光子の裁判

まとめ 

「光子の裁判」の内容は、次の事項を説明することを目的としており、その結論部分は(説明不足を適切に補完すれば)科学的に全く正しい。

  • 被告が警官に捕捉された時には粒子性がある
  • 被告が警官に捕捉されない時には波動性がある(波動性があれば二つの窓を同時に通り抜けるが、そのことは干渉縞の必要条件の極一部に過ぎず、かつ、自明の理なので、それだけを殊更に強調する必要がない)

しかし、その説明過程の論理は誤謬・詭弁だらけである。 43ページもかけて、蛇足がほとんどであり、論点が不明確、かつ、ダブルスタンダードであり、要領を得ておらず、何を説明したいのか意味不明である。 説明すべき重要なことを全く説明していない一方で、自明の理であることと結論に無関係な事項を延々と論じている。 これを素人が読めば、余計な混乱を招くだけであろう。 量子力学を正しく理解している人であれば、その意味を正しく読み解けるだろうが、わかり切ったことを冗長曖昧に説明しただけの全くの無用の長物である。

以下、詳細に解説する。

前置き 

「光子の裁判」は、ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎氏による以下の書籍に掲載された二重スリット実験に関するエッセイである。

  • 量子力学的世界像(1949年)
  • 鏡の中の物理学(1976年)
  • 量子力学と私 (1997年)

尚、最初の二重スリット実験は1961年に実施されている。 ここでは、「鏡の中の物理学」を引用して説明する。

裁判の要点 

とにかく、被告は手錠のようなもので被告席につながれていたらしいこと、その席のあたりに何者かがいたということは印象に残っています。


被告が波乃光子という女のような名前であったことを思い出しましたけれど、もちろん女であったか男であったかそんなことはわかりません。

「鏡の中の物理学」(ISBN-10:4061580310,ISBN-13:978-4061580312,著:朝永振一郎)P.81

光子を一人の人間に例えていることから、当然、この比喩は粒子性に関する比喩であろう。

キリバコ法というのは次のようなものでした。 弁護人はまず前庭と室内いっぱいに警官を立ならばせました。 そして、それらの警官に向かって言うのには、「私は被告を門のところから窓の壁に向って放たせる。 そうすると被告は門から壁に至る間で諸君のだれかに触れるだろう。 そこで諸君が被告に触れたら軽くこれをとらえて(しっかりと捕獲してしまわずに)すぐに被告を放ちなさい」と。


キリバコ法

「鏡の中の物理学」(ISBN-10:4061580310,ISBN-13:978-4061580312,著:朝永振一郎)P.97,98

図を見れば明らかな通り、キリバコ法では、個々の時点において一点に凝集する性質を検証している。 これを空間を拡がって進む波に適用できるはずがないので、当然、波動性ではなく、粒子性を検証している。

検察官「いま弁護人の言われたことは、すでに前から論じられたことの繰り返しにすぎなく、その論旨に何らの新味もない。


要するに、本官は、不意の、事前通告を行わない臨検によって被告がいつも一つ而してただ一つの場所にいるということが例外なく認められている以上、被告がその姿を見せない、したがってそのおり場所が人に知られない場合といえども、どこか一つ而してただ一つの場所にいると判断する。 ただ、そのとき、被告がどこにいるかを知る人がいないだけである。」


弁護人「判事長および検察官の主張には一つ大きな仮定が含まれていることを御注意申し上げたい。


なぜなら臨検を行うことそのことがその人に影響してその行動に何らかの変化を与えているかもしれないからである。 事前の通告がなくとも、臨検行為それ自身がその人に影響してその行動に変化を与えるとすれば、臨検を行ったときの行動をもって、それを行わなかったときの行動を卜することはできない。

「鏡の中の物理学」(ISBN-10:4061580310,ISBN-13:978-4061580312,著:朝永振一郎)P.100-102

ここでは、検察官が「不意の、事前通告を行わない臨検によって被告がいつも一つ而してただ一つの場所にいるということが例外なく認められている」ことを元に「被告がその姿を見せない、したがってそのおり場所が人に知られない場合」を推定した時、弁護人は「臨検を行うことそのことがその人に影響してその行動に何らかの変化を与えているかもしれない」として検察側弁証に未検証の「一つ大きな仮定が含まれている」と主張していることを憶えておいてもらいたい。

判事「弁護人の言われんとすることは、そのかぎりにおいてよくわかった。


しかし何故に、“Neither A nor B”の場合に二つの窓をいっしょに通ったというような奇妙な考え方をせねばならぬのであるか。 “Neither A nor B”の場合にもやはり窓A、Bの何れか一方を通って室内に侵入した、しかしその後において被告が異る行動をした、と判定していかなる不都合が起るのであろうか


