波動性と粒子性の二重性

物質波 

アインシュタインは、光量子仮説の論文で、それまで波と考えられていた光が、飛び飛びのエネルギー値を持つ量子、つまり、物質的性質があることを示した。 その論文を読んだド・ブロイは、逆に、物質にも波の性質があってもおかしくないのではないかと考えた。 そして、全ての物質は、運動量(どの運動系を基準にするのだろうか?)に反比例する波長の物質波としての性質があるという仮説を発表した。 後に、シュレーディンガーによって、可観測量等の物理学的知見等を元にシュレーディンガー方程式が導かれ、波動関数として数式化することが可能となった。 後に、シュレーディンガー方程式は、ボーアの原子モデルの理由付けとなることが分かった。

問題点整理 

粒子と波の二重性とは何か?

身近な例 どう数える? どこにいる? 入口がいくつ もあったら?
粒子小石,ボール1個、2個・・・空間の1点に局在しているどれかひとつだけ通る
水の波,音,電磁波個数は数えられない。強さはある空間に拡がっている全部通り、合流すると重なり合う

初めて学ぶ物理学 量子論 by 筑波大学物理学系素粒子理論研究室金谷和至教授

なお、授業中は述べなかったが、シュレーディンガーがシュレーディンガー方程式を世に出した時、すでに水素原子の回りにある電子について計算しているのだが、この電子の存在確率も古典的には行くことができない場所まで広がっている(確率は小さいが)。 もっともシュレーディンガー本人は「確率が広がっている」とは考えていなかった。

量子力学講義録2005年第8回 - 琉球大学理学部物質地球科学科准教授前野昌弘の講義録

重要な2つの性質を抜き出す。

大きさ
粒子分割可能な最小単位を持つ(量子性)ある一定以下の大きさを持つ(局在性)
いくらでも細かく分けられる(連続性)任意に大きさを変えられる

粒子には、波と違って、量的な制限と大きさの制限がある。 このうち、量的な制限の違いはあまり問題視されなかった。 光子の量子性は、量子力学の標準理論に反発したアインシュタインが発表した理論である。 多くの物理学者が問題としたのは大きさの制限の違いである。

1点に集約される性質と、空間的な広がりを持つ性質が両立する…とは、何とも奇妙な話である。 しかし、複数の粒子であれば、1つ1つは1点に集約されていても、その集合体でなら空間的な広がりを構成できるのではないか。

問題は、波のような性質をもたらすほど光子の数は多くないことである。


つまり、ある一瞬には、室内の光子数は10の12乗個程度しかない。 これは、1立方ミリメートル当たり10個程度ということであり、空気分子が10の16乗個程度であるのと大きな違いである。

「量子力学の解釈問題―実験が示唆する『多世界』の実在」(ISBN-10:4062576007,ISBN-13:978-4062576000,著:ColinBruce,訳&注:和田純夫)P.35

このように、かなり以前から、複数の粒子で波が形作られるとする考えは否定されていたようだ。 そして、それは、単一電子による二重スリット実験(1974年)で実証された。

たった1個分で、1点に集約される性質と、空間的な広がりを持つ性質を併せ持つのは不思議な現象である。 その謎に対する一定の回答がボルンの確率規則である。 しかし、確率規則では、確率的計算手法が提供されただけで、具体的に問題点に折り合いを付ける仕組みの解明は放棄した。 それに対して、アインシュタインらは、折り合いをつけるための未発見の隠れた変数があるはずとして、大反発した。

波動関数でも、ある瞬間のみ一点に凝縮した波を記述することは可能だ。 しかし、一点に凝縮した波もその時刻の前後では広がりを持つ。 結果、観測のタイミングに合わせて一点に凝縮する波を作ろうとしても、辻褄を合わせることができない。 そんな都合の良い変化が観測の瞬間にだけ起きる原因を説明できない。 だから、極めて乱暴な確率的手法である射影仮説を導入する必要があったのだ。

解決策 

隠れた変数理論 

隠れた変数理論の具体例として、ド・ブロイが1927年のソルベー会議で提案したパイロット波理論がある。

  • 観測可能な粒子と直接的には観測不可能な波が一対で存在する。
  • 波同士や粒子同士、および、波と粒子の間の相互作用がある。

このような仮定を置けば、二重スリット実験の結果も問題なく説明できる。 しかし、困ったことに隠れた変数理論には解決すべき課題が多い。 課題を解決しようと理論を修正すると、あまりに非常識すぎる珍説になってしまう。 今日でも、隠れた変数理論は完全には否定されていないが、かなり実現が困難な理論となっている。

「観測」の物理的定義 

ようは、射影仮説の核となる「観測」を物理的に定義できれば良い。 そうすれば、マクロ世界の法則と量子力学の間に矛盾は生じない。 それでも量子力学の不可思議さは残るが、ミクロの世界が我々の常識と違っていても主観的に気持ち悪いこと以外には何ら不都合はない。

ミクロとマクロの間に明確な境界を設けようとすると「観測」を定義できない。 しかし、ミクロからマクロへ性質が連続的に変化すると考えれば、「観測」=ミクロとマクロの干渉と定義できる。 その一例が量子デコヒーレンスである。

デコヒーレンス

将来、デコヒーレンスが科学的に否定される可能性はある。 しかし、「観測」=ミクロとマクロの干渉とする定義だけは揺るがない。

よくある誤解 

世の中には、射影仮説を不要なものと切り捨てる者が少なくない。 しかし、清水明教授の説明の通り、射影仮説は「実験事実と合致しかつ無矛盾な理論体系になるために必要であるからこそ導入された公理」なのである。

1.量子とは結局何なのか

* 考え方A: ミクロな世界の構成要素~量子は、粒子でもあり、波でもある。 1個、2個と数えられる性質は粒子であり、回折や干渉を引き起こす性質は波である。 電子も、光も、粒子的な性質と波動的な性質の両方を持つ。 マクロな世界の常識では考えられない、この奇妙な性質のことを「粒子と波動の二重性」という。


* 考え方B: ミクロな世界の構成要素~量子は、波である。 ただし複素数の波なのである。 複素数から物理的に意味のある値~実数を取りだす過程において、 複素数の波は1個、2個と数えられる性質を帯びてくる。 この粒子としての性質を帯びることを「量子化」という。

この2つの考え方A,Bのうち、分かりやすいのはどちらでしょうか?

