二重スリット実験

実験と結果  

ヤングの実験 

一度別れた後に再び合流するような経路を設け、そこに位相の揃った波を通すと干渉縞が発生する。 トーマス・ヤングは、波のこの性質を利用し、2つのスリットを用いた干渉実験で光が波であることを示した。

ヤングの実験

電子の二重スリット実験 

光も電子も、それ以上分割できない最小単位を持つ。 こうした性質を持つ物を量子と呼ぶ。 量子力学では、量子は、波としての性質を持つとされる。 量子の波としての性質を確認するためにヤングの実験と同様の二重スリット実験が考案された。 ただし、実際の実験では「スリット」ではなく電子線バイプリズムが用いられた。 これは、1ミクロンの金属糸で左右の経路を分断したものである。 金属糸は、プラスに荷電してあるため、マイナス荷電の粒子の軌道を中央寄りに曲げる働きもある。

たとえば重力下での粒子(図ではボールにしてある)の運動を考えると、高いところほど位置エネルギーmghが大きいから、その分物質波の波長が長くなる(運動エネルギーが減る)。 この場合はポテンシャルは連続的に変化していくが、図のように段階的に変化していくとしよう(図で書いた点線の境界面を上に超えるごとにmgΔhずつポテンシャルが高くなるとする)。

光の屈折


境界線を上に超えるごとに波長が長くなっていくから、そのたび、波が下に下にと曲げられていく。 上の問題を解くとわかるように、これは重力場中で投げ上げられた物体が落下するという現象だと解釈できる。 古典力学でも波動力学でも運動方程式が出てくるのだが、古典力学では力によって運動量が変化すると説明し、波動力学では波長の差が波を曲げる、と説明するのである。

初等量子力学講義録2005年第7回 - 琉球大学理学部物質地球科学科准教授前野昌弘の講義録

電子線バイプリズム

量子1個分を射出し、スクリーンへの着弾を確認する。 確認した後、また、量子1個分を射出する。 これを、繰り返すと、毎回毎回、スクリーンには1個以下の輝点が発生する。 1個以下となるのは、スクリーンへの着弾確率が100%でないからである。 そして、限りなく多数の射出を繰り返すと、輝点の集合体には一定の模様が現れる。 この模様は、波の干渉縞に良く似ている。

二重スリット実験結果

光の二重スリット実験 

電子線バイプリズムを用いた電子の干渉実験の他、光でも量子1個単位での干渉実験が行なわれている。

ヤングの実験で入射光を非常に弱くしてみる。

スクリーンには、薄い縞模様ではなく、点が現れる!

浜松ホトニクス中央研究所

初めて学ぶ物理学 量子論 by 筑波大学物理学系素粒子理論研究室金谷和至教授

光の場合も、輝点の集合体による干渉縞模様が発生している。

単一スリット実験 

単一スリット実験では次のような結果が得られる。

単一スリット実験結果

二重スリット実験の片方のスリットを閉じた場合や干渉縞の必須条件を崩すと、干渉縞は生じないが、輝点は空間的な広がりを示す。

実質的単一スリット実験

干渉と識別の相補性(谷村省吾) - 名古屋大学多自由度システム情報論講座

尚、この谷村教授の説明図は、一箇所、間違いではないが正確性を欠く部分がある。 実際の二重スリット実験では、スリット間隔は非常に短く、スクリーンまでの距離の方が圧倒的に長い。 例えば、電子線バイプリズムを用いた二重スリット実験では、スリット間隔は1µm以下、スクリーンまでの距離は1メートルであった。 浜松ホトニクスの光子の二重スリット実験では、スリット間隔は50µm(スクリーンまでは数十cm?)であった。 その結果、2つのスリットの強度のピーク位置はほとんど差が生じず、この絵で見るようにハッキリ分かれて見えることはない。 量子消しゴム実験でもそのようになっている。 おそらく、全てご存知の上で説明をわかりやすくするために必要な誇張をされたのだろう。

結果の解説 

結論 

二重スリット実験が意味することは「単位量の量子であっても波としての性質を示す」ということだけである。 波としての性質が現れるために複数の粒子を必要としないこと、すなわち、単位量の量子であっても波としての性質を示すことを世界で初めて実証したのが二重スリット実験である。 二重スリット実験にはそれ以上の意味はない。

事実関係等の整理 

この実験の結果から直接読み取れる事実を次に列挙する。

  • スクリーン上の模様は全て小さな輝点によって構成されている。【実験事実A】
  • 各輝点は一定範囲に分布し、その密度による濃淡が干渉縞を形作っている。【実験事実B】
  • 輝点は時間とともに増えるが、2個以上の輝点が同時に発生することはほぼない。【実験事実C】

以上の実験事実を踏まえないと頓珍漢な結論を導いてしまう。

波と粒子の二重性 

量子力学における波動性と粒子性の二重性の意味を正しく理解できていないと、この実験の意義は理解できない。

  • 粒子は一点に集約して存在する
  • 波は空間的な拡がりを持つ

この実験においても、【実験事実A】は一点に集約した何かを示唆している。 そして、【実験事実B】は空間的な拡がりを持つ何かを示唆している。 しかし、空間的な拡がりを持つ性質と、一点に集約して存在する性質の2つの性質を併せ持つことは非常に奇妙である。 かつては、複数の粒子が波を構成しているのではないかという仮説があった。 しかし、量子力学の創設当時から、その仮説は理論的に否定されていたようだ。

問題は、波のような性質をもたらすほど光子の数は多くないことである。


つまり、ある一瞬には、室内の光子数は10の12乗個程度しかない。 これは、1立方ミリメートル当たり10個程度ということであり、空気分子が10の16乗個程度であるのと大きな違いである。

「量子力学の解釈問題―実験が示唆する『多世界』の実在」(ISBN-10:4062576007,ISBN-13:978-4062576000,著:ColinBruce,訳&注:和田純夫)P.35

