多世界解釈

本物と通俗説 

本物の多世界解釈は通俗説とはかなり違う。

多世界解釈の本質は驚くほど単純である。 まず、量子論の数式が示すことは正しいと仮定しよう。 そして、何が起きているかを、エンタングルメント(絡み合い)、デコヒーレンス(干渉性の喪失)、そして一貫した歴史という、3つの比較的新しく認識された概念を使って説明しよう。

「量子力学の解釈問題―実験が示唆する『多世界』の実在」(ISBN-10:4062576007,ISBN-13:978-4062576000,著:ColinBruce,訳&注:和田純夫)P.167

良くある間違いとして、典型的な事例は以下のパターンに集約される。

  • 量子力学と無関係な単なる並行世界論
  • デコヒーレンスのないHugh Everettの"Relative State" Formulationのみ

Hugh Everettの"Relative State" Formulation(相対的状態の定式化) 

Hugh Everettは、"Relative State" Formulation of Quantum Mechanics(1957)で、射影仮説のない式を立てた。 この式は、平たく言うと宇宙レベルの一連の量子もつれを想定している。 これをHugh Everettの定式化と言う。

Hugh_Everettの定式化

Hugh Everettの定式化では、1つのobserver state(観測者の状態)が観測対象の1つのstateに1対1で対応しており、observer state(観測者の状態)が相互干渉性を持たない"branches"(分岐)状態であるため、観測者の認識としては1つのstateしか観測できていないように感じられる、と考えているようである。 しかし、科学理論としては、射影仮説の排除に全く成功していない。

エベレットが自分の理論を最初に展開したとき、世界の分岐には言及しなかった。

「量子力学の解釈問題―実験が示唆する『多世界』の実在」(ISBN-10:4062576007,ISBN-13:978-4062576000,著:ColinBruce,訳&注:和田純夫)P.180


射影仮説は,量子論が,実験事実と合致しかつ無矛盾な理論体系になるために必要であるからこそ導入された公理なのである.

量子測定の原理とその問題点 by 東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻相関基礎科学系&東京大学大学院理学系研究科物理学専攻:清水明教授


多世界解釈の支持者は、射影仮説を目の敵にします。

射影仮説には2つの役割があります:

(A)異なる測定値に対応する量子状態の間の干渉をなくす

(B)干渉のなくなった複数の量子状態の中からどれかひとつを選び出す

よく見ると、多世界解釈もこれらと等価なことを仮定しています。

・Everetの原論文には(A)がなかったのでWignerの厳しい批判に遭った

→今は(A)を仮定するのが普通

・自分自身はどれかひとつのbranchのみを知覚する

→(B)と同じ

だから、コペンハーゲン解釈を言い換えているだけです。

Modern Theory of Quantum Measurement and its Applications by 東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻相関基礎科学系&東京大学大学院理学系研究科物理学専攻:清水明教授

「Everetの原論文」には「実験事実と合致しかつ無矛盾な理論体系になるために必要」な射影仮説相当部分がなかったため「Wignerの厳しい批判に遭った」のである。 これを分かりやすく説明するために時系列で見てみよう。

二重スリット実験では、右側スリット通過と相関するobserver state(観測者の状態)の観測結果が、左側を通過した波の影響を受けている。 これと整合するためには、「観測」前の量子の相互干渉性は必須であるから、この図においても量子もつれ発生前のα粒子は「可干渉」でなければならない(図左上)。 もしも、量子もつれ発生前のα粒子が「可干渉」でないなら、二重スリット実験の結果も次のように干渉縞が発生しないはずである。

単一スリット実験結果

また、観測後の結果が確定しているなら、この図においても蓋を開放した後の観測者は「不干渉」でなければならない(図右下)。 もしも、蓋を開放した後の観測者が「不干渉」でないなら、二重スリット実験の結果も次のように滑らかなグラデーションになるはずである。

干渉縞

実際の二重スリット実験の結果は次の通りであるから、量子もつれ発生前のα粒子は「可干渉」であり、かつ、蓋を開放した後の観測者は「不干渉」である。

二重スリット実験結果

以上を踏まえると次の図のようになる。 察し良い人はこの図を見た時点でHugh Everettの定式化が実験結果と一致しないことが理解できるのではないか。

Hugh_Everettの定式化0

Hugh Everettの定式化では、清水明教授の言う(A)が存在しない。 よって、観測に伴って、干渉性が変化することはない。 では、量子もつれの発生によって干渉性は変化するのだろうか。 量子テレポーテーションや量子消しゴム実験では、量子もつれの量子を利用して量子力学的な現象を発生させている。 よって、量子もつれの発生によって干渉性は変化するとは考えられない。 つまり、Hugh Everettの定式化では、干渉性の有無は常に一定でなければならない。 それを前提として不明点「?」を埋めて行こう。 初期状態を基準として、普通に考えると次のような図になる。

