準備電位と自由意志
ベンジャミン・リベットの研究
ベンジャミン・リベットが、人間の行動と脳の準備電位の関係を研究している。 この研究結果が自由意志を否定する証拠とする人がいるが、その主張は次の2つの事項から生じている。
- 無意識は自由意志でないという独自の用語定義
- 意志決定の自覚を知らせる動作が完了したタイミングを意志決定のタイミングだと決め付けることによる早まった考察
つまり、この2つのいずれかが否定されれば、自由意志を否定する証拠にはならない。
無意識と有意識
言葉の定義の上では、意識的な(以下、「有意識の」)行動のみが自由意志に基づいており、無意識の行動は自由意志に基づいていないという定義も可能である。 しかし、有意識と無意識の一方のみを自由意志として、他方を自由意識ではないと定義することは、非常に奇妙な定義である。 何故なら、両者は表裏一体のものであるからである。
まず、無意識は有意識に一定の影響を及ぼす。 例えば、食欲は無意識に感じるものであるが、これに基づいて意識的に食事をすることは良くあることである。 もちろん、無意識に対して意識的に逆らうことはあるが、その場合も、何らかの理由がある。 ダイエット、道徳、精神修行などなど。 言い替えると、理由もなしに無意識に逆らう人はいない。
逆に、有意識も無意識に影響を与える。 意識的に何度も行動していることは、習慣化されれば、無意識下の行動に学習結果として反映される。 本能的な感情に反することは容易ではないが、尋常ならざる程の反復を行えば、無意識下の行動に反映させることは不可能ではない。 また、意識的な思考は、本能的な感情に影響を与えることもある。 例えば、ある人に嫌悪感を感じていたのに、それが好意にすり替わってしまうことすらある。 嫌悪感の原因となるその人の行動の裏にある理由を知り、それが、納得できるものであった場合、嫌悪感が薄れることは良くあることである。 ただの納得にとどまらず、共感にまで至ったなら、それまでの嫌悪感が逆転し、好意に変わることすらある。 また、ある人に恐怖感を感じていたのに、その恐怖感がなくなってしまうこともある。 自分に危害を加える人が居て、その人がどのような場合に自分に危害を加えてくるか理解できない時、著しい恐怖感を感じるだろう。 しかし、その人がどのような法則で危害を加えるかを知ることができれば、危害を回避するよう振る舞うことが可能になる。 そして、回避行動により危害を受けないことが確信できるなら、恐怖感を感じる余地はなくなる。
このように、無意識と有意識は表裏一体のものである。 では、何故、無意識と有意識の両方が必要なのか。 経験から学習して、状況に応じた臨機応変な対応を取るためには、有意識が必要なことは言うまでもない。 では、無意識は、何故、必要なのか。 それは、主に二つの理由がある。
まず、本能は、生物が生存し、かつ、子孫を反映させるために欠かせないものである。 食欲がなければ、空腹が満たせずに、死んでしまうかもしれない。 睡眠欲がなければ、疲れを癒せずに、死んでしまうかもしれない。 制欲がなければ、子孫を残せなくなる恐れがある。
そして、習慣的な行動については、人工知能で言う所のフレーム問題を回避するために必要となる。 一般に、有意識下での行動は、無意識下での行動よりも、意志決定に時間がかかる。 それでも、大抵は、意思決定時間に大差はない。 しかし、まれに、有意識下では意志決定に非常に長い時間を要することがある。 食事のメニューに何をするか、という単純な問題でさえ、長考に至ることは珍しくない。 毎回、毎回、有意識下で行動してしまうと、迅速な意思決定が難しくなる。 習慣的な行動については、無意識下で意志決定するようにすれば、迅速な意思決定が可能になる。 また、脳の負荷を軽減するという意味もあろう。 脳に負荷をかければ、それは精神的なストレスになる。 無意識下で学習結果を機械的に当てはめることで、脳の処理を減らし、精神的なストレスを軽減できる。
以上の通り、有意識と無意識は、機能上の役割分担に過ぎない、表裏一体のものである。 無意識も、経験から学習した結果が蓄積されており、その人の人間性が反映されている。 それでも、貴方は、有意識の行動のみが自由意志に基づいており、無意識の行動は自由意志に基づいていないという定義を受け入れるだろうか。
実験結果の考察
ベンジャミン・リベットの実験においては、時刻計測の対象は次の3つだけである。
- 実験対象である行動
- その行動に対する意志決定の自覚を知らせる動作の完了
- 準備電位
この実験では、意志決定の自覚を知らせる動作の完了時刻から意志決定の時刻を推測しようとしているが、意志決定の時刻そのものは計っていない。 というか、現代科学では、脳の思考を読み取れないので、直接的に意志決定の時刻は計れない。 ベンジャミン・リベットの実験における現象を時系列順に並べると次のようになる。
- ある行動に対する意志決定
- その意志決定の自覚
- その意志決定の自覚を知らせる意志決定
- その意志決定の自覚を知らせる動作の開始
- その意志決定の自覚を知らせる動作の完了
このうちの最後の項目より前に準備電位が発生していることは確認できた。 しかし、最初に想定した行動に対する意志決定がいつ行われたかは不明である。 よって、意志決定と準備電位の時間関係は全く計測できていない。
意志決定の自覚を知らせる動作の完了より前に準備電位が発生することは、以下のタイムラグを示唆していると考えた方が妥当である。
- 意志決定とその意志の自覚のタイムラグ
- 意志決定から行動完了までのタイムラグ
しかし、人間は、そのタイムラグを自覚することはない。 それは、人間が日常生活を行ううえで必要だからと考えられる。
- 五感による継続観測結果に基づいて未来を予測するアルゴリズムが脳に実装されている
- ただし、不測の事態や計算ミス等があれば予測が外れることもある
- タイムラグを感じることのないよう脳が感覚を補正している
例えば、相手のパンチを回避する動作は、予備動作からパンチを予測して交わしているとされる。
- 相手の肩の筋肉の動き等から、パンチ動作を予測する
- 初期軌道から最終到達点・時刻を予測する
こうした予測がなければ相手のパンチを回避しようにも、全く判断が間に合わない。 一方で、人間はこうした予測を無意識化で無自覚に行う。 だから、相手のパンチを見てから回避したかのように自覚してしまう。 しかし、実際は、相手のパンチを見る前の段階で既に回避行動を始めているのである。 このように、タイムラグを感じないことは、タイムラグがないことを意味しない。 言い換えると、タイムラグがないことを証明できないため、この実験では意志決定の時刻を特定することはできない。
反射神経を競うゲームで同様の実験を行えば裏付けが取れよう。
- 判断に必要な情報開示
- 準備電位
- 実際の行動
常識で考えれば、この順番で、かつ、その時間間隔も妥当な結果になるだろう。 つまり、意志決定の後に準備電位が生じているとしても何ら矛盾のない結果になると予想される。 であれば、「意志決定の前に準備電位が生じている」という奇妙な解釈を導入する余地はない。 明確な証拠があるなら常識に反する奇妙な解釈を導入する余地はあろう。 しかし、証拠もないのに常識を捨てていては、まともな考察は不可能になる。
このタイムラグの存在は、一見すると、奇妙な事実である。 しかし、タイムラグがないと人間の行動は説明がつかない。 その事実さえ受け入れてしまえば、他に何ら奇妙な仮定を導入せずとも、タイムラグの存在で説明可能である。
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