当サイトの科学項目の目的
科学の定義
科学と疑似科学の違い、科学の条件を論じるにあたっては反証可能性だけがクローズアップされることが多い。 しかし、それは二次的な条件に過ぎない。
さて、科学的に正しいかどうかはどのように検証するのか。 例えば、干渉縞が生じれば波動性の証拠だと言われる。 しかし、干渉縞が生じれば本当に波動性が証明されるのか。 波動性以外が原因で干渉縞が生じる可能性がないことを証明することは、悪魔の証明である。 だから、次の2つの両方を満足する限り、科学では暫定的に正しい理論として扱う。
- 既存の現象を説明できる唯一の理論であること
- 既存の現象(多数の追試で正しさが実証された実験結果)と矛盾しないこと
宗教やオカルトは、後者を満たすことを要求しても、前者を満たすことを要求しない。 宗教においては、神の存在なしに既存の現象が全て説明できたとしても、神の存在を否定できない。 故に、宗教は科学的な正しさを実証できない。 もちろん、宗教は科学的に間違っているとも実証できない。 宗教は科学では扱えない領域なのである。
一方で、科学では、後者を満たすことは必須であるが、前者は正しさの確定条件に過ぎない。 必ずしも、全ての理論が前者を満たせるわけではないが、その場合は並立する仮説として扱う。 既存の現象を説明できる理論が2つあり、かつ、それらが実質的に等価な理論であれば、どちらも正しいことはあり得る。 しかし、それらが実質的に等価な理論ではないならば、その2つはどちらかが正しくてどちらかが間違っていると考えられる。 どちらが正しいか実証されるまでは、それらは科学的に並立する仮説として扱う。 重要なことは既存の現象を説明するために必要であるかどうかである。 現象を説明するうえで必要でない理論は、100%空想の産物に過ぎないフィクションであるから、科学とは呼べない。 逆に、必要性が満足されるなら、唯一の理論でなくても良い。 正しいと言うためには唯一の理論である必要があるが、科学的と言うためには唯一の理論であることまでは求められない。 このように、科学であることは、必ずしも、正しいことを必須とはしない。 しかし、言うまでもなく、科学は正しさを追求する手段として用いられるものである。 だから、提唱時点で既に間違っていることが明らかなものや、真偽を追求しないものは科学とは言えない。 以上踏まえると、科学であるためには、次の2つの両方を満足しなければならない。
- 提唱時点における既存の現象を説明するために必要であること
- 提唱時点における既存の現象(多数の追試で正しさが実証された実験結果)と矛盾しないこと(提唱後に否定的実験結果が確定したものは含まない)
また、科学に限らず、学問には、公表と反証の手続きも重要である。 まず、専門家の査読を経て専門誌に論文を掲載されることが第一関門である。 そして、世界中の専門家の目に留まって検証されることになる。 もしも、専門家が全く見向きもしなかったとしたら、それは、取るに足りない理論であることを示している。 価値のある画期的な発見であれば、多くの専門家たちが意見を述べるだろうし、多くの専門家たちによって追試も行われる。 そうした考え得る全ての反証を乗り越えて生き残った理論だけが学問の世界では正しい理論として扱われる。
以上の標準的手順を避ける代物は、その手順をパスできないと自ら宣言しているに等しい。 つまり、専門誌に掲載しないうちに、“画期的大”発見を記者会見等の一般向けメディアで大体的に発表するのであれば、それは科学とは呼べない。 それは、専門家のチェックを通過できない代物を、何も知らない素人向けに情報発信する行為であり、素人の無知を悪用したインチキ手法である。
以上まとめると、科学であるためには、次の全ての条件を満足する必要がある。
- 提唱時点における既存の現象を説明するために必要であること
- 提唱時点における既存の現象(多数の追試で正しさが実証された実験結果)と矛盾しないこと(提唱後に否定的実験結果が確定したものは含まない)
- 科学的手順を踏んで発表されること(査読を経て専門誌に掲載されたわけではない“画期的”新説を一般人向けに発表しないこと)
これら全ての条件を満足することが、科学的な反証可能性を担保する。 だから、反証可能性がクローズアップされるのである。
尚、ここで言う反証可能性は技術的に反証できる可能性ではないことに注意する必要がある。 証拠に基づいて確立された従来理論を暫定的に支持する一方で、それを覆す明確かつ十分な証拠が揃えば従来理論を放棄することも厭わない姿勢こそが反証可能性の本質である。 一方で、宗教やオカルトおよび疑似科学は結論が先にあり、その結論を覆すことを一切認めない。 科学とそれ以外では、従来理論と矛盾する証拠が出てきた場合の態度が決定的に違う。