Hugh_Everettの定式化1

しかし、これでは、蓋を開放した後の観測者が「不干渉」でなければならないという条件を満足しない。 では、逆に、最終状態を基準として図を描いてみよう。

Hugh_Everettの定式化2

これも、量子もつれ発生前のα粒子が「可干渉」でなければならないという条件を満足しない。 干渉性が変化しないことを前提とするなら、最終形態として次の3つのようなものを受け入れなければならない。

Hugh_Everettの定式化4 Hugh_Everettの定式化5 Hugh_Everettの定式化6

いずれにおいても、全体の干渉性が失われていない。 行きている猫と死んでいる猫がα粒子を通じて間接的に可干渉となっているのだ。 これでは、生きている猫を見ているobserver stateにもα粒子を通じた観測を行えば死んだ猫を観測することが可能になる。 しかし、量子力学のあらゆる実験においてもそうしたことに成功した事例はない。

以上のとおり、どのように考えても実験結果と辻褄を合わせることが難しい。

本物の多世界解釈 

多世界解釈の本質は驚くほど単純である。 まず、量子論の数式が示すことは正しいと仮定しよう。 そして、何が起きているかを、エンタングルメント(絡み合い)、デコヒーレンス(干渉性の喪失)、そして一貫した歴史という、3つの比較的新しく認識された概念を使って説明しよう。

「量子力学の解釈問題―実験が示唆する『多世界』の実在」(ISBN-10:4062576007,ISBN-13:978-4062576000,著:ColinBruce,訳&注:和田純夫)P.167

このうち、エンタングルメント(量子もつれ)と一貫した歴史については、既に、Hugh Everettの論文の中に登場している。 問題は、Hugh Everettの論文にないデコヒーレンスが何処から出てきたかである。

残念ながらエベレットが論文を書いていたとき、デコヒーレンスの数学は十分に理解されておらず、なぜ異なる歴史は分岐しつづけ、お互いの間の干渉がどんどん小さくなるのか、十分に明らかではなかった。 そこで、別の物理学者ブライス・ド・ウィットはエベレットの理論を改良しようとしたが、振り返ってみると彼の仕事は役立ったとは言えなかったが、「多世界」という用語を造り出し、存在する各世界を、確率ゼロの存在しない世界によって完全に分離させるメカニズムを追求したのは彼である。

「量子力学の解釈問題―実験が示唆する『多世界』の実在」(ISBN-10:4062576007,ISBN-13:978-4062576000,著:ColinBruce,訳&注:和田純夫)P.179

これによれば、Many-worlds interpretation(多世界解釈)の命名者と、世界の分岐の考案者はBryce Seligman DeWittである。 物理学講師の吉田伸夫氏も、 多世界解釈の創始者はDeWitt 古典スキームの終焉2 - 科学と技術の諸相 であるとしている。 しかし、ここでも、まだ、デコヒーレンスは出て来ない。 本書によれば、デコヒーレンスは1970年にHeinz-Dieter Zehが発見したとされている(On the Interpretation of Measurement in Quantum Theory, Foundation of Physics, vol. 1, pp. 69-76, 1970)。

デコヒーレンスは、ミクロでもマクロでも常に起こる現象であるので、不連続な状態遷移ではない。 デコヒーレンスの進行速度は、物体の大きさによってが劇的に変わる。 ミクロでは遅く、マクロでは速い。 そのため、ミクロでは、デコヒーレンスが起きていないように見える。 その結果として、マクロでのみ生じる不連続な状態遷移に見えてしまう。

それを前提に多世界解釈の概念図を描くと次のようになる。

多世界解釈

以上のとおり、多世界解釈とは、Hugh Everettの定式化に、デコヒーレンスを積極的に導入し、波動関数の収縮メカニズムを明確に説明する立場らしい。 Hugh Everettは、波動関数の収縮を排除しようとして"Relative State" Formulation(相対的状態の定式化)を目指したようである。 多世界解釈は、Hugh Everettの試みとは逆に、波動関数の収縮の合理的な理由付けを試みているようだ。 つまり、Hugh Everettの仮説と多世界解釈は、同じ式を使いながら、180°真逆の解釈なのである。 実験結果との整合性を考えれば、多世界解釈の方が現実的な選択だろう。

