波動関数

前史 

量子力学としては、波動力学より前に、壊れない安定した原子モデルにおける電子の振る舞いを記述するために行列力学が確立している。 可観測量の間の関係を数式で記述しているが、次のような唐突でかつ原理説明のない仮定を置いている。

  • 水素原子の発光および吸収スペクトル等と辻褄を合わせるための量子条件の導入
  • 古典力学との不整合を回避するために電子の軌道の概念を排除

また、そのため、位置や運動量等の可観測量は確率的期待値となり、物理的にどのような現象が起きているのか極めて不明確である。

波動力学 

ルイ・ド・ブロイは、アインシュタインの光量子仮説を元に、粒子にも波動性があるのではないかと考えた。 その後、電子が波動性を示すことは電子線の回折実験で実証された。 アインシュタインの論文を通じてルイ・ド・ブロイの物質波の概念を知ったシュレーディンガーは、その波の振る舞いをシュレーディンガー方程式として定式化し、波動力学を提唱した。 波動力学では、ボーアやゾンマーフェルトの量子条件は、原子核の周りに定在波ができるケースとして説明できる。 シュレーディンガーは、論文「ハイゼンベルグ-ボルン-ヨルダン-の量子力学と私の力学との関係について」において、行列力学と波動力学が数学的に等価であることを証明した。

波動力学は、行列力学のような特殊な制約等にしばられず、古典力学の範囲で量子力学を記述しようとしたものである。 そして、量子の波動性に関する限りでは、古典力学の枠内での記述に成功している。 行列力学の確立に関わったボルンも、論文「衝突過程の量子力学」の中で非周期系(ようするに、原子核の周り以外)で波動力学の優位性を認めている。 さらに、波動力学は、行列力学と比べて、物理的にどのような現象が起きているのかわかりやすい。

シュレーディンガーは、波が物質の実態であるという波動一元論の立場をとり、粒子として観測されるものは一点に凝集した波であって、凝集した状態を持続的に維持可能であるとした。 しかし、ハイゼンベルクの論文「量子論的運動学および力学の直観的内容について」において、凝集した波は時間とともに広がってしまうことが明らかにされている。

そこではシュレーディンガーが光学との違いとして,波束が時間の経過の中で持続的に“凝集”可能であるとした論文3の議論は,エネルギー準位が等間隔に現われる調和振動子ポテンシャルに固有なものであって,自由粒子の場合も含め,一般のポテンシャルの下では波束は時間の経過とともに広がってゆくことが指摘された。 こうして皮肉にもシュレーディンガーが,行列力学に対比して,波動力学の優位性がはっきりされるとした散乱現象において,実は散乱後の波動関数の拡散や回折によって,凝集した安定な粒子像は完全に破壊されることになる。 これはシュレーディンガーの解釈に対する致命的な困難となった。

「シュレーディンガー選集1波動力学論文集」(ISBN-10:4320031245,ISBN-13:978-4320031241,著:田中正・南政次,監修:湯川秀樹)P.7

ボルンは解決策として確率解釈を提唱した。

このような考えに立ってボルンはシュレーディンガーの波動関数を粒子の誘導場(Führungsfeld)と解釈し,前述の散乱実験における散乱粒子の検出を念頭において,φφ*を粒子の存在確率と見なすことがきわめて自然であるとの見解に到達した。

「シュレーディンガー選集1波動力学論文集」(ISBN-10:4320031245,ISBN-13:978-4320031241,著:田中正・南政次,監修:湯川秀樹)P.8

ただし、「波動関数を粒子の誘導場(Führungsfeld)と解釈」することは、波の実在性を否定することにはならない。

Bornによる一番初めのφ関数の確率解釈を要約すれば次のように言うことができる. すなわち,|φ|2dτは体積要素dτの内部にその粒子を見出すことの確率密度の尺度を与えるが,その際粒子は各瞬間にあるきまった位置とあるきまった運動量の両者をもっている一つの質点として古典的な意味で考えられている. つまり, Schrödingerの見解とは対照的に,φは物理系を表すものでもなければ,またその物理的属性を表わすものでもなく,もっぱら後者についてのわれわれの知識を表わすにすぎない.