この実験では、【実験事実C】は複数の粒子がなくても波が構成できることを示唆している。 そうすると、たった1個の粒子が、一点に集約しつつも空間的な拡がりを持つという奇妙なことになってしまう。 それが如何に奇妙かは、波の分割を示す次の図を見てもらいたい。

波と粒子の二重性

図を見て分かる通り、波が分割される前から、波と粒子の存在座標には不一致が見られる。 これが不可思議であることは、波の分割の前後で変わりはない。 ただし、分割後の不可思議さは多少増えている。 分割前には、波の存在範囲に空間的連続性があり、かつ、波の存在範囲のいずれかに粒子が存在する。 一方で、分割後には、波の存在範囲が不連続となり、分裂した波の一方には粒子が存在しない。 不可思議さが増えていることは確かだが、不可思議さの増分は元からある不可思議さに比べれば大したことはない。 何故なら、この不可思議さの本質は、波と粒子の空間的特性が一致しないことにあるのであり、それがなければ分割後の不可思議さも発生しないからである。

二重スリット実験の場合は、経路が二手に分かれていても、空間的に分断されているわけではないのだから、空間的には連続的な波となっているはずである。

空間的連続性

このように考えると、経路が1つだろうが2つだろうが、不可思議さには変化がないと言える。 また、波が2つの経路を通ることも何ら不可思議な現象ではない。 空間的な広がりを持っているならば、その広がりの範囲にある限り、通れる経路を全て通ることは当然の帰結である。 本当に不可思議なことは、2つの経路を通ることではなく、2つの経路を通ることが可能なだけの広がりを持っていることなのである。 繰り返すが、粒子として1点に集約される性質と、波として空間的な広がりを持つ性質を両立していることが不可思議なのである。

この一見すると矛盾に見えるような問題に対する一定の答えが、ボルンの確率規則である。 そして、確率規則に対する考えは、主に、次の2通りがある。

  • 途中の過程においても、観測時のおいても、常に、粒子は古典力学(相対性理論や未知の法則も含む)と確率規則の両方に従った軌道をとる(隠れた変数理論
  • 途中の過程ではどうかは分からないが、観測結果は確率規則に従う(量子力学の標準理論)

そのどちらが正しいのか白黒つけようとする研究は多々あるが、二重スリット実験はどちらが正しいのか検証できない。 通俗説では、二重スリット実験が隠れた変数理論を否定しているかのような誤った説明が為されるが、二重スリット実験では隠れた変数理論を否定することはできない。 事実、隠れた変数理論の一種で矛盾なく説明できることを後ほど示す。

時系列的考察 

この実験では、少なくともスクリーン着弾までは波としての性質を維持しなければならない。 もし、着弾前に波としての性質が失われてしまえば、干渉縞は発生しない。 一方で、干渉縞は、着弾した粒子に対応する多数の点で構成されているので、スクリーンを観測するまでに、粒子としての性質が現れなければならない。 では、着弾後は波としての性質を維持しているのだろうか。 また、着弾前は粒子としての性質があるのだろうか。 いずれも、この実験結果からは知りようがない。 この実験が意味することは、量子が、着弾までは波だったことと、着弾してから観測までの間に粒子としての性質が現れていることだけである。 着弾後の波はどうなったか、着弾前の粒子はどうだったか、について本実験から結論を導くことは出来ない。

粒子状の性質 波の性質
着弾前あり
着弾時以降あり

表で「?」となっている部分は、隠れた変数理論の真偽によって変わるが、二重スリット実験では言及することができない。

隠れた変数理論との関係 

「1つの粒子が2つの経路を同時に通過した証拠だ!」と明らかに頓珍漢な解釈をする人がいる。 しかし、「1つの粒子が2つの経路を同時に通過した」としても、それだけでは干渉縞の生成を全く説明できないことは言うまでもない。

1粒子が2経路を同時通過

干渉縞の生成を説明するためには、粒子の着弾場所が干渉縞風の確率分布に従うことを説明する必要がある。 どこかで粒子の通過経路数以外の条件を変えない限り、粒子の着弾場所が干渉縞風の確率分布となることを説明できない。

軌道が曲がらないと干渉縞はできない

粒子の軌道を変えて良いなら、「1つの粒子が2つの経路を同時に通過した」という奇妙な仮定を置かずとも、実験結果を矛盾なく説明できる。 例えば、隠れた変数理論の一種である量子ポテンシャル理論では、二重スリット実験の粒子軌道は次の図のいずれかのような軌道を取る。 どの軌道を取るかは粒子の初期位置で決まる。

量子ポテンシャル理論

波動関数のわかりやすい説明(林久史) - 日本女子大学 理学部 物質生物科学科

引用元の引用文献は次の通り。

  • D. Bohm, B.J. Hiley: The Undivided Universe, Routledge, London(1995).
  • D. Dürr, S. Teufel: Bohmian Mechanics The Physics and Mathematics of Quantum Theory, Springer, New York(2009).

ド・ブロイのパイロット波理論やエドワード・ネルソンの確率力学でも二重スリット実験の粒子軌道が計算できる。

隠れた変数理論では、粒子は同時に1つの経路しか通らないが、波は同時に複数の経路を通る。 だから、2つのスリットが開いていれば干渉縞が生じるが、片方のスリットを塞ぐと干渉縞は生じない。 正確に言えば、量子ポテンシャル理論では、波はポテンシャルから生じる見かけの現象である。 スリットが開いている数によりポテンシャルが変わり、それが粒子の軌道と見かけ上の波を変える。

このように、二重スリット実験の持つ量子力学的意義を正しく理解できていれば、それを隠れた変数理論の否定と絡めて説明する意味がないことを理解できる。 正しく理解できていれば、二重スリット実験が隠れた変数理論を肯定も否定もしないことの説明として、隠れた変数でも説明可能なことに言及する必要性は感じるかもしれない。 実際に、隠れた変数理論で説明可能なことを示した文献も複数ある。 しかし、正しく理解できていれば、隠れた変数理論を否定した考察に言及する必要が全くないことに気がつく。 言い換えると、正しく理解できていないからこそ、隠れた変数理論を否定した考察を披露しようとするのであり、その説明が量子力学の標準理論に適合しないのは当然のことと言える。

