コペンハーゲン解釈

ボルンの確率規則 

初期の量子力学では、行列力学と波動力学が提唱された。 波動力学を提唱したシュレーディンガーは、波が物質の実態であるという波動一元論の立場をとり、粒子として観測されるものは一点に凝集した波であって、凝集した状態を持続的に維持可能であるとした。 しかし、ハイゼンベルクの論文「量子論的運動学および力学の直観的内容について」において、凝集した波は時間とともに広がってしまうことが明らかにされている。 ボルンは解決策として確率解釈を提唱した。 これに対して、次のように主張する者もいる。

  • 波動関数は確率の波であって存在しない
  • 多数の粒子の可能性が重なり合って存在している

しかし、それは標準理論ではない。 標準理論での扱いは次のとおりである。

  • 波動関数は確率を表すが、その正体については問わない
  • 可観測量は測定時に決定するが、過程の粒子性については問わない

では、標準理論から一歩進んで、それぞれの正体を論じるとどうか。 まず、波動性については、「波動関数を粒子の誘導場(Führungsfeld)と解釈」しても実験結果を説明するには波に何らかの“実在”性が必要だとハイゼンベルクは指摘している。

Bornによる一番初めのφ関数の確率解釈を要約すれば次のように言うことができる. すなわち,|φ|2dτは体積要素dτの内部にその粒子を見出すことの確率密度の尺度を与えるが,その際粒子は各瞬間にあるきまった位置とあるきまった運動量の両者をもっている一つの質点として古典的な意味で考えられている. つまり, Schrödingerの見解とは対照的に,φは物理系を表すものでもなければ,またその物理的属性を表わすものでもなく,もっぱら後者についてのわれわれの知識を表わすにすぎない.


こうした数々の成功にもかかわらず,Bornの最初の解釈は,電子の回折のような回折現象の説明に適用された場合には惨憺たる失敗に終わることが明らかになった. たとえば,2重スリットの実験では,Bornの最初の解釈の意味するところによれば,両方のスリットを開いたままでスリットの背後の記録用のスクリーン上で感光して黒くなるところは,一方のスリットだけを開いたときに別々に得られる2種類の個々の黒点の重ね合せになるはずだということになる. 実験による事実としては,両方のスリットを開いたままにした時の回折パターン中には全く黒くならない領域が存在し,しかもその同じ領域は一方のスリットだけが開いている場合には黒く濃くなっている,ということになる. この実験事実はまさしくBornの最初の言い方による確率解釈への反証になっている. しかも,この2重スリットの実験は輻射の強度を減少していって,装置全体を一時に通過する粒子(電子,光子等)が1個だけという強度の強さででも実行可能である. そうである以上,数学的な解析から,明らかにそれぞれの粒子に付随しているφ-波は自分自身と干渉しており,この数学的な干渉はスクリーン上でのそれらの粒子の物理的分布によって現実化されている,ということになる. したがって,このφ関数なるものは,もしもそれが古典的意味での粒子に関して言われるものであるとするならば,物理的に実在するあるものでなければならず,単にわれわれの知識の一つの表現に過ぎないものではないはずである. しかし,そうだとすれば先に挙げた五つの困難によってあらゆる解決への試みは打ちくだかれる.

事実、HeisenbergはBornのアイディアをすぐさま受け入れたものの,これらのφ-波がSchrödinger方程式に従って時間と共に発展しかつ空間中を伝搬していくという事実を考えれば,それらを単に一つの数学的仮構とみなすよりはむしろそれらに何らかの種類の物理的実在性を付与することが必要であると考えた. 後年になってHeisenbergの記したところによれば,当時の彼はこういった確率の波を,“Atistorelesの哲学におけるδύναμις[可能性]の概念-後のラテン語の訳語によればpotentiaの概念-の定量的定式化”として理解していたという. Heisenbergはつづけていう“それは,事象は決して専断的なやり方で決定されるのではなく,ある事象が生起する確率ないしは‘傾向’がある種の実在性をもつという考え方である. 物質という厳然たる実在性とアイディアないしはイメージという知的な実在性の中央に実在のある種の中間的な層を考えるというこの考え方は,Atistoreles哲学において決定的な役割を演じる. 現代の量子論においてこの概念は新しい形態をとる:それは定量的には確率として定式化され,数学的に表現可能な自然法則に従うのである.”

