波動性と粒子性の二重性トンデモ解説
最初に
このページは波動性と粒子性の二重性に対して、科学的に明らかに誤ったトンデモ解説を紹介するものである。
よくある誤解
世の中には、射影仮説を不要なものと切り捨てる者が少なくない。 しかし、清水明教授の説明の通り、射影仮説は「実験事実と合致しかつ無矛盾な理論体系になるために必要であるからこそ導入された公理」なのである。
1.量子とは結局何なのか
* 考え方A: ミクロな世界の構成要素~量子は、粒子でもあり、波でもある。 1個、2個と数えられる性質は粒子であり、回折や干渉を引き起こす性質は波である。 電子も、光も、粒子的な性質と波動的な性質の両方を持つ。 マクロな世界の常識では考えられない、この奇妙な性質のことを「粒子と波動の二重性」という。
* 考え方B: ミクロな世界の構成要素~量子は、波である。 ただし複素数の波なのである。 複素数から物理的に意味のある値~実数を取りだす過程において、 複素数の波は1個、2個と数えられる性質を帯びてくる。 この粒子としての性質を帯びることを「量子化」という。
この2つの考え方A,Bのうち、分かりやすいのはどちらでしょうか?
よほどのひねくれ者でない限り、Bを選ぶことと思います。
だいたい「粒子でもあり、波でもある」などといった、ワケのわからん理屈で納得できますか。
ツッコミ所は2点である。
- 量子性は「粒子的な性質」とは違う
- 実験事実と辻褄を合わせた理論の区別がついていない
「1個、2個と数えられる性質」は単なる量子性であって「粒子的な性質」ではない。
- 狭義の粒子性
- 1点に存在する性質
- 広義の粒子性
- 狭義の粒子性+量子性
狭義でも広義でも1点に存在する性質がなければ「粒子的な性質」ではない。 よって、「1個、2個と数えられる性質」を示せても「粒子的な性質」を捨てられる訳ではない。 量子力学の標準理論に反対したアインシュタインも光子の量子化には反対しなかった。 というより、光子の量子化を言い出したのは当のアインシュタインである。 科学者にとって受け入れ難いのは波の量子化ではなく、測定された二つの性質の空間的な不一致である。 粒子性として問題とされるのは、1点に存在する性質であり、それを実現するための射影仮説なのである。
ここで、文章中の粒子はすべて量子と読み替えるとする。 その場合、Aは実験事実で、BはAに辻褄が合うように構築した理論となる。 そして、事実と理論はどちらか一方だけを選択するものではない。 事実があって理論があるのであり、理論があって事実があるのである。 だから、AとBのどちらを選ぶかという問いは馬鹿げている。
だいたい「粒子でもあり、波でもある」の何がどう「ワケのわからん」のか訳が分からない。 実験が示す事実は、事実としてありのまま受け入れれば良いだけである。 二重スリット実験の真相で説明した通り、二重スリット実験では、干渉縞は波のような性質だが、着弾点は粒子のような性質である。 そこにどんなカラクリがあるのか、量子の実態はどのような姿か等を考える必要はない。 ただ、波のような性質と粒子のような性質が測定されることだけを理解すれば良い。 それは受け入れ難い事実かも知れないが、それと理解できるかどうかは別問題である。 未知の部分について判断材料もないのに無理に答えを出そうとするから訳が分からなくなるのではないか。 「粒子=波」などのおかしな発想をしているのではないだろうか。
いっそのこと「波」でいきましょう。そっちの方がずっと簡単だし(笑)。
何よりも、「電子は粒子であるが、波でもある」という言い方が良くない。 これではどのように描像して、どのように取り扱ったらよいのか見当がつかない。 電子は「波である」として入っていくのがよい。 波とは場の振動であり、電子は場で記述される。 後の段階でそれが塊となって粒子となるのである(量子化)
-- 新量子物理学入門 より
これまで一般的だった教え方は不適当であり、電子を波動場として教えるべきである、ということである。
二重性などという言葉は、その意味が数学的に定義されているのでない限り、科学で使うべきではない。
-- 電子は質点か場か より
「波」というのは、場で記述できる、位置と時刻の関数φ(x,t)で表される、という意味です。
一方、粒子とは「時刻tを独立変数とし、位置と呼ばれる関数x(t)で表されるもの」です。
実のところをいうと、電子は場で表すことも、質点で表すこともできます。
しかし、場で表した方が理論が簡単で、質点で表した方が理論が難しい。
それが「波」を推す理由なのです。
量子の波としての性質も粒子としての性質も実験が示している事実である。 「見当がつかない」や「その意味が数学的に定義されているのでない」を理由として実験事実を否定するのは非科学的だ。 実験が示す複数の事実のいずれか一方だけを「理論が簡単」等の口実で「推す」ものではない。
繰り返すが、量子化と「粒子となる」は違う。
何が言いたかったのかというと、量子力学というものは場で統一的に理解できるということです。
これまで歴史的な経緯から、粒子 -> 存在確率 といった解釈が為されてきたのですが、
改めて現代的な視点から見直せば、場から入った方がシンプルであるように思えます。
少なくとも「猫が半分死んでいる」などといった問題で悩む必要が無くなります。
何が分かりやすいと感じるかは人それぞれですが、私は「量子は波」からスタートで良いのではないかと思うのです。
量子力学に詳しい方、いかがでしょうか。
本当の意味での粒子性を無視すれば、「猫が半分死んでいる」などといった問題で悩む必要がないのは当たり前である。 しかし、本当の意味での粒子性を考慮すれば、射影仮説から逃れることは不可能であり、「猫が半分死んでいる」問題が発生する。 ただし、量子測定理論等を根拠にするなら「猫が半分死んでいる」などといった問題で悩む必要がないと言うのは正しい。 しかし、実験事実を無視して問題を解決したと言うのでは、ただのトンデモである。
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