椋平廣吉氏の地震予知トリック
最初に
これは地震予知のトリックの一例である。
以下に、椋平廣吉氏の地震予知のトリックを暴く。
見破られた葉書トリック
その後、虹と地震の関係を否定する論文がプロの研究者によって出され、椋平がしばしばインチキをおこなっていたことが暴かれると、「椋平虹」はただのニセ科学として世間からも見捨てられた。
「明日朝、地震アル」と"地震予知"した科学少年がいたのをご存知か - 現代ビジネス
三木は再び椋平の元へとおもむき、葉書や電報でなく、虹が観測できた直後に電話で報告してくれないか、と要求した。
だが、椋平はこの要求に耳を貸そうとはせず、その一切を拒絶した。 電話など面倒な事はしない、葉書で証明できているではないか――さっさと証明書にハンコを押せ――。
だが三木の疑心は晴れなかった。 たしかに消印を見れば、地震の前に投函されたことはわかる。 だが、葉書には数日のタイムラグがある。 それならば起こる前に電話で知らせてくれれば、なにかと有用であろうに――。 なにかカラクリがあるのではないか――。
ここで、1人の男が立ち上がった。 「カラクリを見つけるのは学者には難しかろう。それをやるのは我々ジャーナリストの仕事だ」と。
男の名は横山裕道。 のちに毎日新聞科学環境部長、論説委員を務めることとなる、理学部出身の新聞記者だった。
横山は宮津におもむき、新聞記者らしく足で聞き取り調査を行った。 予知葉書を受け取ったという支援者を訪ね、根気よく情報を集めた。
そこで幾つかの事実が浮かび上がることとなる。
届いた葉書の消印は地震の前であるが、葉書が届くのは必ず地震の後であること。 葉書が届く前に、付近で椋平の姿が目撃されていること。 時には葉書が届く前に椋平自身が訪ねてきて「葉書は届いていないか?」と家人に直接聞く。 家人がポストを確認してみると、的中葉書が届いている。 郵便配達が来る時間でもないのに、だ。
これは、とても怪しい。 横山は何かあると睨んだ。
そして、届いた葉書をじっくり――注意深く観察してみて、ふとあることに気がついた。
葉書の宛先の部分だ。そこにうっすらと消した痕跡が認められた。
この発見により、点と線が繋がった。
椋平は鉛筆などを宛名書きに使用し、自分宛に毎週ないしもっと短い期間で定期的に葉書を出していた。 そして、新聞などで大きな地震を知ると、その日付けの前日、前々日あたりの葉書を取り出してきて宛先を書き換え、自分で直接届けていたのだ。 と。
椋平は虹を見たか――地震予知に捧げた人生 - オカルト・クロニクル
まず、予言は必ず葉書で送られてきたこと。 それも地震発生の後ばかりだった。 京大の地震学者であった三木晴男は「椋平虹を観測したら、その時点で電話をするよう」説得したものの、椋平は最後までそれを拒んだことも疑念を深める結果となった。
ただ、いくら疑念が深まっても葉書の消印が前日であることには間違いなく、地震予知はされていたというアリバイの根拠となっていたのだが、そのトリックを一人の新聞記者が見抜いたのである。
その名は横山裕道。 のちに毎日新聞の論説委員を務めた人物である。
彼は椋平が出した葉書を詳細に調べ上げたところ、宛先が一度消されていることに気がついたのである。 つまり、椋平は自分宛てに鉛筆で書いた葉書を出して、それが戻ってくると宛名を消し、大きな地震の発生を知るたびに、研究者の宛名と予知を書いて、おそらくその本人の郵便受けなどに自ら投函していたものと思われる。
これは言い訳しようもない。
気象学者の根本順吉は、やはり何かあったのではないか、という。 「初めは何かを見つけたと思うんです。ところが、初め見つけたやつが当たり出すと、こんどは『当てなきゃいけなくなる』。最初は何かあったんだ。きっとね」
たしかに、有名になって以後の椋平は『予知的中』にこだわっていた様子がうかがえる。好意的に捉えれば、インチキを行ってでも、信憑性を担保したい――そんな気持ちがあったのかも知れない。
本当に「何かを見つけた」たなら、その「何か」に基づいて「予知的中」をさせれば、「信憑性を担保」することは十分に可能である。 伊豆地震を1時間以内の高精度で的中させたことがトリックでもマグレでもないなら、「インチキを行」う必要性が全く成立していない。 であれば、いくら「好意的に捉え」ても「インチキを行っ」たことへの言い訳にはならない。
尚、「気象学者の根本順吉」氏がどのような人物かは、CO2発生気温原因説を唱える槌田敦氏が似非科学者の証拠を参照のこと。
的中率
昭和2年1月より昭和17年12月までについて
顕著地震 238回の中59回 25%
梢顕著地震 411回の中76回 18%
椋平氏は100%の適中率に近いというが,事実は上の通りである.