「量子力学の哲学 上」(ISBN-10:4314004029,ISBN-13:978-4314004022,著:マックスヤンマー,訳:井上健)P.54-55

二重スリット実験の真相で説明した通り、二重スリット実験では、単一の粒子の持つ波どうしが干渉を起こしている。 このことは、波が単なる存在確率を示す概念に留まらないことを示している。 言い換えると、存在確率という概念が波を作り出しているのではなく、確率規則が波を存在確率と見なす概念なのである。 ようするに、波そのものは存在確率以外の何かなのである。 ただ、波と粒子との関係を論じるときには存在確率にだけ着目しようと言ってるだけなのだ。 もちろん、波動関数がその正体を正確に記述しているとは限らない。 しかし、波動関数はその正体とは全く無関係な記述でもない。

粒子については、数式上では、多数の粒子の可能性が重なり合った状態を記述している。 しかし、標準理論は、その正体については問わない立場である。 そして、それがその正体を記述しているのかどうかは諸説あろう。 二重解の理論のように、標準理論と数学的に等価な理論において単一の粒子の存在を想定する理論もある。

標準理論 

行列力学と波動力学は、フォン・ノイマンによってより厳密な計算方法に置き換えられる。 このノイマンの数学的手法が今日の標準理論の原型として採用されている。 この数学的手法では、測定時にそれまでと違う変化が生じるとする射影仮説を採用する。 とはいっても、これは波動力学と数学的に等価なものであるから、射影仮説はボルンの確率規則を標準理論の式に置き換えたものにすぎない。

コペンハーゲン解釈(Copenhagen interpretation) 

コペンハーゲン解釈の最大公約数的な解釈は、標準理論の数学的手法をツールとしてありのままに受け入れる一方で、その背後にある物理的正体がどうなっているか、数式がどのような物理的状態を示しているのかを問わない解釈である。 ようするに、標準理論について何も解釈しないとする立場がコペンハーゲン解釈の最大公約数的な解釈である。

しかし、一口にコペンハーゲン解釈と言っても、決して、一枚岩ではなく、実にさまざまな流派があると言われる。

There is no definitive statement of the Copenhagen Interpretation since it consists of the views developed by a number of scientists and philosophers at the turn of the 20th century.(20世紀前半の多くの科学者と哲学者の見解から成るコペンハーゲン解釈には、決定的な声明は存在しない。)

Thus, there are a number of ideas that have been associated with the Copenhagen interpretation.(だから、コペンハーゲンの解釈には多くの流派がある。)

Asher Peres remarked that very different, sometimes opposite, views are presented as "the Copenhagen interpretation" by different authors.(Asher Peresは、非常に異なる、ときどき反対の、解釈が「コペンハーゲンの解釈」として提示されると述べている。)

英語版Wikipedia:Copenhagen interpretation


最初にお断りしておきますが、「コペンハーゲン解釈」とは何かについて、完全な合意ができているわけではありません。 一般には「ボーアの下に集まった物理学者たちが作り上げた解釈」とされていますが、例えば、ハイゼンベルグとパウリでは随分と考え方が異なっていますし、量子力学の教科書でも、細かな点(これは、しばしば哲学者が本質的と考える点です)には見解の相違があります。 ここでは、多くの物理学者が標準的と見なしている解釈を「コペンハーゲン解釈」と呼ぶことにします。

質問集 - 科学と技術の諸相 by 物理学講師:吉田伸夫


しかし、何が実際にコペンハーゲン解釈であるかについて、一般的な合意はない。

「量子力学の解釈問題―実験が示唆する『多世界』の実在」(ISBN-10:4062576007,ISBN-13:978-4062576000,著:ColinBruce,訳&注:和田純夫)P.104

というように、最大公約数的な解釈(無解釈)に個々の私的見解を付加した解釈の総称であるが故に、人によって「コペンハーゲンの解釈」の中身が変わる。 しかし、その最大公約数は、標準理論の数学的手法をツールとしてありのままに受け入れているだけである。

「コペンハーゲン解釈」では、シュレディンガー方程式の解となる波動関数は、あくまで「測定を行った場合に得られる結果」についての確率振幅でしかなく、測定前の系が“実際に”どのような状態にあるかは、標準的な量子力学の定式化では記述できないと見なされています。 「粒子が波動関数の示す場所に同時に存在する」と解釈されているわけではありませんが、「どこかに存在する」とも言えません(そもそも記述できないのです)。 原子核の周りの電子は、シュレディンガー方程式の解として与えられる特定の定常状態(時間とともに変化しない状態)にあり、定常解の存在が「電子が原子核に落ち込まない」ことの理由になると考えられています。

