算出法がある訳ではなく、補償対象となる財産の形態に応じて算定方法も異なる。 世銀ガイドラインでも、補償額を決定するために排他的に有効な「唯一の基準」があるとは規定せず(第6項)、補償算定が次のような場合には「合理的である」(reasonable)というに止まる。 すなわち、第1に、企業が継続価値(a going concern)であり、収益性を有する場合には、DCF(Discounted Cash Flow)に基づく算定である。 第2に、企業が継続価値とみなされず、収益性を欠くと考えられる場合には、清算価額(liquidation value)に基づく算定である 第3に、その他の資産の場合には、再取得価額(replacement value)又は帳簿価額(book value:BV)に基づく算定である


伝統的に、「補償」(compensation)と「賠償」(damages)は厳密に区別されてきた(以下、区別説)。 そもそも両者は法的性質上区別され、補償が「合法」収用要件であるのに対して、賠償は国際「違法」行為責任に起因する。 その結果、補填すべき損失の対象が異なり、「賠償」対象は「補償」対象よりも広くなる。 というのも、「補償」対象が「直接損害」(損失財産に見合う額)に限定されるのに対して、「賠償」は原則として原状回復であり、これに代わるものとして、直接損害に加えて「間接損害」(違法行為が存在しなかったならば当然得たであろうと見られる利益の損失)が含まれるからである。 このように、原因行為の違法性の有無により、「補償=直接損害」と「賠償=直接損害+間接損害」が区別され、後者が前者よりも高額になると考えられてきた。

実際の仲裁例でも区別説が採用されることが多い。例えば、S.D.Myers事件(NAFTA)において仲裁廷は次のように述べている。 「仲裁廷が適用すべき賠償基準は、場合によっては合法行為賠償と違法行為賠償の違いによって影響を受けることがある。 価値を損なった財産の公正市場価格を決めることは、投資家に加えられた被害を公正に示すものではない」。 同様に、LG&E事件(2007年)でも区別説を採用することが明示されている。 仲裁廷によれば、「合法行為の帰結たる『補償』(compensation)と違法行為の帰結である『損害賠償』(damages)は異なるものであり、この区別は様々な裁判所で述べられてきた」。 ここで仲裁廷が例示する先例は、AGIP S.p.A.事件(1979年)、Amoco事件(1987年)、Southern Pacific Properties事件(1992年)、ADC事件(2006年)である。

特に、Amoco事件において、イラン=米国請求権裁判所はホルジョウ工場事件判決に依拠しつつ、次のように述べている。

「合法収用と違法収用とは明確に区別されなければならない。というのも、収用国によって支払われるべき補償に適用される規則は、財産奪取の法的性質に応じて異なるからである」。

以上のように、補償(合法収用の場合)と賠償(違法収用の場合)の区別が一貫して認められている。 また、実際に賠償額が補償額よりも高額と判断された事案が存在する。 例えば、ADC事件(2006年)では、投資財産の価額に関して、収用時価額よりも裁定時価額が上昇した稀有な事案である。


なお、以上の議論と異なり、違法な収用行為の帰結である賠償の算定において、FMV/DCFアプローチではなく、別のアプローチが用いられることがある。 特に、収用概念が拡大し、「間接収用」概念や「潜行型収用(忍び寄る収用)」概念が登場したことに伴い、違法収用の場合の賠償算定方法に関しては多様性が見られるようになっている。 以下、こうした例としてMetalclad事件(2000年)を見ておこう。


以上のように、本件では、適用法規であるNAFTA1110条に収用補償要件としてのFMV/DCFが規定されているにも関わらず、仲裁廷はこれを採用せず、M社の「現実投資財産」の算定を行っている。 この点で、本件はFMV/DCFアプローチの限界を示すよい例である。 すなわち、本件のように企業が継続的に収益を上げている継続企業(going concern)でない場合、DCFに依拠した賠償算定は不確実な将来利益を対象とするため、不適切と考えられる。 特に本件では、メキシコによる間接収用行為が生じている時点で、M社は埋立施設の建設を終了していたものの、廃棄物の埋立処理作業は未だ開始されていなかったため、継続企業(going concern)とはみなされない。 この点で、DCFによる将来利益の算出が不適切と判断されているのである。

