武田邦彦氏の荒唐無稽な地球温暖化懐疑論
最初に
疑似科学者列伝:武田邦彦にて詳しく紹介するが、武田邦彦氏には次のような特徴がみられる。
- 基本的な科学的知識・理解がない
- 専門家を自称する原子力分野ですら素人同然
- 参照資料はつまみ食い
- 持論に都合の悪いデータは闇に葬り「未だに公表されない」と嘘をつく
- データは全てデタラメ
- 出典にないデータを捏造する
- 変動を隠すスケール操作も当たり前
- ウケると見れば何でも逆張り
- 有り得ない夢物語を語る
- たまに正しいことを言う時は、手垢まみれの二番煎じのみ
武田邦彦氏のトリックの手口は武田氏のトリックパターン類型化 - 環境問題補完計画で類型化されている。 このような人物の主張を真に受ける人はリテラシーがない。 武田邦彦氏は、言い訳ができるなら、次の件(後で詳細に説明)に言い訳してみると良い。
- 専門家が目の前に居る時と居ない時で主張内容が180度違うこと
- 専門家と話すときは「私はほとんど○○先生が正しいと思っています」
- 専門家の居ない所では「温暖化しない」とか、「人間のせいじゃない」
- 「太平洋を囲む陸地の気温」が上がってないように見せ掛けるためのスケール操作
- 「ハワイ、日本の南の香港、南鳥島、アンカレッジ、サンフランシスコの順に、グラフ」だけ横方向に拡大する
- 「ハワイ、日本の南の香港、南鳥島、アンカレッジ、サンフランシスコの順に、グラフ」だけ縦方向に縮小する
- 以上のトリックが発覚しないように「ハワイ、日本の南の香港、南鳥島、アンカレッジ、サンフランシスコの順に、グラフ」は月平均値を採用
- PETボトルリサイクルに関するデータ捏造等
- 「焼却を含ん」でいない「材料としてリサイクルしている量(再利用量)」が参照資料に明記されているのに「今に至っても」「『数字』を言う人はいない」と大嘘
- 武田邦彦氏の想像に基づいた変則的な計算で、かつ、不確かさの幅も無視した「推算」なのに、「出所:PETボトルリサイクル推進協議会」
- 次の前提では「タバコを吸うと肺がんの死亡率は10倍以上減る」という結論が導けなくなるので、「必要なデータ」である年齢調整死亡率をコッソリと消去
- 「タバコの害は継続的に20年ぐらい吸った人が、さらに20年ぐらい後に肺がんになる」
- 「ガンは年齢と共に増えるので、粗死亡率(その年に肺がんで死んだ人の数)ではなく、それを年齢調整した死亡率をとる」
- 「理研は『研究室に任せないで、理研の総力で詐欺をする』と決めた」が「理研の委員会自体がそう言っている。武田の推定ではない」とする大嘘
- 「透析に追いやる薬」「平均寿命が延びたから透析患者が激増しているというわけではありません」と大嘘
- 参照資料に記載されている患者平均年齢の推移を闇に葬った
- 参照資料に記載されている年齢階層別患者数推移を闇に葬った
- 荒唐無稽な夢物語の「地球を簡単に冷やす方法」
- 「200万平方キロメートル」に「『銀紙(ぎんがみ)』を敷く」手間や費用の「程度問題」
- 全地球規模で「海の深いところから水をくみ上げる」手間や費用の「程度問題」
地球温暖化否定論
武田邦彦氏は地球温暖化懐疑論も主張する。 しかし、その内容があまりにもアホすぎる。 武田邦彦氏の温暖化否定論をまとめると次のような所だろうか。
- 観測データ等を無視して地球は温暖化していないと言い張る
- トリックを駆使して、実測データ上の温度上昇を隠す
- 温度上昇を隠したデータと矛盾することを口実に(トリックで捏造された実在しない矛盾)、温暖化しているデータ(武田邦彦氏が温度上昇を隠せなかったデータ)は信用できないと主張する
- エネルギー保存則に反するトンデモ理論を駆使して、地球が温暖化するはずがないと主張する
- トリックを駆使して、実測データ上の温度上昇を隠す
- コンピュータ・シミュレーションに対して、実際には膨大な検証が為されているにも関わらず、「検証できない」という無知に基づいた想像で信頼性を否定する
- 二酸化炭素濃度が下がると生物が絶滅すると主張する
- 荒唐無稽な夢物語の「地球を簡単に冷やす方法」を提唱し、温暖化しても大丈夫だと言い張る
- 「200万平方キロメートル」に「『銀紙(ぎんがみ)』を敷く」(笑)
- 全地球規模で「海の深いところから水をくみ上げる」(笑)
- 存在しない学術上の対立を作り出す(ただし、武田邦彦氏オリジナルではない)
疑似科学者列伝:武田邦彦にて紹介しているが、武田邦彦氏は、江守正多氏(国立環境研究所地球環境研究センター副センター長)、枝廣淳子氏(環境ジャーナリスト)らとの鼎談で「温暖化はしてる」「温度は上がってる」「人間の活動で出すCO₂が原因」「私はほとんど江守先生が正しいと思っています」と認めている。 しかし、その後も、武田邦彦氏は、「『温暖化しない』とか、『人間のせいじゃない』っていうふうに、基本的にいろんなところで書いて」いる。 その件を追求されたら、「ほとんど正しいと思ってるけど、他の説もあるから、そういうのもちょっと紹介してるだけだ」と言い訳する。 以上から、武田邦彦氏が故意にデマを流布していることは疑いの余地がない。
気温上昇を隠すためのスケール操作
ところで、東大の渡部先生が「近年の地球温暖化の停滞」という論文を出された。 このことを読者の方が教えてくれたが、この論文によると、1997年から始まったエルニーニョから現在まで、地球の気温は変わっていないこと、その原因は海が熱を吸収していることということだ。
ところで、このような発表が東大から出てくるということは、気骨のある学問が好きな先生がおられることと、国の研究費の締め付け(これまでは温暖化賛成でないと研究費が出なかった。ナチスと同じ)が弱くなったことを示していて良いことだ。
地球温暖化懐疑論にて説明している通り、1998年〜2012年は温暖化の停止または停滞(hiatus:ハイエイタス)は、見かけの現象に過ぎない。 しかし、2012年頃までは、原因不明の停止または停滞(hiatus:ハイエイタス)として考えられていた。 現在では、その後の気温の変化から、短期的変動が長期的変動を覆い隠したに過ぎないことが判明している。
「東大の渡部先生」の「『近年の地球温暖化の停滞』という論文」が世に出たのは、それが空想ではない実測データに基づいていたからである。 当時は、温暖化を支持するIPCCも、観測事実を隠すことなく、原因不明の停止または停滞(hiatus:ハイエイタス)として扱っていた。 これらのことは「国の研究費の締め付け(これまでは温暖化賛成でないと研究費が出なかった。ナチスと同じ)」なるものが武田邦彦氏の妄想の産物に過ぎないことを如実に表している。 温暖化否定論だろうが、人為的原因否定論だろうが、それが真っ当な科学的研究(尚、真っ当であることは必ずしも正しいことを意味しない)であれば認められるのである。 非科学的研究への締め付けはあり得ても、特定の結論に対する締め付けなど存在しないのである。
太平洋の水温の記録は主として船舶から得られているが、海は熱容量が大きいので、海が暖かくなれば海沿いの地域の気温も上がる。 だから、船から得られた太平洋の水温のデータが信頼に足るものかどうかは、沿岸の陸地の気温変化で裏をとることができる。
海水平均温度は
エンジンの取水口近くに設置した温度計により計測
ココが知りたい温暖化Q7地球全体の平均気温の求め方 - 国立環境研究所地球環境研究センター
したものを
緯度5度×経度5度に分割した各格子内に存在する観測点の平年偏差を単純に平均して格子点データを作成
ココが知りたい温暖化Q7地球全体の平均気温の求め方 - 国立環境研究所地球環境研究センター
し、それを
各格子の面積の重みを付けて平均
ココが知りたい温暖化Q7地球全体の平均気温の求め方 - 国立環境研究所地球環境研究センター
化したものである。
よって、「船から得られた太平洋の水温のデータ」に誤差が生じる余地はなく、「信頼に足るものかどうか」を検証する必要性が乏しい。
このように、火の無いところに煙を立てるのは武田邦彦氏の常套手段である。
まず、気象庁が発表している太平洋の気温の変化である。 過去100年あまりの間、単調に増加している。 次に、太平洋を囲む陸地の気温(できるだけ広く沿岸部を選んである)を次に連続的に示す。 ハワイ、日本の南の香港、南鳥島、アンカレッジ、サンフランシスコの順に、グラフを示した。 ブログに貼り付けるとなかなか見やすい順番にならないけれど、どのグラフもこの100年あまり、気温が変わっていないことがわかる。
おかしい?! 気象庁の技官は海水温のデータと、沿岸部の気温変化との関係が相互に矛盾していることを疑問に思わないのだろうか?