椋平氏の記録では上記の期間で1048回予報した事になっているが,その分類をすると
微震 132
弱震 675
梢強震 149
強震 87
烈震 5
これを読み解くためには用語定義を知る必要がある。
- やや顕著地震
- 最大有感距離が200km以上300km未満(1977年まで)
- 顕著地震
- 最大有感距離が300km以上(1977年まで)
- 微震(昭和24年)
- 震度1
- 軽震(昭和24年)
- 震度2
- 弱震(昭和24年)
- 震度3
- 中震(昭和24年)
- 震度4
- 強震(昭和24年)
- 震度5
- 烈震(昭和24年)
- 震度6
- 激震(昭和24年)
- 震度7
「気象庁震度階の変遷と震度階級関連解説表の比較」 - 気象庁P.2,3
ようするに、顕著地震や梢顕著地震は最大有感距離によって定義されている用語なので、地震の規模等とは必ずしも一致しない。 「1048回予報」のほとんどは弱震(震度3)以下で強震(震度5)以上は極めて少ない。 震度別の的中率が記載されていないので、規模の大きい「予報」がどれだけが的中したのか定かではない。
地震予知のトリックに記載した通り、地震大国である日本では、各地で頻繁に地震が発生しているので、時期と範囲と規模を広めに設定すれば中小規模の地震の25%の的中率は予知なしでも十分に実現可能な数値である。 次の2つの条件を両立すれば25%の的中率は極めて実現困難であるが、予知の内容がその条件を両立していたことを示す証拠はない。
- 規模の大きい地震の「予報」
- 時期と範囲と規模をかなり細かく限定する
筆者は昭和22年8月に天橋立附近に椋平氏を訪門し,24年間の椋平虹観測の記録を全部うつし,1年余かかって調査した結果,椋平虹が地震とは直接的関係のない事を証明する証拠を得た. 又椋平氏と筆者が同時に椋平虹を観測して,それが大地震に伴う発光現象と全く関係のない大気象現象にすぎない事を実証し得た.
気圧の急激な変化と小さい地震との間には相当の相関がある事は多くの資料ですでに認められているが,椋平虹と気圧配置とも大いに関係があるので,椋平虹と地震の何%とかはこのための相関があり得る. 椋平虹の形の特殊なものと震央の間にも場合によっては相関がある。 故に前記の如く椋平氏の予報の大半即ち78%が小さい地震である事もうなづかれる. 多くの顕著地震が全く彼の記録には記載されていないのである. 椋平虹が直接には地震と何の関係もない故にそれは当然の事と筆者は考えている.
宮本貞夫氏は、「気圧の急激な変化と小さい地震との間には相当の相関」も、弱い地震の的中率と関係があるとしている。 何れにせよ、規模の大きい「予報」で、かつ、時期と範囲と規模をかなり限定したものでなければ、25%の的中率は予知なしでも十分に実現可能な数値である。
真面目に検証した科学者たち
陰謀論者には、科学界で黙殺あるいは抹殺されたと主張する者もいる。 しかし、実際には、真面目に検証された結果として、否定されただけに過ぎない。
宮本貞夫は否定的な論文を発表した際、こう呟いた。 「1人の男が人生をかけて、こつこつと40年近くやってきた研究を否定するには7年かかりました」
「良くも知らないで一方的に評して良いものか。果たしてこれが科学者として正しい立場なのか」 椋平虹を追いかけた最後の科学者である三木晴男は、そう自分に問いかけ、椋平にそっぽを向かれたあとも撮影機材に予算を投入し、様々な角度から椋平虹を証明ないし解明しようとした。 そして三木自身は最後まで世間の笑いの種になった椋平研究を嘲笑することはなく、晩年、こんな事を言った。 「結局何にもならなんだ、いうことですけどね。だけど、研究ってそんなモンです。だから上手くいかなかったからって、恥じゃないと思います。それ専門の学者が笑うべき事ではない」
一方の藤原“先生”咲平は、オカルトにも寛容だったようで、例の『千里眼実験』にも一科学者として参加している。 科学者も十人十色である。
尚、「上手くいかなかったからって、恥じゃないと思います」とは、椋平廣吉氏の研究のことではなく、それを検証し続けた三木晴男氏の行為を指しているものと思われる。
電報は本物か?