投資協定仲裁における補償賠償判断の類型 - 独立行政法人経済産業研究所P.5,9,11-13,16,17

まとめると、次の全条件を満たすとDCFが賠償額算定法として認められる。

  • 投資財産の「全体的損失」が認められること(収用の場合はほぼ間違いなく認められる)
  • 損失対象の政府の措置が国際法上違法であること
  • 損失対象が継続企業(going concern)であって将来利益に確実性があること

そうでない場合は、精算価額(liquidation value)、再取得価額(replacement value)又は帳簿価額(book value:BV)による算定となる。

尚、DCFを認めるのは、投資の持つ性質による。 投資は、必ず、成功が約束されているわけではない。 どんな優秀な投資家でも、個々の投資単位でみれば、損失が発生している事例が必ずある。 しかし、全投資の差し引きがプラスになれば、投資全体としては成功となる。 言い替えると、全体の確率的期待値がプラスになるように、投資先を決めるのである。 つまり、成功した時の利益で失敗の損失の穴埋めを行なうから投資が成立するものである。 しかし、成功利益が不当に取り上げられては、そうした穴埋めが成り立たなくなる。 黒字企業に育てる影には、数々の赤字企業があるのである。 にもかかわらず、その黒字企業が没収されて、その精算価額しか保証されないのでは、あまりに理不尽であろう。 仮に、その黒字企業を売却したとすれば、当然、その精算価額だけでなく、将来生み出すであろう利益にも値段がつく。 売却価格よりも遙かに安い価格で没収されるのならば、これほど理不尽なことはない。 逆に、没収する側の立場で見れば、自分では投資せずに、既に十分に育った黒字企業をその精算価額だけで手に入れることができるならば、そんなにずるいことはない。 だから、黒字企業に苦労して育てる試行錯誤に要した費用に対しても、当然、補償を行なうべきである。 以上のとおり、確実な将来利益が見込まれる継続企業の価値として、DCFを認めるのは当然と言える。 逆を言えば、成功事例とは言えない、将来利益が不確実な事例では、DCFを採用することは妥当とは言えない。 また、投資家が背負うべきリスクに原因がある場合も、それは成功事例とは言えないのだから、DCFを採用することは妥当とは言えない。

悪質なデマ 

間接収用規定は憲法に違反する? 

ところが、国際投資家私設法廷では、収用だけではなく、「間接収用」についても、補償をしなければならないことになっている。

ISD条項の罠12 万能の間接収用法理 - 街の弁護士日記 SINCE1992at名古屋

「「間接収用」についても、補償をしなければならない」ことは、ISD条項や国際投資仲裁の問題ではなく、単に、投資協定にそう書かれているからである。

尚、この弁護士は「私設法廷」「民間法廷」と繰り返し主張して国際投資仲裁が正当性のない勝手判断であると印象づけようとしているが、某自称弁護士の痴態で紹介したこの弁護士自身が開示請求において提示した資料には ICSID仲裁は、私人の判断であっても、それに基づく強制執行は単に私人の判断に基づくものではなく、条約に基礎を置くものであり、ICSID仲裁判断の履行は条約上課された義務である ICSID仲裁判断の承認・執行:その手続と実効性を中心にP.331 と、国際投資仲裁の正当性が明記されている。 この弁護士は陪審制裁判員制度(陪審制や裁判員制度は素人から陪審員や裁判員が選ばれるが、国際投資仲裁では国際法や国際商事の専門家が仲裁人に選任される)に反対なのかも知れないが、だからと言って、国際法や国内法で決められた手続に対して、私人が自分勝手な判断を押しつけているかの如く言うのは、明らかに事実に反した主張である。