参考までに、多世界解釈から多世界を除いたconsistent historiesは次のような図になる。

consistent_histories

多世界解釈の大きな、しかし、自明ではない利点は、非局所的効果を含まないことである。 このことについての議論を呼んだ数学的証明がデイビッド・ドイチとパトリック・ヘイデンにより2000年に発表され、ハーベイ・ブラウンとクリス・ティンプソンによる2002年の論文は、厳密な言葉での説明を提示した。

「量子力学の解釈問題―実験が示唆する『多世界』の実在」(ISBN-10:4062576007,ISBN-13:978-4062576000,著:ColinBruce,訳&注:和田純夫)P.173

「非局所的効果を含まないこと」が「自明ではない利点」とは随分と控えめである。 「数学的証明」が正しいのであれば、それは、十分に自明な利点となるのではないか。

我々の世界は、そこから分岐し始めている歴史によって常に影響されるが、我々自身の世界からマクロ的に異なり始めた世界の影響は、デコヒーレンスのために急速に減るので、単にそれは消滅すると仮定する。

「量子力学の解釈問題―実験が示唆する『多世界』の実在」(ISBN-10:4062576007,ISBN-13:978-4062576000,著:ColinBruce,訳&注:和田純夫)P.232

「デコヒーレンスのために急速に減るので、単にそれは消滅すると仮定する」はConsistent histories(量子力学の解釈の1つ。著書では「一貫した歴史」と訳されているが、統一された日本語訳はない。)の話である。 先の「非局所的効果を含まないこと」が「自明ではない利点」となることは、Consistent historiesも同様ではないのか。 著書では、Consistent historiesと比較して多世界解釈に優位性があるとされているが、その説明が何を言いたいかは極めて分かり難い。

一方でドイチや彼の同僚達の新しい多世界解釈では、事象は客観的かつ局所的に展開し、超高速の効果など存在せず、量子的な確率は任意性なしに自然に登場するという、自然を観察する「ガラス窓」を用意する。 この窓は特殊なガラスでできており、我々は分岐する現実を、測定や計算のために使うのに十分、明瞭に見ることができる.

「量子力学の解釈問題―実験が示唆する『多世界』の実在」(ISBN-10:4062576007,ISBN-13:978-4062576000,著:ColinBruce,訳&注:和田純夫)P.235

何が言いたいのか分かり難いが、これまでの説明にない部分を抜き出すと、量子力学の原理に確率論を導入する必要がないことを言いたいようである。

多世界解釈の立場では量子論は、概念的には確率と無縁になり、また人間の意識とも観測とも関係なく解釈できる。 その結果、この世界を実在論的に見ることも可能になる。

東大駒場素粒子論研究室紹介 和田純夫講師

consistent historiesでは、デコヒーレンス後にはどれか1つのstateのみが絶対的真実として確定する。 これをシュレーディンガーの猫で説明すると、何らかの確率的過程で猫の生死が決定される。 それに対して、多世界解釈では、デコヒーレンス後にも全てのstateが対等に並存している。 観測者から見るとどれか1つのstateのみが絶対的真実として確定しているように見えるが、それは見かけの現象に過ぎない。 1つのobserver state(観測者の状態)は、1つのstateを除いた他のstateは観測不可能になっている。 しかし、それは他のobserver state(観測者の状態)にも当てはまる相対的現象である。 consistent historiesでは現実の現象としてstateの選択が行なわれているが、多世界解釈ではそれは見かけ上の現象に過ぎない。 stateの選択だけが確率的過程なのだから、stateの選択がなければ確率的過程は存在しない。 つまり、stateの選択がない多世界解釈には原理的に確率的過程は登場しない。 多世界解釈では、猫が生きている世界も死んでいる世界も完全に対等に存在しており、どちら一方が確率的過程で選択されることはない。 そして、観測者も、猫が生きている世界の観測者と死んでいる世界の観測者の重ね合わせである。 それぞれのobserver state(観測者の状態)は、最初、自分がどちらの世界のobserver state(観測者の状態)なのかは判別できない。 その後、デコヒーレンスによって世界の干渉性が失われ、それぞれのobserver state(観測者の状態)は、自分がどちらの世界に居るかを知ることになる。 つまり、多世界解釈では、可観測量は最初から決まっているのであり、確率的に決定されるわけではない。 そして、可観測量は最初から決まっているけれども、観測前に可観測量を知ることができない。 これは、隠れた変数理論である。 つまり、consistent historiesに対する多世界解釈の優位性とは、多世界解釈が隠れた変数理論となることにある。 隠れた変数理論の復活を目論む人にとっては、多世界解釈は極めて重要な解釈となるだろう。