武田邦彦氏が示した「ハワイ、日本の南の香港、南鳥島、アンカレッジ、サンフランシスコの順に、グラフ」には、次のような致命的欠陥がある。
- 14〜32年分しか示されてない
- うち、1998年〜2012年は見かけ上の温暖化の停止または停滞の時期
- 武田邦彦氏が示した「太平洋の水温」でも1990年〜2012年だけを切り出すと水温上昇が殆どない
- 気温上昇があっても読み取れないスケールで作図してある
- 14〜32年分なら、想定気温上昇は0.06〜0.14℃
- グラフの目盛りは2〜5℃
- 目盛り間隔は画面上で非常に小さい
- 何故か、月平均気温を示している
この細工により武田邦彦氏が仕掛けたトリックは次の通りである。
- 「ハワイ、日本の南の香港、南鳥島、アンカレッジ、サンフランシスコの順に、グラフ」だけ横方向に拡大する
- 「太平洋の気温」は100年以上のデータ
- 「ハワイ、日本の南の香港、南鳥島、アンカレッジ、サンフランシスコの順に、グラフ」は14〜32年分のデータ
- 「ハワイ、日本の南の香港、南鳥島、アンカレッジ、サンフランシスコの順に、グラフ」だけ縦方向に縮小する
- 「太平洋の気温」は0.5度単位の目盛
- 「ハワイ、日本の南の香港、南鳥島、アンカレッジ、サンフランシスコの順に、グラフ」は2℃または5℃単位の目盛
- 画面上の目盛線の距離も「ハワイ、日本の南の香港、南鳥島、アンカレッジ、サンフランシスコの順に、グラフ」の方が狭い
- 変動周期や変動幅からトリックが発覚しないようにする
- 「太平洋の気温」は年平均
- 「ハワイ、日本の南の香港、南鳥島、アンカレッジ、サンフランシスコの順に、グラフ」は月平均
試しに、「船から得られた太平洋の水温のデータ」と「南鳥島」(正しくは、沖ノ鳥島)のグラフを全く同じスケールで重ねてみた。 尚、「南鳥島」(正しくは、沖ノ鳥島)のグラフを基準にしているので、全く同じスケールで重ねるためには、「船から得られた太平洋の水温のデータ」を横方向に伸ばして、かつ、縦方向に縮める必要がある。
「南鳥島」(正しくは、沖ノ鳥島)のグラフと縦横を全く同じスケールにすると、「船から得られた太平洋の水温のデータ」においても温度上昇が全く読み取れなくなる。 他のグラフでも試してみたが、スケールの関係で線が細くなりすぎて、「船から得られた太平洋の水温のデータ」が全く見えなくなってしまった。 「船から得られた太平洋の水温のデータ単体を「南鳥島」(正しくは、沖ノ鳥島)のグラフの縦横比に合わせると次のように極端な横長(画素比、約横10000対縦55)になる。
画像の拡大縮小では限界があるので、原典のデータに基づいて「船から得られた太平洋の水温のデータ」をグラフを描き直した。
これを「ハワイ、日本の南の香港、南鳥島、アンカレッジ、サンフランシスコの順に、グラフ」のスケールに合わせて描き直すと次の通りとなる。
このグラフを見れば「ハワイ、日本の南の香港、南鳥島、アンカレッジ、サンフランシスコの順に、グラフ」の縦横比では、温度上昇が目視では全く読み取れなくなっていることがよくわかるだろう。 しかし、縦横を変えただけでは、短周期の変動も読み取れなくなっているため、偽装工作がバレてしまう。 だから、「ハワイ、日本の南の香港、南鳥島、アンカレッジ、サンフランシスコの順に、グラフ」は月平均値を採用して、年変動より遥かに大きく、かつ、周期の短い季節変動を表示する必要があったのである。
では、実際に「太平洋を囲む陸地の気温」はどの程度変化しているのか。 残念ながら、原典であると思われる沖ノ鳥島観測 - JAMSTECは、グラフは1987以降から示しているが、値は1993年〜2013年のデータしか示されていない。 この値をそのまま採用しても、大部分が見かけ上の温暖化の停止または停滞(hiatus:ハイエイタス)と被ってしまう。 やむを得ないので、一例として南鳥島のデータを示す。
このグラフを見れば、南鳥島の年間平均気温トレンドは0.87(℃/100年)で上昇している。 これは、武田邦彦氏が示した「太平洋の気温」トレンドの0.45(℃/100年)よりも大きい。 以上により、「太平洋を囲む陸地の気温」は「この100年あまり、気温が変わっていない」とは到底言えない。 単に、「この100年あまり」の「太平洋を囲む陸地の気温」を小さく見せ掛ける3つの小細工を武田邦彦氏が行っただけである。 以上のとおり、「海水温のデータと、沿岸部の気温変化との関係が相互に矛盾している」は、武田邦彦氏が捏造したフィクションに過ぎない。
気温データが「100年あまり」あるかどうか確認せずして「この100年あまり、気温が変わっていない」と結論づけられるわけがない。 そして、気温データが「100年あまり」あるかどうか確認すれば、「ハワイ、日本の南の香港、南鳥島、アンカレッジ、サンフランシスコの順に、グラフ」には14〜32年分のデータしかないことは容易にわかる。 よって、単純ミスで「この100年あまり、気温が変わっていない」と主張することはあり得ない。 つまり、武田邦彦氏が故意に偽装を行なったことは疑う余地がない。 注意深く観察する人が見ればすぐバレるのに、どうして、こんな子供騙しの嘘をつくのか。
「ここに示すデータは読者の方の調査によるもの」と書いてあるから、武田邦彦氏も騙された被害者だと言い訳するかもしれない。 しかし、懐疑的視点で検証すれば、偽装工作の手段のうちの1つには3秒で気づけるはずである。 何故なら、本当に「事実については私も調べている」なら、気温データが「100年あまり」あるかどうか確認していないことはあり得ないからだ。 百歩譲って、本当に騙されたのだとしたら、武田邦彦氏は科学的検証能力を完全に欠いている。
年間全体の傾向を見ず、1年のうちの僅か数日間だけの比較をもって「北極の氷の面積は今年の11月に観測史上最大を記録した」と主張
「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」の著者、武田邦彦がテレビに出ていて初めてその姿を見た。 いかにも喋り方がセンセーショナルで詐欺師臭がするがまあ人を見た目で判断するのはよろしくない。
しかしテレビに登場した30分足らずの中でいくつもおかしなことを言っている。
「地球はむしろ寒冷化に向かっている。 実際北極の氷の面積は今年の11月に観測史上最大を記録した。 だから私はCO₂はバンバン出してくださいと言っている。 その方が環境に良い」
→ネットを探してみたら、武田自身が提示しているグラフがあった。
武田邦彦には茂木健一郎のにおいがする - 自乗の地平(旧館)
アメリカ国際北極圏研究センターのデータによると,北極の氷は2008年11月,21世紀で最高の面積になったことがわかった. まだ,日本の報道はこの事実を伝えていない.