以下のいずれかであればトリックではないと証明できる。
- 電信局(送信局および受信局)に地震発生前に発信された記録が残っている
- 地震発生よりも先に電報が届いたことが確実に証明できる
しかし、電信局の記録とは照合されていないようである。 また、この電報が届いた日時については明確ではない。
椋平の名を世に知らしめたのが、1930年11月26日早朝に発生した北伊豆地震(M7.3)だ。驚くべきことに、彼はその前日25日のうちに、「アスアサ四ジ イヅ ジシンアル」という電報を京都帝国大学理学部長に宛てて送っていたのだ。
「明日朝、地震アル」と"地震予知"した科学少年がいたのをご存知か - 現代ビジネス
この椋平青年から京都帝国大学の石野友吉博士に一本の電報が届いた。
「アス アサ イヅ 四ジ ジシンアル ムクヒラ」
それは昭和5年11月26日午前8時のことだった。
この電報が発信されたのは、京都天橋立局。発信日時は11月25日午後0時25分となっている。着信されたのは同0時50分であった。
1930年(昭和5年)11月26日朝8時。 京都帝國大学の理学部部長、石野友吉博士は前日に用務員から受け取っていた電報をまじまじと観察した。
『アス アサ イヅ 四ジ ジシンアル ムクヒラ』
発信局、天橋立局。発信日時は前日の11月25日。 発信時刻は午後0時25分、着信時刻、同日午後0時50分とある。
調べようにも情報はマチマチであり、配達日時について検証が為された様子は見られない。 もしも、地震発生よりも後に配達されたならば、何らかの方法で消印入の用紙を手に入れ、カナタイプライターで内容を打ち、自ら電信局員に成りすまして配達すれば、このトリックは実現可能である。 消印入の用紙をどうやって手に入れるのかと主張する者もいるだろうが、次のような状況ではトリックの詳細な手口を暴く必要はなかろう。
- 十分な否定的状況証拠
- 肯定的証明の不十分さ
もしも、トリックの具体的手口が見破られなければ真実の証明が揺るがないのであれば、手品師は容易に超能力者になれてしまう(参考:超能力に目覚めたと言い張る人(がい子くじん) - twitter)。 例えば、電信局内に協力者がいたとしても、その協力者が誰なのか分からないと調査しようがないし、証拠を隠滅されると証明のしようがない。 トリックであると疑う理由が明確にある場合に、トリックを暴く側にトリックの詳細な手口を突き止めることを求めるのは悪魔の証明であろう。 だから、トリックではないと主張する側に、トリックでは実現不可能であることを証明する責任がある。 そして、「椋平廣吉氏の予知の可能性を否定できない」と主張するなら、同じ理屈でトリックの可能性も否定できないはずである。 証拠も示さずにトリックなどあり得ないと頭ごなしに決めつけるなら、それは「椋平廣吉氏の予知の可能性を否定できない」との主張を自ら否定することに等しい。
例えば、ここで、私がテーブルに置いてあったコップに手を添えて上に移動させたとする。 このとき、私は「手は添えているだけで超能力でコップを浮かせているのです」と主張したら、貴方はどう反応するか。 もしも、「超能力だと言うなら手を離せ」と指摘されれば、「超能力に必要なエネルギーの伝送のために手を添える必要があります」と回答する。 ここで、手を添えている事実をもってインチキと認定するなら、同様の理由(トリックを使っている証拠はなくても、トリックでも実現可能なことは奇跡とは認めない)で、伊豆地震の電報もインチキと認定すべきだろう。 もっと詳細に検証しないと超能力だとは言えないと主張するなら、同様の理由で伊豆地震の電報もトリックの可能性を検証すべきだろう。 それなのに、どうして、伊豆地震の電報については十分な検証もなしにトリックではないと決めつけられるのか。
椋平廣吉氏は、地震前に届く方法での予知を頑なに拒否し、何度も、消印済葉書を用いた日時トリックで予知を捏造した。 その態度の不誠実さ、および、予知精度とトリックを行う動機の間の致命的矛盾は、トリックであると疑う理由として十分だろう。 伊豆地震を1時間以内の高精度で的中させたことがトリックでもマグレでもないなら、同じ方法で真っ当な予知を行えば良いのであり、トリックを行う必要がない。 つまり、トリックを行う必要があったなら、伊豆地震のような“予知”を再現できない、すなわち、予知方法が確立されていないことを示唆している。 予知方法が確立されていないということは、トリックやマグレでもなければ予知が的中しないということである。 さらに、電報については、電信局の記録と照合されておらず、配達日時も検証されていないのだから、トリックではないことが全く証明されていない。 もしも、電報が本物であるなら、予知精度と葉書トリックを行う動機の間の致命的矛盾が解消できない。 しかし、電報がトリックであるなら、詳細な手口の一部に不明な点が生じるだけであって、何ら矛盾は生じない。 以上踏まえれば、この状況で電報だけが本物だと考える理由は何もない。 矛盾の少ない方を選ぶなら、電報がトリックであると考える以外の選択肢はあり得ない。
刑事事件ならば疑わしきは罰せずであるが、科学の世界では証明されない物事は真実とは認められない。 だから、トリックの疑いが極めて強固である以上、この電報は何の証拠にもならない。
もちろん、証明すべきは地震予知の真偽であって、この電報が本物であるかどうかは傍論にすぎない。 本当にトリックでもマグレでもないなら、疑いを挟む余地のない方法で予知を的中させれば良い。 疑いを挟む余地のない方法での予知を一度も的中させていない以上、論外と言う他ない。
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