ただし、1つ疑問がある。

  • 上の図で「毒ガス発生器+猫」の関係が上下が逆になることはないか?
  • 上の図で観測者の関係が上下が逆になることはないか?

例えば、observer state(観測者の状態)のうち「どちらが死んだ猫を見るかは実験前から決まっている」でなければ、原理から確率過程を追い出すことはできない。 「どちらが死んだ猫を見るかは箱を開けるまで決まらない」となると、多世界解釈にも原理的に確率過程が存在することになってしまう。

この、仮定なしという主張には議論がある。実際、多世界解釈の最も有力な支持者たちも、現在、この理論を適用するにはいくつかの前提条件が必要であると認めている。この問題は後で、より詳しく議論する。

「量子力学の解釈問題―実験が示唆する『多世界』の実在」(ISBN-10:4062576007,ISBN-13:978-4062576000,著:ColinBruce,訳&注:和田純夫)P.169

多世界解釈にも仮定が必要である。

端から見れば非常に類似した信念を共有しているように見えるドイチやバイドマンといった確信的な多世界解釈論者が、お互いに、この理論の基本的な仮定に関して根本的部分で意見が一致していないのはどうしてなのだろうか。

「量子力学の解釈問題―実験が示唆する『多世界』の実在」(ISBN-10:4062576007,ISBN-13:978-4062576000,著:ColinBruce,訳&注:和田純夫)P.220

多世界解釈と呼ばれる解釈にもいくつかの流派があるらしい。

しかし多世界解釈は世界の科学者社会で普遍的に受け入れられているわけではない。

「量子力学の解釈問題―実験が示唆する『多世界』の実在」(ISBN-10:4062576007,ISBN-13:978-4062576000,著:ColinBruce,訳&注:和田純夫)P.177

ここで、オビの投票結果である。

多世界解釈の投票の作為的結果

この投票がどのようなメンバーのどのような国際会議で行なわれたかは書いていない。 しかし、この本の著者は、多世界解釈が受け入れられていない証拠として用いているので、特に問題はないだろう。 それよりも、投票の主催者Max Tegmarkによる作為的な選択肢操作が気になる。 ここでコペンハーゲン解釈として扱われている解釈の定義は、一般的な定義とも、P.104の著者の定義とも違っている。 「態度未定、あるいは右記の選択肢のいずれにも同意できない」はコペンハーゲン解釈のメカニズム不問派と見なせるし、「未発見の収縮メカニズム」もコペンハーゲン解釈の一派である。 これらを考慮して集計し直すと次のようになる。

多世界解釈の投票の標準的集計結果

これを見る限り、コペンハーゲン解釈が6割以上の支持を集めていると予想できる。 ただし、「態度未定、あるいは右記の選択肢のいずれにも同意できない」には、いずれの解釈とも違う解釈を支持している人も少数ながら存在するかもしれない。 しかし、少数派の動向では結果は大きく変わらないだろう。

パラレルワールドとの違い 

由来 

多世界解釈の元となったHugh Everettの定式化は1957年発表である。 パラレルワールド(並行世界)の概念は、それより前から存在している。 例えば、次のようなSF作品がある。

  • 神々のような人々(H・G・ウェルズ,1923年)
  • The Wheels of If(ディ・キャンプ,1940年)
  • 発狂した宇宙(フレドリック・ブラウン,1949年)
  • Ring Around the Sun(クリフォード・D・シマック,1953年)

パラレルワールドは、似て非なる別世界を作ることを目的としている。 一方、多世界解釈は、物理学的都合からの帰結である。 両者は、似た結論を導くが、その目的は全く違う。