宗教やオカルトおよび疑似科学では、自分たちの信じる結論を否定しないという絶対的方針が先に決まっている。 宗教やオカルトおよび疑似科学では、全く隙のない完璧な新証拠が提示されても、自分たちの信じる結論の誤りを認めることは決してない。 もちろん、新証拠に誤りがあれば、そこを指摘する。 逆に、宗教やオカルトおよび疑似科学では、新証拠に誤りがなくても、自分たちの信じる結論を頑なに維持する。 その方法の一つは、コジツケである。 そのコジツケが客観的に新証拠の信憑性には到底敵わない苦しいものだったとしても一向に構わない。 何かを信じる者にとっては、それが真実である可能性が極めて低いことは何ら問題にはならない。 彼らにとっては、それが真実である可能性がゼロではない限り、それは彼らにとっては真実なのである。 もう一つの方法は、新証拠を闇に葬り去ることである。 矛盾する証拠など存在しない、ということにしておけば自分たちの信じる結論を否定する必要はなくなる。
一方、科学では、新証拠に対する態度は中立である。 もちろん、科学においても、たった1つの新証拠にのみ基づいて確立された従来理論を放棄することはしない。 なぜなら、確立された従来理論は、それを支持するだけの十分な証拠があり、これまでそれを覆す証拠がなかったという極めて堅固なものだからである。 だから、新証拠を徹底的に吟味し、その新証拠が誤りであることが分かれば、従来理論は覆らない。 しかし、科学では、新証拠に何ら誤りが発見できず、かつ、多数の追試が悉く新証拠を裏付ける場合は、従来理論の誤りを素直に認める。
以上まとめると、反証可能性とは、技術的に反証できるかどうかではなく、反証を受け入れる余地があるかないかである。
- 持論に都合が良い新発見は無条件に受け入れるが、何があっても反証は一切受け入れない
- 反証であるか否かに関わらず、無批判に受け入れることはしないが、無条件に拒絶することもしない(内容の妥当性を客観的に検証したうえで真偽を判断する)
前者は反証可能性がなく、後者は反証可能性がある。 だからこそ、反証可能性には先の3つの条件が必須となる。 以上の理由により、3つの何れかの条件に当てはまらないものは疑似科学やトンデモと呼ばれても仕方なかろう。 ただし、宗教であって科学批判を伴わないものは疑似科学やトンデモに含めない。 また、根本的な誤りに該当しないウッカリミスによるものも疑似科学やトンデモに含めない。 当然、まともに学ぼうともせずに科学的条件を満たさない理論を“標準理論”だと主張したうえで、その標準理論モドキを肯定もしくは本物の標準理論を否定することは疑う余地のない疑似科学あるいはトンデモである。 前者の標準理論モドキ肯定は量子力学分野に言及する素人に多く見られ、後者の標準理論否定は相対性理論分野に言及する素人に多く見られる。
科学啓蒙の必要性
ネット上には、物理学者の大多数が次のような代物を支持しているかのような標準理論モドキが非常に多いが、その社会への悪影響を考慮すれば到底看過できない。
- 実験結果と矛盾する理論
- 必然性のない珍説
このサイトでは、標準理論モドキの社会的悪影響を鑑み、根拠を示したうえで、科学の条件を満たさない代物を大多数の物理学者が支持しているわけではない事実を明らかにしたい。
言うまでもないとは思うが、このサイトでは、一見すると突拍子も無いように見えることや到底信じ難いことであっても、科学の条件を満足するものは否定しない。 むしろ、科学の条件を満足するものは積極的に紹介したい。 このサイトで否定するものは科学の条件を満足しない代物だけである。
宗教
宗教的な書物に書かれている内容は神の営みを人間の視点でまとめたものである。 神は間違いを犯さなくても、人間は間違いを犯すから、宗教的な書物に書かれている内容が神の営みを正しく記述しているとは限らない。 と考えれば、宗教と科学の矛盾は回避できる。 例えば、科学的に判明しているいくつか事実は、キリスト教の聖書や福音書に書かれた内容と致命的に矛盾する。 しかし、これは聖書等を記述した人間の誤りだとすれば、科学的に判明している事実と神の営みの間の矛盾を回避できる。 人間には神の営みを完全には理解できないため、宗教的な書物は比喩的な解釈で記述されていると考えても良い。 キリスト教は、キリストの死後(キリストが神であれば人間という形態における形式上の死にすぎないが、ここで論じるべき論点ではない)に生まれた宗教であるので、キリスト自身は聖書等を記述していない。 そして、天地創造など人間が直接観察した事実ではない又聞きの記述もあるのだから、それらが全て神の営みを正確に記述しているとは限らない。 イスラム教だってアラー自身が宗教的な書物を記述したわけではないのだから、同様のことが言える。 一般に、真っ当な宗教は、科学との対立を避ける。