質問集 - 科学と技術の諸相 by 物理学講師:吉田伸夫


最小限の共通要素は、次の2つの主張にまとめられるが。

(1)唯一の実在とは、意識を持つマクロな観測者によって観測された、実験結果である。それより深い、背後にある実在というものはない(考えてはいけない)。

(2)実験はその装置の設計に依存して、波的な振る舞い、または粒子的な振る舞いと合致した結果をもたらすが、決して両者を同時にはもたらさない。

「量子力学の解釈問題―実験が示唆する『多世界』の実在」(ISBN-10:4062576007,ISBN-13:978-4062576000,著:ColinBruce,訳&注:和田純夫)P.104


現在受け入れられている波動関数の解釈は以下のようなものである。 コペンハーゲンにあるボーア研究所で主に構築されたため、コペンハーゲン解釈と呼ばれる。

  • 電子の運動はシュレーディンガー方程式を満たす波動関数ψ(r,t) で記述される
  • 波動関数は一般に複素関数で、空間的に広がりを持ち、また、干渉や回折などの波に特有な性質を現す
  • 電子の位置を実験的に観測した場合には電子はある一点に見出され、広がりを持たない
  • 位置 rの周りの微小体積drに電子が発見される確率は |ψ(r,t)|²drに比例する ← ここが重要

二重スリットの実験に当てはめれば、

  • 二重スリットを通る電子の波動関数は、2つのスリットのそれぞれを通る経路の間で干渉を起こす
  • その結果、波動関数の絶対値の二乗 |ψ(r,t)|²に濃淡=干渉縞が現れる
  • 電子がスクリーンに当たり、その位置が記録されることが「観測」にあたる
  • |ψ(r,t)|²の大きな箇所でより多くの電子が発見されるため、 多くの電子について観測を繰り返すことによりスクリーン上に干渉縞が現れる

空間的に広がりを持つ電子が観測により1点に見出される様子は「波動関数の収束」と呼ばれる。

現在の量子力学は、なぜ観測により波動関数が収束を起こすのか、 とか、観測しないときに電子はどの位置にあるの> か、といった問いには答えない。 「観測によって検証できない命題」は物理学の範疇ではないというスタンスである。

量子力学Ⅰ/波動関数の解釈 - 武内修@筑波大

「次の2つの主張」はどちらも非常に紛らわしい言い回しであり、読み方によっては誤解する恐れがある。 (1)は、一見、「意識を持つマクロな観測者」が何らかの物理的作用をもたらすと言っているようにも見えるが、「背後にある実在というものはない(考えてはいけない)」と書いてあることから、そうした物理的作用=背後にある実在について言及しているわけではない。 また、(2)は、一見、「波的な振る舞い」と「粒子的な振る舞い」が同時に成立しないと言っているようにも見えるが、「実験は~もたらさない」なので、実験結果として「波的な振る舞い」と「粒子的な振る舞い」が同時に現れないと言っているに過ぎない。 まとめると、(1)は「実験結果」のみを重視し、その正体を問わないとしている。 (2)は、その「実験結果」の内容についての言及だが、それの意味することは次の2点である。

  • 測定前は、波の状態を示す式のみを採用し、粒子の具体的な状態を問わない(又は、問えない)
  • 測定後は、確率的集合体として式を立て直す(波動関数の収縮"wavefunction collapse"と呼ぶ)

科学の役割は結果を予想する方法を確立することにある。 一方で、科学には、原理を明らかにする側面もある。 しかし、原理を明らかにしても、天下り的な仮定をなくすことはできない。 例えば、現在では、物質が分子でできており、分子は原子でできており、原子は素粒子でできており、素粒子はクォークでできていることが分かっているが、クォークが何でできているかはわからない。 だから、現代科学では「クォークというものがある」という天下り的な仮定なしには成り立たない。 いずれ、クォークが何でできているかわかる時がくるかもしれないが、その時も「⚪︎︎⚪︎︎というものがある」という天下り的な仮定はなくならない。 それでも原理を明らかにするのは、原理が明らかになることで予測精度が上がると期待できるからである。 しかし、波と粒子の二重性の実体を直接的に測定できない以上、量子力学の原理を解き明かすことは原理的に不可能である。 それでは、予測精度の向上は全く期待できない。 科学の役割が結果を予測することなら、多くの物理学者が解釈に拘って、実用的な研究を疎かにすることは、人類にとって大いなる損失となる。 だから、解釈を深く追求すべきでないという主張には一理ある。 そして、分からないことを憶測で断言することは科学とは程遠い姿勢である。 むしろ、それは、疑似科学の領域だろう。 だから、数式上の処理として標準理論を受け入れるが、現実の現象がどうなっているかは深く問わないのである。