性質 

パラレルワールドでは、似た世界にはかなり自由な歴史が認められる。 その時々の個人の選択如何で、大きく異なった世界が生じる。 一方、多世界解釈では、多世界の歴史の自由度は、量子の振る舞いの範囲に限られる。 その時々の個人の選択も、量子の振る舞いの範囲に限られるため、パラレルワールドほど大きな差は生じない。

たとえば、貴方は左右を注意せずに急いで道路を横切ろうとしてトラックにひかれて死んだとする。 この事象に非常にささいな変化があっても、貴方の命は救われていたかもしれない。 たとえば、人間の網膜は個々の光子の衝突に敏感でありうるが、視神経内の神経回路は通常、小さな揺らぎは無視する。 しかしもう1つだけ余分に光子が衝突していたら、神経回路は貴方の脳に、視野の縁にあった高速物体について警告を発し、貴方の命を救っていたかもしれない。 そのようなことが生じた並行世界は無数にあるだろう。

「量子力学の解釈問題―実験が示唆する『多世界』の実在」(ISBN-10:4062576007,ISBN-13:978-4062576000,著:ColinBruce,訳&注:和田純夫)P.243

多世界解釈で、「貴方」が生きている世界と死んでいる世界が並立できるのは、次の全ての条件を全て満足する場合だけに限られる。

  • トラックを見ている(たとえば、トラックが背後から迫った来る場合は該当しない)
  • 光子1個の差が神経回路の動作を変える(光子100個が必要な場合、99個を検出する必要がある。検出数が10個や1000個であれば、どちらかに結果が固定される。)
  • トラックを認識することで死を回避できる(どのみち間に合わないなら確実に死ぬ)

いずれかの条件が満足されない場合は、生か死に結果が固定されるので、並立不可能となる。 全ての条件を満足するのは、極めて希なケースだろう。

デイビッド・ルイスは、トラックが貴方を殺さなかったとしても、貴方に障害を残すかもしれないと気付いた。

「量子力学の解釈問題―実験が示唆する『多世界』の実在」(ISBN-10:4062576007,ISBN-13:978-4062576000,著:ColinBruce,訳&注:和田純夫)P.245

生と死が並立可能な条件を満たしても、死と大怪我が並立するだけであって、死と無傷が並立するのは難しい。 ただし、事故より前の分岐点を考慮すれば、死と無傷が並立する可能性はないとは言えない。 極端なことを言えば、宇宙の始まりを起点と見れば、多世界解釈でも、歴史の自由度は極めて高くなる。 とは言え、あまり分岐点を遡りすぎると、「貴方」が産まれない歴史の方が多数派となるだろう。 「貴方」が産まれる歴史の範囲に限れば、やはり、可能性はある程度限定されてしまう。

このような違いにも関わらず、多世界解釈を扱うSF作品では、単なるパラレルワールド作品であるものが多い。 多世界解釈と称していても、多世界解釈特有の制約は組み込まれてないし、量子力学と全く無縁である場合も少なくない。 ただ、科学風の味付けをするために、多世界解釈の名前を利用しているだけなのだ。 しかし、SF作品にそのような味付けは全くの無用だと言える。 ハードSFとして妥当な設定を目指すならともかく、ただ、名前だけを利用するだけでは意味がない。 Fictionなのだから、必ずしも現実通りの理論である必要はないし、常識に縛られ過ぎては作品も面白くならない。 例えば、ハードSF作品でも、既知の理論との矛盾をなくしているだけであって、現実通りの理論を採用しているわけではない。 だから、多世界解釈の名前を利用する必要は全くない。 中途半端な既知理論迎合は、かえって説得力を失う。

SF小説のアイデア 

パラレルワールドとは違う多世界解釈特有の性質を利用したSF小説のアイデアを考えてみる。 例えば、次のような機能を持つ装置を登場させる。

  1. 何らかの方法で量子もつれを解除する(フィクションなので具体的方法論は不要)。
  2. 何らかの方法でStateの関連性を組み替える(フィクションなので具体的方法論は不要)。
  3. 再び、量子もつれを発生させる。

多世界解釈では、これらを全てを実現できれば世界間を移動することが可能となる。 装置でなくても、同様のことが実現できる超能力などでも良い。 ちなみに、このような装置等を使うと、必ず、割を食うStateが生じる。 そこから話を広げることも可能だろう。