こうした数々の成功にもかかわらず,Bornの最初の解釈は,電子の回折のような回折現象の説明に適用された場合には惨憺たる失敗に終わることが明らかになった. たとえば,2重スリットの実験では,Bornの最初の解釈の意味するところによれば,両方のスリットを開いたままでスリットの背後の記録用のスクリーン上で感光して黒くなるところは,一方のスリットだけを開いたときに別々に得られる2種類の個々の黒点の重ね合せになるはずだということになる. 実験による事実としては,両方のスリットを開いたままにした時の回折パターン中には全く黒くならない領域が存在し,しかもその同じ領域は一方のスリットだけが開いている場合には黒く濃くなっている,ということになる. この実験事実はまさしくBornの最初の言い方による確率解釈への反証になっている. しかも,この2重スリットの実験は輻射の強度を減少していって,装置全体を一時に通過する粒子(電子,光子等)が1個だけという強度の強さででも実行可能である. そうである以上,数学的な解析から,明らかにそれぞれの粒子に付随しているφ-波は自分自身と干渉しており,この数学的な干渉はスクリーン上でのそれらの粒子の物理的分布によって現実化されている,ということになる. したがって,このφ関数なるものは,もしもそれが古典的意味での粒子に関して言われるものであるとするならば,物理的に実在するあるものでなければならず,単にわれわれの知識の一つの表現に過ぎないものではないはずである. しかし,そうだとすれば先に挙げた五つの困難によってあらゆる解決への試みは打ちくだかれる.

事実、HeisenbergはBornのアイディアをすぐさま受け入れたものの,これらのφ-波がSchrödinger方程式に従って時間と共に発展しかつ空間中を伝搬していくという事実を考えれば,それらを単に一つの数学的仮構とみなすよりはむしろそれらに何らかの種類の物理的実在性を付与することが必要であると考えた. 後年になってHeisenbergの記したところによれば,当時の彼はこういった確率の波を,“Atistorelesの哲学におけるδύναμις[可能性]の概念-後のラテン語の訳語によればpotentiaの概念-の定量的定式化”として理解していたという. Heisenbergはつづけていう“それは,事象は決して専断的なやり方で決定されるのではなく,ある事象が生起する確率ないしは‘傾向’がある種の実在性をもつという考え方である. 物質という厳然たる実在性とアイディアないしはイメージという知的な実在性の中央に実在のある種の中間的な層を考えるというこの考え方は,Atistoreles哲学において決定的な役割を演じる. 現代の量子論においてこの概念は新しい形態をとる:それは定量的には確率として定式化され,数学的に表現可能な自然法則に従うのである.”

「量子力学の哲学 上」(ISBN-10:4314004029,ISBN-13:978-4314004022,著:マックスヤンマー,訳:井上健)P.54-55

二重スリット実験の真相で説明した通り、二重スリット実験では、単一の粒子の持つ波どうしが干渉を起こしている。 このことは、波が単なる存在確率を示す概念に留まらないことを示している。 言い換えると、存在確率という概念が波を作り出しているのではなく、確率規則が波を存在確率と見なす概念なのである。 ようするに、波そのものは存在確率以外の何かなのである。 ただ、波と粒子との関係を論じるときには存在確率にだけ着目しようと言ってるだけなのだ。 もちろん、波動関数がその正体を正確に記述しているとは限らない。 しかし、波動関数はその正体とは全く無関係な記述でもない。

波動力学を一般人にも分かりやすいように説明することは容易である。 しかし、一般人向けの説明は通俗説が多く、適切な説明は非常に少ない。 とくに、波動力学の最も重要な課題である空間的な広がりについてちゃんと説明したものが少ない。 空間的な広がりを持つ波と広がりのない粒子の違いが説明されていないことが多く、それゆえに両者の整合性をどう取るかの課題が明確にされていないことが多い。

また、波動性と粒子性の2つの性質を持つことが不可思議だと説明されることがあるが、これは古典力学の範囲で十分に説明可能なことである。 一般人が不可思議だと思うのは、科学的な理解が足りていないせいである。 量子力学の本当に不可思議な所は、波動性と粒子性の2つの性質を持つことではなく、全ての実験結果と整合させようとすると古典力学の枠内に収まらなくなることである。 古典力学で扱われる現象は、充足理由の法則に従い、かつ、局所的な現象である。 しかし、量子力学では充足理由の法則と局所性を両立させることができない。 そこが量子力学の最も不可思議な所である。

トンデモ論 

波動関数トンデモ解説にまとめる。

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