図の矢印のところが2008年に北極の氷が過去最高値になったときである. その後,12月になって2002年に抜かれたが,真冬には北極海は氷で覆われるだろう.
実際にグラフを見てみると、武田の詐欺話法がはっきりする。
テレビを観ている人は、今までのどの観測よりも今年の11月の面積が大きかったと思い込むであろう。 しかしグラフは、「同じ日付としては」である。 しかも観測は2002年からでわずか7年間。 1年365日観測している、その365日のうちほんの数日間が、過去6回の全てを上回ったからといってどうして寒冷化しているといえようか。 さらに、グラフを見ると冬のグラフはかなり密集している。 つまりは誤差の範囲内なのである。 ところが夏のグラフを見てみるとここ2年は突出して少なくなっている。 むしろグラフは温暖化を示すグラフと言って良いぐらいなのである。
おおよそ引用元に書いてある通りである。 多少、補足する。
- 夏のグラフだけでなく、年間の平均値で見るべきである
- 2002年〜2008年の短期間ではエルニーニョ等による短期変動の影響が大きいので、長期変動を見るには期間が短すぎる
武田邦彦氏による捏造なのだから「日本の報道はこの事実を伝えていない」のは当たり前である。
熱伝導の基礎的誤り
物理があまり得意ではない人に簡単に説明するが、空気と水では「熱を抱く力・・・比熱、もしくは熱容量」が3000倍も違う。 つまり1ccのわずかな水と3リットルの空気がほぼ同じ熱を抱くことができる。 だから、お風呂を沸かす(水の温度を上げる)と、風呂場の空気もあたたかくなる(ふたを開けておけば)ということになる。 地球はざっと言って、面積の3分の2が海で、海は4000メートル程度ある。 一方、空気は1万メートルほどあるけれど、上空は空気が薄い。 だからほぼ同じぐらいの厚みと言える。 そうなると、空気が10℃温まっても、それで海を温めようとすると、わずか0.003℃しか温度は上がらない。 実際には熱伝導の問題、熱対流の問題があり、すぐには分からないが、いずれにしてもこれだけ広大な海があって、それが温度変化のバッファー(変化しにくいような大きなもの)になっているのだから、容易に変化しないのではないかと考えるのが普通だ。 私が名古屋大学にいるときに専門家同士で地球温暖化の計算の検討をしたときに、発表者の方程式に入れる海洋の熱伝導、対流などがほとんど計算されていないことを指摘したことがある。
まず、最初に武田邦彦氏の誤りを正した正解を示しておく。 ただし、ここでは「空気と水では『熱を抱く力・・・比熱、もしくは熱容量』が3000倍も違う」については検証せずに正しいものと仮定する。
- 武田邦彦氏の妄想理論
- 空気が10℃温まっても、それで海を温めようとすると、わずか0.003℃しか温度は上がらない。
- 現実の物理理論に基づく解説
- 海の温度を変えずに空気だけを10℃温めようとしても、それでは空気も海も、どちらも、わずか0.003℃しか温度は上がらない。空気を10℃温めたければ、同時に、海も約10℃温める必要があり、そのためには、海の温度を変えずに空気だけを約3万℃温める場合に相当する熱量が必要となる。その熱量があれば、空気も海もほぼ10℃温まる。
事実、次のグラフの世界平均気温(陸域のみ)と世界平均水温を比較すれば、武田邦彦氏の妄想理論に相当する現象が起きていないことは明らかだろう。
武田邦彦氏は、熱力学の基本的法則すら知らないようである。 実測データがあるにも関わらず、そのデータには全く目もくれず、非現実的な妄想理論に基づいて、実測データと致命的に矛盾する結論を導くのは、武田邦彦氏の悪い癖である。
武田邦彦氏は「空気が10℃温ま」る状況において、空気だけを10℃暖める熱量を想定しているが、それが致命的な誤りであることは言うまでもない。 例えば、「水の熱容量は空気の3,000倍」だとすれば、空気だけを10℃温める熱量では、気温が10℃上がって水温が約0.003℃上がるとする計算は成立しない。 何故ならば、その熱量が水温を約0.003℃上げるために使われると、エネルギー保存則が破綻しない限り、空気には熱量がほとんど残らないからである。 逆に、空気側に残った熱量で気温が10℃上がると仮定すると、水には全く熱が伝わらないことになる。 水に全く熱が伝わらないなら、水と空気の熱容量の比が幾つであろうとも、水温は全く上がらない。 つまり、「水の熱容量は空気の3,000倍」は全く関係なくなり、「わずか0.003℃しか温度は上がらない」どころか、水温の変化は完全に0になる。 このように、武田邦彦氏の計算が物理法則に反していることは明らかである。
では、何が原因で、武田邦彦氏の計算が物理法則に反するのか。 熱は空気にも海水にも伝わるのだから、空気の分の熱量だけではなく、海水の分の熱量も考慮しないと、正しい計算にはならない。 熱は温度の高い方から低い方に流れるという基本的な性質を有している。 この性質により、温度の違う2つの物質が接すると、温度の高い方は冷え、温度の低い方は温まる。 そして、時間とともに、双方の温度は近づいていく。 「お風呂を沸かす(水の温度を上げる)と、風呂場の空気もあたたかくなる(ふたを開けておけば)」性質は、温度変化が逆の方向においても同様に作用する。 すなわち、風呂水の温度を下げた場合、風呂場の空気も冷たくなるのである。 結果、「広大な海」が「温度変化のバッファー(変化しにくいような大きなもの)になっている」ことによって「容易に変化しない」のは水温だけでなく気温にも当てはまる。 地球環境において、海面近くの気温と水温の関係は、季節や昼夜、陸地からの近さ、水深などにより変わるが、平均するとほぼ同じ温度になる。
以上を踏まえて正しく計算すれば、「水の熱容量は空気の3,000倍」ならば、空気だけを10℃温める熱量では、気温も水温も約0.003℃しか上がらない。 気温が10℃上がる状況では、場所による温度の違いを無視すれば、水と空気の双方を10℃温める熱量を想定しなければならない。 水と空気の双方を10℃温めるには、「水の熱容量は空気の3,000倍」では、空気だけを約3万℃温めるに相当する熱量が必要になる。 当然、この熱量があれば、水と空気の双方が10℃温まる。 このように、正しい想定で計算すれば、ちゃんと気温も水温も10℃上がるのである。 ただし、気温も水温も高度によって変わることと、陸域と海域での気温差も考慮すれば、もっと厳密な計算が必要になる。 いずれにせよ、空気だけを10℃温める熱量を想定するのは致命的な間違いである。 事実、世界平均気温(陸域のみ)と世界平均水温の実測データでは、「空気が10℃温まっても、それで海を温めようとすると、わずか0.003℃しか温度は上がらない」ということにはなっていない。