もちろん、隠れた変数理論を否定すると、二重スリット実験を考察した場合「も」(「は」ではない)、常識では考えれらない結論を導く。 しかし、次のことに注意が必要である。

  • 常識はずれは二重スリット実験に限らずに量子力学全般に当てはまる
  • 二重スリット実験は隠れた変数理論を肯定も否定もしない(隠れた変数理論の真偽の証明には使えない)
  • 隠れた変数理論の否定と二重スリット実験を絡めた説明のほぼ全てが量子力学の標準理論に全く適合しない

観測と波の性質の関係 

「観測」後は、射影仮説に基づく波動関数の収縮が起きる。 しかし、それにより「観測」前の波としての性質がなかったことになるわけではない。 二重スリット実験の干渉縞が、その良い証拠である。

John Archibald Wheelerが提唱した遅延選択実験にて、粒子として観測しようとすると波の性質が失われるかどうかの確認が行なわれた。 その結果、少なくとも、経路が別れた(スリットを通過した)直後には、波の性質が失われていないことが現実の実験結果として確認されている。

過程を検証する試み 

まず、通過スリットの検証の意義をきちんと押さえておく必要がある。 単に相補性原理を確認するだけに止まるのか、あるいは、隠れた変数理論の是非にまで踏み込んでいるのかである。 元々は隠れた変数理論の検証方法として考案されたものであるが、今日では、単に、相補性原理を確認する手段として扱われることが多い。

相補性原理
不確定性原理を生じさせるより根源的な原理とされる。「粒子性と波動性は同時には観測できない」と説明される場合があるが、それでは誤解を招く。二重スリット実験は波動性の痕跡と粒子性を同時に観測する実験である。ここで言う「粒子性」の「観測」とは経路特定等のことであり、「波動性」の「観測」とは干渉縞の観測にすぎない。

隠れた変数理論の議論は、アインシュタインとボーアの論争が発端であり、アインシュタインは粒子の通過経路特定により隠れた変数理論の検証が可能だと論じていた。 もちろん、アインシュタインは、粒子がどちらのスリットを通過したかは決まっているという立場であるが、波が両方のスリットを通過したことは否定していない。 というか、波が両方のスリットを通らなければ干渉縞が生じないのだから、これを否定することはあり得ない。 つまり、アインシュタインは、波は両方のスリットを通過し、粒子は片方のスリットを通過するという立場である。 そして、ボーアも、波が片方のスリットを通過したという立場は取っていない。

隠れた変数理論が正しくないなら、途中の位置は確定した値を持たないのだから、通過スリットを特定できるわけがない。 粒子性が射影仮説に基づく波動関数の収縮による見かけの現象という立場を取るなら、収縮前の粒子を観測することはできないし、スリット通過時点で収縮させては、二重スリットの条件を満足しない。 粒子の位置が同時に複数の値を持つという立場を取るとしても、粒子の位置の広がりがそのまま波の広がりとなっているのだろうから、粒子の通過スリットを特定すれば自ずと波も片方のスリットしか通れない。

当然のことながら、波が一つのスリットしか通らないなら、干渉が生じるわけがない。 よって、波の通過スリットを特定すれば干渉縞が消えて当然である。 隠れた変数理論を検証する目的なら 波の通過スリットを特定することなく、粒子の通過スリットを特定することができるかどうか が重要な論点である。

尚、隠れた変数理論を否定する証拠とするなら、隠れた変数理論が正しい前提での矛盾を示さなければならない。 何故なら、循環論証は何も証明しないからである。

  • AとBは両立しない
  • Aが正しいと仮定すると、Aが正しい
  • Bが正しいと仮定すると、Bが正しい

以上の条件において、他に何ら有益な情報がないのでは、AとBのどちらが正しいかは分からない。 隠れた変数理論に具体的に当てはめると、次の通りとなっているならば隠れた変数理論を否定する証拠にはならない。

  • 隠れた変数理論とアンチ隠れた変数理論は両立しない
  • 隠れた変数理論が正しいと仮定すると、隠れた変数理論が正しい
  • 隠れた変数理論が間違っていると仮定すると、隠れた変数理論が間違っている

結論を出すためには、2番目か3番目のどちらかが崩れなければならない。 今日まで様々な経路特定法が考案されているが、そのいずれもが隠れた変数理論の真偽の検証には成功していない。 どの経路特定法も、波に何らかの変化をもたらす結果として、干渉縞が生じなくなると結論づけられている。 ただし、干渉縞が生じなくなることは、干渉が生じなくなることまでは意味しないし、波動性が失われることも意味しない。 「波動性が失われる」では明らかな間違いだが「波動性が観測できなくなる」ならば間違いとは言えない。 いずれにせよ、どの経路特定法も、相補性原理による観測の限界を示すことが関の山であって、隠れた変数理論の検証には使えない。

ファインマンの思考実験 

ファインマンは二重スリット実験で粒子がどちらを通ったかを観測する次のような思考実験を考えた。

例えば、光等を粒子にぶつけて反射を観測して、スリット通過を判別するとする。 その光等は、検出対象の粒子の運動量を変化させてしまい、運動量変化は検出対象の波の波長を変化させる。 その変化量は不定かつ不可逆的であるので、検出対象の波の波長が一定ではなくなる。 検出対象の波の波長が一定ではなくなると干渉縞がぼやけ、その標準偏差が一定以上になると干渉縞は完全に消える。

位置検出精度を上げるには、例えば、光を用いるなら、波長の短い光を当てる必要がある。 波長の短い光は検出対象の粒子の運動量を大きく変化させるので、その標準偏差も大きくなる。 結果、位置の検出精度を上げると、それだけ検出対象の波の波長の標準偏差も大きくなる。