「間接収用」とは、アメリカ判例法由来の国際投資家私設法廷独特の概念で、経産省によれば「所有権等の移動を伴わなくとも、裁量的な許認可の剥奪や生産上限の規定など、投資財産の利用やそこから得られる収益を阻害するような措置も収用に含まれる」と説明されている。

ISD条項の罠12 万能の間接収用法理 - 街の弁護士日記 SINCE1992at名古屋

彼は、米国が「アメリカ判例法理」に合わせて収用違反の認定範囲を広げようとしていると主張している。 しかし、「協定の曖昧さ」の項で示した通り、実際には、米国は、収用違反の認定範囲を限定するよう、いち早く、行動を起こしている。 米国は、「アメリカ判例法理」より狭い認定範囲を「アメリカ判例法理」並に広げようとしているのではなく、「アメリカ判例法理」より広い認定範囲を「アメリカ判例法理」並に狭めようとしてるのである。

ISDを締結すれば、まず政府は、当該の規制を実施することが、外国投資家の期待利益を損ねないか検討する必要がある。

ISD条項の罠12 万能の間接収用法理 - 街の弁護士日記 SINCE1992at名古屋

投資協定を遵守すべきことは、ISD条項が含まれるかどうかとは全く関係がない。 ISD条項がなければ投資協定に違反し放題…と考えるのは大間違いである。 よって、ISD条項があろうとなかろうと、間接収用規定がある限り、「当該の規制を実施することが、外国投資家の期待利益を損ねないか検討する必要」があることに全く変わりはない。

日本国憲法には「収用」はあるが、「間接収用」はない。

第29条 財産権は、これを侵してはならない。

2 財産権の内容は公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。

3 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

29条3項は、直接的な収用を定めている。

財産権の名義自体が、政府や自治体に移転する場合の補償である。 これは定説である。 憲法29条3項に間接収用が含まれるとすると、2項で財産権の内容を「公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める」とする規定との関係を整合的に説明することができなくなる。

「間接収用」と呼ばれるものは日本国憲法29条2項の場合に他ならない。 そして29条2項は、補償については、何ら定めていない。

ISD条項の罠13 間接収用規定は憲法29条に違反する - 街の弁護士日記 SINCE1992at名古屋

どうして、日本国憲法第29条の各項のうち、一部分だけが間接収用を対象にしていて、残りは間接収用を対象としていないという突拍子もない解釈を何の疑いもなく採用するのだろうか。 普通に解釈すれば、全て間接収用を対象としていないか、あるいは、全て間接収用を対象としているのかのどちらかだろう。 日本国憲法第29条第2項には補償を禁じる文言はないにも関わらず、第3項に間接収用が含まれていると解釈すると第2項と第3項の「関係を整合的に説明することができなくなる」とは全く意味不明である。 「公共の福祉に適合するやう」に「私有財産」を「公共のために用ひる」場合に「正当な補償」を必要とするのだから、間接収用を含むかどうかに関係なく、日本国憲法第29条第2項と第3項は整合している。

日本国憲法第29条第2項で言う「公共の福祉」は私人間の権利調整と公共政策上の権利制限の両方を指していると考えられる。 このうち、公共政策上の権利制限についてのみ、日本国憲法第29条第3項で補償の規定を設けているのである。 そして、日本国憲法第29条第3項は、文言通りに読めば、間接収用を含んでいないように見える。 とすれば、日本国憲法第29条第2項における公共政策上の権利制限についても、間接収用を想定していなかったと解釈するのが妥当であろう。