科学では、このように、複数のパラメータが相互作用を及ぼしている場合、単一のパラメータだけの変化を考えては現実離れした計算結果になる。 現実に即して計算するには、平衡状態でどうなるかを考える必要がある。 そして、ここで示したような比較的単純な例でない場合は、平衡状態を計算するためには方程式を解く必要がある。 科学では、こうした平衡状態の計算が屡々求められる。 仮にも工学部の教授がそれを理解していないのは極めて恥ずかしいことであろう。 とはいえ、弘法も筆の誤りがあるので、一時的な勘違いに陥ることは誰にでもあることだろう。 しかし、最低限の科学的知識・能力を持つ人間ならば、人前で発表する前に勘違いだと気付ける。 武田邦彦氏のように、工学部の教授でありながら、基礎的な勘違いを堂々と発表する人は珍しい。
他にも、武田邦彦氏は、熱容量と比熱の定義も理解されてない。 比熱は、単位質量当たりの値なので、比熱と「ほぼ同じぐらいの厚み」だけを根拠に熱容量の比を求めることはできない。 もっとも、先程の誤りを訂正すれば結論の誤りを正せるので、この誤りについてはこれ以上の説明はしない。
当然のことながら、こんな間違いだらけの計算が「ほとんど計算されていないことを指摘」することは科学的に何の価値もない。 大学教授の立場で、中学生にもわかる初歩的な誤りを誇らしげに語っていることは滑稽である。
お風呂を沸かすのにお風呂場の空気を80℃に暖めても風呂は沸かないのですが、このことはCO2による短期間(100年、200年スパン)での気温上昇は難しいことを示しています。
武田邦彦氏が用いたトリックの1つは、比較条件をコッソリと取り替えていることにある。 科学において何かを比較するときは、比較する対象以外の条件を変えないのが基本原則である。 では、この場合、武田邦彦氏は何を比較しようとしているのか。
- 空気を暖めた場合の比較と水を暖めた場合の比較
- 空気と水の温度変化の比較
前者を比較したいなら、温度変化を比較する対象を固定しないといけない。 後者を比較したいなら、暖める対象を固定しないといけない。 武田邦彦氏は、暖める対象と温度変化を比較する対象を同時に変更しているが、これは前者の違いと後者の違いを混同させるトリックである。
温度変化を比較する対象を固定すると、外部との熱のやりとりがなく、かつ、気温と水温の温度差の絶対値が等しいならば、水の方が暖かい場合に「風呂場の空気もあたたかくなる」速度と、空気の方が暖かい場合に風呂場の空気が冷たくなる速度は等しい。 暖める対象を固定すると、暖めた後については、気温は変わりやすく、水温は変わりにくい。 この場合、暖めてから時間が経過すればするほど、気温と水温の差は小さくなっていく。 一方を暖め終わった直後の気温(以下、「初期気温」)をTA、水温(以下、「初期水温」)をTLとすると、外部との熱のやりとりがなく、かつ、「水の熱容量は空気の3,000倍」ならば、気温と水温は双方とも{(3000×TL+TA)÷3001}(以下、「漸近温度」)に近づいていくはずである。
武田邦彦氏が用いたもう1つのトリックは、実測された気温を漸近温度として扱わなければならないのに、初期気温として扱っている点である。 「お風呂場の空気を80℃に暖めても風呂は沸かない」としても、「お風呂場の空気を80℃に暖め」るのを短時間で止めれば、当然、「お風呂場の空気」の熱が風呂水に吸収されて、「お風呂場の空気」の温度は下がる。 つまり、「お風呂場の空気を80℃に暖めても風呂は沸かない」としても「お風呂場の空気」の温度が下がることによって、気温と水温の差は小さくなっていく。 また、「100年、200年スパン」ならば、気温と水温の差がほぼゼロになる時間が十分にあると言って良い。 よって、地球環境において実測される気温は、初期気温ではなく漸近温度であることは説明するまでもないだろう。 それは、世界平均気温(陸域のみ)と世界平均水温のデータを比較すれば明らかな通りである。
以上のとおり、実測された気温を漸近温度と解釈し、正しく計算すれば、気温と水温はほぼ等しくなる。 実測された気温を初期気温だと解釈して熱量を推定するという致命的な誤りを犯すから、「空気が10℃温まっても、それで海を温めようとすると、わずか0.003℃しか温度は上がらない」などのあり得ない計算結果になるのである。 常識がわかる人なら、こんなことを長々と説明するまでもないだろう。
お風呂で判ることだが,「水」と「空気」が一緒にあると,空気の温度は水に近くなる. それは熱容量が3500倍も違うからだ.
「空気の温度は水に近くなる」という考察に到達しておいて、未だ自らの誤りに気づかないとは相当なアレである。 「『水』と『空気』が一緒にあると,空気の温度は水に近くなる」なら、それで気温の温暖化が計測されることは、同様に海水温も温暖化していることを意味する。 たとえば、「空気の温度は水に近くな」った状態で「空気が10℃温まって」いるなら、海水温も10℃近く温まっていないとおかしい。 であれば、当然、気温も海水温もほぼ同じ温度なのだから、「空気が10℃温」めた熱で「それで海を温めようとする」ことはできない。 それなのに、武田邦彦氏は「空気の温度は水に近くな」っていない前提で、「それで海を温めようとする」などと言い出して、「わずか0.003℃しか温度は上がらない」などと論理的に破綻した計算を行なっている。
このような伝熱や熱容量の問題は、大学の物理で出題するなら計算は簡単に手でできる範囲であり、なにもスーパーコンピューターが出場するものではありません。
【理科編】中学校学習指導要領(平成29年告示)解説 P.16,64,65によれば、熱の伝わり方は中学3年で習う内容であり、「大学の物理」が「出場するものではありません」(笑)。 尚、比熱は現在の中学校学習指導要領からは外されている。
地球温暖化の問題は科学的な論理が不整合です。
以上説明したとおり、「科学的な論理が不整合」なのは「地球温暖化の問題」ではなく武田邦彦氏の主張である。
コンピュータ・シミュレーションの初心者なのに何もかも知っているかのように語る
武田邦彦氏は、コンピュータ・シミュレーションの達人であるかのように自称している。 しかし、その説明内容を見る限り、コンピュータ・シミュレーションを使った経験があるというだけの初心者に過ぎない。 コンピュータ・シミュレーション超初心者である武田邦彦氏の誤解にて詳細を解説する。
「『二酸化炭素の排出を減らす』のに努力して、その結果、生物の絶滅を早める」(笑)
地球に生命が誕生したのは「二酸化炭素」という「ご飯」があったからです。 誕生した時の地球の大気はそのほとんどが二酸化炭素でした。 命は二酸化炭素を吸い、太陽の光を浴びて命を作り出し、そしてそれを親から子へと受けつないできました。 小学校の理科で学ぶ「光合成」です。
太陽系が出来る時に金星、地球、火星の大気は同じように二酸化炭素でしたが、地球だけに生命が誕生したので、今でも金星と火星の大気はほとんど二酸化炭素ですが、地球だけは今から200年ほど前、最初の95%から0.028%まで減ってしまったのです。
地球に生命が生まれて37億年。 生物が食べ続けたためについに二酸化炭素は底をつき始め、地球上の生物は数1000万年後には全滅するところでした。