弁護人「ただ今の判事長の疑問は誠にもっともであると思う。


まず検察官の主張するように“Neither A nor B”の場合に、『被告は姿を現さなかったが姿を示したときと同様にやはり二つの窓の一方而してただ一方だけを通ったのだ』と仮定してみよう。 この仮定をなすならば、被告がAを通ったときには決してBを通らないし、またBを通ったときには決してAを通っていないはずである。 そうすると、Aを通ったときにはBの窓がふさがっていたとしても被告には何の影響もないし、またBを通ったときにはAの窓がふさがっていたとしても被告には何の影響もないはずである。 したがって二つの窓がある場合でも、被告の行動はAをふさいだときのそれか、あるいは、Bをふさいだときのそれか、の何かになっているはずである。 ところで窓の一方がふさがっているときには、被告はうしろの壁のどこへでもやって来られることが確かめられている。 そうすれば、何故二つの窓があるとき0という位置に被告は来られないのであろうか。 何故二つの窓に特有な縞模様などが現れるのであろうか」

「鏡の中の物理学」(ISBN-10:4061580310,ISBN-13:978-4061580312,著:朝永振一郎)P.113-115

弁護人は「Aを通ったときにはBの窓がふさがっていたとしても被告には何の影響もないし、またBを通ったときにはAの窓がふさがっていたとしても被告には何の影響もないはずである」という検証されていない仮定を置いており、この仮定の検証を全くしていない。 通らなかった側の窓を塞ぐことが被告の行動に影響を及ぼさないとする根拠を弁護人は何も示していない。 先ほどは未検証の仮定を批判しておきながら、自身は素知らぬ顔で未検証の仮定を導入しておいて、かつ、その仮定を検証しようとしないなら、これは疑う余地のない完全なダブルスタンダードである。

ここで、「Aを通ったときにはBの窓がふさがっていたとしても被告には何の影響もないし、またBを通ったときにはAの窓がふさがっていたとしても被告には何の影響もないはずである」という検証されていない仮定を【弁護人による仮説1】と定義する。 1927年のソルベー会議ではド・ブロイにより粒子が決まった軌道をとる(被告がどちらか一方の窓を通る)二重解の理論が提唱されており、その理論で二重スリット実験は問題なく説明できるが【弁護人による仮説1】が成立しない。 派生理論である量子ポテンシャル理論確率力学でも同様である。

弁護人「以上のような、あるいはその他のいろいろな験証によって、本弁護人は多くの同僚と共に姿が見えないときの被告の行動について色々と考えをめぐらせたのである。 本弁護人も初めのうちは上に行ったような仮定、すなわち『姿を現さないときでも一方の窓しか通らない』という仮定をすてないでも、どうにかして二つの窓の存在する場合に被告の示す特徴的な縞模様を理解することができないかと、いろいろ試みたのである。 しかしこういう試みはすべて失敗であった。


すなわち、被告は姿を現さないときには二つの窓の二つともいっしょに通りぬけていく、と考えねばならぬということであった。」

「鏡の中の物理学」(ISBN-10:4061580310,ISBN-13:978-4061580312,著:朝永振一郎)P.115-116

弁護人は「いろいろと試みた」「こういう試みはすべて失敗であった」と主張するが、「光子の裁判」には【弁護人による仮説1】に関する検証実験は一切出て来ないし、【弁護人による仮説1】が正しくない可能性を全く検討していない。 「光子の裁判」が発表される20年以上前に提唱された二重解の理論の可能性も全く考慮されていない。

百歩譲って、【弁護人による仮説1】が正しいとしても、それは、「被告は姿を現さないときには二つの窓の二つともいっしょに通り抜けていく」証拠にはならない。 というのも、【弁護人による仮説1】においても、被告がどちらか一方の窓を通ったとする仮定が否定されるだけだからである。 例えば、どちらの窓も通らなかった可能性も当然考えられる。 「被告は姿を現さないときには二つの窓の二つともいっしょに通り抜けていく」以外の可能性の検証を「いろいろと試みた」とは言えないのだから、「被告は姿を現さないときには二つの窓の二つともいっしょに通り抜けていく」と結論づけることはできない。

もちろん、【弁護人による仮説1】については全く検証されていないのだから、【弁護人による仮説1】が間違っている可能性も残されている。 【弁護人による仮説1】が間違っているなら、当然、「“Neither A nor B”の場合にもやはり窓A、Bの何れか一方を通って室内に侵入した、しかしその後において被告が異る行動をした、と判定」しても「いかなる不都合」も生じない。

二重スリット実験の結果は明らかに波動性を示唆しており、【弁護人による仮説1】はこの実験結果と整合しない。 実験結果と整合しない仮定を置けば、実験結果と矛盾して当然である。 その事実から導ける結論は、実験結果と整合しない仮定が間違っていることだけである。

