環境分野における武田邦彦氏の疑似科学論

最初に 

疑似科学者列伝:武田邦彦にて詳しく紹介するが、武田邦彦氏には次のような特徴がみられる。

  • 基本的な科学的知識・理解がない
    • 専門家を自称する原子力分野ですら素人同然
  • 参照資料はつまみ食い
    • 持論に都合の悪いデータは闇に葬り「未だに公表されない」と嘘をつく
  • データは全てデタラメ
    • 出典にないデータを捏造する
    • 変動を隠すスケール操作も当たり前
  • ウケると見れば何でも逆張り
  • 有り得ない夢物語を語る
  • たまに正しいことを言う時は、手垢まみれの二番煎じのみ

武田邦彦氏のトリックの手口は武田氏のトリックパターン類型化 - 環境問題補完計画で類型化されている。 このような人物の主張を真に受ける人はリテラシーがない。 武田邦彦氏は、言い訳ができるなら、次の件(後で詳細に説明)に言い訳してみると良い。

  1. 専門家が目の前に居る時と居ない時で主張内容が180度違うこと
    • 専門家と話すときは「私はほとんど○○先生が正しいと思っています」
    • 専門家の居ない所では「温暖化しない」とか、「人間のせいじゃない」
  2. 「太平洋を囲む陸地の気温」が上がってないように見せ掛けるためのスケール操作
    • 「ハワイ、日本の南の香港、南鳥島、アンカレッジ、サンフランシスコの順に、グラフ」だけ横方向に拡大する
    • 「ハワイ、日本の南の香港、南鳥島、アンカレッジ、サンフランシスコの順に、グラフ」だけ縦方向に縮小する
    • 以上のトリックが発覚しないように「ハワイ、日本の南の香港、南鳥島、アンカレッジ、サンフランシスコの順に、グラフ」は月平均値を採用
  3. PETボトルリサイクルに関するデータ捏造等
    • 「焼却を含ん」でいない「材料としてリサイクルしている量(再利用量)」が参照資料に明記されているのに「今に至っても」「『数字』を言う人はいない」と大嘘
    • 武田邦彦氏の想像に基づいた変則的な計算で、かつ、不確かさの幅も無視した「推算」なのに、「出所:PETボトルリサイクル推進協議会」
  4. 次の前提では「タバコを吸うと肺がんの死亡率は10倍以上減る」という結論が導けなくなるので、「必要なデータ」である年齢調整死亡率をコッソリと消去
    • 「タバコの害は継続的に20年ぐらい吸った人が、さらに20年ぐらい後に肺がんになる」
    • 「ガンは年齢と共に増えるので、粗死亡率(その年に肺がんで死んだ人の数)ではなく、それを年齢調整した死亡率をとる」
  5. 「理研は『研究室に任せないで、理研の総力で詐欺をする』と決めた」が「理研の委員会自体がそう言っている。武田の推定ではない」とする大嘘
  6. 「透析に追いやる薬」「平均寿命が延びたから透析患者が激増しているというわけではありません」と大嘘
    • 参照資料に記載されている患者平均年齢の推移を闇に葬った
    • 参照資料に記載されている年齢階層別患者数推移を闇に葬った
  7. 荒唐無稽な夢物語の「地球を簡単に冷やす方法」
    • 「200万平方キロメートル」に「『銀紙(ぎんがみ)』を敷く」手間や費用の「程度問題」
    • 全地球規模で「海の深いところから水をくみ上げる」手間や費用の「程度問題」

環境分野における武田邦彦氏のトンデモ語録 

環境問題全般論 

人はそれぞれ独立している。 家族がいて、友人や恩人がいても、人の考えは一人一人違う。 ある人はイスラム教を信じているし、隣の人はユダヤ教だったりするが、どちらの人が「間違っている」ということはない。 あの人はイスラム教、この人はユダヤ教信者というだけだ。 両方とも尊敬しなければならない。

これと同じように、環境問題でも「なにが環境に大切か」ということは人それぞれに違う。 ある人は「人間が存在すること自体が問題だ」と考え、ある人は「いや、環境に優しい生活はある」と言い、そしてまた別の人は「人生は短い。 そんなことより俺は楽しみたい」と言うだろう。 それぞれ正しい。

でも一つ決まりがあるような気がする。 それは「他人への強制」だ。 自分が正しいと思うことを他人に強制する時、「自分が正しいと考えるから他人に強制している」のかどうか、よく反省してみなければならない。

反論にお答えするコーナー(1)自分が考える正しさと強制力 - 武田邦彦

武田邦彦氏が、環境問題をあたかも価値観の問題のように主張できるのは、次のような現実離れした仮定を置いているからである。

  • 資源の使用を減らす行動が資源消費の削減に繋がらず、むしろ資源消費は増える(後述)
  • 地球は温暖化しない(武田邦彦氏の荒唐無稽な地球温暖化懐疑論参照)
    • 人間がどのように行動しても結果は変わらない
    • 仮に、温暖化しても簡単に冷やせる

現実に即した前提で考えれば、環境悪化は全ての人に不利益をもたらすのであり、決して価値観の問題にならないことは言うまでもない。

特に環境問題では「体が強く、健康で、声の大きい人」が自分だけのことを考えて、他人を強制することが多い。 その典型的なものがDDTで、先進国の人が害虫を駆除し終わったのでDDTが要らなくなり、自分の健康を害するからと全面禁止した。 そのために発展途上国の人が私の推計で8000万人も死んだ。 可哀想だ。

反論にお答えするコーナー(1)自分が考える正しさと強制力 - 武田邦彦

武田邦彦氏は、想像に基づいてデタラメなことばかりを言っている。 教えて!農薬Q&A > 農薬は安全? - 農薬工業会によれば、真相は次の通りである。

  • 先進国でDDTが禁止された理由は、「要らなくな」ったからではなく、予想以上に有害だと分かったからである
  • DDTは現在でも途上国においてマラリアの感染対策のためにハマダラ蚊の防除に限って使用が認められている
  • 2004年発効の「残留性有機汚染物質(POPs)に関するストックホルム条約」ではWHOの勧告に基づいたDDTの使用を認めている

先進国では、マラリアは蔓延していないから、DDTを使う必要がない。 使う必要がなく、かつ、有害なものなら、使用を禁止するのは当然である。 一方で、途上国ではマラリアが蔓延し、かつ、それが死亡率を大きく引き上げているため、マラリアを媒介する蚊を駆除するためにDDTを使う必要がある。 そして、マラリアの害はDDTの害より遥かに大きい。 よって、途上国でDDTの使用を認めるのも当然である。 そして、そのことが途上国の多くの人の命を救っている。 以上の通り、DDT関連の政策は、全ての人の利益を追求しているのであって、「自分だけのことを考えて、他人を強制」しているわけではない。

次の漫画はアメリカの有名な漫画だが、自分ではあふれるほどのエネルギーを使い、二酸化炭素を出しているのに、開発途上国の農民が木を切ろうとしているところに来て「その木を切ってはダメだということがわからないのか!」と叱る。

反論にお答えするコーナー(1)自分が考える正しさと強制力 - 武田邦彦

武田邦彦氏は、次の2つを混同させる詭弁を用いている。

個人の言動の是非
「自分ではあふれるほどのエネルギーを使い、二酸化炭素を出している」人に「木を切ろうとしている」「開発途上国の農民」を「叱る」資格があるかどうか
社会的に必要とされる行動指針
環境負荷(「あふれるほどのエネルギーを使」ったり、「木を切」ること)を減らす努力が必要かどうか

言うまでもなく、「自分ではあふれるほどのエネルギーを使い、二酸化炭素を出している」人には、「木を切ろうとしている」「開発途上国の農民」を「叱る」資格などない。 しかし、そのことは、環境負荷を減らす努力を否定する根拠にはなり得ない。 「あふれるほどのエネルギーを使」うことも、無駄に「木を切」ることも、環境問題としてはどちらも減らすべきなのである。

資源の使用量を減らすと結果的に資源の使用量が増える…という話のカラクリ 

武田邦彦氏は、次のように主張する。

仮に樹木からパルプを作りそれを紙にすることに対して、民家から集める古紙の方が紙を製造する時にコストがかからないとします。 紙を製造するときのコストは、それを作る為の石油は消耗品、機械類、建物、管理費、労務費などですから、結局すべて日本の環境に負荷を与えます。

またコスト(紙を製造するために使った経費)はプライス(紙の値段)とは違いますから、あまり市況の影響をうけず、紙を作る為の環境負荷に比例しているとできるでしょう。

環境よもやま話 その九 ー紙のリサイクル 4つの罪ー - 武田邦彦


なぜ、人件費を入れるかというと、その人件費を受け取った人は、それを必ず使うからです。 お弁当を食べたり、テレビを買ったり、貯金をしたりするためにお給料をもらっているからです。

貯金したお金はすぐ会社などに貸し出されて「環境負荷」に変わりますから、それもお給料をもらった本人が使うか、そのお金を借りに誰かが使うかの差だけです。

お金を使えば、必ずその分だけの資源(エネルギーを含む)を使います。 20年ほど前、環境問題が最初に関心を持たれた頃は、「高くても環境の為には」という人もおられたのですが、次第に「お金がかかるものはそれだけ資源を使っている」という単純な関係に気がつきだしています。

読者の方へ環境の人件費と経済の関係 - 武田邦彦

少し考えれば、次の点がおかしいことは誰でも気づくだろう。

  • 「コスト(紙を製造するために使った経費)」が「それを作る為の石油は消耗品、機械類、建物、管理費、労務費など」ならば、「プライス(紙の値段)とは違」わないので、もろに「市況の影響をうけ」る
  • 百歩譲って、「環境負荷に比例している」としても、その全額が環境負荷となるわけではない

「製造するときのコスト」が「それを作る為の石油は消耗品、機械類、建物、管理費、労務費など」であるならば、「市況の影響をうけ」ないはずがない。 材料費も人件費も「プライス」なのだから、「プライス(紙の値段)とは違います」とは全くの意味不明である。 尚、エネルギー効率(エネルギー供給量÷GDP)のグラフを見れば、コストが「環境負荷に比例」していないことが分かる。

(後日、図追加予定) エネルギー白書2019 第2部 第1章 第1節 - 経済産業省資源エネルギー庁

百歩譲って、「環境負荷に比例している」としても、その全額が環境負荷となるわけではない。 であれば、資源材料費と人件費の金額は単純比較できず、そのまま合算して環境負荷を求めることはできない。

さらに、突き詰めると次の点がおかしい。

  • 二重計上、多重計上
    • 同一リサイクル品目の二重計上
    • 他リサイクル品目の多重計上
  • 人件費の使途(の環境負荷)の無視
  • リサイクルに従事する人の人件費のみを計上する合理的理由がない

ここで、紙のリサイクルにかかる資源材料費を全額計上しているものとしよう。 その状況で紙のリサイクルの人件費まで計上したとしよう。 すると、紙のリサイクルの人件費を元に再生紙を購入した場合、その人件費の中にその再生紙を作るための資源材料費が含まれることになる。 紙のリサイクルにかかる資源材料費を全額計上している前提であれば、同一の費用を二重計上していることになる。 また、紙のリサイクルの人件費を元に、再生PETボトルや再生プラスチック容器包装や再生鉄製品や再生アルミ製品を購入すると、その人件費の中にそれらのリサイクルの資源材料費が含まれることになる。 武田邦彦氏は人件費も環境負荷であると主張するが、それならば、これらの重複計上は、資源材料費だけに止まらず、人件費にも及ぶことになる。 つまり、紙のリサイクルの費用に、紙以外の全ての品目のリサイクルの費用が含まれることになる。 逆に、紙以外の全ての品目のリサイクルの費用にも、紙のリサイクルの費用が含まれることになる。 これは明らかな多重計上である。 資源を使う製品の環境負荷は、個別の製品ごとに計算されている。 だから、「その人件費を受け取った人は、それを必ず使う」分を環境負荷に計上すれば、他の製品の環境負荷との二重計上になる。 もしも、二重計上にならない未計上の製品があるなら、その製品の環境負荷を追加で計算すれば良いだけである。 つまり、必要な製品の全ての環境負荷が計算されていれば、人件費を元にした石油資源の購入費用は、どこかの環境負荷計算で既に計上されている金額であるから、再度計上する必要は全くない。 例えば、PETボトルのリサイクルに支払われた人件費が、作業員のプライベートにおける自家用車の購入や燃料費に充てられたとしよう。 この場合、この自家用車の運転は環境負荷となるが、それは自家用車運転の環境負荷であって、PETボトルのリサイクルの環境負荷ではない。 この環境負荷をPETボトルのリサイクルに計上してしまうと、自家用車運転とPETボトルのリサイクルの二重計上になるから、合計で実態の2倍の環境負荷を計上することになる。 だから、実態通りに正確に計上するためには、この環境負荷は、PETボトルのリサイクルには一切計上せずに、自家用車運転にのみ計上しなければならない。

そもそも、この武田邦彦氏の「お金を使えば、必ずその分だけの資源(エネルギーを含む)を使います」理論を採用すれば、その国の環境負荷はGDPで決まることになり、個別の製品のリサイクル率を論じる意味がなくなる。 つまり、この武田邦彦氏の理論では、資源の消費量がどれだけ変動しようとも、また、リサイクル率が変動しようとも、GDPが等しければ環境負荷は変化しない。 だから、環境負荷を下げるためにはGDPを減らさなければならないことになり、GDPを減らさない限りは何をやっても環境負荷が下がらないことになる。 この武田邦彦氏の理論では、経済発展すれば「持続性資源」のみに依存していても環境負荷が増大し、「持続性資源」の一部を「非持続性資源」に置き換えても経済が衰退すれば環境負荷が低減されることになる。 このことは、後で紹介する武田邦彦氏の「新しい紙は持続性資源を原料としている素晴らしいもの」とする主張と相反する。 環境負荷はお金の使い道によって決まるのだから、常識で考えれば、GDPがいくら増えても、資源の消費量を増やさなければ、環境負荷は増大しないことは容易にわかるだろう。 そのことは既に紹介したエネルギー効率(エネルギー供給量÷GDP)のグラフからも明らかである。

リサイクル従事者が、もし、リサイクルに従事しなかったとしたら、その人は無一文なのか。 それとも、リサイクルに従事しない場合は、その人の人件費は環境負荷にならないのか。 失業率はリサイクル率ではなく、景気によって左右されるから、リサイクルしなかった場合にリサイクル従事者の分だけ失業者が増えると考えることはできない。 また、リサイクル従事者の出費が他の人たちより環境負荷が高いと考える合理的理由もない。 よって、リサイクル従事者の人件費が環境負荷を増やすとは考えられない。 そもそも、新品が再生品に置き換わっても、付加価値の総量は全く増えないから、資源の消費量が増えるはずがない。 新品よりや再生品の方が高く、かつ、付加価値の総量が変わらないなら、リサイクル推進に伴って同じ金額で買える付加価値の量が目減りする。 それは、経済効率の低下であり、消費の減退を産み、結果として、資源の消費量は減ることとなる。 以上の通り、失業率で見ても、経済効率で見ても、同じ物事を違う観点で分析したに過ぎないから、お互いに矛盾しない結論、すなわち、リサイクルの人件費は環境負荷を増やす効果がないという結論を導く。 であれば、特定品目のリサイクルの人件費をその品目のリサイクルの環境負荷として計上するのはおかしい。 確かに、環境問題を考えるにあたっては特定の品目のリサイクル分だけでなく社会全体の環境負荷を考慮する必要がある。 しかし、社会全体の環境負荷と個別品目のリサイクル効率は、環境問題という点では関連性こそあるものの、それぞれは別項目であるので、そのことは人件費の使途の環境負荷をその品目のリサイクルの環境負荷に計上すべき正当な理由とはならない。 百万歩ほど譲って、社会全体の環境負荷を計上すべきだとするなら、リサイクルに従事しない人の人件費も計上しなければならないはずである。 よって、リサイクル従事者の人件費のみを個別品目のリサイクルの環境負荷に計上する合理的理由がないことは明らかである。