通過スリットを判別可能にするには、スリット間隔よりも位置の検出誤差を小さくする必要がある。 位置の検出誤差が大きくすぎれば、どちらのスリットか判別できなくなる。 そして、実験のスリット幅が非常に狭いので、求められる位置検出精度は非常に高くなる。 それだけ高い位置検出精度を求めると、検出行為によって生じる検出対象の波の波長の標準偏差も大きくなり、その結果、干渉縞が消える。

以上の通り、どちらのスリットを通ったかを確定しようとすると、不確定性原理の壁に阻まれる。 よって、粒子がどちらのスリットを通ったかを検出することはできない。

反跳運動量 

二重スリット実験を巡るアインシュタイン/ボーア論争を分かりやすく要約すると、アインシュタインは着弾点と反跳運動量(通過した粒子から受ける作用によるスリットの運動量変化)が分かれば粒子の通過した経路が分かると主張し、ボーアは次のように反論した。

  • 反跳運動量を測定するためには、スリットの運動量の不確定性を小さくしないといけない
  • 干渉縞の発生位置はスリットの位置によって決まるから、干渉縞を作るにはスリットの位置の不確定性を小さくしないといけない
  • 不確定性原理により、スリットの運動量の不確定性を小さくすると位置の不確定性が大きくなる

これは、反跳運動量を測定しようとすると、スリットの位置が不確定になり、その結果、波の位相関係も不確定となるから干渉縞がぼやけるという話である。 言い替えると、反跳運動量も不確定性原理の壁に阻まれるということである。

片側検出器 

片方の経路にだけ検出器を置けば粒子の通った経路が分かるし、干渉縞も半分残るはずだ、とする主張がある。 しかし、検出器を置いていない側の経路に影響しないことをもってして、干渉縞が半分残ると考えるのは明らかな間違いである。 干渉縞は、2つの経路を通過した波の干渉によって生じるのである。 だから、片方経路に致命的な影響を与えれば、もう片方に影響しなくても、干渉縞は生じない。

ここで考えるべきことは、検出器を置くことが検出器を置いた側の経路に与える影響の程度である。 検出器を置いていない側の経路に影響を与えないことは、干渉縞が半分残る根拠にはならない。 検出器を置いた側の経路に致命的影響を与えてしまえば、干渉縞が半分残ることはあり得ない。 また、いずれの経路にも影響を与えないなら、干渉縞が半分消えることはあり得ない。

このような与太話は、量子力学を根本的に誤解している疑似科学特有のものである。 干渉縞を作り出すのは、量子の波的性質であって粒子的性質ではない。 その干渉縞が点描状になることが粒子的性質がもたらす結果であり、干渉縞の全体像は粒子的性質とは関係がない。 以上のことを正しく理解していれば、片側検出器が意味を持たないことは容易に理解できるはずである。

運動量に「影響しない」監視装置 

Scully,Walther,Englertの論文は明らかに波の通過スリットを限定している。

1989年にScully,Walther7)とEnglert8)の3人は,粒子と運動量のやり取りをしない装置でも,経路の識別ができるというモデルを提唱した.

共鳴空洞経路特定

彼らの案では2つのスリットの直前に共鳴空洞(中空の金属箱)を置く(図2). 飛んでいる原子が空洞に入る前に,原子にレーザーを当てて励起状態にしてやる. 原子は2つの共鳴空洞のうち一方の内部で光子を放出して基底状態に戻る. したがって,空洞内の光子を調べれば原子がどちらのスリットを通ったかが分かる.

式で書くと,監視装置を備えていないときの原子の波動関数が

ψ(x)=ψ1(x)+ψ2(x)

であり,このうちψ1(x)がスリット1を通過した波動関数,ψ2(x)がスリット2を通過した波動関数である.スクリーン上の位置xに原子を見出す確率は

|ψ(x)|2=|ψ1(x)|2+|ψ2(x)|2+2Reψ1*(x)ψ2(x)

で与えられる.ここでReψ1∗ψ2の項が干渉効果を表す.しかし,共鳴空洞を備え付けると,終状態は

ψ=ψ1(x)⊗ξ1+ψ2(x)⊗ξ2

となる.

干渉と識別の相補性(谷村省吾) - 名古屋大学多自由度システム情報論講座

共鳴空洞を備え付けた場合の終状態の式を見ればわかる通り、次の仮定に基づいて式が立てられている。

  • 「空洞1に光子が1個あるという状態」で波はスリット1のみを通過する
  • 「空洞2に光子が1個あるという状態」で波はスリット2のみを通過する

この仮定が正しいかどうかは、ここでは問題としない。 しかし、この仮定を置けば、実質的に単一スリット実験になるのだから、干渉項が失われるのは当然であろう。 つまり、単一スリット実験では干渉縞が生じないという当たり前の結論を導いただけである。

いずれにせよ、波動関数から計算した確率の式から干渉項が消えるとしている。 だから、これは波動性が失われないことを前提に計算されている。 実質的に経路数が限定されるために干渉縞が生じなくなっているだけであって、波動性が失われているわけではない。

まとめると、この方法は、相補性原理を確認することはできても、隠れた変数理論の検証には使えない。 何故なら、二重スリットの条件(波が二つの経路を通ること)を満たしたまま粒子の経路を特定できることを前提としていないからである。 だから、二重スリットの条件(波が二つの経路を通ること)を満たしたまま粒子の経路を特定できるかどうかの検証はされていないし、できた場合にどうなるかの結論も出されていない。

後測定方式 

ここまで説明した方式は、いずれも、スリットの直前、直後、または通過中に監視装置を置くやり方である。 スクリーン直前に監視装置を置くやり方も提唱されている。 そして、スクリーン直前監視方式では、意図的に、スリット通過時に波に一定かつ可逆な変化をもたらす。 左右のスリットで違う変化(which path marker)を与えておけば、スクリーン直前でその変化を読み取ることで、通過スリットを特定できるという理屈である。 さらに、もう一度波に逆の変化をもたらすことで、which path markerを消して、干渉縞を復活させることができるとしている。