以後は、これまでの弁護人の主張を言い換えただけであり、新たな検証は行われていない。 よって、弁護人の主張は【弁護人による仮説1】を棄却すれば成立しないから、判事の「“Neither A nor B”の場合にもやはり窓A、Bの何れか一方を通って室内に侵入した、しかしその後において被告が異る行動をした、と判定していかなる不都合が起るのであろうか」に全く回答できていない。 そして、その後の判事の出番は全くないので、どのような判決となったかは確認しようがない。

弁護人「被告が不可分の一個体でありながら、姿を現さないときには二つの窓をいっしょに通り抜けて行くというような奇妙なものであるとしたら、その姿を現さないときの行動を記述するのにはどんな方法をもってしたらいいのであろうか。


被告が窓Aのところで姿を表しているところの状態をヴェクトルψAとし、窓Bのところで姿を表しているところの状態をヴェクトルψBとしよう。 このとき、我々のまとめ上げた考え方によれば、二つの可能性にそれぞれ対応するところの二つのヴェクトルψAとψBとは、互に直角なしたがって互に異る次元の方向にむいているのである。 ところで、例えば、被告がψ=ψA+ψBで表現されるような状態であったとする。 このψは明かにψAにもψBにも等しくない。 したがって、状態において、被告は窓Aのところにあるのでもなく、また窓Bのところにあるのでもなく、結局第三のある状態にいるのである。


こうして、ψ=ψA+ψBなる状態は、単に式の上からのみならずその実験的な帰結においても、密接に二つの窓と関連がある。 この事実を我々は『この状態において被告が窓AとBを二つとも通り抜ける』という言葉で表現したのである」

「鏡の中の物理学」(ISBN-10:4061580310,ISBN-13:978-4061580312,著:朝永振一郎)P.117-119

「ψ=ψA+ψBなる状態」を「『この状態において被告が窓AとBを二つとも通り抜ける』という言葉で表現した」なら、それが波動性に言及していることは明らかである。 「光子の裁判」の前の68ページでも「それは通常電子の波動性といわれている」と明言されている。

すなわちこの様な実験状況の下では電子について、それがAの穴を通ったか、あるいはBの穴を通ったか、の何れかであるということを断定できない。 このときには電子は両方の穴を一緒に通ったと考えねば、説明のつかない現象が起るからである。

それは通常電子の波動性といわれている。 すなわち電子はこのときSから出た一つの波のような振舞を呈するのである。 波であるなら二つの穴の両方を通り抜けてPに達し、ここでいわゆる干渉効果を現すことがよく知られているし、

「鏡の中の物理学」(ISBN-10:4061580310,ISBN-13:978-4061580312,著:朝永振一郎)P.68

つまり、粒子性を論じているようにしか見えない弁証において、実は、「被告は姿を現さないときには二つの窓の二つともいっしょに通り抜けていく」は波動性に関する言及だったのである。 空間を拡がって進む波にキリバコ法を適用できるはずがない。 よって、キリバコ法等の議論が粒子性に関するものであることには疑いの余地がない。 また、既に説明した通り、「被告が不可分の一個体でありながら、姿を現さないときには二つの窓をいっしょに通り抜けて行く」が波動性に関する言及であることには疑いの余地がない。 しかるに、弁護人は、粒子性にしか適用できないキリバコ法等の議論の中で、波動性に関する言及である「被告が不可分の一個体でありながら、姿を現さないときには二つの窓をいっしょに通り抜けて行く」を持ち出した。 ようするに、弁護人は、粒子性と波動性を混同して論じているのである。 粒子性について論じているのか、波動性について論じているのか、どちらの議論をしているのか明確にしていれば、キリバコ法等の議論と「被告が不可分の一個体でありながら、姿を現さないときには二つの窓をいっしょに通り抜けて行く」を区別すべきことは自明である。 そして、両者が区別されていれば【空間的拡がりのある波動性と一点に凝縮する粒子性の両方がなければ実験結果を説明できない】という一文で説明は事足りる。 43ページもの裁判劇は、論点を混同した無駄な長文のせいで的を射ない説明になっている。

まとめると、弁護人が主張していることのうち、二重スリット実験から判明する事実のみに限定すれば、次の通りである。

  • 被告が警官に捕捉された時には粒子性がある
  • 被告が警官に捕捉されない時には波動性がある(波動性があれば二つの窓を同時に通り抜けるが、そのことは干渉縞の必要条件の極一部に過ぎず、かつ、自明の理なので、それだけを殊更に強調する必要がない)

しかし、波動性と粒子性の二重性を説明するなら、43ページもの裁判劇は全く必要ない。 「光子の裁判」は、説明に不要な蛇足がほとんどであり、論点が不明確で、かつ、ダブルスタンダードでは説明になっていない。