一方で、宗教的な書物と科学との相違点を「科学の間違い」だとする極論主義者も存在する。 その最たる物が「創造科学」である。 「創造科学」を支持する者は、進化論等の科学理論を誤って理解したうえで、進化論を攻撃する。 米国では、「創造科学」を学校教育に持ち込もうとしたことに関するいくつかの裁判では、いずれも、「創造科学」は科学ではない宗教だと認定された。 そこで、宗教色を薄めたインテリジェント・デザインが登場した。 しかし、やはり、進化論等の科学理論を誤って理解している点は変わらない。
科学は宗教を否定しない。 しかし、「創造科学」やインテリジェント・デザインは、宗教の枠を逸脱した疑似科学であり、これらは科学によって否定される。 宗教が正しいかどうかは別として、宗教的な書物に記述された内容が全て正確な真実を示していると考えるのは危険な盲信である。 そのような盲信は科学とは相容れない。
道徳
道徳教育を理由に疑似科学を正当化しようとする人たちが存在する。 彼らは、道徳教育に「水からの伝言」やインテリジェント・デザイン等を利用する。 しかし、嘘を教えることは道徳に反しないのか。 科学ではないものを科学だと教えるなら、その教える内容は紛れもない嘘である。 言うまでもなく、道徳を教えるなら、当然、教える側も道徳に反しない模範的な行動を取るべきだろう。 道徳を教える側が率先して道徳に反する嘘をつくなど論外である。 教えられた側が、道徳教育の内容が嘘だと知ったらどうなるか考えてみると良い。 それは「嘘をつくことは道徳に反しない」というメッセージと受け止められるだろう。 疑似科学に頼らなければならない状況は、教える側に道徳教育を行う能力が不足しているからである。 それならば、自分たちの教える能力を高めるべきであって、道徳教育のために非道徳な行為を行うのは本末転倒である。
証拠の見方
査読済み論文において、査読者からお墨付きがあることは査読済み論文に書いてあることだけである。 疑似科学やトンデモの世界では、論文に書いてないことを論文に書いてあると主張していることがあるので注意が必要である。
また、査読では、論文に嘘が書かれていない前提で、その理論が科学的条件を満足していることにお墨付きを貰うのであって、その理論が正しいというお墨付きを貰うわけではない。 尚、論文に嘘が書かれている場合、その嘘の自己矛盾を見出せない場合、査読者がその嘘を見抜けないことがある。 STAP細胞論文捏造事件などは、その典型例である。 査読者が嘘を見抜けないことは、何ら問題ではない。 常識で考えて、画期的な新発見で嘘をついても、追試等が行われれば簡単にバレてしまう。 STAP細胞論文捏造事件でも、嘘はすぐにバレている。 このように、新理論として確立する前に真偽が判明するのだから、査読段階で嘘を見破れないことは大した問題ではない。
尚、査読済み論文にジョークが書かれていることもあるので、実験結果等から導かれない唐突な結論については本気なのか冗談なのかを見極めることが重要である。 もちろん、その分野に精通している人間ならジョークであることが見抜けるという前提で書かれており、他人を騙す意図で書かれているわけではない。 そして、査読者も面白いジョークだな、くらいに考えてわざわざ修正しろと指示しない。 しかし、その分野に精通していない人間は、そのジョークを本気だ受け止めてしまう危険性がある。
さらに言うと、専門誌を装いながら、持論を擁護する目的の手前味噌な代物(特定の人物が提唱した個別の新療法の“学会”誌等、1つの理論のみを扱って、同一分野の別の理論を対象外とする雑誌は限りなく怪しい)だったり、客観的には専門家とは到底呼べない者(UFO研究家等、何ら学問的実績を残さずに本人が自称しただけで“専門”家となれる場合、もしくは、その自称“専門”家のみから実績認定されただけで“専門”家となれる場合は限りなく怪しい)が査読している偽装“専門”誌もあるので注意が必要である。
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