事実、ISD仲裁事例で間接収用が認定された事例では、いずれも、「公共の福祉に適合」していないので、日本国憲法第29条第2項で認められた財産権の制限に該当しない。 この弁護士が後の挙げた最高裁判例によれば、「規制が憲法二九条二項にいう公共の福祉に適合するものとして是認されるべきものであるかどうかは、規制の目的、必要性、内容、その規制によつて制限される財産権の種類、性質及び制限の程度等を比較考量して決すべきもの」とし、「立法の規制目的が前示のような社会的理由ないし目的に出たとはいえないものとして公共の福祉に合致しないことが明らかであるか、又は規制目的が公共の福祉に合致するものであつても規制手段が右目的を達成するための手段として必要性若しくは合理性に欠けていることが明らかであつて、そのため立法府の判断が合理的裁量の範囲を超えるものとなる場合」は効力を否定できるとしている。 これは、実際のISD仲裁事例における、間接収用違反の認定基準の一つとほぼ同じ考えである。 つまり、間接収用違反の認定事例は、いずれも、最高裁判例における日本国憲法第29条第2項の「公共の福祉に適合」の条件に合致しない。 言い替えると、最高裁判例における日本国憲法第29条第2項の「公共の福祉に適合」の条件に合致する場合は、間接収用違反が認定されない。

つまり、日本国憲法上は、法律が、財産権に対する規制を従来より強化したからと言っても、そのこと自体で、補償義務は生じない。

ISD条項の罠13 間接収用規定は憲法29条に違反する - 街の弁護士日記 SINCE1992at名古屋

百歩譲って、仮に、日本国憲法第29条第2項が間接収用を含んでいるとして、にもかかわらず、「補償については、何ら定めていない」としよう。 だとすれば、日本国憲法の制定時に間接収用を想定していたにもかかわらず、敢えて、補償については規定を設けなかったということになる。 つまり、それは、日本国憲法が間接収用への補償を肯定も否定もしていないということである。 日本国憲法に規定が無いことについては、下位の法令で自由に決めて良い。 よって、日本が締結した条約に間接収用の補償規定があれば、当然、それが有効となる。

財産権には、内在的制約があるという言い方もされるほどに、政策的制約が許されるのが日本国憲法下における財産権の考え方だ。 したがって、日本国憲法の下では、「間接収用」は補償の原因にならない。

ISD条項の罠13 間接収用規定は憲法29条に違反する - 街の弁護士日記 SINCE1992at名古屋

「政策的制約」による権利の制限は、内在的制約ではなく、外在的制約である。 そして、外在的制約があることは、補償を否定する根拠とならない。

補償は、「収用」に該当すれば、政府や自治体の故意や過失を問わずになされるが、賠償は、政府等の行為が違法である上、政府等の公務員に過失が認められて初めて認められる。 大前提として、まず、その法律が違法でなければならない。

法律は国権の最高機関たる国会が制定するものであるから、憲法に違反すると認められて初めて、違法になる。 しかも、違法になるだけでは、その法律の規定が無効になるだけで、直ちに補償義務は生じない。 その法律を制定するについて、国会(議員)に過失があることが認められて、初めて賠償が認められる。

最高裁の判例では、財産権を侵害する法律の規定が憲法に違反すると判断された例はあるが、財産権を規制する法律が憲法に違反することを理由に、国家賠償が認められたケースはない。

ISD条項の罠13 間接収用規定は憲法29条に違反する - 街の弁護士日記 SINCE1992at名古屋

実際のISD仲裁事例における間接収用違反の認定は、いずれも、立法に対してではなく、行政処分に対して行なわれている。 そして、いずれも、故意や過失が認定されている。 原理的に、何らかの新法が間接収用違反と認定される可能性がないとは言えないが、実例としてはほぼ見られない。 何故なら、法律を制定しただけでは損害は生じないし、施行において損害が生じるケースもかなり特殊な法律である場合に限られるからである。