「先週、俺は、憧れの彼女に告白した。 彼女は『嬉しい、私も前から○○君のことが好きだったの』と言い、熱いキスまでしてきた。 それなのに、どうしたことか。 今日は、挨拶しても素っ気ない。 手を握ろうとしたら殴られた。 先週の告白のことを聞くと、彼女は俺を振ったと言う。 それどころか『私がアンタみたいなクズを好きになるはずがないでしょ』とまで言われる始末。 どうもおかしい。 そう言えば、最近、変なことばかり続けて起こる。 昨日も、内蔵がはみ出て完全に死んでいたはずの猫が、次の瞬間、何事もなかったかのように歩き出していた。 何が起きているのか俺は必死で調べて、そして、1つの結論に辿り着いた。 別の世界の俺が世界を変える装置を使っているのだと。 どんな原理かは知らないが、多世界解釈という奴だろう。 別の世界の俺が望むように世界を作り変えた結果、この世界の俺はそいつの望まない世界を押しつけられていたのだ。 何とも気に食わない話だが、そんなことはどうでもいい。 装置があるなら、この俺(俺α)が別の世界の俺(俺β)から奪ってやるまでだ。 では、綿密に奪還計画を練るとしよう。」

その後、α1,α2,α3……に分裂した「俺」が果てしない争奪戦を繰り広げるとか。 尚、こういう話の結末は悲劇と相場が決まっている。 しかも、一見成功したかのように見えて、最後のドンデン返しで奈落の底に突き落とされるパターンで。 さらに、「俺」は失敗に気づかず、読者にだけ真実を伝えて物語が終わることが多い。

良くある間違い 

科学は例外を許容しないか? 

コペンハーゲン解釈においては、1つの例外を除いて、常時、純粋状態を維持していると考える。 波動関数の収縮のときだけ、不連続な状態遷移が起こり、純粋状態が混合状態へと変化する。 この例外的処理の運用方法については、かなり不明確であり、量子力学が不完全と言われる所以となっている。

しかし、例外があることは、何ら、問題ではない。 「例外を引き起こす未知の何かがあってはならない」と言うなら、それは科学理論でなく、宗教である。 未知の何かとは、現代の技術では観測できない現象かも知れないし、現代の知見では構築できない理論かも知れない。 あるかも知れないし、ないかも知れない。 未知の何かを認めない、というのは非科学的姿勢である。 科学は、その時点の知見に基づいた仮説の集合体に過ぎない。 そして、新たな知見を得たときは、それに応じて仮説を修正することをやぶさかとしない。 理論と実験結果の不整合を生じさせない何かは無視する(オッカムの剃刀)が、理論と実験結果に不整合が生じるなら考慮に入れる。 それが適切な科学的姿勢である。

例外があることが問題なのでもなければ、例外の内容が問題なのでもない。 何がどのように例外を引き起こしているか分からないことが問題なのである。 数式上の例外的処理と現実の現象が一対一で対応していないことが問題なのだ。 数式処理で「観測」に伴う不連続な状態遷移を導入しなければならないのに、その「観測」や不連続な状態遷移の過程を物理的に定義できないことが問題なのである。

物理学において重要なことは、法則を見出すことであって、原理は二の次である。 「風が吹けば桶屋が儲かる」でも、それが法則として確立できるならば、原理など大したことではない。 例えば、「風速1m/s以上の北風が1分間継続して観測されれば、観測地点の周囲1km以内の桶屋の収益が10%向上する」のような法則でも、それが実験によって正しいと証明されるならば、必ずしも、その原理を解明する必要はない。 それは量子力学も同じである。 量子が波や粒子の性質を示す原理など、どうでも良い。 シュレーディンガー方程式や確率規則などの法則が重要なのである。 それは「収縮」についても同じで、ちゃんと法則化出来れば何も問題はないのである。 法則化できずに、曖昧なまま、その場しのぎで適用しなければならないから問題なのである。

この問題の解決策は次のいずれかである。

  • 「観測」や不連続な状態遷移の過程を実験結果と合うように物理的に定義する
  • 不連続な状態遷移を必要としない実験結果と辻褄の合う理論を採用する

前者の試みを試すならば、収縮に対応する物理的現象が何か具体的に定義できなければならない。 しかし、波動関数の収縮を不連続な状態遷移だと考える限り、例外的処理に対応する物理的現象は具体的に定義できない。 その場合は、「観測」したときに起きているらしいことしか分からず、何時、何を引き金にして起こるのかすら分からない。 というより、例外を引き起こすような未知の何かが存在しそうもないことが問題である。 収縮に対応する物理的現象が定義できるならば、例外的処理は何ら問題にならない。