なにしろ生物が食べているものはすべて二酸化炭素から作られているので、食べものがなくなるのですから、絶滅するのは当然です。 ところが、無くなる寸前に人間という生物が誕生し、地下から石油のような「化石資源=大昔の生物の死骸」を掘り出して、それを燃やして再び大気に二酸化炭素を戻し始めたのです。 まさにリサイクルです。
そして200年を経過し、空気中の二酸化炭素は0.04%になりました。 200年で0.012%ほど増えたのです。 そして、これからの100年でも、私たちが一所懸命に二酸化炭素を出せば、005%ぐらいになると考えられています。 まだ生物絶滅の危機はなくなりませんが、かなり良くなってくるのは確かです。
しかし、世界の中で日本だけですが、「二酸化炭素を減らそう」、つまり「早く地上から生命を無くそう」という考えを持った人がいます。 もちろん、地球が誕生した46億年前は生物はいなかったのですから、地球にやさしいという点では生物が絶滅したほうが良いという考えもあります。
でも、せっかく地球に生命が誕生したのですから、私は生物が絶滅するために頑張るという気にはなりません。 「二酸化炭素の排出を減らす」のに努力して、その結果、生物の絶滅を早めるというのは私の考えとは違います。
つまり、「二酸化炭素を出すのは良いことか、悪いことか」というのは「科学」の問題ではなく、「思想」です。 命が大切と思う人はとりあえず二酸化炭素を1%ぐらいまで増やして一息つきたいと思っているでしょうし、生物は早く絶滅した方が良いという人はハイブリッドカーなどを買って早めに絶滅に繋がるようにするでしょう。
もともと生物は「二酸化炭素を食べて(吸って)、炭素を作り、それで体とエネルギーを得る」というものです。 だから人間も本来は自分で二酸化炭素を吸って、それを体の中で炭素にして自分の体を作るのが良いのですが、すでに人間にはその機能は失われています。
そこで、人間は部分的にそれを「補助生物」(家畜のようなもの)で補っています。 もっとも基本的なものが「イネ」、その他に「果物」や「肉」があります。
人間はイネに「二酸化炭素から炭素(米粒)」を頼み、果物にビタミンC(サルの時代に合成能力を失った)、必須アミノ酸、ビタミンなどを肉に頼っています。
この地球上に生物が誕生して以来、37億年も経つのですから、人間は結構、サボり生物で体や生活に必要なものを他の生物に頼っているので、あれを食べなければならない、これも・・・と栄養学が必要となります。
温暖化と言って二酸化炭素を毛嫌いしているのは、自分が生きているのは「二酸化炭素」を原料にして、イネに食べてもらい、それを炭素にしてカラダをつくり、エネルギーを得ているという実感がないからでしょう。
生物が大切なら、二酸化炭素を増やしたほうが良いですし、ちょっとした気温の変化がイヤなら二酸化炭素を減らしてイネにさらに苦労してもらい、最終的には早い時期に地球上の生命を全部、絶やしてしまうことを目的とするのが良いと思います。
地球が誕生した時には二酸化炭素は大気の95%もあり、それが「命の食料」になったので、地球上に生命が誕生し、そして37億年が経過しました。 その間、それは1万分の1より小さな割合でしたが、少しずつ命を失った生物が腐敗することなく、地中や海中に没し、その分だけ二酸化炭素が減少しました。
そして人間が登場したのですが、産業革命の前には一時、0.028%まで下がって、もう少したつと生物のご飯(二酸化炭素)がなくなるところまで来たのですが、そこで人間は地下にうもれていた生物の死骸(石炭)を掘り出して、空気中の酸素と結合させて二酸化炭素を空気中に戻すようになったのです。
そしてさらに、20世紀になって石油を使う産業ができて、さらに二酸化炭素が増えました。 増えたスピードは200年で0.012%、つまり100年で0.006%、今ではとりあえず0.04%にまで戻しました。
とりあえず、生物絶滅の危機は人間が大気中に二酸化炭素を出す事によって避けられる見通しになりましたが、それでも、まだ「二酸化炭素不足」は深刻です。 その一つに「地球は相変わらず氷河時代から抜け出せない」ということがあります。
これはコメントが必要だろうか。 まともな思考能力を持っている人ならポカーンとなってしまうのではないだろうか。
- 「『二酸化炭素』という『ご飯』」がなくなって生物が絶滅するなら、「0.028%まで減ってしまった」時点で絶滅してるだろw
- どうして「イネ」だけ特別扱いなんだw
- 欧米人は米を食べないんだけどw
常識のわかる人なら言うまでもないと思うが、あえて説明しよう。 「最初の95%」の環境では、酸素を消費する動物は生きていけない。 植物が二酸化炭素を酸素に変えることで、動物が生きていけるようになったのである。 現在は、動物が出す二酸化炭素の量と植物が吸収する二酸化炭素の量が釣り合っているので、生物原因での二酸化炭素の濃度の変化はほぼない。 現在の二酸化炭素濃度でも、植物は、水と養分と太陽があればあっという間に育ち、「二酸化炭素不足」による生育不良が生じることはない。 一部地域では砂漠化による植物の減少があるかもしれないが、「二酸化炭素不足」が原因とみられる植物の減少は一度たりとも観測されていない。 つまり、有史以来、「二酸化炭素不足」による「生物絶滅の危機」など一度も発生していないのである。 そして、動植物の増減に応じて二酸化炭素濃度も増減することで地球環境のバランスが維持されるから、今後も「二酸化炭素不足」を原因とする生物絶滅の危険性は全くない。 遠い将来、バイオプラントのよる太陽エネルギーの利用促進が進んだ結果、二酸化炭素濃度が今よりも遥かに低下し、「二酸化炭素不足」で自然植物が絶滅の危機に瀕する…というSF作品は書けるかもしれない。 しかし、現代において、「二酸化炭素不足」を原因とする生物絶滅を危惧する必要は全くない。
「200万平方キロメートル」に「『銀紙(ぎんがみ)』を敷く」「地球を簡単に冷やす方法」(笑)
もっとも簡単なのが,サハラ砂漠に「銀紙(ぎんがみ)」を敷くことだ. つまり砂漠に反射板を敷く。 そうすると地球に入ってきた太陽の光を相当,宇宙にだせる。
では,程度問題を計算してみよう。
北極海の氷が融けると,光が反射せずに地球が暖かくなり,「とんでもないことになる」と温暖化恐怖症の学者が言っている。
夏の北極海の氷は多いときで800万平方キロメートル,それが600万平方キロメートルになっても気温は変わらなかった. この分の氷が融けるととんでもないことになると言う。 つまり,600万平方キロメートルの反射板でも,地球の気温を左右できると言うことだ.
サハラ砂漠は1000万平方キロメートルある. それに熱帯だから,北極海と違って太陽の光もつよい.
太陽のエネルギーは「太陽定数」という数値で示すが,赤道近くの場合,300w/m2で,極地では多めに見ても100だ. つまり,北極海の夏の氷の面積は,サハラ砂漠の200万平方キロメートルに相当する.
そのほか,ゴビ砂漠,アメリカのグレイトベイスンなどが協力するだろうから,反射板を置く場所の総面積は世界で2000万平方キロメートルにはなる.