この一連の主張において、武田邦彦氏は、次の2つを混同させる詭弁を用いている。

  • 特定品目における再生利用促進の是非
  • 一般的な行動指針(再生利用で言えば、その過程で金銭を受け取った側の使い道)

言うまでもなく、本件議論では、特定品目に関する再生利用の環境負荷を論じているのであって、それ以外の品目における一般的な行動指針を論じているのではない。 そして、一般的な行動指針における環境負荷も、当然、金銭の使い道によって変わる。 この点、後で紹介する再生紙の話において、新品のパルプの原料となる木材を「持続性資源」として環境負荷から外している武田邦彦氏に異論などあろうはずもない。 もしも、この点について武田邦彦氏が異論を唱えるなら、武田邦彦氏の主張は都合の良いタブルスタンダードに基づいていることになる。 もちろん、一般的な行動指針が、資源を多量に消費するものなら、社会全体での環境負荷は上がる。 極端な例では、使う金銭が全て資源の消費に使われる場合もあるかもしれない。 しかし、それは、一般的な行動指針の問題であって、当該品目における再生利用の問題ではない。 そもそも、特定品目において再生利用をして環境負荷を減らそうとするなら、他の品目で環境負荷を最大にする行動指針を前提にするのでは、言動が一貫性に欠ける。 一貫性のある行動指針を前提とすれば、当然、特定品目の再生利用を促進する人は、他の多くの品目においても環境負荷を減らそうとするだろう。 であれば、「お金を使えば、必ずその分だけの資源(エネルギーを含む)を使います」ということにはなり得ない。 武田邦彦氏は、個別品目のリサイクル効率とは無関係な環境負荷をその品目のリサイクルの環境負荷に計上することでリサイクルにかかる環境負荷を水増ししているのである。

以上の通り、「お金を使えば、必ずその分だけの資源(エネルギーを含む)を使います」理論は、リサイクルが環境負荷を増やすとする結論を先に設けて、それに合うように屁理屈をこじつけただけのものであることは疑う余地がない。 この一連の武田邦彦氏の主張は、当初の主張にはなかったものと推察される。 というのも、それより古いページにて 直接的に資源を使うものは46%だから405円のうち、直接資源関係の経費は186円になる ペットボトル・リサイクル率の計算 - 武田邦彦 との按分計算を行なっているからである。 その直前には、 人件費も委託費も結局は資源と交換される ペットボトル・リサイクル率の計算 - 武田邦彦 とする記載も見られるが、このページの内容は 一部修正の上再録 ペットボトル・リサイクル率の計算 - 武田邦彦 されたものであり、その記載が初版(2004年のデータを用いていることから、2004〜2005年頃に書かれたものと推察される)からあったものかどうかはわからない。 もしも、その記載が初版からあったものだとすれば、直後の按分計算と明らかに矛盾する。 何故ならば、「人件費も委託費も結局は資源と交換される」のであれば、按分計算をするまでもなく全額を計上すれば良いからだ。 どう見ても、この按分計算が「直接資源関係の経費」に該当しない人件費等を除外するためのものであることは明らかである。 だから、当初、武田邦彦氏は人件費を除外するつもりだったと考えられる。

しかし、「直接資源関係の経費」に該当しない人件費等を除外したつもりでも、実は、まだ、多額の人件費等が除外されずに残っていた。 そのことを誰かに指摘されたのだろう。 そして、その指摘に従って完全に人件費等を除外すると、リサイクルが環境負荷を低減することを認めざるを得なくなる。 しかし、武田邦彦氏としては、そんな結論は到底受け入れられず、どんな手を使ってでも、リサイクルが環境負荷を増やすとする結論を導きたい。 だから、「人件費も委託費も結局は資源と交換される」「お金を使えば、必ずその分だけの資源(エネルギーを含む)を使います」として、「コスト」は「環境負荷に比例」するという後付けの屁理屈をこねて、無理矢理に、リサイクルが環境負荷を増やすとする結論を維持しようとしたのだろう。

月収が100万円の人は高級乗用車に乗り、冷房の効いたホテルで食事をするでしょうし、10万円の人は歩いてコンビニにおにぎりを買いに行き、家で食べるでしょう。 どちらが資源を多く使っているかは計算するまでもありません。

読者の方へ環境の人件費と経済の関係 - 武田邦彦

「月収が100万円の人は高級乗用車に乗り、冷房の効いたホテルで食事をする」とは限らないし、「10万円の人は歩いてコンビニにおにぎりを買いに行き、家で食べる」とは限らない。 「月収が100万円の人」が天然原料100%の製品ばかり購入することもあるだろうし、「10万円の人」が石油資源をたくさん使う製品ばかり購入することもあるだろう。 常識で考えれば、稼いだ賃金のうち、いくらを資源消費に使うかは人によって違うのであり、「どちらが資源を多く使っているかは計算するまでもありません」などという主張が成立するわけがない。

また、人件費を入れない計算には大きな欠点があります。 もし、誰かが作為的に「環境負荷を小さく見せよう」と思えば、最初だけ、機械を使わずに全部、人手でやれば環境負荷はゼロになってしまうからです。

たとえば、ペットボトルのリサイクルの場合、家々からでるペットボトルを人が集めに来て、それを自治体まで持って行き、そこから先もすべて人手でやったら、ペットボトルのリサイクルには何も資源は使わないという変な結論になります。

読者の方へ環境の人件費と経済の関係 - 武田邦彦

「家々からでるペットボトルを人が集めに来て、それを自治体まで持って行き、そこから先もすべて人手でやったら」、少なくとも、回収には「何も資源は使わない」のであり、その通りの結論が出ることは何ら「変な結論」ではない。 「すべて人手でやったら」、それにより回収の環境負荷が減るが、それは「機械を使」う分の環境負荷を実際に減らしているのであって、「環境負荷を小さく見せ」かけているのではない。 もちろん、「最初だけ、機械を使わずに全部、人手でや」っても、再生処理で燃料を燃やすなら、当然、その燃料分を計上するから、「人件費を入れない計算」であるか否かに関わらず、「ペットボトルのリサイクルには何も資源は使わない」という結論にはならない。 このように、「人件費を入れない計算」では、使った分の資源が環境負荷として計上され、実態にきちんとあった数値となるのだから、「作為的に『環境負荷を小さく見せよう』」とする試みが成功する余地はない。 「大きな欠点」などはどこにも存在しないのである。

また、もう一つ、別の問題もあります。

人によっては「物事の裏のもの」にあまり関心が無い人がいます。 たとえば、「東京と名古屋の間の運賃は1万円だが、グリーン車は4000円だ。 グリーン車に乗っても4000円分の資源を使うわけではないから、お金と資源とは比例していない」というような例です。

確かに、グリーン車に乗っても、見かけ上は少しシートが大きいだけですから、グリーン料金は単に「贅沢だから差別をつけるだけ」と錯覚するのです。

でも、グリーン車にかかる資源とは、 1)座席の専有面積が大きいことによって生じる輸送負荷、 2)アテンドする乗務員を増やすための負荷、 3)高価な車両を作るための負荷、 3)そもそもグリーン車というものを置くための経費 などがあり、それらの合計が4000円なのです。

もし、JRがグリーン車が4000円もしないのに不当に4000円を「贅沢するからとる」という理由でとる料金体系ならそれは不適切ですが、そうではありません。

ズルをすれば別ですが、経済活動というのはそもそもその目的にかかった経費に正当な収益を乗せるものであり、もし2000円ですむグリーン車を4000円もとっていたら、それは正常な経済活動ではありません。

読者の方へ環境の人件費と経済の関係 - 武田邦彦

これは次の2つの論点を混同させた詭弁論法である。

  • 「経済活動というのはそもそもその目的にかかった経費に正当な収益を乗せるもの」
  • 「その目的にかかった経費」が資源消費の対価であるかどうか

確かに、グリーン車の事例では、「座席の専有面積が大きいことによって」一座席当たりの燃料消費量を増やしているので、コストの増分と資源の増分が相関している。 しかし、グリーン車の事例がたまたまそうだった(というより、武田邦彦氏が恣意的にそういう事例を選んだ)だけであり、それ以外の事例でも、常に、コストの増分と資源の増分が相関しているとは限らない。 武田邦彦氏は論点をボカして煙に巻こうとしているだけであって、この主張は「人件費を入れない計算」における「別の問題」には全くならない。

もし問題があるなら,言論の自由があるのだから、真正面から議論すれば良いが,なにしろ匿名でいろいろなところに言い回っているようだ.

じつに姑息だ。

なんど言ったら・・・ - 武田邦彦

武田邦彦氏は、専門家に対して議論を仕掛けずに、専門家のいない所で素人に嘘八百を説いている。 つまり、「真正面から議論」していないのは武田邦彦氏の方である。

独自の仮定を置いて勝手な想像で計算した値を「出所:PETボトルリサイクル推進協議会」 

武田邦彦氏が、根拠のないデタラメを主張し、そのデタラメを指摘されても、誤りを絶対に認めない。

私が「ペットボトルのリサイクルで、資源を無制限に使わないでリサイクル出来ているのは3万トン」と発表してから1年半になる。

数字を言わない人たち - 武田邦彦


私がもしペットボトルが資源を節約する形でリサイクルされている量を3万トンではなく、別の数字にする場合には、必ず新しい計算根拠を示す。

Wikipediaの記述について - 武田邦彦


株式会社洋泉社発行の書籍「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」(武田邦彦著)の 13ページ図表1-1下部に「出所:PETボトルリサイクル推進協議会」と記されていますが、 その図表1-1中「」にて示される「再利用量」データに関しては、一切弊協議会の データではなく、弊協議会の名前を騙った捏造データであります。

書籍「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」での弊協議会データ捏造について - PETボトルリサイクル推進協議会

「ペットボトルが資源を節約する形でリサイクルされている量」は、元になるデータがない限り、「新しい計算」などで求められるわけがない。 よって、「新しい計算」は何ら「根拠」にならない。 独自の仮定を置いて勝手な想像で計算した「3万トン」という値を採用するなら、「出所:PETボトルリサイクル推進協議会」とするのは捏造以外の何物でもない。 ただし、「これは出典に記載している値ではなく、私が勝手に想像した値である」と明記すれば捏造ではない。

その間、私の示したデータがおかしいとか、根拠を示せとか、批判をする人たちがいる。 でも、今に至っても、ペットボトルが有効に何万トンリサイクルされているのか、「数字」を言う人はいない。

数字を言わない人たち - 武田邦彦


いずれにしても私の真意は「ペットボトルは資源の節約という形ではほとんどリサイクルされていない。データも計算しなければ求められないような状態で提供されているだけ」ということだ。

Wikipediaの記述について - 武田邦彦

最初に断っておくと、仮に、「今に至っても、ペットボトルが有効に何万トンリサイクルされているのか、『数字』を言う人はいない」としても、武田邦彦氏によるデータ捏造が正当化されるわけではない。 では、「今に至っても、ペットボトルが有効に何万トンリサイクルされているのか、『数字』を言う人はいない」「データも計算しなければ求められないような状態で提供されている」のかどうかを検証する。 書籍執筆時に参照可能だったと考えられる2006年度版PETボトルリサイクル年次報告書を元にグラフを書いてみた。

ペットボトルの生産と再生

PETボトルリサイクル年次報告書 2006年度版 p04 PETボトルリサイクル年次報告書 2006年度版 p10

ペットボトルの利用量は51万tという武田邦彦氏の書籍から見て、2004年度のデータを元にしていると考えられ、武田邦彦氏は2005年度の年次報告書を読んだと思われる。 そこには次のように記載されている。

(財)日本容器包装リサイクル協会が取り扱ったPETボトルの利用先における再生樹脂の使用数量は、2004年度は148千トンと対前年比119%の伸びを示しています。


再利用品用途別推移

PETボトルリサイクル年次報告書 2005年度版 p11

見れば明らかな通り、「計算しなければ求められないような状態」ではない「ペットボトルが有効に何万トンリサイクルされているのか、『数字』」が「2004年度は148千トン」と明確に記載してある。 そして、このデータを見ると、「ペットボトルのリサイクルで、資源を無制限に使わないでリサイクル出来ているのは3万トン」が全くのデタラメであることも明らかである。 繰り返すが、「3万トン」を「出所:PETボトルリサイクル推進協議会」とするのは捏造以外の何物でもない。

尚、事業系回収量は 国内で再商品化または輸出されているものを対象 PETボトルリサイクル年次報告書 2005年度版 p04 とし、再生利用量は(財)日本容器包装リサイクル協会が取り扱ったものだけが計上されているので、それ以外も含めると再生利用量はもっと多い可能性がある。 PETボトルリサイクル推進協議会は輸出量について次の図のように推測している。

未確認量とは収集が確認されていない量であり、内訳は輸出・埋め立て・焼却などです。 これらの数量内訳について現状では公式な統計では捕捉が不可能であり、これまでは、もっぱら埋め立て・焼却されているものが主流ではないかと見なされていました。

しかし、推進協議会の調査結果や信頼のおける調査機関の資料から、この未確認量のうちの過半が輸出され、海外で再商品化されているのではないかと推定しています。 その理由として最近では、わが国で発生する使用済みPETボトルの破砕品などに中国・香港を中心に海外から活発な強い引き合いが入るようになりました。 そして、これらは有償で取り引きされ、輸出されています。 そのため、事業系のものも今までのような費用のかかる埋め立て・焼却という処理方法から、資源としてきちんと収集・選別が行われ、販売するという事例が急増しています。 これらは事業系回収量調査でも明らかになってきています。

PETボトルは大切な資源であるということが一段と強く認識され、使用済みPETボトルの価値が大幅に上昇した結果といえます。 特に日本のものは無色透明品であり、汚れや異物が他の国のものに比べ格段に少ないことから、近隣諸国から資源としてとりわけ高く評価されています。


ペットボトルの生産と再生

PETボトルリサイクル年次報告書 2005年度版 p06

有償で取り引きされているということが事実なら、海外への輸出分も資源として再利用されている可能性が高い。

このところは少し事実と違っているし、少なくとも私の意図とは違うので、訂正させていただきたい。 まず、 「引用がPETボトルリサイクル協議会になっていたのは誤りで」 と表現しておられるが、もしかすると私もどこかで謝ったかも知れないが、それは「誤り」だったというのではなく、「もし協議会がご不満なら謝る」ということだ。 「誤る」と「謝る」は似ているが、私は相手が不快なら事実はともかく、「失礼した」と言う必要があると思っている。 事実や真実は人によって違うから。

つまり、私は相手が望んでいないことをあまり頑張るのは好きではないが、私の本ではPETボトルリサイクル協議会のデータを使ったので、データ元に経緯を評して引用しただけだから(もし私のデータが「誤り」と言っている書籍などあるとしたら誤字なのでご指摘願う。)

Wikipediaの記述について - 武田邦彦

「データ元に経緯を評して引用した」なんて主張は、独自の仮定を置いて勝手な想像で計算したことを説明せずに「出所:PETボトルリサイクル推進協議会」と偽装した言い訳にすらなっていない。 「事実や真実は人によって違う」ことが問題なのではなく、武田邦彦氏が「事実や真実」を捏造したことが指摘されているのである。 その「誤り」を認めずに「謝る」なんて言うのは詭弁そのものである。

それから7年後、日本社会でかなりリサイクルが進んだ機会を見て、「環境問題はなぜウソがまかり通るのか?」を出して、次のグラフを載せました。

武田邦彦氏が「各種のデータを組み合わせて推算したもの」

そうしたら、1)リサイクル業者、2)環境運動家、3)マスコミ、はては、4)東大教授から一斉に「ねつ造」とのバッシングを受けました。 グラフには3本の線があり、ペットボトルの売り上げ、焼却を含んだ公的な数字としてのリサイクル量(回収量)、それに私が調べた材料としてリサイクルしている量(再利用量)の3つでした。

