隠れた変数理論

概要 

隠れた変数理論では、特定の量子の特定の時刻における可観測量(物理量)は、観測が困難なだけであって、決まった値を取るとされる。 たとえば、粒子の位置について、波の広がる範囲の何処かに実在し、何処にあるか分からないだけで、何処にあるかは決まっているとされる。

歴史的経緯 

通俗説を真に受けると、「量子力学の主流科学者達は非常識な理論が正しいと根拠も無く決め付け、それが結果的に当たっていた」という印象を受ける。 しかし、歴史的経緯を調べると、そうではないことが分かる。 量子力学についてトンデモな説明をしている人は、決まって、隠れた変数理論の歴史をきちんと説明していない(量子力学の数学的基礎が確立すると同時に隠れた変数理論が数学的に否定されたこと、および、その証明が後に覆されたことが説明されていない)。 このことが通俗説の誤解の元になっていると思われる。 Wikipediaでさえ、「大半の物理学者は、〜と信じている」と信仰や哲学の問題であるかのように書いてあるから注意が必要である。

年表 

提唱者 意味 結論
1926マックス・ボルン確率規則量子力学の基本原理に確率論を持ち込む
1926アインシュタイン「神はサイコロを振らない」誕生?
1927ド・ブロイパイロット波理論パイロット波を伴う粒子の定式化(非弾性散乱では成立しないことをパウリが指摘)可能性
1932フォン・ノイマン量子力学の数学的基礎数学的基礎の確立、及び、隠れた変数理論の数学的反証(ノーゴー定理)全否定
1935アインシュタイン他Can quantum-mechanical description of physical reality be considered complete?(EPR論文)隠れた変数理論を擁護する思考実験問題提起
1935シュレーディンガーシュレーディンガーの猫
1935Grete Hermannフォン・ノイマンのノーゴー定理の反証(無名のまま埋没)
1952デビット・ボーム隠れた変数理論ノーゴー定理の数学的反証部分復活
1964J.S.ベルベルの不等式局所的隠れた変数理論が正しいなら破れることのない不等式
1967コッヘンとシュペッカーThe problem of hidden variables in quantum mechanics全ての物理量に同時に値を付与できない(全ての観測量に隠れた変数理論を適用できない)数学的証明否定?
1974Max JammerGrete Hermannの論文(フォン・ノイマンのノーゴー定理の反証)の発掘
1982アラン・アスペアスペの実験ベルの不等式の破れの実験的証明局所的理論の否定
1985FransonBell's Theorem and Delayed Determinismベルの不等式の検証実験におけるタイミングの取り方の不備の指摘
????デビット・ボーム位置のみに隠れた変数を適用限定理論
1996Jeffrey BubとR.CliftonA Uniqueness Theorem for "No Collapse" Interpretations of Quantum Mechanics物理量に値を付与できる限界(隠れた変数の一般化)限定理論の一般化

パイロット波理論 

1927年、ド・ブロイは、波を伴った粒子を想定し、波動関数から粒子の位置や運動を導くguiding equation(誘導方程式)を立てた。 guiding equationからは、ニュートンの運動方程式に量子ポテンシャル項を追加したかのような運動方程式が得られる。 しかし、量子ポテンシャル理論と確率力学(大崎敏郎) - 日本原子力研究開発機構核データ研究グループによれば、残念ながら、第5回ソルベー会議(1927年)でパウリに批判されて撤回してしまったようだ。

ノイマンの誤った「証明」 

まず、1932年に、フォン・ノイマンが、『量子力学の数学的基礎』という書籍によって、量子力学の数学的基礎を確立するとともに、隠れた変数理論が不可能であることを数学的に「証明」したとされる。 この「証明」に反発した人達は、『シュレーディンガーの猫』やEPR論文等、隠れた変数理論が間違っている場合の矛盾を示す思考実験を発表する。 しかし、数学的証明を覆すには思考実験では弱い。 これらの思考実験は問題提起としては意味を持つが、真相を明らかにするには不十分である。 実は、1935年にGrete Hermannがフォン・ノイマンの証明を覆す論文を発表していたが、これは、あまり知られないままであった。 Grete Hermannの論文が広く知られていたら量子力学の歴史が変わっただろうとも言われる。

量子ポテンシャル理論 

フォン・ノイマンの「証明」が数学的に覆されるのは書籍の発行から20年後のことである。 1952年、デビット・ボームは、フォン・ノイマンの「証明」では否定できない、隠れた変数理論の式を発表した。 フォン・ノイマンは、隠れた変数理論が不可能だと「証明」したはずである。 それなのに、何故、隠れた変数理論の可能性を示すことができたのか。 それは、フォン・ノイマンの「証明」に使われた3つの仮定のうちの1つが過剰に厳しかったからだとされる。 仮定に基づく「証明」であるのに、20年間、誰も、その仮定を検証しなかったのかという疑問はあるが、ひとまず、それは脇に置いてく。

非局所的隠れた変数理論
非局所的長距離相互作用を必要とする隠れた変数理論
非局所的長距離相互作用(非局所的長距離相関)
量子もつれ状態にある複数の量子が、お互いの距離に関係なく、お互いに影響を及ぼしあう