そこで,200平方キロメートルほどに反射板をつけるとすると,世界の砂漠や荒れ地の面積の,たった10分の1だけ,拝借すればよい。
そのままやると,地球は冷えすぎるだろうから,そんなときは銀紙を巻き上げて,反射を止める。 そうすれば地球の気温は自由自在にコントロールできる。
武田邦彦氏は「程度問題を計算してみよう」と言いながら、資材や労力の程度問題を無視している。 「世界の砂漠や荒れ地の面積」と比べれば「たった10分の1」であっても、「200平方キロメートルほどに反射板をつける」(前後の文脈から「200万平方キロメートル」が正解と思われる)資材や労力は膨大なものになる。 JIS規格で最も薄いアルミ箔は0.006mだが、この規格のアルミ箔で「200万平方キロメートル」に「反射板をつける」のに必要なアルミ材料は、1200万m3となる。 アルミの密度は2.7g/cm3なので、1200万m3のアルミは3240万tである。 アルミ価格が200円/kg前後なので、3240万tのアルミは、約6.48兆円となる。 この量のアルミ材料をアルミ箔に加工する費用も必要である。 アルミ箔は30cm×50m(15m2)で800円前後なので、「200万平方キロメートル」のアルミ箔は約106.7兆円となる。 量産効果を考慮すれば、市販のアルミ箔よりは安くなるだろうが、それでもかなりの高額になることは間違いない。 また、アルミ箔が風で飛ばないような加工も必要である。 加工された「反射板をつける」敷設費用も「200万平方キロメートル」ではかなりの高額になる。 また、雨や砂漠の砂塵等で汚れると反射率が低下するので定期的な清掃が必要となるが、その人件費も「200万平方キロメートル」ではかなりの高額になろう。 さらに、薄いアルミ箔をゴシゴシ擦って清掃したり、強い風に晒されると簡単に破けてしまう。 その補修材料費や手間賃は非常に高額となる。 実用に耐える強度にするため、例えば、1mm厚にすると、アルミ材料だけで1080兆円になる。 工事費や維持費も含めれば京円単位の費用になるだろうが、一体、誰が、その費用を負担するのか。 以上の通り、「程度問題を計算してみ」れば到底「もっとも簡単」などとは言えない。 というか、最低限の数学的・科学的能力があれば、わざわざ計算せずとも直感的に膨大な量になることはわかるのではないか。 「サハラ砂漠に『銀紙(ぎんがみ)』を敷くこと」は子供が考えたフィクションと同程度に荒唐無稽な御伽噺に過ぎない。
全地球規模で「海の深いところから水をくみ上げる」「地球を簡単に冷やす方法」(笑)
もう一つ,簡単な方法を紹介しよう.
お風呂で判ることだが,「水」と「空気」が一緒にあると,空気の温度は水に近くなる. それは熱容量が3500倍も違うからだ.
海のそばでは海の温度になるので,夕方になると冷える。 沖縄の夏は冷房はいらないで,スヤスヤと寝ることができる.
そして,都合の良いことに海の表面が25℃でも少し海水面の下は冷たい. 夏に遠泳していると足がさがると冷たい海水にビックリするものだ.
そこで,海の水を引っかき回す。 海の深い水を表面に上げるのだ. これにはほとんどエネルギーはいらない. 風呂をかき混ぜるエネルギーが,風呂を沸かすよりずっと小さいのは日常的な経験で判る.
そうすると海の表面温度は冷たくなり,特に日本など温暖化とはさよならだ.
海の表面近くの海水温は25℃でも,少し下は20℃,そして500メートルも深くなると5℃程度になる. そして海洋全体の水温は3℃ときわめて低い.
海は循環する。 かつて北極や南極の近くで冷えた海水は比重が重たくなって深く沈む。 それが地球の海洋を作っているから冷たいのだ.
地球全体としては,極地で冷えた海水がグルグル回ってインド洋や太平洋の熱帯地方まで来て浮き上がる。 これも地球の熱の運搬の一つである。
日本近海では,台風でも来て海水をかき混ぜると海水の表面温度は低くなり,台風が来ないと暖かい。 だから,海水面の温度が温暖化によってだけ決まっていると早合点するのは感心しない.
日本のように四面を海で囲まれている国の気温はそれほど上がらないが,温暖化してきたら,少し深い海水をくみ上げてかき混ぜたら,一気に冷たくなるだろう。
あまり心配することはないのだ.地球というのはうまくできている。
武田邦彦氏は「これにはほとんどエネルギーはいらない」と主張するが、その根拠を何も示していない。 水深が1mにも満たない「風呂」に限れば「かき混ぜるエネルギー」が「沸かすよりずっと小さい」としても、「500メートル」の水を入れ替えるには「風呂をかき混ぜるエネルギー」の500倍以上のエネルギーを必要とする。
また、地球規模の温暖化に対して、「風呂」程度の狭い極一部の場所で「少し深い海水をくみ上げてかき混ぜ」た所で焼け石に水である。 「一気に冷たくなる」効果を生み出すためには「少し深い海水をくみ上げてかき混ぜ」る行為を全地球規模で行う必要があり、継続して効果を持続させるためには夏季期間継続して「少し深い海水をくみ上げてかき混ぜ」る必要がある。 風呂の水深を1m、風呂の面積を1㎡、「風呂をかき混ぜる」時間を1分、地球の海洋面積を約36千万㎢、夏季期間を3ヶ月とすれば、全地球規模で夏季期間継続して水深「500メートル」の水を入れ替えるには、単純計算でたった一度「風呂をかき混ぜるエネルギー」の233垓(京の次、10の20乗)倍以上のエネルギーが必要になる。
さらに言えば、「少し深い海水をくみ上げてかき混ぜ」る行為は、自然の平衡状態を崩して大気中の熱を海に吸収させるに過ぎない。
だから、「少し深い海水をくみ上げてかき混ぜ」ることを止めれば、また、自然の平衡状態に戻ってしまうし、「少し深い海水をくみ上げてかき混ぜ」ることを続けても、海水の「熱容量」が有限である以上、効果は頭打ちになる。
深層水は表層水や河川水と比べて年間を通して水温が安定して
海洋深層水と冷房 - 海洋深層水利用学会
いるため、
深層水の温度が外気温度と比べて、夏には低く、冬には高い
海洋深層水と冷房 - 海洋深層水利用学会
。
だから、深層水を利用しても、年間の平均気温を下げることはできないので、地球温暖化対策にはなり得ない。
以上の通り、「海の水を引っかき回す」「海の深い水を表面に上げる」は子供が考えたフィクションと同程度に荒唐無稽な御伽噺に過ぎない。
人工的にかき混ぜる船を沖において作業してもらっても良い. かき混ぜるエネルギーは小さい. これも風呂で日常的に経験している.
海岸にピット(水を貯めるところ)を作り、そこに深層水からのパイプをつないでおく.そこからポンプで海水をくみ上げて都市に舞わず.
300メートルぐらいのところの、いわゆる「深層水」は、水温が10℃ぐらいしかなく、細菌が少なく栄養素(窒素とリン)が多いという生物にとっても望ましい海水である。
深層から海水をくみ上げていったん海岸のピットにあげるのは、そうすると深さに関係なくサイフォンの原理で深いところから海水をくみ上げることができるからだ。
エネルギー的には広い海水面を大気が押す力(大気圧)を利用して深層からあげるエネルギーを節約するという原理だ。
海の深いところから水をくみ上げるので、エネルギーがかかるように思われるが、導水管さえつけておけば自然に海水面とピットの面の高さが一定になるので、ポンプは要らない.