私は「リサイクルといいながら焼却を数字に入れる」ことは誠意がないという考えですから、自分が調べた「材料としてのリサイクル率」を表示しました。


もともとデータは学者が出すのが「正」で、それに基づいて官庁などが発表していたのですが、最近では税金が潤沢にあるので、役所自体がデータを出します。そうすると「公的データ」としてマスコミなどが取り上げます


しかも、私のデータは愛知県、三重県、岐阜県を現地調査し、そのほかは各種のデータを組み合わせて推算したものでした。 マスコミは主にこの点をついて「3県しか調べていないのに」と言い始めましたが、個人の学者が調べられる範囲は決まっていますし、どこのデータかを言わなければ問題ですが、公言しているのですから、独自もなにもないのです。 むしろ全国の正しいデータを出すのは政府とかマスコミの方でしょう。

対立の構図(5)悪意とイタズラ - 武田邦彦

武田邦彦氏が出典として参照したであろう資料に「焼却を含ん」でいない「材料としてリサイクルしている量(再利用量)」が明記されていることは既に指摘した。 更に、同資料には繊維、シート、ボトル、成形品、その他の再生利用内訳も記載されている。 尚、PETボトルリサイクル年次報告書 2005年度版 p06によれば、回収量については、国内で焼却されている分は含まれておらず、海外輸出分も有償で取り引きされている。 武田邦彦氏が出典として参照したであろう資料に明記されているのだから、データがないなどという言い訳は通用しない。

「愛知県、三重県、岐阜県を現地調査」したなら、そのまま3県の再生利用率等のデータを示せば良いのであり、「そのほかは各種のデータを組み合わせて推算」する必要性が全くない。 グラフを示したいとしても、「愛知県、三重県、岐阜県を現地調査」したデータのグラフを示せば良いのであり、不確かな「推算」をグラフに入れる必要性は全くない。 そして、そのデータに基づいて「愛知県、三重県、岐阜県」でのリサイクルの浸透具合を論じ、他府県でも同様かもしれないと主張する程度なら、捏造などとは言われなかっただろう。 しかし、「3県しか調べていないのに」、提示する必要性のない「そのほかは各種のデータを組み合わせて推算」に基づいて全国のリサイクルの浸透具合を論じ、「出所:PETボトルリサイクル推進協議会」と記載したなら、捏造と言われても当然のことである。

何より、問題は、武田邦彦氏のモラルの低さである。 一素人の主張なら、「調べられる範囲は決まっています」との理由で、「そのほかは各種のデータを組み合わせて推算」するのも止むを得ないことがある。 しかし、学者の立場で物を主張するなら、正しいデータを正しく分析するのが筋である。 学者の立場で物を主張している以上、「調べられる範囲は決まっています」は実測データを無視したデタラメな「推算」を提示する言い訳にはならない。

ところがしばらくして、ペットボトルのリサイクルはほとんどされていないことが分かると、今度は「ねつ造」という表現を止めて、「武田独自のデータ」ということに変わりました。


いずれにしてもこの事件はペットボトルがリサイクルされていないことがわかり、私に対する批判も一段落しましたが、この例は「悪意によって火のないところに煙をたてて対決を煽る」ケースと分類できるでしょう。

対立の構図(5)悪意とイタズラ - 武田邦彦

武田邦彦氏が出展として参照したであろう資料に記載されていた「焼却を含ん」でいない「材料としてリサイクルしている量(再利用量)」は未だ撤回されていない。 最新の資料でも数値は訂正されていない。 「ペットボトルがリサイクルされていないことがわかり」とやらは、一体、どの世界線の話なのか(笑)。

常識のある人なら言うまでもないが、「『ねつ造』という表現を止めて、『武田独自のデータ』ということに変わりました」のではなく、「『ねつ造』という表現」の他に「武田独自のデータ」という表現を用いているだけである。 そして、2つの表現を使う理由は、武田邦彦氏が「私の本ではPETボトルリサイクル協議会のデータを使ったので、データ元に経緯を評して引用しただけ」なる意味不明の言い訳を持ち出して捏造を認めないからであり、かつ、その言い訳の是非のみを論点としていては話が進まないからである。 だから、次の2つの論点に分離して論じているだけにすぎない。

  • 「武田独自のデータ」なのに「出所:PETボトルリサイクル推進協議会」と表記するのは明らかな捏造である
  • 「武田独自のデータ」は、全く根拠のないデタラメな内容である

論点整理したに過ぎない事実をもって「ペットボトルがリサイクルされていないことがわかり、私に対する批判も一段落しました」と主張するのでは妄想が激しすぎる(笑)。

2004年における使用済みPETボトルに関しては上記推進協議会が年次報告の中で図を示している。まず事業系と自治体回収独自ルートはほとんど海外に出ていて、リサイクルされていないとしている。 ただ点線で示されているように一部、リサイクルに回っているものもあるとしている。 しかし仮に一部が回っているとすると指定法人引取の量が増えてその後の辻褄が合わなくなるので、事業系と市町村独自ルートのものは海外に出ているとした。

ペットボトル・リサイクル率の計算 - 武田邦彦

武田邦彦氏は、「上記推進協議会が年次報告」では、「まず事業系と自治体回収独自ルートはほとんど海外に出ていて、リサイクルされていないとしている」と主張している。 しかし、先ほど引用した通り、その「上記推進協議会が年次報告」には、「この未確認量のうちの過半が輸出され、海外で再商品化されているのではないかと推定しています」「資源としてきちんと収集・選別が行われ、販売するという事例が急増しています」と記載されており、この資料の記載内容は武田邦彦氏の主張とは真逆である。 「〜はほとんど海外に出ているとされているが、私は、海外に出ている分はリサイクルされていないと考える」と書けば捏造には当たらないが、「上記推進協議会が年次報告」で「リサイクルされていないとしている」では完全な捏造である。

従って使用済み51万トンのPETボトルのうち、回収条件が良いもの5%(2万5千トン)はリサイクルの条件に入っている可能性がある。 また市場では卵パックのようにシートとして使用されているものがあるので、約3万トンは実質的にリサイクルされているとした。

ペットボトル・リサイクル率の計算 - 武田邦彦

後で詳細に解説する通り、武田邦彦氏は、何の根拠もないデタラメな「推算」で「直接資源関係の経費」を過剰に見積もり、その分を差し引いたものを「実質的にリサイクル」量と主張しているだけである。

もちろん、出典に記載された再生利用量の生のデータを「出所:PETボトルリサイクル推進協議会」と表記し、「私は、○○という理由で□□万tは再生利用量から差し引くべきだと考えるので、実質△△万tしか再生利用していないと推算する」と記載すれば、そこに記載された氏の考えが正しいかどうかは別として、捏造には当たらない。 しかし、武田邦彦氏は、持論に都合が良い「推算」結果に「出所:PETボトルリサイクル推進協議会」と表記するから捏造だと批判されるのである。

このようにリサイクル量が少ない原因は使用済みペットボトルが劣化(化学的および混合による物理的劣化)していること、拡散していること、それをカバーするだけの社会システムや技術が育っていないことによると考えられる。 要因はともかく毎日、分別をしている国民にとっては現実に資源の節約になって再利用されている現状を知ることは大切だろう。


また、「いくら資源を使ってもリサイクルすればよい」というのと「資源を節約できたものだけをリサイクルと言う」という定義の問題があり、ここでは後者の定義を常に使っている。 拙著「環境問題はなぜウソがまかり通るのか2」(207ページ)で、「いくら資源を使ってもリサイクルすればよい」とすれば、20%程度のリサイクル率と計算されることを示した。

ペットボトル・リサイクル率の計算 - 武田邦彦

「リサイクル量が少ない」のではなく、持論に都合が良い「推算」で「直接資源関係の経費」を過剰に見積もって、「資源を節約でき」ていないことにしているだけである。 そうした「推算」が何の根拠もないデタラメな計算に基づいていることは後で詳細に解説する。

日本は資源が少ない国で、石油も大部分を輸入に頼っている。 だからこそ、日本の政府や産業界は、石油への依存度を減らすために、原子力を推進したがるのである。 それなのに、石油消費量を無駄に増やす政策を、一体、誰が推進すると言うのだろうか。 常識で考えれば、武田邦彦氏の主張する「いくら資源を使ってもリサイクルすればよい」が成立する余地がないことは、子供にでもわかる理屈である。

なお、リサイクル率を出すに当たって、上記の計算ばかりではなく、複数の事実を当たってみた。 たとえば、名古屋や岐阜で実際にリサイクルされているかを調査したが、部分的ではあるが、2%程度だった。 また、一般のプラスチックリサイクルを調べると、全体で2%が再利用され、そのうち、再利用の価値が認められるものは1%程度あった。 これらから上記の3%はほぼ妥当な数字と考えられる。

ペットボトル・リサイクル率の計算 - 武田邦彦

「名古屋や岐阜で実際にリサイクルされているかを調査した」とする結果は、内訳や調査方法等が示されていない。 後で詳細に検証する「推算」結果をみる限り、これも武田邦彦氏の持論に都合の良い計算やみなし解釈が行われているとみるべきだろう。

また、先に引用した次の部分は、今回の「推算」と矛盾している。

  • 「『リサイクルといいながら焼却を数字に入れる』ことは誠意がないという考え」
    • 「推算」では、「焼却」量ではなく、「直接資源関係の経費」を差し引いている
  • 「私のデータは愛知県、三重県、岐阜県を現地調査し、そのほかは各種のデータを組み合わせて推算したもの」
    • 「推算」における「直接資源関係の経費」の計算には「愛知県、三重県、岐阜県を現地調査」の結果は使われてない。
    • 「愛知県、三重県、岐阜県を現地調査」の結果は「推算」との比較に用いられているだけ

武田邦彦氏による、空想に基づいた計算、および、その不正確さの幅を一切無視した「推算」では実態に合わない結果が得られる 

以下に、武田邦彦氏による「推算」の無茶苦茶さについて解説する。 最初に何処がおかしいかをまとめておく。

  • どれだけ「資源を節約できた」かが正しく計算されていない
    • 完全にデタラメな「直接資源関係の経費」の「推算」
      • 1対1で対応しているか不明な回収量と「自治体が回収に要した経費」を「割り返す」ことで計算した回収コスト(原典に明記された回収コストより高い)
      • 回収コストではない「中間処理に関する経費」の比率に基づいて、回収コストを按分した「その他の設備部分」
      • 根拠を示さず以下の費用を「直接資源関係の経費」とみなす
        • 回収コストのうち「その他の設備部分」
        • 「石油から作る場合に比較して経費がかかる」「80円分」
    • 資源節約量を計算するなら新品製造に必要な「直接資源関係の経費」(材料費を除く)のマイナス計上が必要だが、全く計算されていない
  • 完全にデタラメな輸出リサイクル分の「推算」
    • 「上記推進協議会が年次報告」に「リサイクルされていない」と記載されていると大嘘(実際には「海外で再商品化されている」と明記されている)
    • 出典を示さない数値で「事業系などまとまって動くルート以外の一般使用済みPETボトルで独自回収独自輸出というケースは無い」と結論
    • 何の言及もないまま「事業系などまとまって動くルート」である市町村分別収集と事業系回収の合計から「国内消費」を差し引いた残りをコッソリと闇に葬る

次に回収されないで海外に出ていると考えられる7万トンだが、平成17年3月に中央環境審議会廃棄物・リサイクル部会に提出された平成16年度の自治体が回収に要した経費からペットボトルでは596億円が支出されており、それを14万7千トンで割り返すとキログラムあたり405円になる。 一方、海外にでるペットボトルはキログラム約40円で買い取られると言われているので、回収に10倍のコストを要している。 従って事業系などまとまって動くルート以外の一般使用済みPETボトルで独自回収独自輸出というケースは無いいうことになる。 そこでこのデータに基づき、国内消費14万7千トンから7万トンを差し引いて7万7千トンがリサイクル・ルートに乗ったと推定される。

さらにリサイクル・ルートに乗ったものは推進協議会の図によるとボトルなどの成型品とシートと繊維に2:4:4の割合で使用されている。従ってこの割合に従うとそれぞれ1万5千トン、3万1千トン、3万1千トンになる。 PETボトルの中間処理に関する経費の内訳は月刊廃棄物などの専門誌に出ており、人件費が25%、その他の設備部分が46%、委託費などが29%とされている。人件費も委託費も結局は資源と交換されるが、直接的に資源を使うものは46%だから405円のうち、直接資源関係の経費は186円になる。 さらにボトルからボトルへ再生するアイエス法のNEDOへの成果報告書によると年産22000トンのプラントで製造費がキログラム190円であり、報告書には再商品化委託手数料をキログラム80円もらえればバージンPETボトル(キロ120円)と対抗できると記載されている。

これらのことから、ボトルtoボトルの場合は、自治体の回収に186円分の資源を使い、さらにボトルに再生するのに80円分だけ石油から作る場合に比較して経費がかかるので資源の節約にならないので1万5千トンを除いた。 次にシートと成型品であるが、製造費は確証が得られるデータが無かったが、回収中間処理だけで直接的な資源を186円分使用しているので、たとえ製造費がゼロとしても資源の節約にならず、結局、リサイクル量は「ゼロ」と言うことになった。

ペットボトル・リサイクル率の計算 - 武田邦彦

まず、武田邦彦氏は、「その他の設備部分」が「直接的に資源を使うもの」で「直接資源関係の経費」だとする根拠を何も示していない。 当然、「設備部分」には、機材費の他、工事の労務費や利益等が含まれる。

  • 機材費
  • 労務費
  • その他の経費
  • 利益

そして、機材は部品から作られ、部品は部品材料から作られ、部品材料は原材料から作られるという多層構造になっている。

  • 機材費
    • 部品費
      • 部品材料費
        • 原材料費
        • 労務費、その他の経費、利益
      • 労務費、その他の経費、利益
    • 労務費、その他の経費、利益

これらのうち、「直接的に資源を使うもの」は原材料費のみであるから、「その他の設備部分」の極一部であると考えられる。 それなのに、武田邦彦氏は、「その他の設備部分」全額を「直接的に資源を使うもの」で「直接資源関係の経費」とみなしている。 これが明らかに過剰計算であることは言うまでもない。

また、武田邦彦氏は、「中間処理に関する経費」の比で「自治体が回収に要した経費」が按分できるとする根拠を何も示していない。 言うまでもなく、回収と中間処理は全く違う作業である。 中間処理は、裁断などであろうから、人手がある程度必要としても、工場で自動化しやすい作業である。 一方で、回収は現在の技術では自動化できないから、人手が主体となる。 よって、両者の人件費の比率は大きく違うはずである。 であれば、当然、それぞれに含まれる「その他の設備部分」の比率が同じであるという推測は成立しない。 それなのに、武田邦彦氏は、「中間処理に関する経費」の比で「自治体が回収に要した経費」を按分している。 これが明らかに過剰計算であることは言うまでもない。

さらに、「割り返す」処理が適切とは言えない。 「平成17年3月」に開催された「中央環境審議会廃棄物・リサイクル部会」は中央環境審議会廃棄物・リサイクル部会(第27回)中央環境審議会廃棄物・リサイクル部会(第28回)の2回がある。 中央環境審議会廃棄物・リサイクル部会(第27回) 資料4 平成16年度効果検証に関する評価事業調査中間報告 - 環境省P.16には「分別収集・選別保管費用の全国推計」の「フルコスト(管理費含む)」として595.67億円が記載されている。 これは 各市区町村の分別収集・選別保管費用の合計を各市区町村の分別収集実績報告の合計で除した分別収集選別保管費用単価(千円/t)に、平成15年度の分別収集実績報告全国計(t/年)を乗じて、拡大推計 中央環境審議会廃棄物・リサイクル部会(第27回) 資料4 平成16年度効果検証に関する評価事業調査中間報告 - 環境省P.16 という不正確な推計であり、そこに別の資料から持ってきたデータで「割り返す」処理を行えば、更に誤差が蓄積する。 事実、中央環境審議会廃棄物・リサイクル部会(第27回) 資料4 平成16年度効果検証に関する評価事業調査中間報告 - 環境省P.11で、推計の元になったフルコスト単価の平均は278円/kgとなっており、武田邦彦氏が計算した405円/kgと大きく食い違っている。 また、「フルコスト(管理費含む)」には、資源をほとんど消費しない選別保管や管理費も含まれている。 中央環境審議会廃棄物・リサイクル部会(第27回) 資料4 平成16年度効果検証に関する評価事業調査中間報告 - 環境省P.11によると、内訳は次の通りである。