意識解釈(知性ある存在による認識が波動関数を収縮させるという考え)に至っては、少数派閥の主張に過ぎない。 それを「コペンハーゲン解釈」と呼ぶ者がいるのは事実であり、その解釈の内容が科学的に間違っているとする根拠もない。 しかし、主流学説としての「コペンハーゲン解釈」とは明確に区別しなければならない。

翻訳補足 

"have been associated with ~(~に関連した)"をバッサリと削ったり、"ideas(考え,思想,着想,意見,見解,理解)"を「流派」と訳したり、かなり、意訳している。 また、"turn of the 20th century(20世紀の変わり目,終わり)"は、正しく約すことよりも、歴史的経緯を正しく反映することを優先した。 尚、"Copenhagen interpretation"の呼称は1955年にHeisenbergが初めて使ったらしい。

Since the Solvay conference of 1927, the “Copenhagen interpretation” has been fairly generally accepted, and has formed the basis of all practical applications of quantum theory. (1927年のSolvay会議以来、 「Copenhagen interpretation」はかなり一般的に受け入れられており、量子論のすべての実際的応用の基礎を形成してきた。)

1955年のHeisenberg論文(?)"TheDevelopmentoftheInterpretationofQuantumTheory"

とはいえ、Heisenbergは個人的概念について言及したのではなく、それまでに科学者に一般的に受け入れられている概念を"Copenhagen interpretation"と名付けたのである。 よって、少なくとも、1955年までには"Copenhagen interpretation"の中身の概念は定着していたと推測される。 とすると、それは20世紀やや前よりの半ばであるから、"turn of the 20th century"は歴史的に正しくない。

実験との整合性 

コペンハーゲン解釈は、平たく言えば実験結果至上主義であるから、実験結果と一致しないのでは意味がない。

量子測定理論というと、昔は、実験では区別が付かないような事を議論するような、形而上学・神学の趣もあった。 その状況を大きく変えたのはR. Glauberの1963年の有名な論文であろう。 そのノーベル賞受賞の対象になった論文で彼は、被測定系に測定器の一部を加えた複合系をひとつの量子系として扱うことにより、

(i)被測定系に対して射影仮説を用いたのでは実験と合わないケースがある

(ii)測定器に対して射影仮説を用いれば常に実験と合う整合した理論ができる

(iii)測定器の誤差や反作用も、量子論で矛盾なく計算できる

などを示し、現代的な量子測定理論の扉を開いた。 これにより、量子測定理論は、実験により厳しくその正誤が判定される自然科学の理論へと大きく進化し、その後の大発展に繋がっているのである。 特に精密実験の分析には、量子測定理論はなくてはならない存在になっている。

量子測定理論入門 by 東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻相関基礎科学系&東京大学大学院理学系研究科物理学専攻:清水明教授


Q.コペンハーゲン解釈は実験と合わないことがある、とききましたが?

コペンハーゲン解釈の(登場時点の)曖昧な点を、

・意地悪く捉えれば、そうなります

・適切に捉えれば、全く実験と矛盾しない、強靱な理論になっていること がわかります

私が「コペンハーゲン解釈」と言うとき、それは後者。つまり、拙著(量子論の基礎, サイエンス社)に書いたような現代的な内容を指しています。

今日まで、実験との矛盾は何ひとつ発見されていません


コペンハーゲン解釈を間違って理解し、なんでもかんでも非測定系に直に射影仮説とBornの確率規則を使ってしまうと、

・実験と合わない場合がある

・測定器の誤差も測定の反作用も、計算できない

・理論が内部矛盾を示すことさえある

しかし、コペンハーゲン解釈を正しく理解し、正しく使えば、

・(今まで行われた)全ての実験と合う

・測定器の誤差や測定の反作用も、きちんと計算できる

・整合した理論になる(古典ミンコフスキー時空の上の理論としては)

まあ、それでも気持ち悪いですが.

Modern Theory of Quantum Measurement and its Applications by 東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻相関基礎科学系&東京大学大学院理学系研究科物理学専攻:清水明教授

このように、コペンハーゲン解釈は、実験結果と一致する。

トンデモ事例 

トンデモ解説等はコペンハーゲン解釈トンデモ解説に移動した。

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