しかし、これも波の通過スリットを検出しようと試みる方式である。 しかも、本当に波の通過スリットを検出できるかどうかも極めて疑わしい。 というのも、スクリーン直前で片方経路の波のみを検出しようとしているからである。 通常、スクリーンには両経路の波が到達するから、片方経路の波のみを検出できるわけがない。 それぞれの経路にwhich path markerをつけた所で、2種類のwhich path markerがついた合成波が届くだけである。 例え、2種類のwhich path markerの両方を同時に検出できたとしても、両経路を通ったという情報しか得られない。 これでは、波の通過スリットは特定できないし、粒子の通過スリットは言うまでもない。 この方法で波の通過スリットを特定するためには、別途、何らかの方法で波の通過スリットを限定する他ない。 それでは、単一スリット実験になってしまい、二重スリット実験の条件を満たさない。

例えば、量子消しゴム実験では、一見すると、which path markerが機能しているかのような結果が得られる。 そして、一見すると、which path markerの有無が干渉縞に影響を与えるように見える。 しかし、which path markerが全然機能していなくても全く同じ結果が得られることは明らかである。

  • which path informationに見えたものは、実はランダムな測定結果(直線偏光だとスピンの検出確率は其々1/2)
  • which path marker付加時は、干渉縞は生じていないが、直線偏光方向に干渉が生じる

と考えたほうが矛盾がない。

まとめると、この方法も、隠れた変数理論の検証には使えない。 何故なら、二重スリットの条件(波が二つの経路を通ること)を満たしたまま粒子の経路を特定できることを前提としていないからである。 だから、二重スリットの条件(波が二つの経路を通ること)を満たしたまま粒子の経路を特定できるかどうかの検証はされていないし、できた場合にどうなるかの結論も出されていない。 以上は、後測定方式全般に言えることである。

さらに言えば、この実験は、波の通過スリットを検出しようと試みる実験であるが、それに成功しているかどうかは理論的に疑わしいし、実験的証拠も得られていない。 which path markerの有無が干渉縞に影響を与えるように見える結果も、それが相補性原理と関係してそうなっているのか、単なる偶然かは慎重に検討すべきだろう。

誤った説明の例 

Dr.Quantum 

この解説は完全に間違った解説を行なっており、二重スリット実験の概要を手っ取り早く知りたいと思う素人にはお勧めできない。 瑣細な部分に嘘や説明不足があるのであれば差し支えないが、この説明は核心部分の事実が全て嘘なので、見た者を誤った理解へ誘導してしまう。 瑣細なことでは本当のことを言っているが、重要部分は全て嘘である。 また、実験事実に基づかない仮説が唐突に提示されており、これも、見た者を誤った理解へ誘導してしまう。 具体的な説明の後、最後に誤りの内容のまとめを行うのでそちらも見てもらいたい。

隠れた変数理論を否定すると、二重スリット実験を考察した場合「も」(「は」ではない)、常識では考えれらない結論を導く。 しかし、次のことに注意が必要である。

  • 隠れた変数理論を否定することによる不可思議さは、二重スリット実験特有のものではない
  • 二重スリット実験は隠れた変数理論を肯定も否定もしない(隠れた変数理論の真偽の証明には使えない)
  • Dr.Quantumの解説は量子力学の標準理論に全く適合しない

二重スリット実験の持つ量子力学的意義を正しく理解できていれば、それを隠れた変数理論の否定と絡めて説明する意味がないことを理解できる。 正しく理解できていれば、二重スリット実験が隠れた変数理論を肯定も否定もしないことの説明として、隠れた変数でも説明可能なことに言及する必要性は感じるかもしれない。 しかし、正しく理解できていれば、隠れた変数理論を否定した考察に言及する必要が全くないことに気がつく。 言い換えると、正しく理解できていないからこそ、隠れた変数理論を否定した考察を披露しようとするのであり、その説明が量子力学の標準理論に適合しないのは当然のことと言える。

二重スリット実験の唯一にして最大の不可思議さは、空間的に広がりを持つ波的性質と一点にのみ存在する粒子的性質が、粒子1個分でも現れることにある。 二重スリット実験の説明として、それ以外の不可思議さが説明されていたら、それは全て嘘である。 この波的性質と粒子的性質は、同一の物がその時々で姿を変えている(観測時だけ一点に集約する)のか、一対ではあるが別々の物であるのか、この実験では分からない(他の実験でも結論は出せない)。 分からない以上、同一の物である可能性も別々の物である可能性も考慮する必要があり、どちらか一方の可能性を否定することはできない。

二重スリット実験では、決して、隠れた変数理論の真偽を確認できないので、粒子の位置等の可観測量が常時確定しているかどうかは論じられない。 粒子がどちらのスリットを通ったかの考察も意味がない(波的性質が2つのスリットを通る必要はあるが粒子的性質は関係がない)し、粒子が2つに分裂するような考察も意味がない(粒子が分裂しても干渉縞は発生しない)。 二重スリット実験では、量子の放出時から、波的性質は広がりを開始していて、少なくとも、スクリーン上で観測されるまでは波的性質を維持している(観測後にどうなるかは実験では分からない)。 途中で波的性質を失うと干渉が生じないはずなので、スクリーン上で観測されるまでは波的性質を失うことはあり得ない。 一方で、粒子的性質については、観測されたとき以外どうなっているのか、この実験では分からない。 言い替えれば、不明な時期の粒子的性質はどうとでも解釈できるので、粒子が2つに分裂するような突拍子もない仮定を置く必要は全くない(オッカムの剃刀)。

「単スリットに向かって電子を次々に発射してみよう。」 「スクリーンには、普通の粒子の場合と同じ一本の線ができる。」

まず、単一スリット実験において「スクリーンには、普通の粒子の場合と同じ一本の線ができる」状態ならば、スリットを二重にしても干渉縞を観測することはできない。

先に紹介した谷村教授の説明図と比較すると違いが良くわかるだろう。

単一スリット実験

干渉と識別の相補性(谷村省吾) - 名古屋大学多自由度システム情報論講座

二重スリット実験において干渉縞が生じるためには、谷村教授の説明図のように、二つの経路が交錯することが必須条件である。 Dr.Quantumの説明のように「スクリーンには、普通の粒子の場合と同じ一本の線ができる」では、二つの経路が交錯しないため、二重スリットにおいて干渉縞が生じなくなる。 どうやら、Dr.Quantumは、この実験の大前提を理解されていないようである。