項目 費用(円/kg)
収集費(直営)158
収集費(委託)84
選別保管費(直営)230
選別保管費(委託)48

中央環境審議会廃棄物・リサイクル部会(第27回) 資料4 平成16年度効果検証に関する評価事業調査中間報告 - 環境省P.16

直営の方が高い原因は、公営には無駄が多いからである。 わざわざ好き好んで高い方を使う必要はなく、安い方なら収集費は84円/kgであり、選別保管費を含めても132円/kgである。 高い方を選んでも158円/kgとなり、選別保管費を含めて382円/kgであるから、これよりも高い武田邦彦氏の計算は明らかな過剰見積もりである。 尚、中央環境審議会廃棄物・リサイクル部会(第28回) 資料3「再商品化手法について」参考資料集1/6P.9によれば、平成16年度の再商品化委託単価は48円/kgである。 先ほどの収集費+選別保管費と足し合わせても180円/kg(回収+再生のコスト)であり、武田邦彦氏の「推算」した「直接資源関係の経費」だけで「186円分」は明らかに過剰である。

また、武田邦彦氏は「海外にでるペットボトルはキログラム約40円で買い取られる」とする根拠を示さず、「と言われている」などという信頼性の低い伝聞しか示していない。 百歩譲って、「事業系などまとまって動くルート以外の一般使用済みPETボトルで独自回収独自輸出というケースは無い」と仮定しても、「国内消費14万7千トンから」「差し引いて」なる計算は明らかにおかしい。 何故なら、武田邦彦氏のデータの元となる「上記推進協議会が年次報告の中で図」には、「事業系などまとまって動くルート」として市町村分別収集と事業系回収が記載されており、これらの合計は「国内消費」より多いからである。 つまり、「事業系などまとまって動くルート」である市町村分別収集と事業系回収の合計から「国内消費」を差し引いた残りは、明らかに海外に輸出されているのであり、これが「リサイクル・ルートに乗った」ことは言うまでもない。 武田邦彦氏は、「独自回収独自輸出というケース」がないという話で煙に巻いて、コッソリと海外輸出分を闇に葬り去っているのである。

ペットボトルの生産と再生(武田邦彦氏のトリック概要)

PETボトルリサイクル年次報告書 2005年度版 p06

リサイクルによって節約できる資源量は、新規生産で消費する総資源量(材料+運搬+加工)から再生で消費する総資源量(材料+運搬+加工)を差し引いたものである。 このような節約できる資源量の計算を理由として、回収や再生で消費する資源量を再生利用量から差し引くべきと主張するなら、それも一つの考え方だろう。 しかし、武田邦彦氏の「推算」は、明らかに「直接資源関係の経費」とは違う数値を拾ってきて、それを「直接資源関係の経費」だと強弁しているだけである。 また、回収や再生で消費する資源量を再生利用量から差し引くことと同じ理由で、再生原料が取って代わる部分に相当する新規生産の運搬や加工で消費する資源量を再生利用量に足さないと、リサイクルによって節約できる資源量の計算にならない。 しかし、武田邦彦氏は、新規生産の運搬や加工で消費する資源コストを全く計上していない。

武田邦彦氏の「推算」は、実態に即した各項目を正確に積み上げることを恣意的に避けて、空想に基づいて極めて過剰な計算を繰り返し、かつ、その不正確さの幅を一切無視したものである。 このようなデタラメな「推算」では、天文学的な偶然でも積み重ならない限り、誤差が膨れ上がるので真値から遠ざかるだけである。 そして、採用する数値の解釈を恣意的に歪めることで、いくらでも自分が望む数値を導くことができる。 例えるなら、武田邦彦氏の「推算」は、「私の服は○○kgあって、リボンは□□kgあって…」と身につけている物の重量をデタラメかつ過剰に積み上げた値を体重計の値から引き算して、体重値がマイナス値になるようなものである。 武田邦彦氏自身の言葉を借りれば、「間違っていても答えが出る」事例である(武田邦彦氏の荒唐無稽な地球温暖化懐疑論参照)。

通常、正確に積み上げ積算するためには、実際に資源が消費される作業項目を正確に拾い上げ、かつ、それら作業項目で消費される各資源の量を正確に積み上げ計算する必要がある。 それでも不確かさを含む場合は、導く結論に最も不利な条件(常識的にあり得ないほど現実離れしていることが望ましい)で計算する必要がある。 極めて不利な条件でも導ける結論ならば、100%確実とは言えないものの、背理法的にソコソコ信頼できることを証明できる。 一方で、武田邦彦氏の「推算」は、これとは真逆に、無駄に変則的な計算方法を採用している。 このような変則的な計算は、何処に間違いがあるか分かりにくいので無知な人を騙すには都合が良いが、正しさの根拠も示せないので正確性を証明することもできない。 武田邦彦氏は、無知な人を騙すには都合が良い所を利用して、持論に都合の良い想像に基づいた数値を採用している。 そして、武田邦彦氏の持論に都合の良い想像があまりにも現実離れしているから、不確かさの幅を推定することも不可能である。 このような手法は、導きたい数値に合わせてパラメータを操作しているに過ぎないから、実質的に循環論証にしかなっておらず、何も証明できない。

ペットボトルの生産量は1998年時点で日本で28万トンと言われております。 ペットボトルを作ったり、リサイクルをする時にどのくらいの石油やエネルギーを使うかということを石油のグラム数やエネルギーのキロワットで示すこともできますが、判りにくいので、ここでは統一して「価格(コスト)」で示すことにします*2


価格というのは物質の使用量とエネルギーの量によって決まりますので、リサイクルボトルは石油から新しく作るボトルに比べておよそ資源として3倍くらい使い、その資源は結局廃棄物になりますので環境も3倍汚しているとまず考えられます。

この計算結果はペットボトルのリサイクルに努力されている人にとってみれば、びっくりするような話だと思います。 その点で話をするのが多少気が引けますが、これからの地球環境を考えるときには正しいことを勇気をもって知ることが大切であると考え、最初にペットボトルのリサイクルの例を出しました。


*2 あるものの環境への負荷を計算する方法としては本書で使ったコスト価格で行う方法と、LCA(Life-Cycle Assessment)と呼ばれる方法があります。

リサイクル008 - 武田邦彦

尚、「キロワット」は仕事率(電力)の単位であってエネルギーの単位ではない。 エネルギーの単位はJ=W・s(電力量)であるので、以下、「キロワット」はJ等に読み替えてもらいたい。

「環境への負荷を計算する方法」として「本書で使ったコスト価格で行う方法」は学術分野では使用されない方法(学術的には、リサイクルに要するコストは、環境保全コストと呼ばれており、環境負荷とは明確に区別される)であり、「本書で使ったコスト価格で行う方法」の前提となる「価格というのは物質の使用量とエネルギーの量によって決まります」とする根拠を武田邦彦氏は何も示していない。 「リサイクルをする時にどのくらいの石油やエネルギーを使うかということを石油のグラム数やエネルギーのキロワットで示すこと」の何が「判りにくい」か意味不明である。 「石油のグラム数やエネルギーのキロワットで示」せば、新品生産と再生利用において、「どのくらいの石油やエネルギーを使うか」が容易に比較できる。 常識で考えれば、「『価格(コスト)』で示す」方が、「どのくらいの石油やエネルギーを使うか」「判りにくい」だろう。 武田邦彦氏が「石油のグラム数やエネルギーのキロワットで示」さないのは、恣意的な結論を導くのに都合が悪いからであり、「判りにくい」は全く意味不明の口実である。

この武田邦彦氏の理論に基づけば、仕入価格が店頭価格の8割の商品は、商品を右から左に動かすだけで「物質の使用量とエネルギーの量」が1.25倍になることになる。 仕入価格が店頭価格の5割なら、商品を右から左に動かすだけで「物質の使用量とエネルギーの量」が2倍になることになる。 また、この武田邦彦氏の理論に基づけば、需要や為替相場の変動のみによって価格が変動しても「物質の使用量とエネルギーの量」が変わることになる。 これが明らかにおかしな話であることは子供にでも分かることだろう。 もちろん、「物質の使用量とエネルギーの量」が価格の構成要素の一部であることは疑いの余地がない。 しかし、「物質の使用量とエネルギーの量」が価格に占める比率は一定ではない。 数式で表せば【価格=K×「物質の使用量とエネルギーの量」+α】であり、Kは市場状況や為替レートによって変動し、αは作業内容や労務単価や利益率等によって変動する。 よって、単純に、価格データのみから「物質の使用量とエネルギーの量」を推定することはできない。 分かりやすい例を下図に示す。

コストと環境負荷が逆転する例

一般に、新規生産では、精製、合成、溶解整形等が必要なため大量の資源を消費する。 一方で、再生利用では、破砕、洗浄、溶解整形等だけで済むため、資源消費量は新規生産よりは少ない。 運搬に要する資源も、海外から運搬することの多い新規生産の方が消費量が多くなりやすい。 それに対して、人件費は、輸送経路の複雑さ(原産地から資源をまとめて輸送する新規生産よりも、日本全国から再生資源を集めて回る再生利用の方が複雑)に応じて必要となる人手の数、および、人件費等の単価(先進国である日本国内の人件費は、途上国の人件費に比べて割高になる)の関係で再生利用の方が高くなりやすい。 結果、一般に、資源コストは新規生産の方が高く、人件費等は再生生産の方が高くなりやすい。 そして、全コストに占める資源コストの比率は、市場状況や為替レートの影響も受ける。 例えば、円高によって資源コストが下がるとこの図のようになる。 この図では、再生利用の方が高コストとなる。 そして、K値が等しいと仮定すれば、材料資源費用+消費資源費用が環境負荷を示し、この部分のコストが小さい方が環境負荷は小さい。 尚、再生原料費用は、再生原料を排出した人に払う費用であり(自治体回収の場合はゼロ)、石油資源等を使用しないため、環境負荷として計上する必要はない。 よって、この図では、再生利用の方が環境負荷は小さい。 つまり、この図のような事例では、コストと環境負荷が逆転する。

以上の通り、常識で考えられる人であれば、「価格というのは物質の使用量とエネルギーの量によって決まります」との明らかに間違った仮定を置いた「本書で使ったコスト価格で行う方法」がトンデモ理論であることは言うまでもない。 つまり、「この計算結果はペットボトルのリサイクルに努力されている人にとってみれば、びっくりするような話」「環境に良いと思われるリサイクルがこんな結果になる」のは、トンデモ理論を採用しているからである。 尚、一万歩ほど譲って「価格というのは物質の使用量とエネルギーの量によって決まります」なら、「直接的に資源を使うものは46%」という按分計算をするのは意味不明である。

尚、実際の環境負荷を「どのくらいの石油やエネルギーを使うかということを石油のグラム数やエネルギーのキロワットで示す」とどうなるかは後で示す。 ただし、先にも説明した通り、「キロワット」はJ等に読み替えてもらいたい。

〔実際にリサイクルを実施している担当者の言葉〕

『今、店頭で年間約1000トンの容器包装回収をしています。 牛乳パック、アルミ缶、スチール缶、食品のトレイ、ペットボトルなどの回収です。 1000トンで約2000万円程度の赤字になります。 これは私どもの店頭回収だけです。

全国のスーパーでは計算できていません。 配送コストだけで約3000万円かかり、売却利益が約1000万円で、差し引き2000万円なのです。 消費者に還元すべき利益を食いつぶしてリサイクルをやっていますので、「なぜリサイクルをするか」ということを明確にすべき時点になってきましたが、その解答がなくて今困っています。

はっきりしているのは、「まだ何かの役に立つかもしれないものを安易に捨てない」という程度のコンセプトしかないのです。 「一生懸命リサイクルに協力して店頭に持っていっているけど、社会貢献として何があるのだろう。 アルミ缶のようにエネルギーが助かっているのか。 ごみが減ることに貢献しているのか。 資源の有効利用に活用されているのか。 何に重点を置いた利用なのかよくわからない」という質問をされ始めましてね。 そろそろ次の社会利益を指示してあげないと、この意識が継続しなくなるという危機感を持っています』。

これは一昨年5月に出ましたある学術誌に載った生協の理事さんの話です。


ただ、この計算結果は先ほどの実際にリサイクルされている方の話と一致するわけです。 なぜ環境に良いと思われるリサイクルがこんな結果になるのかということを次に説明したいと思います。

リサイクル008 - 武田邦彦

「一昨年5月に出ましたある学術誌に載った生協の理事さんの話」は、要約すると、「消費者に還元すべき利益を食いつぶして」までリサイクルを行う理由が説明できないと消費者の協力が得られなくなるという話であり、費用負担してまで環境負荷を減らすべき必要性の問題である。 一方で、「この計算結果」は、「価格というのは物質の使用量とエネルギーの量によって決まります」なる根拠なき仮定に基づいて、リサイクルが「環境も3倍汚している」とする馬鹿げた妄想である。 よって、「この計算結果」と「先ほどの実際にリサイクルされている方の話」は、全く別の論点の話であり、わずかたりとも「一致する」ところはない。

平成17年度中央審議会の部会に「市区町村費用の変化分の全国集計結果」という表が掲載され、そこにペットボトルで596億円,プラスチック容器包装で807億円とある.この報告書の内容も目を通している。

これは2004年度であるが、この年のペットボトルのリサイクル量は,(財)日本容器包装リサイクル協会の発表では14万7千トンであるので,1kgあたり405円ほど掛かっていると私は言っている。 単なる割り算である.

なんど言ったら・・・ - 武田邦彦

中央環境審議会廃棄物・リサイクル部会 - 環境省によれば、「平成17年度中央審議会の部会」の正式会議だけで16回、懇談会も含めると24回開催されている。 それのどれを指しているのか示さないのでは根拠を示していないに等しい。 確かに、中央環境審議会廃棄物・リサイクル部会(第27回) 資料4 平成16年度効果検証に関する評価事業調査中間報告 - 環境省P.16には「分別収集・選別保管費用の全国推計」の「フルコスト(管理費含む)」としてペットボトルが595.67億円と記載されている。 しかし、プラ容包は732.29億円と記載されており、「プラスチック容器包装で807億円」なる記載はない。 そして、「日本容器包装リサイクル協会の発表」との「単なる割り算」が実態とかけ離れた数値となることは既に説明した通りである。

石油製品などが安いのは,人件費の占める割合が10%程度にしかすぎないからで、ほとんどが装置、エネルギー用益費,原料費などであるので,仮に「人件費は環境負荷にならない」という非現実的な仮定をおいても,到底,リサイクルが資源の節約になることはない.

なんど言ったら・・・ - 武田邦彦

「人件費は環境負荷にならない」が「非現実的な仮定」などではなく、人件費を環境負荷に計上する方こそ「非現実的な仮定」であることは既に説明した通りである。

「人件費の占める割合が10%程度にしかすぎないからで、ほとんどが装置、エネルギー用益費,原料費などである」とし、次の5つの販売過程があって、かつ、全ての販売過程の製品の原価率が等しいと仮定しよう。

  • 原油を売る業者
  • 生成した石油を売る業者
  • PET素材を売る業者
  • ボトルを売る業者
  • 飲料を売る業者

原価率は、この仮定の単純計算で0.91/5となり、計算結果は約97.9%になる。 常識で考えて、製品価格から原価を除いた残りが2.1%になるわけがなく、原価率は90%でも非現実的である。 また、例によって、武田邦彦氏は「人件費の占める割合が10%程度にしかすぎないからで、ほとんどが装置、エネルギー用益費,原料費などである」とする根拠を何も示していない。 よって、これは、いつもの武田邦彦氏の妄想であろう。

しかし,しっかりした根拠を示して循環型社会を論じている私を批判するほどの力があれば,正々堂々,名乗って反論したらどうだろうか? 意地汚いという感じがぬぐえない.