「財産権を規制する法律が憲法に違反することを理由に、国家賠償が認められたケース」がないことは、過失が認定されなかったことを証明しない。 国家賠償法第1条では、「国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる」とされている。 一方、不法行為について、民法第709条では、「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う」とされている。 両者の文言が非常に似ている点に注意してもらいたい。 民法上の不法行為の賠償には次の全ての要件が必要とされる。

  • 故意や過失により権利が侵害されていること
  • 損害が発生していること
  • 損害と侵害行為の間に因果関係があること

ほぼ同じ文言の国家賠償法における賠償も同様の要件が必要と考えられる。 つまり、国家賠償には、損害と侵害行為の因果関係が必須である。 よって、「国家賠償が認められたケースはない」は過失が認定されなかったことを証明しない。

とくに法律による場合は、①公共の福祉を目的としないことが明らかであるか、②明らかにバランスを失していると認められる場合に初めて憲法違反の問題が生じるとするのが最高裁の立場でもある。

財産権は、それ自体に内在する制約があるほか、右のとおり立法府が社会全体の利益を図るために加える規制により制約を受けるものであるが、 この規制は、財産権の種類、性質等が多種多様であり、また、財産権に対し規制を要求する社会的理由ないし目的も、社会公共の便宜の促進、経済的弱者の保護等の社会政策及び経済政策上の積極的なものから、 社会生活における安全の保障や秩序の維持等の消極的なものに至るまで多岐にわたるため、種々様々でありうるのである。 したがつて、財産権に対して加えられる規制が憲法二九条二項にいう公共の福祉に適合するものとして是認されるべきものであるかどうかは、 規制の目的、必要性、内容、その規制によつて制限される財産権の種類、性質及び制限の程度等を比較考量して決すべきものであるが、 裁判所としては、立法府がした右比較考量に基づく判断を尊重すべきものであるから、立法の規制目的が前示のような社会的理由ないし目的に出たとはいえないものとして公共の福祉に合致しないことが明らかであるか、 又は規制目的が公共の福祉に合致するものであつても規制手段が右目的を達成するための手段として必要性若しくは合理性に欠けていることが明らかであつて、 そのため立法府の判断が合理的裁量の範囲を超えるものとなる場合に限り、当該規制立法が憲法二九条二項に違背するものとして、その効力を否定することができるものと解するのが相当である(最高裁昭和四三年(行ツ)第一二〇号同五〇年四月三〇日大法廷判決・民集二九巻四号五七二頁参照)。

以上最高裁昭和62年4月22日大法廷判決

したがって、財産権を規制する法律が憲法違反となる場合は非常に限られている。

ISD条項の罠13 間接収用規定は憲法29条に違反する - 街の弁護士日記 SINCE1992at名古屋

引用された判例で書かれていることは「その効力を否定することができる」かどうかであり、補償や賠償が必要かどうかではない。 よって、この判例をもって補償や賠償の必要性を問うことはできない。 そして、既に説明した通り、この最高裁判例において「憲法違反の問題が生じる」場合でなければ、国際法上も、間接収用違反は認定されていない。

しかも、賠償の問題になるのは、基本的人権の侵害が明白な場合で、かつ国会に過失が認められる場合に限られるのであるから、「間接収用」に関して、国家に何らかの金銭の支払義務が発生する場合は、ほぼ皆無であると考えてもよい。

違憲な立法による賠償が限定されるのも、国会が国権の最高機関とされることから、一応の妥当性があるであろう。 国民主権の原理から、国民の直接の選挙によって選ばれる議員によって構成される国会の権能を、裁判所といえども、一応、尊重するという建前で、日本国憲法は運用されてきた。