「発射された一個の電子は、」 「スリットの前で波となり、」 「同時に2つのスリットを通りぬけて、干渉を起こし、」 「スクリーンにぶつかるときは1個の粒子に戻ったんだ。」

「発射された一個の電子は、スリットの前で波となり、同時に2つのスリットを通りぬけて、干渉を起こし、スクリーンにぶつかるときは1個の粒子に戻った」とする仮説は、実験事実に基づかない唐突な仮説である。 二重スリット実験の結果からはその仮説は生まれ得ないが、Dr.Quantumの解説ではその仮説を提示する合理的理由は示されていない。

そもそも、文章で「波」と説明しておいて絵が2個の粒子なのはおかしい。 空間的に広がりのある波として絵が描かれていれば、まだ、マシなほうだ。 発射直後から波として広がり始めて、着弾直前まで広がり続けるのならば、一つの学説の説明にはなる。 しかし、この絵のような粒子状の「波」ではデタラメにも程があろう。 正しく量子力学を理解できているなら、ここまでデタラメな絵は描かない。 この絵で二重スリット実験を説明することが不可能なことは既に説明した通りである。

「スリットの側に測定装置をおき、電子がどちらのスリットを」 「通ったのか分かるようにして、もう一度実験を行なったんだ.」

実際の研究結果は干渉と識別の相補性(谷村省吾) - 名古屋大学多自由度システム情報論講座を読んでもらいたい。

「彼らが観測を始めたとたん、電子の振る舞いは普通の」 「粒子となり、スクリーンに二本の線を描いたんだ。」 「観測された電子は、観測される前とは違う振る舞いをしたんだ。」 「まるで、自分が見られていることに気づいたかのように。」

谷村教授の説明を読めばわかる通り、経路を特定した場合も、波動関数から計算した確率の式が用いられている。 決して、「彼らが観測を始めたとたん、電子の振る舞いは普通の粒子となり」「観測された電子は、観測される前とは違う振る舞いをした」わけではない。 今日まで様々な経路特定法が考案されているが、干渉縞が生じなくなることは、干渉が生じなくなることまでは意味しないし、波動性が失われることも意味しない。 観測機器の影響で波としての性質が失われるわけでも、観測機器の影響で粒子としての性質が現れるのでもない。 波長や偏波面のずれ、その他の干渉縞の必須条件が成立しなくなることにより、干渉縞が生じなくなっているだけである。 そして、干渉縞が生じないことは、干渉が生じないこととイコールではない。 干渉よりも干渉縞の方が条件が厳しく、後述するDouble-slit quantum eraserのように、干渉が発生していても干渉縞が生じないこともある。 これら経路特定法は、相補性原理を裏付けているだけであって、二重スリットを用いて隠れた変数理論の真偽を検証することは不可能である。

「まるで、自分が見られていることに気づいたかのように」「観測された電子は、観測される前とは違う振る舞いをした」という事実が確認されたわけでもない。 現実に行なわれた遅延選択実験は、Dr.Quantumの解説と逆の結果を示唆している。 例えば、量子消しゴム実験では、2つのスリットを通過した光がお互いに逆回転の円偏光となるよう実験セットで干渉縞を消している。 同じ強さの逆回転の円偏光を合成すると、垂直偏光になり、合成前の2つの波の位相関係により偏光方向は変化するが、波の強弱は変化しない。 そのため、干渉縞を観測することができない。 そして、円偏光の垂直成分または水平成分のみを取り出すことにより干渉縞を復活させている。 垂直成分または水平成分だけを見れば、合成した波の強弱の変化が生じているので、干渉縞が復活する。 何れの結果も理論通りの結果であり、理論上はどちらの量子の振る舞いにも差はなく、偏光を意図的に変えたことにより結果に差が生じているだけである。 つまり、「観測された電子は、観測される前とは違う振る舞いをした」わけではない。

また、干渉縞が発生しない場合も、決して、「二本の線」にはならない。 理論的には、着弾模様は横方向にダラーっと広がった模様になる。 干渉縞が発生するようにスリットの幅や間隔を設定しているなら、当然、左右の波が交錯しなければならないから、着弾模様は左右が繋がっていないとおかしい。 「二本の線」のように着弾模様がクッキリと左右に分離することはあり得ないのである。 先に紹介した谷村教授の説明図と比較すると違いが良くわかるだろう。

単一スリット実験

干渉と識別の相補性(谷村省吾) - 名古屋大学多自由度システム情報論講座

Dr.Quantumの説明の誤りをまとめると次の通りとなる。

  • Dr.Quantumは波的性質の本質を根本的に間違えている
    • 「スリットの前で波となり」ではなく、実際には発射時から着弾時までずっと波である
    • Dr.Quantumの説明では波の空間的広がりがない(この実験を語る上で最も重要な波と粒子の性質の違いは空間的広がりを持つか否かである)
      • 二重スリットで干渉縞が生じるなら、スリットをひとつにしても「一本の線ができる」にはならない(面となるのが正解)
      • 測定装置がなければ干渉縞が生じるのであれば、測定装置を置くと「スクリーンに二本の線を描いた」にはならない
      • 文章で「波」と説明しておいて絵では2個の粒子となっている(空間的広がりを持たない粒子では干渉縞は生じない)
  • Dr.Quantumは粒子的性質の本質を根本的に間違えている
    • 干渉縞が消える原因は干渉縞の成立条件の変化であって「自分が見られていることに気づいた」かどうかとは全く関係がない
    • 量子力学的な「観測」は、(恐らく)マクロとの量子もつれであって、人間的意味での「観測」ではない
    • スクリーンにぶつかった後に粒子的性質が現れ始めるのであって、動画のように「スクリーンにぶつかる」タイミングにピッタリと「1個の粒子に戻」るように事前に収束するわけではない
  • Dr.Quantumは二重スリット実験の意味を履き違えている
    • この実験が示すことは、単位量であっても量子が波の性質を示すこと以外にない
    • Dr.Quantumは隠れた変数理論の反証実験であるかのように説明しているが、二重スリット実験で隠れた変数理論を反証するのは不可能
    • ホィーラーの遅延選択実験の結果はDr.Quantumの説明と一致しない

Dr.Quantumが説明した不可思議なことのほぼ全ては、量子力学の標準理論に適合しない。 量子力学の不可思議さを真面目に勉強したいのであれば、参考にはしない方が良いだろう。 話のタネとしても、疑似科学の流布に加担することは、あまり好ましい行動ではない。

「二重スリット実験を批判」? 