なんど言ったら・・・ - 武田邦彦

既に何度も説明している通り、武田邦彦氏は、妄想に基づいた主張しかしておらず、「しっかりした根拠を示して循環型社会を論じて」いない。 もしも、本気で「しっかりした根拠を示して循環型社会を論じている」と信じているなら、専門家相手に「正々堂々」と議論を仕掛けてはどうか。

ところで,正々堂々,リサイクルをしているアルミは,いつでも資料を提供してくれるし、プロセスも全部見せてくれた。 ペットボトルもプラスチックも今まで見せてもらったことはない.いつも「商売上の秘密」を盾にして拒否されてきた。

なんど言ったら・・・ - 武田邦彦

後で紹介するように、環境負荷について、PETボトル協議会や環境省が詳細なデータを公表している。 このページで紹介している程度のデータにアクセスできないなら、「しっかりした根拠を示して」いるなどとは到底言えまい。

本当にリサイクルしているのか,リサイクルが資源の節約になっているのか,そんなことに疑問をはさむのは環境派の人から見るとケシカランことらしいのだ.

なんど言ったら・・・ - 武田邦彦

武田邦彦氏の主張が「ケシカランこと」であるのは、「そんなことに疑問をはさむ」からではなく、「疑問をはさむ」根拠を何も示さずに妄想に基づいてデタラメを言うからである。

直接的で、かつ、不確定さの幅を考慮した試算では、回収+再生に必要なエネルギーは誤差の範囲に収まる 

以下に、武田邦彦氏の「推算」とは真逆に、実際に資源が消費される作業項目を拾い上げ、かつ、それら作業項目で消費される各資源の量を直接的に推測し、かつ、量が不確かな部分は導く結論に極めて不利な条件を採用して、回収及び再生だけに必要な石油資源を推計してみよう。

自動車燃費一覧(平成24年3月)14.トラック等・トラクタ燃費(1)トラック等・トラクタ - 国土交通省によれば、2tトラックの燃費は概ね10km/L以上である。 1000km走って2tトラック満杯分が回収できると仮定すると、回収量2tにつき軽油100L必要になる。 統計情報 - 石油連盟によれば、軽油は0.80~0.84g/cm3なので、回収量2tにつき軽油80〜84kg必要になる。 つまり、回収量に対する重量比にして4.0〜4.2%の軽油が必要となる。 石油製品価格調査 - 経済産業省資源エネルギー庁によれば、2003年4月〜2019年6月の平均軽油卸価格は約97.0円/L、同時期の平均軽油店頭価格は約136.8円/Lであるので、金額にして卸軽油で約4.84円/kg、店頭軽油で約6.84円/kgとなる。 また、各種物質の性質: 非金属固体の性質 八光電機によれば、PETの比熱は1260(J/kg ℃)である。 ポリエチレンテレフタレート(PET)の熱履歴による熱的挙動の変化 - 島津(広州)検測技術有限公司によれば、PETの融点は250℃、融解熱は約40J/gである。 1Jは約 0.2390 calなので、20℃を基準にすると1kgのPETを溶かすのに必要な熱量は{1260×(250-20)+40×1000)}×0.2390≒78822 calとなる。

統計情報 - 石油連盟によれば、軽油の燃焼カロリーは9,088kcal/Lであるので、PETを溶かすためには、約0.00867 L/kg、回収量に対する重量比で約0.694〜0.729%の軽油が必要となる。 融解処理を5回行うと仮定すれば、回収量に対する重量比で約3.47〜3.64%の軽油が必要となる。 金額にして卸軽油で約4.21円/kg、店頭軽油で約5.93円/kgとなる。 まとめると、1000km走って2tトラック満杯分が回収でき、かつ、再生に融解処理を5回行うと仮定すれば、回収量に対する重量比で約7.47〜7.87%、卸価格で約9.06円、店頭価格で約12.77円/kgの軽油が必要となる。

回収距離1000kmが過大であることは言うまでもない。 また、再生処理における融解処理も、せいぜい1〜2回程度であろうから、5回が過大であることも言うまでもない。 再生処理には、裁断なども行われるが、これは融解処理より遥かに少ないエネルギーで実現できる。 さもなければ、モーター、軸受、刃などが極端な高温になってしまう。 実際にはそんな高温にはならないので、エネルギーが少ないことを疑う余地はない。 こうした、加熱処理以外の分を含めても、5回分の計上は明らかに過大である。

また、先程も説明した通り、回収や再生に要する資源量を再生利用量から差し引くなら、再生原料が取って代わる部分に相当する新規生産の運搬や加工に要する資源量を再生利用量に足す必要がある。 何故なら、回収や再生に要する資源量を再生利用量から差し引く理由は、リサイクルによって節約できる資源量が、新規生産に要する総資源量(材料+運搬+加工)から再生に要する総資源量(材料+運搬+加工)を差し引いたものと考えるからである。 であれば、回収や再生に要する資源量だけを計上するのではなく、再生原料が取って代わる部分に相当する新規生産の運搬や加工に要する資源量との差分を取る必要がある。 言うまでもなく、運搬や加熱は、新規生産でも必要となる。 とくに、石油は海外から輸入するため、リサイクル回収に必要な資源量よりも新規原料の運搬の方が資源を多く消費するはずである。 石油の精製 - 一般財団法人日本エネルギー経済研究所石油情報センターによれば、原油を精製するためには350℃に加熱する必要がある。 PETの合成や成形にもエネルギーが必要なことを考慮すれば、新規加工に要する資源量は、再生と比べて大差ないか、あるいは、若干多いくらいであろう。 なので、運搬+加工について差分を取れば、この試算よりももっと小さくなるか、あるいは、マイナスになる可能性がある。 よって、再生に必要な石油資源は、殆ど誤差の範囲と考えて良い。 結果、新規生産の原料節約量のほとんどがリサイクルによって節約できる資源量となる。

以上は、かなり大雑把な計算であるが、武田邦彦氏のデタラメな「推算」に比べれば、直接的推測で、かつ、不確定さの範囲を考慮している分だけ、遥かにまともな計算であろう。 ちなみに、武田邦彦氏の「推算」の186円/kgは、この試算(店頭価格)の約14.6倍である。 この試算の数値をそのまま14.6倍すれば、回収距離1.46万km(東京〜大阪約14往復)、融解処理73回となる。 これは常識で考えてあり得ない数値である(笑)。

ペットボトルのリサイクルの場合は、それを運んだトラックのタイヤ、トラックの燃料を作るときに出てくる廃油、トラック自体、運転手のお弁当の容器、回収用の箱や袋、使いものにならないペットボトルを壊したかけらなどがペットボトルの替わりに廃棄物処分所に行くわけです。 一般的に「管理費」という経費もかかりますが、その内容は事務所、書類、コンピュータ等ですが、事務所では机やクーラーを使いますし、コンピュータもある程度使うと買い換える必要があります。 これは総てゴミになります。

リサイクル008 - 武田邦彦

武田邦彦氏は、新規生産と再生利用を比較したいのか? それとも、焼却と再生利用を比較したいのか? 様々な話を混同させすぎである。 以下、それぞれの場合に分けて論じることとする。

新規生産 焼却 再生利用
「トラックのタイヤ」等価な物が必要必要必要
「燃料を作るときに出てくる廃油」必要必要必要
「トラック自体」等価な物が必要必要必要
「お弁当の容器」必要必要必要
「回収用の箱や袋」なし微々たる量微々たる量
「使いものにならないペットボトル」なし等価量が存在「上記推進協議会が年次報告の中で図」で計上済み
「『管理費』という経費」必要必要必要

まず、新規生産と再生利用を比較する。 武田邦彦氏は、新規生産には石油原料を運んだ「トラックのタイヤ、トラックの燃料を作るときに出てくる廃油、トラック自体、運転手のお弁当の容器」や「『管理費』という経費」が不要だとでも言うのだろうか(笑)。 武田邦彦氏は、何故、これらの経費を「リサイクルの場合」にだけ計上しなければならないのか、その理由を全く説明していない。 もちろん、新規生産の場合、「トラック」はパイプラインやタンカーやタンクローリー等に置き換わる。 しかし、これらも同様に減価償却、燃料、操作者または乗組員等の「お弁当の容器」、「『管理費』という経費」を必要とする。 武田邦彦氏は、新規生産の場合にだけこれらを計上しなくて良い理由を示していない。

「トラックのタイヤ」「トラック自体」の損料は、請負工事機械経費積算要領、建設機械等損料算定表等を使えば正確に積算できるが、ここではそこまではしない。 平均20km/hで1日4時間で年間240日稼働で10年使ったとしよう。 新車価格500万円なら、1km当たり約26円になる。 先ほどの試算と同じく、2t回収に1000km走行すると仮定とすれば、「トラック自体」の費用は13円/kgとなる。 「トラックのタイヤ」を50万円で2年使う計算なら、「トラック自体」の費用の半分になり、両者合計で19.5円/kgとなる。 回収距離1000kmが過大であることは既に説明した通りである。 卸売価格は店頭価格よりはるかに安いし、卸売価格にも人件費が含まれている。 さらに、材料費も、石油原料に限れば、さらに少なくなる。 よって、リサイクルによって節約できる資源量の計算としては、誤差の範囲だろう。 そもそも、先程も説明した通り、新規生産の場合は原料を海外から輸入するので、「トラックのタイヤ、トラックの燃料を作るときに出てくる廃油、トラック自体、運転手のお弁当の容器」や「『管理費』という経費」は新規生産の方が圧倒的に多いはずである。

「回収用の箱」は、使い捨てではなく、かつ、費用や材料が少ないので、「トラックのタイヤ」「トラック自体」よりも遥かに少ないし、木箱等であれば材料に石油資源を使わない。 「回収用の」「袋」は、使い捨てではあるが、回収対象品に比べて重量比では極わずかである。 武田邦彦氏は1袋1kgもあるような「回収用の」「袋」を使っているのだろうか(笑)。 「使いものにならないペットボトルを壊したかけら」については、武田邦彦氏が参照した「上記推進協議会が年次報告の中で図」に「異物・工程内ロスほか」として明確に計上されているから、別途計上しては二重計上になる。

次に、焼却と再生利用を比較する。 武田邦彦氏は、焼却には、「それを運んだトラックのタイヤ、トラックの燃料を作るときに出てくる廃油、トラック自体、運転手のお弁当の容器、回収用の箱や袋」や「『管理費』という経費」が不要だとでも言うのだろうか(笑)。 武田邦彦氏は、何故、これらの経費を「リサイクルの場合」にだけ計上しなければならないのか、その理由を全く説明していない。

どう計算しても、「使いものにならないペットボトルを壊したかけら」はゴミの増量にはなり得ない。 焼却する場合はペットボトル全てをゴミとして扱うのに対して、再生利用の場合は「使いものにならないペットボトルを壊したかけら」だけがゴミとなるのだから、明らかにゴミが減ることは言うまでもない。 また、リサイクルせずに焼却する場合も、「それを運んだトラックのタイヤ、トラックの燃料を作るときに出てくる廃油、トラック自体、運転手のお弁当の容器、回収用の箱や袋」「『管理費』という経費」は必要となる。 焼却と再生利用では、焼却施設に運ぶか、再生工場に運ぶかの違いだけであり、両者にこれらの経費の差が生じるとする根拠が全くない。 よって、再生利用によってゴミが増えるという理屈は全く成立しない。

さらに言えば、武田邦彦氏は、「トラックのタイヤ」「トラック自体」等がリサイクルされる可能性を全く考慮せずに「『別の形をしたゴミ』が廃棄物処分所に運ばれます」と決めつけている。

「運転手のお弁当の容器」に至っては、業務に従事しているかどうかに関わらず消費される(たとえ失業していても生きるために食事は必要)ものであり、計上すべき理由が全くない。

環境省が公表しているデータでは、再生処理の方が環境負荷が小さい 

公的調査結果に基づいて環境負荷を「どのくらいの石油やエネルギーを使うかということを石油のグラム数やエネルギーのキロワットで示す」と次のようになる。 ただし、先にも説明した通り、「キロワット」はJ等に読み替えてもらいたい。

500ml炭酸用ペットボトルの環境負荷

平成16年度容器包装ライフサイクル・アセスメントに係る調査事業報告書【資料編】 - 環境省P.71

ただし、新規生産と再生処理の環境負荷を比較するには、再生処理にPET素材からボトルやキャップの製造に要するエネルギー量を加算する必要がある。 だが、残念ながら、ボトルやキャップの製造に要するエネルギー量は、石油採掘、原油輸送、石油精製、樹脂合成、樹脂輸送も含む合算値で示されており、うち、PET素材からボトルやキャップの製造に要するエネルギー量が示されていない。 原典の「PETボトルのLCIデータ調査報告書」2004年8月(PETボトル協議会)には掲載されているかも知れないが、そこまでは調べていない。 しかし、再生PET素材等の製造までに必要な全エネルギー量と比べて、ボトルやキャップの製造に必要な資源量の方が圧倒的に大きい。 そのため、PET素材からボトルやキャップの製造に要するエネルギー量を加算しても、再生処理の方が環境負荷が小さいことが分かる。

古紙リサイクルの環境負荷の誤りを指摘され、「私もほぼ同じ計算をし、同じ考え」と言いながら、誤りを一切認めない謎 

紙のリサイクルは環境を悪化させる。 だから、これまでもやんわりと「なぜ、紙のリサイクルが環境を悪くするか」ということを、やや学問的に指摘してきた。

環境よもやま話 その九 ー紙のリサイクル 4つの罪ー - 武田邦彦

「紙のリサイクルは環境を悪化させる」「なぜ、紙のリサイクルが環境を悪くするか」とやらが、全く学問的ではない、現実に逆行した妄想論であることを以下に示す。

回収業衰退の理屈が成立していない、辻褄の合わない嘘 

石油を使うという点では欠点があるが、使った後でも比較的、品質の良い紙はリサイクル出来るものである。 だから、昔から「ちり紙交換」という商売が成り立っていた。 トラックでやってきて、家庭や事務所の紙を回収し、僅かばかりだがちり紙を置いていった。

でも、最近、ちり紙交換を見なくなった。 最近になって紙のリサイクルを始めた人は、その理由を知っているだろうか?

紙のリサイクル運動が盛んになったのだから、その商売が盛んになるはずなのに、なぜか無くなった。 親子三代、ずっと紙のリサイクルを業としていた人たちは今、どうしているのだろうか?

実は、額に汗して紙のリサイクルをしている人の代わりに、税金を取ってうまい汁を吸う人たちに変ったのである。

まず、町内会、自治会、子供会が悪い。 ボランティアと称して、それまでちり紙交換の商売をしていた人たちの「原料(古紙)」を奪ってしまった。 ちり紙交換の人は自分で軽トラックを買い、ガソリン代を払って紙を回収していた。 しかし、自治会は違う。 「何曜日は紙の回収日です」と呼びかけ、もしそれに応じない人がいると非難すれば良い。 実に、よい商売だ。

  おまけに、多くの自治会は、最初「紙のリサイクルを促進する補助金」というのをもらい、さらに「集めた紙の量に応じた売り上げ」があった。 今でも、補助金があるところもある。 それを「自治会費」「子ども会費」という名目で貯金し、その多くは飲み食いに使われた。

酷いものだ。 善意の仮面はかぶっている。

いったい、人間の労働の内、額に汗して生活をすることより尊いことがあるだろうか? それもずっと紙を倹約し有効に使うために努力してきた人たちが「ちり紙交換」の人たちである。 その人達を「自分たちだけが税金をもらって環境に良いそぶりができる」として紙のリサイクル運動をしたのなら、私は許せない!!