後者の方法を試すならば、不連続な状態遷移を完全に排除しなければならない。 問われていることは、状態遷移の連続性であって、不連続さの種類ではない。 状態遷移を別の形に置き換えたとしても、それが不連続な状態遷移のままであるならば、物理学的には意味がない。 観測者から見えない成分を追加(復活と言った方が正しいか?)して状態遷移を別の形に置き換えたり、見えない成分を追加して混合状態を「第三の状態」に置き換えても、不連続な状態遷移を排除できなければ何も解決していないのだ。 それは、論点をすり替えて問題を見え難くなるように隠しただけであって、何も解決には繋がらない。 例外の形が変わっただけで、例外でなくなったわけではないのである。 そして、その例外と一対一で対応する物理的現象を定義できないことも、何ら変わりはない。 法則化できない例外が存在することに変わりがないのであれば、何も解決していない。

Hugh Everettは、果敢にも、後者の方法を試みたが、残念ながら、不連続な状態遷移を無くすまでには至っていない。 挑戦することは立派である。 しかし、失敗を認めずに、成功を偽装するのは疑似科学でしかない。

尚、本物の多世界解釈は、デコヒーレンスという収縮理論を導入することで解決を図っている。 これは、前者の試みである、

仮定の数 

「多世界解釈はコペンハーゲン解釈より仮定が少ない」と主張する人がいるが、それは間違いである。 というより、意図的な詭弁であろう。

射影仮説は,量子論が,実験事実と合致しかつ無矛盾な理論体系になるために必要であるからこそ導入された公理なのである.

量子測定の原理とその問題点 by 東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻相関基礎科学系&東京大学大学院理学系研究科物理学専攻:清水明教授


多世界解釈の支持者は、射影仮説を目の敵にします。

射影仮説には2つの役割があります:

(A)異なる測定値に対応する量子状態の間の干渉をなくす

(B)干渉のなくなった複数の量子状態の中からどれかひとつを選び出す

よく見ると、多世界解釈もこれらと等価なことを仮定しています。

・Everetの原論文には(A)がなかったのでWignerの厳しい批判に遭った

→今は(A)を仮定するのが普通

・自分自身はどれかひとつのbranchのみを知覚する

→(B)と同じ

だから、コペンハーゲン解釈を言い換えているだけです。

Modern Theory of Quantum Measurement and its Applications by 東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻相関基礎科学系&東京大学大学院理学系研究科物理学専攻:清水明教授

Hugh Everettの仮説は、(A)がないため、実験事実と合致しない。 実験と矛盾する仮説を立てておいて、「仮定が少ない」と言い張るのは詭弁でしかない。 言い替えると、「(A)←あんなの飾りです。偉い人にはそれがわからんのです。」という、実験事実に反する仮定を置いているとも言える。

また、多世界解釈には、(A)も(B)もある。 つまり、コペンハーゲン解釈の「仮定」は、全て、多世界解釈にも含まれている。 さらに、多世界解釈は、コペンハーゲン解釈にない、干渉性を失った世界の実在を仮定している。 よって、多世界解釈はコペンハーゲン解釈より明らかに仮定が多い。

もちろん、仮定の数が多いことは、多世界解釈が間違っていることを示してはいない。 しかし、「多世界解釈はコペンハーゲン解釈より仮定が少ない」は、間違いなく、嘘である。

観測者も含める 

観測者も含めてシュレーディンガー方程式で記述するのが多世界解釈の特徴だと説明する人がいる。 これは射影仮説と関連づけた非常に誤解を生む表現で用いられることが多い。 確かに、Hugh Everettの"Relative State" Formulation(相対的状態の定式化)は、観測者も含む量子もつれの対象となる全てを式で記述している。 しかし、この定式化で射影仮説をどうにも出来ないことは既に説明した通りである。

Hugh Everettの仮説特有の特徴は実験結果の無視であり、多世界解釈特有の特徴はデコヒーレンス後の非干渉世界の実在である。 それ以外は、他の解釈にも見られる特徴である。 例えば、測定器も含めた記述は量子測定理論でも成功しており、多世界解釈特有の特徴とは言えない。 物理学講師の吉田伸夫氏によれば、コペンハーゲン解釈にHugh Everettの定式化を組み込む人も居るという。