このページを「二重スリット実験を批判してる」と言っている人がいる。 しかし、どこをどう読んで「二重スリット実験を批判してる」と認識したのか全く不明である。 このページでは、二重スリット実験(の正しい解説)とその物理学的意義(=単位量であっても量子が波の性質を示すという理論的予測の実証)を完全に肯定している。 確かに、Dr.Quantumの説明は批判したが、間違った説明を批判しているだけで、それは二重スリット実験の批判ではない。

量子力学の実験結果には不可思議なことが存在する。 しかし、Dr.Quantumの説明では、二重スリット実験の意義だけでなく、量子力学の不可思議さの説明も間違っている。 これは「演出」や「紹介」という類のものではなく、完全な間違いである。

  • Dr.Quantumの説明は二重スリット実験を正しく説明していない
  • Dr.Quantumの説明は量子力学(の主流学説)の説明としても正しくない(マイナー説に一致するものはあるかもしれない)

ここで紹介している金谷和至教授や吉田伸夫物理学講師による解説も良く読んでもらいたい。 それらの解説がDr.Quantumの説明と相容れないものであることは読めばわかることである。

論理破綻例 

Dr.Quantumが事実関係について大嘘をついているのに対して、 哲学的な何か、あと科学とか は自明な論理矛盾で誤った結論を導いている典型例である。 量子力学系のトンデモは「標準理論」肯定(しているつもり)派と否定派に二分されるが、いずれも、標準理論を激しく間違って理解している点は変わらない。 こちらは「標準理論」肯定(しているつもり)派としては最大級のトンデモだろう。 ただ、殆どが自明な論理矛盾であるので、ちょっと思考力のある人なら簡単に間違いを見抜ける。 このサイトの間違いを真に受ける人はトンデモの素養があるだろう。

  • 波の性質と粒子の性質が同時に現れてはならないとする証拠なき暗黙の仮定をコッソリと置いている。
  • この実験に使えるセンサでは検出できないものもあるのに、センサが反応しないと何も存在しないと決めつけている(例えば、ニュートリノを検出するにはカミオカンデのような巨大な施設が必要=現代科学では万能センサは作れない)。
  • この実験で必要とする波の性質を正しく理解していない(「ものすごく細くて小さい波」では干渉できない)。
  • 何でも「未知の現象」で片付ければ良いと思ってるから、どんな珍説も無批判に受け入れる。
  • 現実と食い違った干渉条件を設定しているため、粒子同士、あるいは、粒子と「ナニか」の干渉という有り得ない現象を想定している。
  • 量子力学的な「観測」を日常的な観測と混同している。
  • 確率解釈が波の実在性を否定していると勘違いしている(波の実在性については議論の余地があるが、確率解釈は波の実在性を肯定も否定もしない)。
  • 以上のような誤った仮定に基づいて「説明がまったくつかない」と言っておきながら、後で説明のつく学説を紹介した時に自らの誤った仮定を訂正しないし、間違った結論を導いた原因を考察することもしない。
  • 多世界解釈について、ありがちな誤解をしている。
  • そもそも、根本的に科学を誤解しているのではないか。

まず、そもそも。

「電子は、見ているときは粒子だが、見ていないときは粒子ではない」

と量子力学は述べているが、

哲学的解釈 - 哲学的な何か、あと科学とか


量子力学のコペンハーゲン解釈では、

観測していない電子は、『位置Aにあるかも』 『位置Bにあるかも』 といった 複数の可能性として、同時に存在している

と考えているのだから、

シュレディンガーの猫(2) - 哲学的な何か、あと科学とか

量子力学(の標準理論)は「見ていないときは粒子ではない」とは述べていない。 コペンハーゲン解釈は「複数の可能性として、同時に存在している」とも言っていない。 いずれも、当時、何の証拠もなかった以上、確定的なことが言えるはずもない。 証拠のない珍説では物理学の主流学説にはなり得ない。 そもそも、実験結果至上主義であるのでコペンハーゲン解釈が実験にも基づかない珍説を支持するはずがない。

量子力学の標準理論では「見ていないとき」にどうなっているかは棚上げしているのであり、コペンハーゲン解釈もそういう立場である。 他の実験等は「見ていないときは粒子ではない」可能性を示唆しているが、少なくとも、二重スリット実験からその結果を導くことは不可能である。

ノイマン博士は、 「ココロ」や「イシキ」といった現代物理学では語れないナニカが、 可能性の決定を引き起こしている、と本気で主張したのだ。

抽象的自我 - 哲学的な何か、あと科学とか

これは典型的な通俗説であるが、フォン・ノイマン意識解釈を強硬に主張したとする歴史的事実は確認できない。 物理学者が量子力学について激しい議論を交わしたことは有名だが、その中にノイマンが居たという話は全く聞かない。 アインシュタインやボーアらが激しい議論を交わしたとされる第5回ソルベー会議の参加者にもノイマンの名はない。 それもそのはず、数学者であっても物理学者ではないノイマンには、物理学的解釈に積極的に関わる動機がない。 その後の研究の足跡を見ても、量子力学的論争に関わるだけの時間的猶予があったとは言えない。