今、紙のリサイクルは少しずつ業者に移っている。 でももう、「額に汗する業者」は少なくなり、いかにして自治体が集めた紙をうまくもらうかに長けた業者が幅をきかせている。 これ以上は言うまい。なにを言いたいかは判るはずだ。


私の著書にも書いてありますが、紙のリサイクルはもともと「ちり紙交換」というビジネスが成立していたようにリサイクルでは優等生で、鉄、紙、胴、貴金属など昔から行われていたリサイクル品目にはそれなりに合理性があるのです。

環境よもやま話 その九 ー紙のリサイクル 4つの罪ー - 武田邦彦

常識で考えれば、武田邦彦氏の主張が明らかにおかしいことに気づくだろう。 何故なら、「ずっと紙のリサイクルを業としていた人たち」にとって、「町内会、自治会、子供会」などの「ボランティアと称して」集めてくれる人の存在や、「補助金がある」ことがプラス要因にしかならないからである。 「町内会、自治会、子供会」が自分たちで再生工場を建設・運営しているという話を一度でも聞いたことがあるだろうか。 それとも、「町内会、自治会、子供会」は、わざわざ、自分たちで再生工場に持っていくのか。 常識で考えれば、業者に引き取ってもらえば済むことなら、自分たちでトラックを手配・運転する必要は全くない。 つまり、「町内会、自治会、子供会」は「ボランティアと称して」古紙を集めるが、自分たちで古紙を再生するわけでも、再生工場に持っていくわけでもない。 集めた古紙を「ずっと紙のリサイクルを業としていた人たち」に引き渡して対価を受け取るだけである。 よって、「町内会、自治会、子供会」が「ずっと紙のリサイクルを業としていた人たち」と競合することはなく、「それまでちり紙交換の商売をしていた人たちの『原料(古紙)』を奪ってしまった」などあり得ないのである。 小口の個人を相手に回収するよりは、大口の「町内会、自治会、子供会」を相手に回収した方が、効率が良くなりコスト削減になることは言うまでもない。 以上の通り、武田邦彦氏の提示したシナリオでは、「ずっと紙のリサイクルを業としていた人たち」にとってコスト削減になるだけで廃業する理由が成立しない。 そもそも論を言えば、リサイクルの環境負荷を論じるなら、業者の盛衰は関係ではなく、回収の効率を論じるべきだろう。 非効率的な個別回収が効率的な集団回収に順次移行し、回収が効率的になった結果、消費する資源が減少し、リサイクルの環境負荷が低減されたことは言うまでもない。 効率の悪い個別回収の「ちり紙交換」が「リサイクルでは優等生」であるなら、より効率の良い集団回収に移行することは、環境負荷の観点では喜ばしいことである。 武田邦彦氏の主張が環境負荷の観点で論じられているなら、「私は許せない!!」は明らかに論理破綻している。

以前は、集団回収に応じる 協同組合などに所属し、安定的に事業を継続してきた業者 古紙持ち去り禁止条例 - 株式会社ダイナックス都市環境研究所 と、 個人営業で、「チリ交基地」と呼ばれる大手業者と契約して 古紙持ち去り禁止条例 - 株式会社ダイナックス都市環境研究所 各家庭を回るちり紙交換の住み分けができていた。 確かに、 価格変動にかかわらず、継続的に行 古紙持ち去り禁止条例 - 株式会社ダイナックス都市環境研究所 ったり 実施団体や行政と適切に対応 古紙持ち去り禁止条例 - 株式会社ダイナックス都市環境研究所 できない個人営業のちり紙交換は 集団回収には従事できない 古紙持ち去り禁止条例 - 株式会社ダイナックス都市環境研究所 ため、集団回収が回収業界内の勢力分布に影響を与えたのは事実である。 しかし、回収業が「町内会、自治会、子供会」等が「額に汗して紙のリサイクルをしている人」に取って代わった事実は存在しない。 そして、その段階では、まだ、個人営業のちり紙交換は残っていた。 しかし、 チリ交に従事する人は流動的で、古紙価格が高くなれば従事する人が増え、逆になれば減る 古紙持ち去り禁止条例 - 株式会社ダイナックス都市環境研究所 という状況において、 平成7年に1ドルが79円75銭になるほどの円高が到来し、輸入パルプ価格は暴落、それに合わせて古紙価格も急落した 古紙持ち去り禁止条例 - 株式会社ダイナックス都市環境研究所 結果、 古紙回収業者の採算が悪化し、一時期は回収業者が問屋に古紙を持ち込むと料金をとられるという、異常な事態が出現した 古紙持ち去り禁止条例 - 株式会社ダイナックス都市環境研究所 ために、 古紙回収業者は自治体からの支援がないと、古紙回収を継続できない状況になった 古紙持ち去り禁止条例 - 株式会社ダイナックス都市環境研究所 せいで、個人営業のちり紙交換の廃業が相次いだのである。 つまり、個人営業のちり紙交換が廃れたのは、「税金を取ってうまい汁を吸う人たちに変った」からではなく、古紙の価格が暴落したからである。 古紙価格の裏付けとして、公益財団法人古紙再生促進センターの古紙ハンドブックを挙げておく。

いくら集めても採算がとれないために行政が回収に乗り出した 古紙持ち去り禁止条例 - 株式会社ダイナックス都市環境研究所 のだが、 低迷が続いていた古紙価格は、中国や台湾、タイなど、アジア諸国の景況を背景として古紙需要が高まり、古紙の輸出が始まったことで上昇に転じた 古紙持ち去り禁止条例 - 株式会社ダイナックス都市環境研究所 結果、 ごみステーションに出された「紙ごみ」は再び「有価物」に変身したため、こっそりこれを抜き取る行為が目に余るようになった 古紙持ち去り禁止条例 - 株式会社ダイナックス都市環境研究所 だけでなく、 持ち去り部隊を組織して、大量かつ組織的に持ち去りを行う業者が出現 古紙持ち去り禁止条例 - 株式会社ダイナックス都市環境研究所 して、 行政回収の受託業者やその古紙を買い入れる契約をしている問屋は、予定通りの量と質の古紙が集まらないという事態 古紙持ち去り禁止条例 - 株式会社ダイナックス都市環境研究所 となり社会問題化した。 こうした古紙持ち去り問題は、小口の個人を相手に回収するよりは、大口の「町内会、自治会、子供会」を相手に回収した方が、圧倒的に回収効率が良いことを示唆している。

参考までに、武田邦彦センセの大風呂敷 - まるでん亭には、紙も含めたリサイクル全般の解説がある。

不確実な仮定を置いた推論で確実な推論を覆そうとする暴論 

紙は樹木から作られる。 樹木は太陽の光で育つ。 だから新しい紙は持続性資源を原料としている素晴らしいものだ。 現在のところ、樹木から取れる紙は太陽エネルギーの一番良い利用方法だろう。

一方、紙をリサイクルするときには「石油」しか使わない。 だから紙のリサイクルは「太陽の光でできる原料を使わずに地下資源を使う行為」である。


紙のリサイクルは、「持続性資源が得られるのに、非持続性資源でリサイクルをする行為」という事では論理破綻があるが、リサイクル率の目標というのを立てると、リサイクルした方が資源を多く使う紙までリサイクルしようとする。


現実には、紙のリサイクルに目標値があるので、とにかく何でもリサイクルするようになる。 石油の使用量は増え、ゴミも増える。

環境よもやま話 その九 ー紙のリサイクル 4つの罪ー - 武田邦彦

普通の読解力がある人なら、武田邦彦氏の詭弁は容易に看破できるだろう。

  • 「太陽の光で育つ」「樹木」の使用の有無については、再生紙と非再生紙の双方に言及する
  • 「地下資源」である「石油」の使用の有無について、再生紙にのみ言及し、非再生紙については言及しない

武田邦彦氏は、「紙をリサイクルするときには『石油』しか使わない」と、再生紙に「太陽の光で育つ」「樹木」を使わないことを明言している。 一方で、「紙は樹木から作られる」と、非再生紙に「地下資源」である「石油」を使用するかどうかを明言しない。

そして、明言していないだけにも関わらず、いつの間にか、あたかも、非再生紙に「地下資源」である「石油」を使用しないかのように話をすり替えて、「持続性資源」の使用と「非持続性資源」の使用のどちらが良いかという二極論に持ち込んでいる。 「読者の方」がその詭弁を指摘したのだが、武田邦彦氏は、その指摘が完全に正しいと認めつつも、更なる詭弁を駆使して、無理やり当初と同じ結論に導こうとしている。

読者の方のアドバイスは次のような内容でした。 (一部、文章を変更しています。)

「再生紙の製造には石油が消費されると記述されているが実際その通り。 しかし紙を原木から製造するのはさらに石油を多く消費する。 それは原木を紙として利用するには、まずパルプ製造工程を経なければならないからだ。

パルプ製造工程では大量のエネルギーや薬品を消費し、さらにリグニン由来の産廃が発生する。 これに対し古紙を利用した場合はパルプ製造工程を省略できるので資源の節約になる。

古紙を利用した場合バージンパルプを利用した時に比べ、紙の強度を補うために薬品を多く使うが、それでもパルプの製造に比べると資源の消費量は少ない。

まずはアドバイスをいただいた方に感謝を申し上げます。 そして私もほぼ同じ計算をし、同じ考えであることを最初にお断りしたいと思います。 私の著書にも書いてありますが、紙のリサイクルはもともと「ちり紙交換」というビジネスが成立していたようにリサイクルでは優等生で、鉄、紙、胴、貴金属など昔から行われていたリサイクル品目にはそれなりに合理性があるのです。

そこで、私は次の2つの疑問があります。 それが私が紙のリサイクルに厳しい原因です。

環境よもやま話 その九 ー紙のリサイクル 4つの罪ー - 武田邦彦

「私もほぼ同じ計算をし、同じ考えである」なら、当然、古紙の方が圧倒的に環境負荷が低い(石油の使用量は減り、ゴミも減る)という結論は既に確定している。 「次の2つの疑問」とやらは次の通りである。

  • コストが「環境負荷に比例」するという不確実な仮定を置いた話
  • 非再生紙とリサイクルの比較論から論点が完全にずれた話

これらが古紙の方が圧倒的に環境負荷が低い(石油の使用量は減り、ゴミも減る)という結論を覆すことができないことは以下に示す。

仮に樹木からパルプを作りそれを紙にすることに対して、民家から集める古紙の方が紙を製造する時にコストがかからないとします。 紙を製造するときのコストは、それを作る為の石油は消耗品、機械類、建物、管理費、労務費などですから、結局すべて日本の環境に負荷を与えます。

またコスト(紙を製造するために使った経費)はプライス(紙の値段)とは違いますから、あまり市況の影響をうけず、紙を作る為の環境負荷に比例しているとできるでしょう。


そこでここではさらに踏み込んで、「もし、パルプより古紙の方が紙の原料として優れているなら、なぜ製紙会社はパルプの買い付けをするのか?」という疑問に踏み込んでみたいと思います。

ある製造会社があり、原料の仕入れ先がA, Bと2種類あるとします。この2種類の原料の仕入れ価格は同じですが、製造工程に差があり、AよりBの方が少ないコストで製造できるとします。 その会社の社長はどちらを選ぶか?

言うまでもなく原料Bを選択するでしょう。 製紙会社が紙を製造するときにパルプと古紙という2種類の原料があり、古紙の方がより安く紙を製造できるなら、古紙を買い付けるのではないでしょうか? それなのになぜ、古紙の回収にはボランティアや自治会なのが必要なのでしょう。

ちり紙交換から古紙を買い付けても良いし、本当に原料として望ましいなら製紙会社が家庭まで古紙を取りに来るはずです。 これはアルミ缶やスチール缶もそうで、本当に良い資源なら製造会社が集めに来るはずです。

ある時、環境に熱心な大学生が私のところに来て意外な質問をしました。

「先生、先日、あるアルミ缶の会社のホームページを見ていたら、ボーキサイド(アルミニウムの原料)からアルミを作るより、リサイクルアルミ缶からアルミを作る方が6分の1のコストでできると書いてありました。」

武田「え、そう?前からアルミの会社は「ボーキサイドからアルミを作る時の電気に比べて、リサイクルアルミ缶の場合、わずかに3%で済むと言っていると思うが」

学生「ええ、どちらでも良いのですが、もし6分の1でできるなら、アルミ缶会社はリサイクルが始まって大儲けしているのですか?」

武田「いや、アルミメーカーもアルミ缶メーカーもそれほど利益を上げていないよ。 特にアルミメーカーは赤字の所もある位だ」

学生「おかしいですね??」

この議論を通じて学生は「環境というのは偽善なんだな」と思い、それ以降、環境を守ろうなどとは考えなくなりました。 環境のウソはこのようにして次第に支持者を失っています。 だれが考えてもリサイクルアルミ缶を使えば6分の1のコストでできるなら大変な収益が上がるということは判るからです。

環境よもやま話 その九 ー紙のリサイクル 4つの罪ー - 武田邦彦

常識のある人なら当たり前のことだが、不確実な仮定を置いた推論の結果をもって、確実性の高い推論を覆すことはできない。 確実性の高い推論と、不確実な仮定を置いた推論の結果が食い違うなら、不確実な仮定に間違いがあると考えるのが普通である。

PETボトルリサイクルのおける武田邦彦氏による「推算」の無茶苦茶さの説明において書いたように、コストは、材料費だけでなく労務費や利益等も含まれ、かつ、材料費も需要や為替相場で変動するのだから、必ずしも、「環境負荷に比例」しない。 そのことは事実と照らしてみれば明らかである。 原料パルプは円高により暴落し、結果として、非再生紙のコストも低下しているが、円高だけで非再生紙の環境負荷が低下するわけがない。 円高によってリサイクルの採算が取れなくなるのは、ほとんど輸入に頼っている資源の価格が大きく下がる一方で、日本人の人件費がほとんど下がらないからである。 だから、日本人の人件費の比率が高いものは円高でもコストがあまり下がらず、輸入資源の比率が高いものは円高でコストが下がる。 つまり、円高によってリサイクルの採算が取れなくなる事実からは、再生・回収のコストに占める日本人の人件費の比率が、新品製造のコストに比べて高いことを示唆していると推論できる。 以上踏まえると、古紙の方が圧倒的に環境負荷が低いにも関わらず、「製紙会社が家庭まで古紙を取りに来」ないのは、コストが「環境負荷に比例」していないからだと結論づけられる。

尚、「環境に熱心な大学生」は、自分の頭で考える能力がないようだ。 まず、「アルミ缶の会社のホームページ」には回収や洗浄などのコストが入っていない可能性があり、そのコストを含めた場合に「リサイクルアルミ缶からアルミを作る方が6分の1のコストでできる」とは限らない。 もちろん、その回収等も含めたコストは、既に説明した通り、「環境負荷に比例」するとは限らない。 次に、「大変な収益が上がる」かどうかは、コストだけでなく、販売価格や数量も考慮に入れなければならない。 コストが下がっても、販売価格が下がれば、利益は増えない。 また、リサイクル原料の比率が小さければ、全体的なコスト削減率も低くなる。 単純計算で、利益は、(1缶あたりの販売価格−1缶あたりのコスト)×販売缶数で決まり、この数値を調べずして「リサイクルが始まって大儲け」できるかどうかはわからない。 よって、「アルミ缶の会社のホームページ」に記載された「リサイクルアルミ缶からアルミを作る方が6分の1のコスト」のみから、「リサイクルが始まって大儲け」だと結論づけることはできない。

3つのケースを考えてみます。

1) 紙をリサイクルした方が環境負荷が小さい場合

2) 紙をリサイクルしても樹木からでも環境負荷が同じ場合

3) 紙をリサイクルする方が環境負荷が大きい場合

まず2)が簡単ですから2)から考えてみます。


ここまで一気に話を進めてきましたが、先の3つのケースで2)をまず話をしてきましたが、実は紙はリサイクルの方が良くても、森林からとった方が良くても、パルプから製紙にかけて多くのエネルギーや装置、遠いところからの輸送などがある限り、問題は潜んでいるのです。 わたし達はすでに「大量消費」の中にいて、その生活を捨てられないでいます。 この生活が自然と調和しないこともよく分かっているのです。 でも止められない、だからせめてもの罪滅ぼしになにか少し形を整えようとするから、そこから「罪」がまた新しく生まれてしまうと私は思います。

1) でも2)でも3)の場合でも、正しいのは紙の使用量を10分の1位に減らそうではありませんか!!

