「かもしれない」論法
「かも知れない」の蓋然性
疑似科学やトンデモでは「〜かも知れないじゃないか」という論法がよく使われる。 しかし、そう主張する者は、大抵、「かも知れない」の蓋然性を無視する。
- ほとんど夢物語に近いけど全くないとも言い切れない程度の「かも知れない」
- まず間違いないけど絶対に正しいとも言い切れない程度の「かも知れない」
どちらも「かも知れない」であるが、蓋然性が全く違う。 例えば、隕石が頭に当たって死ぬ「かも知れない」可能性を真面目に検討しろと言う人はただの偏執狂でしかない。 これを書いている時点で、大気圏に突入した隕石で事前に発見されたのは、2008年にスーダン上空で爆発した2008 TC3だけであり、これは大気圏突入のわずか20時間前に発見されている。 以下のいずれの隕石も事前に発見されていなかった。
- 1908年にロシアのツングースカ川上空で爆発(TNT火薬5Mt相当、M7.5以上)した隕石
- 1954年にアラバマ州に落下し家屋内の1人が負傷した隕石
- 1992年に島根県八束郡美保関町の2階建て民家の屋根を直撃して床下にまで達した隕石
- 2013年にチェリャビンスク州に落下して1491人が負傷した隕石
よって、現在の科学技術では、隕石が頭に当たって死ぬ「かもしれない」ことを完全に解消することは不可能である。 死ぬ「かもしれない」ことを完全に解消するべきだと言い出したら、外出は一切できない。 というか、屋内に居ても安全性は完全に保証できないから、シェルターにでも篭るべきだろう。 このように、夢物語を真面目に検討しろと言いだしたら、何もできなくなる。 そのような夢物語に近い「かもしれない」は、気にしないのが現実的な対処法となる。 一般論で言えば、被害の大きさと確率の積が一定以下なら受容するのが、世界的なリスク管理の潮流である。 例えば、地球近傍天体については、トリノスケールやパレルモスケールという指標が用いられる。
証明責任
疑似科学者やトンデモ論者が「かも知れない」論法を使うのは、次のような勘違いをしているからであろう。
- 自分たちは証拠も何も示さずに「かも知れない」とだけ言えばいい
- 反論者は証拠を示して可能性が全くないことを証明しなければならない
しかし、それは悪魔の証明と呼ばれる詭弁手法である。 科学の必須条件を満たすためには、次のようでなければならない。
- 提唱者や支持者が検討に値することを示す証拠を提示しなければならない
- 証拠不十分なら反論者は証拠が不足していることを示せばよい
- 極めて低い蓋然性の例
- 外を歩いている最中に隕石が頭に当たって死ぬことは、過去の実績に照らしてほぼあり得ない。しかし、まったくないとも断言はできない。
- 検討に値する程度の蓋然性の例
- 新たに見つかった地球近傍天体の軌道を概算で計算すると、地球との衝突確率が数%だった。
- 極めて高い蓋然性の例
- 地球近傍天体の軌道を詳細に検証すると、地球との衝突確率が95%だった。
疑似科学者やトンデモ論者は、夢物語を提示して、それを否定するなら科学者たちが証拠を示すべきだと主張する。 しかし、何故、科学者たちがそんな無駄なことに手間を割かなければならないのか。 検討に値する仮説でさえ山のようにあり、科学者たちはその検証に忙しい。 それなのに、検討に値する仮説の検証を後回しにしてまで、夢物語をまじめに調べろと言うのは身勝手すぎる。 科学者たちに真面目に調べて欲しいなら、自らが証拠を示すべきである。 持論が正しい証拠までは出せずとも、検討に値する仮説である証拠は自ら示さなければならない。 それが科学の必須条件である。
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