物理学講師の吉田伸夫氏は、ノイマンが自著にて「人間のような意識を持った観測者」が観測すると波動関数が収縮することに言及しているとしながらも、 実は、ノイマンは、あくまで数学的に状態変化の式を記しているだけ シュレディンガーの猫 - 科学と技術の諸相 として、ノイマンが積極的に意識解釈を主張したとする考えを否定している。 つまり、どういうわけか「人間のような意識を持った観測者」が観測すると結果は確定しているが、その原因が「人間のような意識を持った観測者」にあるとまでは言っていないのである。 「量子力学の解釈問題―実験が示唆する『多世界』の実在」の著者であるColin Bruce氏も、ノイマンが積極的に意識解釈を主張したとすることには、その著作の中で懐疑的な見解を示している。

何と言うかアレ 

先に紹介したサイトが「標準理論」肯定(しているつもり)派トンデモの横綱ならば、これから紹介するサイトは否定派トンデモの横綱である。

さて。 実験事実はわかったが、これについての解釈が問題となる。通常は、次のように解釈される。

「一つずつ電子が発射されても干渉縞が生じるのは、電子が二つのスリットを同時に通過したからだ」

しかし、これは、あまりにも不自然である。 「一つの粒子が二つのスリットを通る」なんてのは、ほとんど言語矛盾だ。 「半分ずつ通る」ならばまだわかるが、「半分ずつ通る」というわけではない。

( ※ 言語矛盾だけでなく、物理学的な矛盾もある。 「一つの粒子が二つのスリットを通る」というのは、「一つの粒子が同時に別の場所に存在する」ということであるから、相対論に矛盾する、とすら言える。 時間差ゼロで別の場所に移動しているのと同じことだからだ。)

これは問題だ。 そこで、次のような解釈が出た。(「コペンハーゲン解釈」と呼ばれる。)

「電子が発射されたあとでは、電子の存在確率が、波動関数で示される。 途中で二重スリットを通り抜ける時点でも、電子は波動関数で示されるので、存在確率が雲のように拡散しながら、二重スリットを通り抜ける。 その後、波動関数が感光板に達すると、観測される。 観測された時点で、波動関数が急激に収束して、電子は一点に決定される」

この発想では、電子がスリットを通り抜けるのではなくて、電子の存在確率のようなものがスリットを通り抜けるだけだ。 というわけで、「一つの粒子が二つの場所を通る」という言語矛盾は避けられる。 しかし、そのかわり、物理学としての矛盾が発生する。

二重スリットと観測問題(概要) - 南●久史のサイト

標準理論に対する認識が肯定(しているつもり)派も否定派も大差がないという点は興味深い。 同じ認識で肯定と否定に分かれるのは不思議だが、この認識では否定的に捉えるのも当然と言えるだろう。 問題は、伝聞に疑問がある時に、間違った伝聞を聞いた可能性を考慮せずに、「標準理論が間違っている」と安易に断定することである。 その点は、相間な素人が本職の物理学者に対して かような簡単なことも理解してない 本物の色物物理学者たち - 谷甲州黙認FC・青年人外協力隊 と言っているのと同じであろう。

「単位量の量子であっても波としての性質を示す」ということだけならば、「何もわかりません」と言っているだけ。 他人の仮説を中傷するだけで、自分は仮説を出せない。 無根拠な悪口だけあり、真実を呈示していない。

blueboy のブックマーク / 2017年2月8日

「単位量の量子であっても波としての性質を示す」ことが結論として導けると、何がわかるのか明確に示していることが「『何もわかりません』と言っているだけ」とは全く意味不明である。 「単位量の量子であっても波としての性質を示す」という真実を示しているのに、「真実を呈示していない」も全く意味不明である。 二重スリット実験の結果を矛盾なく説明できる理論を3つも紹介しているのに、「自分は仮説を出せない」も意味不明である。

既に説明した通り、二重スリット実験から「単位量の量子であっても波としての性質を示す」以外のことを導くなら、それは妄想であって仮説ではない。 実験結果を説明するために必要だからこそ仮説と呼べるのであり、説明に不要な妄想は仮説ではない。

このような根拠に対して正面から反論せずに、「無根拠」と言い張って無かったことにしてしまうとは、さすが大御所は仰ることが違う。 え、どうして大御所ご本人だと分かったかって?

さて。これと同様のことをやっているのが、NATROM氏だ。

  → NATROMの日記

彼はここで、次のことをやっている。

「個人のはてなブックマークについて、そのアカウントの持主の別のブログを推測して、同一人物であると推定してから、両者を攻撃する」

ここでは「はてなのアカウント」という個人情報と、「別のブログの持主」という個人情報を結びつけることで、個人情報を勝手に公開している。

ストーカー殺人と個人情報 - タラコ の おうち


ブックマークコメントを書いたblueboy氏はOpenブログの管理人である南●久史氏であると思われる。

「近親婚タブー」は血縁淘汰説を否定するか? - NATROMの日記

一般に「個人情報」とは住所や本名等の実在の人物を特定する情報であって複数のハンドル名を「同一人物であると推定」することではないとか、正体を暴かれたと文句を言う前に複数の人物を装って人数を偽装するなとか、ツッコミたいことは多々ある。 しかし、ここで重要なことは其処ではない。 重要なことは、「blueboy氏はOpenブログの管理人である南●久史氏であると思われる」との指摘が極めて説得力を持つくらい、言動が極めてソックリなことである。

南●さんも、否定派トンデモと言われて悔しいなら具体的に反論すれば良い。 ここでも指摘している通り、南●さんの主張の最大の問題点は、批判する対象者の主張を理解せずに批判することである。 「いやいや、ちゃんと理解して批判しているぞ」と仰るなら、その証拠を示せば良い。 ご自分が紹介した内容が、間違った伝聞に基づくものではなく、間違いなく標準理論なのだとする証拠を示せば良いだけであろう。 それが本当であるなら実証は極めて簡単なことであり、高名な物理学者が書いた著書の内容を引用すれば良いだけである。