ISD条項の罠13 間接収用規定は憲法29条に違反する - 街の弁護士日記 SINCE1992at名古屋

既に説明した通り、実際のISD仲裁事例における、間接収用違反の認定は、いずれも、立法に対してではなく、行政処分に対して行なわれており、いずれも、故意や過失が認定されている。 そして、立法において「国家に何らかの金銭の支払義務が発生する場合は、ほぼ皆無」であるのは、立法措置が財産権の侵害になることが極めて少ないからである。 もしも、何らかの立法措置が財産権の侵害になれば。当然、「国家に何らかの金銭の支払義務が発生する」であろう。 これまで、立法において「国家に何らかの金銭の支払義務が発生する場合は、ほぼ皆無」であったのは、何らかの立法措置が財産権の侵害になった事例がなかっただけに過ぎない。 そして、補償や賠償の必要性は、「国会が国権の最高機関」とも「国民主権の原理」とも全く関係がないのである。

ところが国際投資家民間法廷では、そのような国会に対する謙抑性は働く余地がなくなる。 「間接収用」、すなわち外国投資家の期待利益を損なう場合には、直ちに補償する必要が生じるというのだ。

ISD条項の罠13 間接収用規定は憲法29条に違反する - 街の弁護士日記 SINCE1992at名古屋

国内法においても、そのような「国会に対する謙抑性」が全く働いていないことは既に説明した通りである。 そして、実際のISD仲裁事例における間接収用違反の認定は、複数の認定要件を必要としており、「外国投資家の期待利益を損なう場合には、直ちに補償する必要が生じる」ことはない。

尚、この自称弁護士は「私設法廷」「民間法廷」と繰り返し主張して国際投資仲裁が正当性のない勝手判断であると印象づけようとしているが、某自称弁護士の痴態で紹介したこの自称弁護士自身が開示請求において提示した資料には ICSID仲裁は、私人の判断であっても、それに基づく強制執行は単に私人の判断に基づくものではなく、条約に基礎を置くものであり、ICSID仲裁判断の履行は条約上課された義務である ICSID仲裁判断の承認・執行:その手続と実効性を中心にP.331 と、国際投資仲裁の正当性が明記されている。 この自称弁護士は陪審制裁判員制度(陪審制や裁判員制度は素人から陪審員や裁判員が選ばれるが、国際投資仲裁では国際法や国際商事の専門家が仲裁人に選任される)に反対なのかも知れないが、だからと言って、国際法や国内法で決められた手続に対して、私人が自分勝手な判断を押しつけているかの如く言うのは、明らかに事実に反した主張である。

法律家としては、全く矛盾する法体系が、同時に国内に存在するという問題は深刻に受け止めざるを得ない筈である。 日本の法務省や内閣法制局は、この点をどう考えているのだろうか。

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既に説明した通り、日本国憲法では、間接収用への補償や賠償を禁じていない。 日本国憲法で規定されていないため、下位の法令で自由に定めることが可能であり、日本が締結した条約に間接収用の補償規定があれば、当然、それが有効となる。 よって、「全く矛盾する法体系」なるものは何処にも存在しない。

この論点からは、外国投資家だけが規制による損失を補償されるのに、日本人や日本企業には補償されないのは、法の下の平等に違反するとする論点が直ちに提起されることになる。

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「日本人や日本企業には補償されない」ことは投資協定の問題ではなく、完全な内政問題である。 投資協定が外国投資家のみを保護対象としているのは、それが投資協定の役割だからである。 同様に、投資協定が国内投資家を保護対象としないのは、それが投資協定の役割ではないからである。

そして、その投資協定の役割が妥当かどうかは、国内投資家と比べて相対的にどうであるかでは論じられない。 それは、国内国外を問わず、本来、投資家が保護されるべきレベルを元にした絶対的基準で判断すべきであろう。 そうした絶対的基準で考えれば、実際のISD仲裁事例における間接収用違反認定は極めて妥当な判断が為されている。

また、国内投資家の保護は、その国の内政上の問題であり、投資協定が干渉することではない。 だから、「日本人や日本企業には補償されない」ことを投資協定の問題として扱うことは完全な誤りである。 国内投資家を同様に保護すべきなら、そのための国内法を整備すれば良いことであり、投資協定は全く関係がない。

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