環境よもやま話 その九 ー紙のリサイクル 4つの罪ー - 武田邦彦

既に「1) 紙をリサイクルした方が環境負荷が小さい」という結論が出ているのに、「3つのケースを考え」る理由が全く意味不明である。 そして、「先の3つのケースで2)をまず話をして」いるが、残りの2つについては何の検討もないまま、唐突に、「問題は潜んでいる」という結論が提示されている。 ようするに、武田邦彦氏は、初めから「問題は潜んでいる」という結論ありきで主張しているに過ぎない。

もちろん、リサイクルの方が環境負荷が低いとしても、「紙の使用量を10分の1位に減ら」さない理由にはならない。 だから、リサイクルの有無にかかわらず「紙の使用量を10分の1位に減らそう」という主張は成立する。 ただし、そのために「3つのケースを考え」る必要は全くない。 そして、そのことは、非再生紙と比較して再生紙の方が環境負荷が低いという結論を覆さない。 使用量を減らせる分は減らし、減らせない分は再生紙に置き換えることが、環境負荷を減らす最大の方策である。 使用量の削減とリサイクルの促進は両立可能であるので、使用量の削減の必要性はリサイクルを非難する理由にはならない。 武田邦彦氏の主張は、何ら根拠のない言いがかりをつけて、さも反論したかのように見せかけているだけである。

水俣病に関する嘘 

例えば、ある会社が工場を作って運転を開始する時には、工場の目的、製品、図面、安全対策等をしかるべき役所に提出し、認可を受ける。

その後、工場が稼働したらその認可に沿って、誠実に正しく工場を運営する限りは罪が問われない。

ところが、当然と思われるこの概念は歴史的には少なくとも守られていない。

その典型的なものの一つが、熊本県で起こった水俣病であった。

原発論点4東電に責任はない? - 武田邦彦

細かい所はさておき、武田邦彦氏は、刑事責任と民事責任の区別もつかないのだろうか。 言うまでもなく、「罪が問われ」るのは刑事責任であって、刑事責任がないことをもって民事責任が否定されるわけではない。

水俣病を起こした会社は、「正しく」工場を設計し、認可を受け、全く違反なく工場の運転をしていたが、毒性物質とは思っていなかった水銀が海に流れそれによって、大量の健康の障害者を出したのである。

水俣病の裁判はすでに終わっていて「無過失責任」という極めて奇妙な理屈をこねた判決で会社の責任となっている。 しかし、この無責任な判決が、後の被害者を生んでいる.

つまり水俣病起こした会社は、当時の知識において正しく設計し、運転したのだから、どこから見ても過失はない。


つまり、会社にとって工場を運転するときに「知らなかった危険性を察知する」ことは不可能である。 それを国の責任にすることも直接的には無理である。

つまり、水俣病の場合も「想定外」の事が起こったのであり、想定外のことが起こった時に、それをどうするかという議論がなおざりになっていた。


現代の日本では裁判官が社会の情勢に弱いことは多くの裁判例が示しており、決して裁判が社会の最後の砦として正義を決めてくれるものではない。

人間の活動には常に想定外が存在する。 その想定外の被害を国民にかぶせ、特定の企業を糾弾することによって処理をしてきた。

原発論点4東電に責任はない? - 武田邦彦

「水俣病の裁判」では、「『無過失責任』という極めて奇妙な理屈」は採用されておらず、「当時の知識」として、「危険性を察知する』ことは不可能」ではなかったことを認定している。 化学物質を排出する企業としての注意義務を果たしておらず、「毒性物質とは思っていなかった」「想定外のこと」「知らなかった」との言い訳は通じないことが明記されている。 新潟水俣病判決(新潟地判昭和四六年九月二九日判時六四二号九六頁)の具体的な判決は以下の通り。

イ.新潟水俣病判決(新潟地判昭和四六年九月二九日判時六四二号九六頁)

本判決は過失の一般論として、化学企業に、以下のような安全管理義務を課している。

「およそ、化学工業を営む企業の生産活動においては、日進月歩に開発される化学技術を応用して大量に化学製品を製造するものである以上、その化学反応の過程において、製品が生成されるかたわらいかなる物質が副生されるかも知れず、しかもその副生物のなかには、そのまま企業外に排出するときは、生物、人体等に重大な危害を加えるおそれのある物質が含まれる場合もありうるから、化学企業としては、これらの有害物質を企業外に排出することがないよう、常にこれが製造工場を安全に管理する義務があるというべきである」。

その上で、同判決は、以下のような注目すべき考え方を展開する。

化学企業が製造工程から生ずる排水を一般の河川等に放出して処理しようとする場合においては、最高の分析検知の技術を用い、排水中の有害物質の有無、その性質、程度等を調査し、これが結果に基づいて、いやしくもこれがため、生物、人体に危害を加えることのないよう万全の措置をとるべきである。 そして……最高技術の設備をもってしてもなお人の生命、身体に危害が及ぶおそれがあるような場合には、企業の操業短縮はもちろん操業停止までが要請されることもあると解する」。

ここでのポイントは、化学企業に高度の安全管理義務を要求した上で、「最高技術の設備をもってしてもなお人の生命、身体に危害が及ぶおそれがあるような場合には……操業停止までが要請されることもある」として、行為の停止を含む防止義務を課したことである。 このような過失論に対しては、実質上無過失責任を認めたものとの評価がある。 例えば、谷口知平は、本判決は「一種の結果責任ないし危険責任ー無過失責任を認めたと同じだとも評することができると思う」とし、野村好弘も、「外の衣は過失でありながら、中味は無過失責任に近い」とする。 しかし、このような評価を沢井裕は、「本判決を無過失責任と評価することは、いたずらに企業への批判をそらし-企業にとって酷な責任との印象を与え、あるいは非難原因なき責任として-民法の過失責任規定の下での救済を狭くすることになろう」と批判する。 筆者もこの批判に同感である。 本判決は、予見可能性(予見義務)と回避義務という一般的な過失論の枠組みを形式的には維持しつつ、後者において操業停止をも要求することにより、事実上、予見可能ならば過失ありとする考え方に接近したものであり、その意味で古典的過失論への接近と見るべきであり、決して無過失責任を認めたものではない。

この判決の過失論が、本件における被害者を救済する上で適切なものであることは、多くの論者が一致して評価するところであったが、 しかし同時に本判決が、「最高の分析検知の技術」を用いた有害物質の有無の調査を過失の内容にしているために、最高の技術を用いても認識不能であるとの抗弁を被告に許し、 その結果、「最高の技術」とは何かという争点を裁判に持ち込んだという批判がある。この点が問われるのが、次の熊本水俣病事件であった。

公害における過失責任・無過失責任(吉村 良一) 立命館法学2000年3・4号下巻(271・272号)

この判決では、化学企業の安全管理義務をについて、「最高の分析検知の技術」によって予見可能ならば過失があるとしている。 これは、過失の認定基準を「最高の分析検知の技術」による予見可能性としたものであって、無過失責任を認めたものではない。

熊本水俣病判決(熊本地判昭和四八年三月二〇日判例時報六九六号一五頁)の具体的な判決は以下の通り。

(四)被告会社は、前記1・2記載の注意義務を怠ったばかりか、当初から水俣工場廃液が疑われていたにも拘らず、原因の究明と危害防止の努力を怠り、昭和三三年九月の水俣川河口への排水路変更後、右河口周辺に新たな患者が続発しても、ここに廃液を流しつづけ、何らの危害防止の手段を講じなかった。

のみならず被告は、熊本大学水俣奇病研究班を中心とする外部の原因究明の研究に対しても何らの協力をしなかったばかりか、遂にこれを妨害さえしたのである。

また同工場アセトアルデヒド醋酸工場廃液の直接投与実験猫四〇〇号に昭和三四年一〇月七日水俣病が発症し、九州大学の遠城寺教授の病理所見でも水俣病に酷似している旨の結果が得られた。

その頃被告会社幹部も右事実を知り、直ちに猫実験を禁止し、工場廃液の採集さえも妨害した。 そして被告は厚顔にも実験結果を秘匿し、昭和三四年一一月には熊本大学研究班の研究成果に対する反論書さえ発表し、これを関係先に配布している。 その間にも新しい水俣病患者は続出していった。 被告は右実験結果を知ってからも工場廃液を放出し続け、その結果水俣病が相次いで発症したのであるがこれについては故意に近い責任があるものといわなければならない。

右のように被告は、猫実験の結果を知ってからも危害妨止の為の措置を講ずるどころか、これを秘匿して、昭和三四年一二月三〇日をはじめとし七回に及ぶ見舞金契約を原告らと締結した。


二 およそ化学工場は、化学反応の過程を利用して各種の生産を行なうものであり、その過程において多種多量の危険物を原料や触媒として使用するから、 工場廃水中に未反応原料・触媒・中間生成物・最終生成物などのほか予想しない危険な副反応生成物が混入する可能性も極めて大であり、 かりに廃水中にこれらの危険物が混入してそのまゝ河川や海中に放流されるときは、動植物や人体に危害を及ぼすことが容易に予想されるところである。

よって、化学工場が廃水を工場外に放流するにあたっては、常に最高の知識と技術を用いて廃水中に危険物質混入の有無および動植物や人体に対する影響の如何につき調査研究を尽してその安全を確認するとゝもに、 万一有害であることが判明し、あるいは又その安全性に疑念を生じた場合には、直ちに操業を中止するなどして必要最大限の防止措置を講じ、 とくに地域住民の生命・健康に対する危害を未然に防止すべき高度の注意義務を有するものといわなければならない。 すなわち、廃水を放流するのは工場自身であるのに対し、地域住民としては、その工場でどのようなものが如何にして生産され、また如何なる廃水が工場外に放流されるかを知る由もなく、かつ知らされもしないのであるから、本来工場は住民の生命・健康に対して一方的に安全確保の義務を負うべきものである。 蓋し、如何なる工場といえども、その生産活動を通じて環境を汚染破壊してはならず、況んや地域住民の生命・健康を侵害しこれを犠牲に供することは許されないからである。

被告は、予見の対象を特定の原因物質の生成のみに限定し、その不可予見性の観点に立って被告には何ら注意義務違反がなかった、と主張するものゝようであるが、 このような考え方をおしすゝめると、環境が汚染破壊され、住民の生命・健康に危害が及んだ段階で初めてその危険性が実証されるわけであり、それまでは危険性のある廃水の放流も許容されざるを得ず、 その必然的結果として、住民の生命・健康を侵害することもやむを得ないことゝされ、住民をいわば人体実験に供することを容認することにもなるから、明らかに不当といわなければならない。

しかして、甲第一一三・第一一四号証および証人西田栄一の証言によると、被告工場はもとより合成化学工場であり、戦後逸早くアセトアルデヒドの生産を再開し、年年製造設備も改善増強されてその生産量が増大し、 ことに昭和二七年九月アセトアルデヒドからオクタノール(塩化ビニール用可塑剤としてのDOP・DOAの主要原料である)を生産する技術およびその工業化が開発されて以来、その需要の激増に伴ってアセトアルデヒドの生産量も著しく増大するに至り、 生産再開の当初約二、〇〇〇トンであった年産量は、昭和三〇年一〇、六三三トン、同三三年一九、四三六トン、同三四年約三〇、〇〇〇トンと累増していったこと、一方同工場において昭和二四年に生産が開始された塩化ビニールも、当初は年産僅か五トンであったが、 同二八年一、七六九トン、同三〇年四、二〇〇トン、同三三年八、七八二トンと逐年生産量が増加したこと、かようにして被告工場は戦後全国有数の合成化学工場となり、その技術の優秀性を誇るとゝもに、化学工業界において確固たる地位を占めるに至ったこと、 以上の各事実が認められ、右事実からすると、被告工場では、この間における各種の製造設備の開発・改善・増強に伴って廃棄物および廃水も増加し、その中に製造過程において生成された危険物質が混入する可能性も年々増大していったというべきである。

かようにみてくると、被告工場が全国有数の合成化学工場として要請される高度の注意義務の内容としては、絶えず文献の調査・研究を行なうべきはもとよりのこと、 常時工場廃水の水質に分析・調査を加えてその安全確認につとめるとゝもに、廃水の放流先である水俣湾の地形・潮流その他の環境条件およびその変動についての監視を怠らず、 その廃水を工場外に放流するについてその安全管理に万全を期すべきであったといわなければならない。

ところで、甲第八六号証の一・二、同第八七号証、同第一〇三号証、乙第二〇七号証、証人西田栄一・同徳江毅の各証言によると、水俣病の発生以前に、アセチレン接触加水反応の過程でメチル水銀化合物が副生することを指摘した文献こそないが、 一九二一年の米国化学会ジャーナル(Journal of American Chemical Society・Vol・43・P・2071~)という雑誌に、ボーグト(Richard R・Vogt) およびニューランド(Jurius A・Nieuwland)の連名による「アセチレンからアルデヒドへの触媒作用による変化における水銀塩の役割およびパラアルデヒドの製造における新しい工業的製法」と題する論文が登載されており、 これは水銀の触媒作用に関する著名な論文であるとされているが、その中で「アセチレンを吹込んだ後の触媒液中には、如何なる無機水銀化合物も存在しない」と述べられていること、 また被告工場の技術部職員五十嵐赳夫は昭和二五年から同三〇年にかけてアセトアルデヒドの触媒機能について研究をつゞけ、同人は同二九年四月には日本化学会の学会においてその研究成果を発表しているが、 それによると、アセトアルデヒドの母液中に可溶性のメチル水銀化合物が存するというのであり、同人による「水銀触媒によるアセトアルデヒド合成反応速度の解析」(昭和三七年)との論文中にもこのことが明らかにされていること、 以上の事実がたやすく認められるのであって、被告工場において文献の調査・研究が尽されていたとすれば、昭和三〇年以前に、アセトアルデヒドの製造工程において水溶性のメチル水銀化合物が生成されることを知りえたといわなければならないばかりでなく、 合成化学工場の生産過程における化学反応の段階で意外な副産物が生成された事例として、甲第四四・第四五号証、証人西田栄一の証言によると、被告工場では、昭和九年にアセチレンと酢酸からエチリデンアセテートをつくり、これを分解させて無水酢酸を製造するエチリデン法(液相法)を用いていたところ、 その過程で芳香性のある物質が生成し、これが光熱等によって飴状に固まり、その粘結性が強く加熱器のパイプを閉塞して支障を来したところから、 これを打開するために調査研究を重ねた結果、これが酢酸ビニールであることが判明したので、 同工場は昭和一二年ごろからこの中間生成物たる酢酸ビニールの増産を行なうようになったことが認められ、前記のような戦後著しい新技術の開発進歩にともなう製造設備の改善増強、 その設備による化学反応の過程において、意外な副産物が生成される可能性は一段と高くなっていたことは、十分首肯されるところである。

然るに、被告工場が早くから水銀の触媒作用に関する文献の調査・研究を行なっていたことを肯定すべき証拠はなく、 むしろ、証人市川正の証言によると、同工場技術部では昭和三四年八月以後漸く文献調査を行なうに至ったことがうかゞわれるばかりでなく、 また同工場が廃水の水質に分析・調査を加えてその安全確認につとめ、あるいは又廃水の放流先の環境条件およびその変動に注目してその監視を怠らなかったことを認めるに足りる証拠はない。 もっとも、証人西田栄一・同徳江毅の各証言によると、被告工場では昭和二四、五年以降工場廃水の分析・検討が行なわれているが、 これらは専ら原料のロスを減少させるための生産管理の手段としてなされた分析・検討であり、 あるいはまた廃水中の水素イオン濃度(PH)・浮游物質(SS)・生物化学的酸素要求量(BOD)・化学的酸素要求量(COD)・溶存酸素(DO)等が行政基準等に合致しているか否かを知るための水質の分析・検討であったに過ぎず、 被告工場が安全管理に重点をおき、工場廃水によって地域住民に万一の危害が及ぶべきことを配慮し、安全確認のために廃水の分析・検討を行なったわけでないことがたやすく認められる。