ピットから街の中に回すポンプは必要だが、おおよそ「冷暖房水道」のようなものというイメージだ。
「サイフォンの原理」は、「大気が押す力(大気圧)を利用」するわけではなく、高低差による位置エネルギーを利用するものである。 確かに、大気圧がないと「サイフォンの原理」は成立しないが、大気圧は「サイフォンの原理」の環境条件であって動力源ではない。 「大気が押す力(大気圧)」が動力源にはなり得ない以上、「大気が押す力(大気圧)を利用して」「エネルギーを節約する」ことはできない。 「サイフォンの原理」は、エネルギー保存則に沿った原理であり、エネルギー保存則を破ることはできないのである。 高い所にある水を最終的に低い所に流す場合に限り、高い所にある水が持っていた位置エネルギーを消費することで外部からのエネルギー供給なしに継続的に水を流し続けることができるだけである。
温度が高いほど膨張する液体や気体の場合、外部からエネルギーを加えることなく、高い所にある低温部と低い所にある高温部が入れ替わる対流現象が生じる。 しかし、逆に、高い所にある高温部と低い所にある低温部を入れ替えるには、外部からエネルギーを加える必要がある。 エネルギー保存則が成立し、かつ、「冷えた海水は比重が重たくなって深く沈む」以上、「表面近くの海水温は25℃」の水と「500メートルも深くなると5℃程度になる」水が自然に入れ替わることはない。
- 「比重が重たくなって深く沈む」「冷えた海水」を汲み上げれば、位置エネルギーは増える。
- 同体積の「海水温は25℃」の「表面近くの」海水を同じ高さだけ沈めれば、位置エネルギーは減る
- 質量が大きい前者の方が位置エネルギーの変化量は大きい
両者を入れ替えれば差し引きの位置エネルギーが増えるから、エネルギー保存則に従う限り、その分のエネルギーを外部から補充する必要がある。 また、摩擦抵抗による損失もある。 それらのエネルギー消費を考慮すれば、エネルギー保存則に従う限り、継続して循環させるためには外部から運動エネルギーを補充し続けなければならない。 だから、エネルギー保存則を破らない限り、「ポンプは要らない」などということはあり得ない。 武田邦彦氏は「風呂で日常的に経験している」と主張するが、以下のようなことこそ、我々が「風呂で日常的に経験している」ことであろう。
- 風呂は上部から温まり、上層が熱くても下層は冷たいことがある
- その状態では人為的に縦方向に「かき混ぜ」ないと水温は均一にならない
- 風呂を縦方向に「かき混ぜ」ても時間と共に水流が停止する
だから、「サイフォンの原理」を持ち出しても、外部からのエネルギー供給なしに風呂の水を回し続けることができないように、外部からのエネルギー供給なしに「深いところから海水をくみ上げ」続けることは不可能である。 尚、風呂の「かき混ぜるエネルギーは小さい」のは1㎥にも満たない小さな規模における短時間の作業だからである。 全地球規模で夏季期間継続して「かき混ぜるエネルギー」がたった1度「風呂をかき混ぜるエネルギー」の233垓(京の次、10の20乗)倍以上となることは既に説明した通りである。
アメリカのまねはしたくないが、コーネル大学はすでに深層水だけで冷房している。 海水の水温が安定していることを利用して「冷暖房のいらない街」を作るのはそれほど難しいことではない.
「コーネル大学はすでに深層水だけで冷房している」とは、単に普通の冷房器具よりも省エネになることを示しているだけであり、エネルギーなしの冷却が可能なことを示しているわけではない。 また、局所的かつ断熱された部屋の冷房と地球規模の非断熱の空間の冷房に要するエネルギーの規模は全く違う。 そうしたことを考慮した定量的な評価をしていない以上、地球温暖化対策としての有効性を示しているとは到底言えない。
科学論争の捏造
もともと学問というのは一つの現象について諸説あるのが普通で,よほど,歴史のある学問領域や,決定的な発見があったような場合を別にして,学者の意見が一つになることなど無い.
「学問というのは一つの現象について諸説あるのが普通」ではない。 確固たる結論が導けないことであれば「諸説ある」が、確固たる結論が導けることであれば「学者の意見が一つになる」のである。 地球が温暖化していることと、その原因が人為的であることには確固たる結論が導けるから、当然、「学者の意見が一つになる」。 一方で、人為的原因の寄与度や将来の温暖化の程度については確固たる結論が導けないから「諸説ある」。
先日,ある新聞を読んでいたら,元東大総長が「最近,温暖化に異議を唱える「温暖懐疑派」がいる. とんでもないことだ. 退治するために今,東大の先生と東北大の先生にやっつけてもらうようにしている」という趣旨の発言をしていた.
この先生は,すぐ学者を止めてもらいたい. ナチスと同じ思想だから.
また,どちらが主流であっても,学問は異説を大切にすることに尽きる。 「現在,正しいと思うこと」を認めて,学問というものが成立するはずもない. 現在を「懐疑」してこそ学問である。
この元東大総長がどうしてこんなに変なことを言ったのか知らないが,このような人を東大総長に選ぶ東大教授陣も退陣したらどうだろうか?
学問の世界で「大切」にされる「異説」「懐疑」とは、学問のルールから外れたトンデモな「異説」「懐疑」ではなく、学問のルールに沿った異説・懐疑である。 学問のルールから外れたトンデモな「異説」「懐疑」を排除したからといって、「学問というものが成立するはずもない」ということにはならない。 むしろ、学問のルールから外れたトンデモな「異説」「懐疑」を排除せずして「学問というものが成立するはずもない」。
近年の「温暖懐疑派」は全て疑似科学者であり、また、温暖化論が堅固である現在では疑似科学以外の「温暖懐疑派」が出てくる余地もほぼない。 よって、この「元東大総長」の発言は、疑似科学排除を主張したに過ぎない。 それは、全然「ナチスと同じ思想」ではないし、「変なこと」どころか、科学的には当然の主張である。 むしろ、デタラメばかり吹聴する武田邦彦氏こそ「すぐ学者を止めてもらいたい」。
世界に150もの国があるのに、その中で日本だけが国民のほとんどが温暖化が怖いと思っていて、政府も政策の基本に二酸化炭素をださないことという異常な状態に陥っているのは、度重なるマスコミによる洗脳(放送法に反して、一方の情報だけ故意に流す)ということが直接的な原因ですが、もっと大きいのは、「温暖化が未来のことではなく、過去に帰ることだ」ということを知らないことと思います。
武田邦彦氏の主張とは違い、世界の中で温暖化懐疑論が蔓延っているのは日本と米国くらいである。
子供には利権とか国際的な策謀とは関係なく、科学と思想の真実を教えるべきで、それに対して子供の世代にどのように考えるかは子供の時代の問題です。
この全体像を子供たちに説明して、あとは子供たちが親になった時の判断に任せるというのが教育です。
でも、私たちは子供に「正しいこと」を教える義務があります。
「科学と思想の真実を教えるべき」「子供に『正しいこと』を教える義務」を主張するなら、武田邦彦氏は嘘をつくのをやめるべきだろう。 特定の答えに誘導するための嘘を教えておいて「判断に任せる」というのは教育ではなく詭弁だろう。
寒冷化論
第一の分かれ道は,「温暖化するか,寒冷化するか」であり,大きく言って,地球物理学者は寒冷化するといい,1980年代から力をえたCO2新学説派は温暖化すると言っている。
温暖化する方が主流のように見えるのは,この学説派が気象問題を政治問題化するのに成功したからだ. 学問的に決着がついている話しではない.
「寒冷化する」と主張した「地球物理学者」とやらは極一部の人間であって、その主張は「地球物理学者」の総意ではない。 確かに、太陽活動が弱まるから寒冷化すると予想した「地球物理学者」がいたのは事実だが、現実には、太陽活動が弱まっても観測結果では温暖化が続いており、その「地球物理学者」の予測は完全に外れている。
尚、武田邦彦氏が「ハワイ、日本の南の香港、南鳥島、アンカレッジ、サンフランシスコ」で「この100年あまり、気温が変わっていない」と主張した件については、既に説明した通り、スケール操作により気温上昇が読み取れないようにしただけのトリックである。 そして、武田邦彦氏は「海水温のデータと、沿岸部の気温変化との関係が相互に矛盾している」から気象庁のデータは信用できないと主張したが、その「矛盾」はこのトリックを用いた捏造であった。 地球が温暖化していることは観測事実が明確に示しており、自然原因だけでのシミュレーションでは観測結果と辻褄を合わせることが不可能であることから人為的原因であることもほぼ間違いない。 このように、地球温暖化は科学的にはほぼ決着済みであり、現在では科学的論争はない。 現在でも続いている論争は、疑似科学(懐疑論)と科学(温暖化論)の間の論争であって、科学内部の論争ではない。 素人目に「学問的に決着がついている話しではない」かの「ように見える」ことこそ石油産業等が「気象問題を政治問題化するのに成功したから」である。 以上の詳細は地球温暖化懐疑論に記載している。
もともと,1980年までは「寒冷化」が学問の主流だったから,「温暖化」の方が「寒冷化懐疑派」なのである.