よほどのひねくれ者でない限り、Bを選ぶことと思います。

だいたい「粒子でもあり、波でもある」などといった、ワケのわからん理屈で納得できますか。

量子は波で理解できる - 小人さんの妄想

ツッコミ所は2点である。

  • 量子性は「粒子的な性質」とは違う
  • 実験事実と辻褄を合わせた理論の区別がついていない

「1個、2個と数えられる性質」は単なる量子性であって「粒子的な性質」ではない。

狭義の粒子性
1点に存在する性質
広義の粒子性
狭義の粒子性+量子性

狭義でも広義でも1点に存在する性質がなければ「粒子的な性質」ではない。 よって、「1個、2個と数えられる性質」を示せても「粒子的な性質」を捨てられる訳ではない。 量子力学の標準理論に反対したアインシュタインも光子の量子化には反対しなかった。 というより、光子の量子化を言い出したのは当のアインシュタインである。 科学者にとって受け入れ難いのは波の量子化ではなく、観測された二つの性質の空間的な不一致である。 粒子性として問題とされるのは、1点に存在する性質であり、それを実現するための射影仮説なのである。

ここで、文章中の粒子はすべて量子と読み替えるとする。 その場合、Aは実験事実で、BはAに辻褄が合うように構築した理論となる。 そして、事実と理論はどちらか一方だけを選択するものではない。 事実があって理論があるのであり、理論があって事実があるのである。 だから、AとBのどちらを選ぶかという問いは馬鹿げている。

だいたい「粒子でもあり、波でもある」の何がどう「ワケのわからん」のか訳が分からない。 実験が示す事実は、事実としてありのまま受け入れれば良いだけである。 二重スリット実験では、干渉縞は波のような性質だが、着弾点は粒子のような性質である。 そこにどんなカラクリがあるのか、量子の実態はどのような姿か等を考える必要はない。 ただ、波のような性質と粒子のような性質が観測されることだけを理解すれば良い。 それは受け入れ難い事実かも知れないが、それと理解できるかどうかは別問題である。 未知の部分について判断材料もないのに無理に答えを出そうとするから訳が分からなくなるのではないか。 「粒子=波」などのおかしな発想をしているのではないだろうか。

いっそのこと「波」でいきましょう。そっちの方がずっと簡単だし(笑)。

何よりも、「電子は粒子であるが、波でもある」という言い方が良くない。 これではどのように描像して、どのように取り扱ったらよいのか見当がつかない。 電子は「波である」として入っていくのがよい。 波とは場の振動であり、電子は場で記述される。 後の段階でそれが塊となって粒子となるのである(量子化)

   -- 新量子物理学入門 より


これまで一般的だった教え方は不適当であり、電子を波動場として教えるべきである、ということである。


二重性などという言葉は、その意味が数学的に定義されているのでない限り、科学で使うべきではない。

   -- 電子は質点か場か より

「波」というのは、場で記述できる、位置と時刻の関数φ(x,t)で表される、という意味です。

一方、粒子とは「時刻tを独立変数とし、位置と呼ばれる関数x(t)で表されるもの」です。

実のところをいうと、電子は場で表すことも、質点で表すこともできます。

しかし、場で表した方が理論が簡単で、質点で表した方が理論が難しい。

それが「波」を推す理由なのです。

量子は波で理解できる - 小人さんの妄想

量子の波としての性質も粒子としての性質も実験が示している事実である。 「見当がつかない」や「その意味が数学的に定義されているのでない」を理由として実験事実を否定するのは非科学的だ。 実験が示す複数の事実のいずれか一方だけを「理論が簡単」等の口実で「推す」ものではない。

繰り返すが、量子化と「粒子となる」は違う。

何が言いたかったのかというと、量子力学というものは場で統一的に理解できるということです。

これまで歴史的な経緯から、粒子 -> 存在確率 といった解釈が為されてきたのですが、

改めて現代的な視点から見直せば、場から入った方がシンプルであるように思えます。

少なくとも「猫が半分死んでいる」などといった問題で悩む必要が無くなります。

何が分かりやすいと感じるかは人それぞれですが、私は「量子は波」からスタートで良いのではないかと思うのです。

量子力学に詳しい方、いかがでしょうか。

量子は波で理解できる - 小人さんの妄想

本当の意味での粒子性を無視すれば、「猫が半分死んでいる」などといった問題で悩む必要がないのは当たり前である。 しかし、本当の意味での粒子性を考慮すれば、射影仮説から逃れることは不可能であり、「猫が半分死んでいる」問題が発生する。 ただし、デコヒーレンス等を根拠にして「猫が半分死んでいる」などといった問題で悩む必要がないと言うのは正しい。 しかし、実験事実を無視して問題を解決したと言うのでは、ただのトンデモである。