デビット・ボームの発表した数式は、非局所的隠れた変数理論であった。 一方、アインシュタインらが1935年に発表したEPR論文は、非局所的長距離相互作用を否定することで、隠れた変数理論が正しいとしている。 この非局所的長距離相互作用は、非常に厄介な存在である。 というのも、量子もつれ状態にある量子はどんなに遠く離れていても相互作用を及ぼすが、量子もつれ状態にない量子はどんなに近くにあっても相互作用を及ぼさないという、古典力学では説明できない現象だからである。 また、この相互作用は光速を超えて瞬時に作用するとされる。 隠れた変数理論の支持者は、物理学的常識に囚われて、隠れた変数理論しかないとしているのだから、そうした常識に反する非局所的長距離相互作用を導入してまで、隠れた変数理論を支持するのは本末転倒であるとされる。 ただし、『シュレーディンガーの猫』の思考実験は解決されるので、非局所的隠れた変数理論にも一定の存在価値はある。

ベルの不等式 

さて、では、局所的隠れた変数理論の可能性はあるのか。 その結論は、1982年のアスペの実験によって決着したとされている。 ベルの不等式は、局所的かつ古典的な力学において、相関関係がある確率範囲に収まらなければならないことを示した式である。 局所的隠れた変数理論が正しいならば、量子もつれ状態にある量子の相関関係は、ベルの不等式を満たさなければならない。 しかし、アスペの実験等で、スピン等の相関性を調べた所、ベルの不等式を満たさない現象が確認された。 この実験結果が示すことは、次のいずれかであるとされる。

  • 隠れた変数理論に従わない現象が少なくとも1つは存在する(全ての現象に関する証明ではない)
  • 非局所的長距離相互作用が実在する

これにより、局所的隠れた変数理論の可能性は完全になくなったとされた。 しかし、この実験の不備を指摘する論文もいくつか発表されている(例:Franson/1985)。 今のところ、Fransonによって指摘された問題を解決した検証実験は行なわれていないようだ。 また、 検出器の効率が90%近くないと、新しい物理法則を前提とすることによって、何も非局所的な効果を考えなくても、得られる相関を説明できてしまう SCI.PHYSICSで繰り返し現われる質問とその回答 らしい。

新たなノーゴー定理 

1967年のコッヘンとシュペッカーの論文によって、隠れた変数理論は不可能と数学的に証明されたようだ。 ただし、全ての物理量を隠れた変数で記述する理論としての枠組みが意味を失っただけであって、一部の物理量を隠れた変数で記述できる可能性は否定されない。 そして、一部の物理量を隠れた変数で記述する試みは現在でも続いているようだ。

所感 

全く無矛盾の隠れた変数理論は、今日においても、成立していない。 しかし、そのことをもって隠れた変数理論を安易に否定しても良いのだろうか。

量子力学の標準理論は、分からないことを分からないまま放置している。 それに対して、隠れた変数理論は、その分からないことに対して踏み込んだ理論構築をしようとしている。 標準理論よりも困難なことに挑戦しているのだから、標準理論にない矛盾が発生するのは止むを得ない。

そして、隠れた変数理論の提案当時は、そこまで踏み込む必要性があったことは言うまでもない。 隠れた変数理論は、元々、自然な理論を構築しようとして提案された。 常識的に考えれば、標準理論のようなアプローチの方が不自然であり、隠れた変数理論の方が自然であろう。

だから、標準理論にない矛盾があることだけをもって隠れた変数理論を門前払いするのは科学的な姿勢ではない。 同じだけ踏み込みつつも、隠れた変数理論よりも矛盾のない理論を構築してから、隠れた変数理論を葬るべきだろう。

もちろん、隠れた変数理論を盲目的に信じることも科学的な姿勢ではない。 今日では、アインシュタインらが当初想定していたような理論が構築できないことが分かっている。 隠れた変数理論を構築しようとすると、どこか理論に歪な部分ができてしまう。 だから、隠れた変数理論の提案時と比べて、隠れた変数理論の必要性はかなり薄れたと言える。

必要性は薄れたが可能性も否定できない、それが現在の隠れた変数理論の位置付けだろう。

通俗説の誤解 

二重性との関係 

波と粒子の二重性は、隠れた変数では説明できないと誤解する人がいる。 そう主張する人の根拠を良く見ると前提がおかしい。 彼らは、波としての性質を無視して、唯の粒子と考えた状態で隠れた変数を否定しているのだ。 しかし、波としての性質を無視するなら、隠れた変数に関係なく干渉は生じ得ない。 そう主張する人は、波と粒子の二重性の不可思議さの本質を理解していないのである。

本職の物理学者は誰1人として、波と粒子の二重性を隠れた変数理論を否定する根拠として用いていない。 何故なら、根拠にならないことが分かりきっているからである。 それが根拠にならないから、ベルの不等式が考案されているのである。

具体的に何処をどう勘違いしているのかここで改めて説明するのは二度手間なので、その詳細は二重スリット実験のページに記載する。