たとえ、「1980年までは『寒冷化』が学問の主流だった」としても、観測結果では温暖化が続いている以上、寒冷化論が間違っていたことは疑う余地がない。
この図は3万年前から現在までの気温の変化を南極の氷で調べたものである. グラフの右,上に30と書いてあるところが3万年前,20とあるのが2万年前だ.
その頃,酸素の同位体から気温を推定すると10℃ぐらい低かったと思われる (酸素同位体の変化はそのものが気温変化ではないが,前の間氷期と現在ではおおよそ10℃程度は違っていると言われている)。
2万年前までは,地球の多くが氷河に覆われていてマンモスが活躍した時期で,人類はアフリカのどこかにひっそりと暮らしていた.
ところが,1万7000年前から気温が上がり始め,1万年前にはとても暖かくなった. 世界中に文明が誕生し,洪水伝説ができたころだ. それからずっと地球は次の寒冷期に向かっている。
グラフの左の方で1万年前にピークを打った後,徐々に気温がさがっている。 これは前の間氷期の時と同じで,やはり今度も,徐々に寒冷化して氷期になるのだろう.
氷期で生きる私たちの子孫はとても辛いことになる. 暖房が必要なだけではなく,なにしろ地表の多くが氷河で覆われるのだから,作物が取れない. 大量な餓死は避けられないだろう。
温暖化を一つひとつ問い直す (3) 寒くなるか,暑くなるか - 武田邦彦
地球という星は太陽から近いので、「冬でも地球上に氷がない」というのが普通で、時に太陽活動や地軸の向きの関係で冷えることがあり、8億年ほど前に第0氷河時代、3億年ほど前に第一氷河時代、そして今は第二氷河時代で、北極や南極、そして高い山の上に万年雪がある時代になりました。
その中で多くの動植物が震えています。人間は「衣服、家、暖房」がありますから、温帯の日本でも住むことができますが、もし他の動物と同じように「衣服なし、家なし、暖房なし」なら多くの人が日本から逃げ出すでしょう。
大きく曲がった政府の政策、温暖化報道、そして小学校の教科書のために、地球の歴史と人間の位置づけを大きく間違え、それがそのまま子供たちに伝わっています。 大人の利権で、これほど学問的な間違いが定着したのも、子供を大切にし、子供にはウソを教えてこなかった日本では初めてのことを思います。
多くの日本人には「温暖化は未来のことではなく、過去に戻ることだ」というのは意外に思われるでしょうし、「二酸化炭素を増やすことこそが人間ができる大きな環境への貢献」とか、「このままいくと地球上の生物が絶滅する」とか、さらには「現在は寒すぎるので、少し温度を上げなければならない」などは真逆に感じられるでしょう。
地球温暖化論が「100年、200年スパン」の話であることは、武田邦彦氏も認めている。 「100年、200年スパン」の話に対して、万年単位の話を持ち出すのは、論点のすり替えである。 確かに、過去、地球が万年単位で気温変動を繰り返してきたのは事実である。 しかし、その気温変動にも要因がある。 何の要因もないのに気温変動したわけではない。 確かに、万年単位では、今後、地球が寒冷化する可能性はある。 しかし、それが今を生きる人たちにとって脅威となるわけではない。
具体的要因(例:現在の温暖化を打ち消すほどの規模の太陽活動の更なる低下を示す兆候がある)と根拠(この例の場合、兆候の根拠と現象がもたらす寒冷化の定量的な根拠の両方が必要)を示して、寒冷化を唱えるなら、それは立派な科学的仮説となろう。 しかし、具体的要因等も示さず、現在の観測事実も無視して、過去の万年単位の気温変動だけを根拠に、「100年、200年スパン」の寒冷化を唱えるなら、それは妄想以外の何物でもない。
ココが知りたい温暖化Q14寒冷期と温暖期の繰り返し - 国立環境研究所地球環境研究センターに解説されているとおり、ミランコヴィッチサイクルで地球が温暖化したり寒冷化したりしているのは事実だが、それによる影響は今から2万年以内は無視できることが分かっている。 「子供にはウソを教えて」いるのは武田邦彦氏であろう。 「真逆」「に感じられる」のではなく、武田邦彦氏の主張が「真逆」なのである。
もしCO2の危険がそれほどでもないなら,もし人間の活動で少し暖かくできるなら,この際,2℃ぐらい温暖化しておけば寒冷化の時期が遅れるので,私たちはせめて子孫に対して良いことができる。
これは「CO2の危険がそれほどでもない」という勝手な仮定に基づいた話に過ぎないので、何も言っていないに等しい。
その他
「3℃あがるとマラリアや西ナイルウィルスが蔓延する」という報告がある. 特にNHKや東大の先生,国立環境研究所が強調している。
IPCCはこれから100年間で3℃,気温が上がると言っている。
東京は,これまでの100年間で3℃,気温が上昇した.
でも,東京は地獄になっていないし,マラリアや西ナイルウィルスの患者はまったく見られない. なぜ,東京にマラリアが蔓延しないのか? それはマラリアの流行の決め手は気温ではないからである.
でも,マラリアなどになると,成田や羽田,それに横浜港から東京へハマダラカが入ってくるので,すでにこれまでの100年間で,東京にマラリアが流行して良いはずである。
「3℃あがる」とは、一体、何時の気温を基準にしているのか。
「『3℃あがるとマラリアや西ナイルウィルスが蔓延する』という報告」が「これまでの100年間」より前のものであれば、既に「3℃,気温が上昇した」にも関わらず「東京は地獄になっていないし,マラリアや西ナイルウィルスの患者はまったく見られない」ことから「マラリアの流行の決め手は気温ではない」という結論を導いてもおかしくはない。
しかし、地球温暖化論が確立したのは1980年代であり、2019年現在、40年も経っていない。
「『3℃あがるとマラリアや西ナイルウィルスが蔓延する』という報告」が地球温暖化論確立後のものであれば、これら事実から「マラリアの流行の決め手は気温ではない」という結論は導けない。
当然、「それに横浜港から東京へハマダラカが入ってくる」ことを理由に「すでにこれまでの100年間で,東京にマラリアが流行して良いはず」という主張も成立しない。
現在、重症の熱帯熱マラリアを媒介するコガタハマダラカは、温暖化が進めば、沖縄本島から、九州南部、四国の太平洋地域まで拡がる
ココが知りたい温暖化Q6日本でもマラリア流行? - 国立環境研究所地球環境研究センター
と予想されているものの、
沖縄の宮古・八重山諸島に分布してい
ココが知りたい温暖化Q6日本でもマラリア流行? - 国立環境研究所地球環境研究センター
るだけで、他の地域ではコガタハマダラカの生息に適した気温ではなく、生息も確認されていない。
なお、ココが知りたい温暖化Q6日本でもマラリア流行? - 国立環境研究所地球環境研究センターによれば、温暖化が進んでも日本でマラリアが流行する可能性が低いことについてだけは正しい。
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