確かに、射影仮説が実際の物理的な過程を示していると仮定すると、波動性と粒子性を明確に区別する必要はない。 何故なら、その場合は、粒子は1点に凝集した波だからである。 しかし、「光子の裁判」では射影仮説の妥当性を説明していない以上、少なくとも、本裁判においては、射影仮説が実際の物理的な過程を示しているとする仮定を採用する妥当性がない。 また、射影仮説が実際の物理的な過程を示しているとの仮定の奇妙さは、二重スリット実験に限ったことではない。 このように射影仮説の必要性も妥当性も示さない二重スリット実験を持ち出しては無駄に話が複雑になるだけである。 射影仮説に言及したいなら、二重スリット実験には一切言及することなく、射影仮説の導入の経緯のみに絞って簡潔明瞭に説明すべきであろう。 よって、「光子の裁判」において、波動性と粒子性を混同した説明は不適切である。

「光子の裁判」が書かれた当時は、まだ、二重スリット実験は実際には行われていなかった。 しかし、その結果が理論的に正しく予測できたことは「光子の裁判」の図からも明確に読み取れる。 ならば、実験結果が得られていなかったことは言い訳とはなるまい。

正しいお手本 

実験結果および判明する事実 

二重スリット実験の真相に記載している通り、実験事実は次の3つである。

  • スクリーン上の模様は全て小さな輝点によって構成されている。【実験事実A】
  • 各輝点は一定範囲に分布し、その密度による濃淡が干渉縞を形作っている。【実験事実B】
  • 輝点は時間とともに増えるが、2個以上の輝点が同時に発生することはほぼない。【実験事実C】

そして、これらのことから直接的に示唆されることは次の3つである。

  • 最終的には粒子性が現れている(【実験事実A】)
  • スクリーンに着弾するまでは波動性が現れている(【実験事実B】)
  • これらの性質は電子や光子1個分でも現れる(【実験事実C】)

また、「被告波乃光子のおり場所は、これを捕えるというような相当手あらいことをしなければ分からないのであるから、それが被告の行動に影響を与えてそれを変化させることがあるかもしれない」ことも、【実験事実A】【実験事実B】【実験事実C】以外のことを検証できない事情説明としては意味がある。 もちろん、検証できないのだから、【実験事実A】【実験事実B】【実験事実C】以外の事実を説明しようとする主張が通らないことは言うまでもない。

光子の裁判の問題点 

「被告は姿を現さないときには二つの窓の二つともいっしょに通り抜けていく」かどうかを論じる意味は全くない。

まず、粒子性については、「被告は姿を現さないときには二つの窓の二つともいっしょに通り抜けていく」と考える必要がない。 何故なら、【弁護人による仮説1】は波動性を示す実験結果と矛盾するからである。 よって、【弁護人による仮説1】がなければ成立しない「被告は姿を現さないときには二つの窓の二つともいっしょに通り抜けていく」を支持する理由が全くない。

波動性については、空間的に拡がりを持つから、「被告は姿を現さないときには二つの窓の二つともいっしょに通り抜けていく」は自明の理である。 よって、これを長々と論じる必要は全くない。

このように、この実験結果について論じるべきことは、どの時点で波動性が現れるか、および、どの時点で粒子性が現れるか、である。 そして、それらを論じれば「被告は姿を現さないときには二つの窓の二つともいっしょに通り抜けていく」かどうかを論じる必要は全くない。 あえて補足の必要があるとすれば、波には空間を広がる性質があることだけだろう。 空間を広がらない粒子性と空間を広がる波動性が両立していることを説明するだけで、実験結果の説明は事足りる。

「光子の裁判」は、論じるべきことを論じずに、無用な論点に固執して明後日の方向に全力疾走している。 だから、無駄に長い説明になるし、根拠がない【弁護人による仮説1】を強弁することで、無理矢理な結論を導いている。 それは、一般人に実験結果を大きく誤解させる。

二重スリット実験の真相のように、適切な論点のみに集中して論じれば、簡潔に説明できるし、根拠がない仮定を置く必要もない。

課題 

実験結果から判明することだけでは、途中の物理現象に不明点がある。 そして、そこを明確にして欲しいとする一般人からのニーズがあることも事実である。 しかし、その不明点を実験で明らかにすることは不可能である。 調べようがない以上、一つの可能性を確定的真実として語ることは不適切であろう。 ここで出来ることは、あらゆる可能性の紹介である。

実験結果以外への言及 

量子力学全般を説明するなら、この他にも、射影仮説相補性局所性も説明する必要があろう。 しかし、射影仮説等については、二重スリット実験からは導出できないので、その事実と導入経緯を簡潔明瞭に説明する必要がある。

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