以上により、被告工場は全国有数の技術と設備を有する合成化学工場であったにもかゝわらず、多量のアセトアルデヒド廃水を工場外に放流するに先立って要請される注意義務を何ら果すことなく、たゞ漫然とこれを放流してきたものと認めざるを得ないから、既にこの点において過失の責任を免れないものというべきである。


3 水俣病の原因究明に関連して

甲第九号証の一、同第一〇号証、乙第三六号証、同第三七号証の一ないし三、同第三九号証、同第七二・第七三号証、証人西田栄一・同市川正の各証言によると、次の事実が認められる。

水俣病の原因物質については、先ず昭和三一年一一月熊大医学部の水俣病医学研究班がマンガン説(いわゆる重金属説)を主張したのをはじめとして、その後同研究班では相次いでマンガン・セレン説(同三二年四月)、マンガン・セレン・タリウム説(同三三年六月)などの複合説を主張するとゝもに、調査研究がつゞけられた末、 同三四年七月二二日には科学分析・臨床実験・病理学的観察を根拠とする有機水銀説が強く提唱されるに至った。 これに対し、被告は同三三年七月「水俣奇病に対する当社の見解」(乙第三七号証の一ないし三)において、化学常識・化学的研究・動物実験による判断をもとに、マンガン・セレンタリウムの三物質の一若しくは二、三が原因であるとの説に対して反論し、 更に同三四年七月の有機水銀説に対しては、逸早く同月中に「所謂有機水銀説に対する工場の見解」(乙第三九号証)として、熊大側の諸種の分析結果・病理所見の当否については論じ難いとしつゝも、 化学常識からみた疑問点およびそのデーターの不備を指摘し、有機水銀説には納得できないとの批判的見解を示した後、同年一〇月には被告工場として「水俣病原因物質としての有機水銀説に対する見解(第一報)」(甲第一〇号証、乙第四〇号証)を作成し、 それに基づいて被告が同月末に「水俣病原因物質として有機水銀説に対する見解」(甲第九号証の一)を作成公表した。 右最終見解書は、水俣病発生の特異性、実験ならびに証拠方法、猫の臨床症状、化学実験、海底土・河水・海水中の水銀含有量、魚介類有毒化の経路・機構等について、同月二五日までの研究データーに基づき検討を加えた上、有機水銀説に対する反論を示したものである。 そして、以上の各見解書が、すべて熊大側の見解に対する反論をその主たる内容とするものであることは極めて明らかなところであり、 従って、後記5においてもふれるように、被告の右最終見解書には、猫実験のデーターとして、百間排水を直接投与した猫三七四号につき猫台帳(乙第二号証)の記載と異なる結論を掲げているし、 また被告にとって極めて不利な結論を導くものと思料される猫四〇〇号については、もとよりこれを掲載していない。

そもそも、昭和三一年以降は、水俣病が被告工場廃水に関係あるものとして、同工場に強い疑惑がいだかれていたことは既述のとおりであり、従ってその原因究明の主体はあくまでも被告自身でなければならず、自ら十分調査研究を尽して原因究明につとめるべきであったというべきところ、 被告の提出にかゝるその原因究明に関連した数多くの文献 (乙第三号証の一ないし八、同第四号証の一ないし一七、同第五号証の一ないし二三、同第六号証の一ないし三、同第七号証、同第八号証の一ないし三二、同第九ないし第一一号証の各一・二、同第一二号証の一ないし三、同第一三号証、同第一四ないし第二〇号証の各一・二、同第二一および第二二号証の各一ないし三、同第二三ないし第二七号証参照) がいずれも熊大医学部による研究結果であることからも明らかであり、 証人西田栄一・同徳江毅の各証言からもうかゞわれるように、被告工場または被告自身が原因究明のための調査研究をした成果にみるべきものはなく、況んやその結論を公表した事例は存しない。 たゞ、被告工場付属病院の細川医師外四名は、昭和三二年一月、疫学・臨床・検査の三項目より考察した結論として、水俣病の地域ならびに家族集積性と猫・魚などに関係があることを指摘した「水俣奇病に関する調査」(乙第三六号証)と題する書面を公表しているが、 証人西田栄一の証言によると、それとても同付属病院としての私的な報告書の域を出るものでないことは明らかなところである。

そして、このような被告工場または被告の姿勢・態度は、熊大側の有機水銀説以後においてすら、被告工場内で水銀を使用する製造工程に着目し、その廃水、すなわちアセトアルデヒド廃水・塩化ビニール廃水中に、有機水銀化合物の有無について分析・調査をしようとした形跡がないことからも窺知されるのである。 もっとも、証人市川正の証言によると、同工場技術部職員石原俊一は、昭和三六年四月頃以降ペーパークロマトグラフィーによる分析法に工夫を加え、アセトアルデヒド精ドレン中に有機水銀化合物らしいものゝ存在を検知し、同年末頃有機水銀化合物を結晶としてとり出すことに成功し、 同三七年三月頃にはそれから塩化メチル水銀・沃化メチル水銀およびメチル水銀の硫黄系誘導体の三種類の結晶を得ることに成功しているが、その理由の如何はとも角として、公表されるに至らなかったことが認められる。

ところで、甲第三三号証と証人西田栄一の証言によると、昭和三四年一一月三日衆議院水俣病調査団の一行一七名は、被告工場の八幡地区・百間港の両排水溝を視察した後、 同調査団々長松田鉄蔵が被告工場長らに対し、利潤追求の立場のみから熊大を非難することをやめ、むしろ熊大側に協力すべきであるとし、熊大との対立感情を捨てゝ反論のための反論をせず、一致して原因究明につとめるよう叱責したことが認められる。 もっともこの点に関して、被告は、昭和三二年八月以降同三四年一〇月までの間被告工場は熊大からの資料提供の要求にその都度応じてきたし、同工場と熊大相互の立場・見解の相異によって若干のトラブルは避けられなかったが、 同工場の熊大に対する協力に欠けるところはなかったと主張し、乙第二八号証の一ないし一二、同第四五号証の一・二、同第四六号証、同第四七号証の一・二、証人西田栄一・同徳江毅の各証言はその主張に沿うものゝようである。 しかしながら、右各証言からも明らかなように、被告工場と熊大との対立感情は拭いようもなかったし、被告工場の熊大に対する資料の提供や照会事項への回答についても、常に同工場が誠意をもってこれに応じてきたものとは解し難いし、 また被告工場が熊大の前記マンガン(重金属)説やセレン・タリウム説などに対し、むしろ自信をもって反論を加えたと思料される昭和三三年七月の時点において、同工場が最も多量に使用していた重金属はアセトアルデヒド製造工程に用いられる水銀であることが明らかであったにかゝわらず、 同工場は熊大に対してアセトアルデヒドのことについては一切告知しなかったばかりでなく、その後においても黙秘しつゞけていたことを窺知させるに十分であり、 この事実を示すものとして、昭和三四年八月五日県議会水俣病対策特別委員会における被告工場長西田栄一の挨拶(乙第四六号証参照)をみても、有機水銀説に関連して疑惑の対象となっているものとして、塩化ビニール廃水をとりあげているものゝ、アセトアルデヒド廃水のことには全くふれられていない (もっとも、同日被告工場側の資料として配付された見解(乙第三九号証)には、被告工場のアセトアルデヒド・塩化ビニール両設備から無機水銀が百間排水溝を経て水俣湾内に流出し、比較的多量に同湾内に蓄穫されていることを認める旨の記載がある)。 そればかりでなく、そもそも被告工場が熊大に対して同工場の生産工程の全貌とその使用原料・触媒・中間生成物・各生産部門における廃棄物や廃水の処理方法などを早期に明らかにしなかったことは、熊大の水俣病の原因究明を遅延させ、同時に水俣病患者発生を増加させる大きな要因となったといっても過言ではなく、 要するに、被告工場または被告は熊大に対して原因究明の協力に欠け、ひいては被告が原因究明に関連してとるべき対策ないし措置に著しく欠けるところがあったといわなければならない。

熊本地裁昭四四(ワ)五二二号・同四五(ワ)八一四号・同四六(ワ)三二二号・四一九号・五四八号・同四七(ワ)四二七号


本件において被告が、予見の対象として具体的な被害を要求し、これに対し原告が、いわゆる汚悪水論を展開したことはすでに述べたが、熊本地裁は、以下のような過失論を提示して、被告企業の過失責任を認めた。 「およそ化学工場は、化学反応の過程を利用して各種の生産を行なうものであり、その過程において多種多量の危険物を原料や触媒として使用するから、工場廃水中に……予想しない危険な副反応生成物が混入する可能性も極めて大であり、かりに廃水中にこれらの危険物が混入してそのまま河川や海中に放流されるときは、動植物や人体に危害を及ぼすことが容易に予想されるところである。 よって、化学工場が廃水を工場外に放流するにあたっては、常に最高の知識と技術を用いて廃水中に危険物混入の有無および動植物や人体に対する影響の如何につき調査研究を尽してその安全性を確認するとともに、万一有害であることが判明し、あるいは又その安全性に疑念を生じた場合には、直ちに操業を中止するなどして必要最大限の防止措置を講じ、とくに地域住民の生命・健康に対する危害を未然に防止すべき高度の注意義務を有するものといわなければならない」。 「被告は、予見の対象を特定の原因物質の生成のみに限定し、その不可予見性の観点に立って被告には何ら注意義務がなかった、と主張するもののようであるが、このような考え方をおしすすめると、環境が汚染破壊され、住民の生命・健康に危害が及んだ段階で初めてその危険性が実証されるわけであり、それまでは危険性のある廃水の放流も許容されざるを得ず、その必然的結果として、住民の生命・健康を侵害することもやむを得ないこととされ、住民をいわば人体実験に供することにもなるから、明らかに不当といわなければならない」。

この過失論も、操業停止を含む高度の義務を課し、それに基づいて過失を認定している点では、新潟判決と共通している。 しかし、淡路剛久によれば、次の三点において新潟判決よりも「一歩前進している」。 まず第一は、「安全性に疑念が生じた」場合に直ちに操業を停止するなりして安全の確保に努めなければならないとした点である。 第二に、本判決が動植物と人体を分けなかったことも、動植物に被害が生じたときはすでに赤信号であるという汚染のプロセスから見て正当である。 さらに第三に、被告側の「メカニズム論」を否定したことも評価できる。 牛山積も同様に、次の二点において、本判決は、新潟判決より「はるかに進んだ考え方を採用して」いるとする。 その第一は、発生する被害について水俣病という特定された病気の発生を問題にせず、人体に対する何らかの被害の発生することをもって予見の対象として判断すべきとしたことであり、第二は、特定の原因物質という考え方を排したことである。 熊本水俣病事件は、第二の水俣病であった新潟事件と異なり、特定の原因物質やそれに基づく水俣病という特定の症状についての予見を問題にすれば、過失の認定に困難が生じうる事案であった。 そのことから、原告は、汚悪水論を主張したのである。 これに対し裁判所は、汚悪水論を直接採用することはせず、ある意味でオーソドックスな過失論の枠組みを維持したが、 同時に、特定の原因物質やその作用メカニズム、あるいは特定の症状の予見を求めることは、「住民をいわば人体実験に供することにもなる」としてこれを排した点で、大きな意義を有するのである。

公害における過失責任・無過失責任(吉村 良一) 立命館法学2000年3・4号下巻(271・272号)

この判決では、化学工場の排水に関する「予見の対象」について、評価の確立した「特定の原因物質の生成のみに限定」とする被告の主張を否定し、「最高の知識と技術」により「廃水中に危険物混入の有無および動植物や人体に対する影響の如何につき調査研究を尽してその安全性を確認」することを求めた。 そして、そうした予見可能性に対して、「必要最大限の防止措置を講じ、とくに地域住民の生命・健康に対する危害を未然に防止すべき高度の注意義務を有する」としている。 その上で、判決は、次のような事実関係を認定して、注意義務違反という過失を認定した。

  • 被告会社は水俣工場廃液の危険性を早くから知り得た
    • 当初から水俣工場廃液が疑われていた
    • 昭和33年9月に排水路変更後、変更先周辺に新たな患者が続発した
    • 水俣工場廃液を使った動物実験で水俣病に酷似した症状が発生し、被告会社幹部はその事実を少なくとも昭和34年11月には知っていた
  • 被告会社は何ら安全対策を行わなかった
    • 被告企業は、自ら原因調査や排水分析を行おうとしなかった
    • 排水に関する情報公開も拒んだ
    • 動物実験の結果を知った被告会社幹部は、動物実験を禁止し、工場廃液の採集も妨害した
    • 研究結果を捻じ曲げて反論し、都合の悪い研究結果は黙殺した

以上の通り、「『無過失責任』という極めて奇妙な理屈」は採用されていない。

裁判長は、弱い立場の企業にその責任をなすりつけるのは容易だから、その道をとった。 裁判官のやりそうなことだ。

原発論点4東電に責任はない? - 武田邦彦

本件で最も「弱い立場」なのは原告患者であるから、「弱い立場」に「責任をなすりつける」なら、企業の責任が認定されるわけがない。

強いて過失を探せば、熊本県や日本政府がその会社の操業を認めたということであるが「自治体や政府は間違いをしない」という原則があるので裁判では免責された。

原発論点4東電に責任はない? - 武田邦彦

水俣病訴訟において「『自治体や政府は間違いをしない』という原則があるので裁判では免責された」なる事実は存在しない。 具体的な判決例は以下の通り。

1 国が,昭和34年11月末の時点で,多数の水俣病患者が発生し,死亡者も相当数に上っていると認識していたこと,水俣病の原因物質がある種の有機水銀化合物であり,その排出源が特定の工場のアセトアルデヒド製造施設であることを高度のがい然性をもって認識し得る状況にあったこと, 同工場の排水に含まれる微量の水銀の定量分析をすることが可能であったことなど判示の事情の下においては, 同年12月末までに,水俣病による深刻な健康被害の拡大防止のために,公共用水域の水質の保全に関する法律及び工場排水等の規制に関する法律に基づいて,指定水域の指定,水質基準及び特定施設の定めをし, 上記製造施設からの工場排水についての処理方法の改善,同施設の使用の一時停止その他必要な措置を執ることを命ずるなどの規制権限を行使しなかったことは,国家賠償法1条1項の適用上違法となる。

2 熊本県が,昭和34年11月末の時点で,多数の水俣病患者が発生し,死亡者も相当数に上っていると認識していたこと, 水俣病の原因物質がある種の有機水銀化合物であり,その排出源が特定の工場のアセトアルデヒド製造施設であることを高度のがい然性をもって認識し得る状況にあったことなど判示の事情の下においては, 同年12月末までに,水俣病による深刻な健康被害の拡大防止のために,旧熊本県漁業調整規則(昭和26年熊本県規則第31号。昭和40年熊本県規則第18号の2による廃止前のもの)に基づいて, 上記製造施設からの工場排水につき除害に必要な設備の設置を命ずるなどの規制権限を行使しなかったことは,国家賠償法1条1項の適用上違法となる。

平成13(オ)1194損害賠償,仮執行の原状回復等請求上告,同附帯上告事件(最高裁判所第二小法廷) - 判例検索

この判決において、国と県に対して、原因物質と排出源について「高度のがい然性をもって認識し得る状況にあった」にも関わらず「規制権限を行使しなかったことは,国家賠償法1条1項の適用上違法」と明言されている。


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