Dr.Quantumによる二重スリット実験トンデモ解説

最初に 

このページは二重スリット実験の真相で説明した二重スリット実験に対して、科学的に明らかに誤ったトンデモ解説を紹介するものである。 尚、同様の説明手順における科学的に正しい説明は二重スリット実験(疑似科学からの脱洗脳)に示す。 正しい説明を動画で手っ取り早く見たい方はYouTubeへどうぞ。

尚、ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎氏による光子の裁判も、科学的には間違っていないが、粒子性と波動性を混同した説明により疑似科学的誤解を産む一端を担っている。

概要 

Dr.Quantumは完全に間違った解説を行なっており、二重スリット実験の概要を手っ取り早く知りたいと思う素人にはお勧めできない。

一般に、説明のための簡略化や誇張は、結果に致命的な影響を及ぼさない些細な範囲では認められる。 逆に、結果に致命的な影響を及ぼす核心部分では、正確な説明が求められる。 Dr.Quantumの説明は結果に致命的な影響を及ぼす核心部分の事実が全て嘘なので、見た者を誤った理解へ誘導してしまう。 瑣細なことでは本当のことを言っている部分もあるが、結果に影響を及ぼす核心部分は全て嘘である。 また、実験事実に基づかない仮説が唐突に提示されており、これも、見た者を誤った理解へ誘導してしまう。

第一に、Dr.Quantumの「観測」の定義が誤っている。 Dr.Quantumの説明では、「観測」が主観的な認識として扱われている。 しかし、量子力学における「観測」は、マクロとの相互作用のことであり、主観的な認識は必ずしも必要ではない。 主観的な認識と誤解されないようにするためには、「測定」と表現する方が望ましい。

第二に、Dr.Quantumは波動性と粒子性の二重性を正しく理解していない。 物理では、粒子は一点に凝集し、波は空間的に広がりを持つ。 だから、両者の整合性を取るために、波動力学では確率解釈を導入し、標準理論では射影仮説を導入する必要があったのである。 それなのに、Dr.Quantumの動画では、波が持続して一点に凝集している。 これでは二重スリット実験の干渉縞が全く説明できない。

Dr.Quantumは、どのような時に粒子性を持ち、どのような時に波動性を持つのかも誤っている。 量子力学では、測定時以外に粒子性を持つのかどうかは諸説あるが、波動性は常に存在するものである。 標準理論では、射影仮説が適用されると、その瞬間だけ波は一点に凝集されるが、決して、波動性が失われるわけではない。 ハイゼンベルクが論文「量子論的運動学および力学の直観的内容について」で明らかにしたように、一時的に凝集した波も時間とともに広がってしまう。 それなのに、Dr.Quantumのスリット通過前や単一スリット等の説明では、マクロとの相互作用もないのに持続して波動性が失われている。 そのような説明は、量子力学のどの理論(科学の必須条件を満足するものに限る)とも整合しないし、実験結果とも一致しない。

詳細 

具体的な説明の後、最後に誤りの内容のまとめを行うのでそちらも見てもらいたい。

隠れた変数理論を否定すると、二重スリット実験を考察した場合「も」(「は」ではない)、常識では考えれらない結論を導く。 しかし、次のことに注意が必要である。

  • 隠れた変数理論を否定することによる不可思議さは、二重スリット実験特有のものではない
  • 二重スリット実験は隠れた変数理論を肯定も否定もしない(隠れた変数理論の真偽の証明には使えない)
  • Dr.Quantumの解説は量子力学の標準理論に全く適合しない

二重スリット実験の持つ量子力学的意義を正しく理解できていれば、それを隠れた変数理論の否定と絡めて説明する意味がないことを理解できる。 正しく理解できていれば、二重スリット実験が隠れた変数理論を肯定も否定もしないことの説明として、隠れた変数でも説明可能なことに言及する必要性は感じるかもしれない。 しかし、正しく理解できていれば、隠れた変数理論を否定した考察に言及する必要が全くないことに気がつく。 言い換えると、正しく理解できていないからこそ、隠れた変数理論を否定した考察を披露しようとするのであり、その説明が量子力学の標準理論に適合しないのは当然のことと言える。

二重スリット実験の唯一にして最大の不可思議さは、空間的に広がりを持つ波的性質と一点にのみ存在する粒子的性質が、粒子1個分でも現れることにある。 二重スリット実験の説明として、それ以外の不可思議さが説明されていたら、それは全て嘘である。 この波的性質と粒子的性質は、同一の物がその時々で姿を変えている(測定時だけ一点に集約する)のか、一対ではあるが別々の物であるのか、この実験では分からない(他の実験でも結論は出せない)。 分からない以上、同一の物である可能性も別々の物である可能性も考慮する必要があり、どちらか一方の可能性を否定することはできない。

二重スリット実験では、決して、隠れた変数理論の真偽を確認できないので、粒子の位置等の可観測量が常時確定しているかどうかは論じられない。 粒子がどちらのスリットを通ったかの考察も意味がない(波的性質が2つのスリットを通る必要はあるが粒子的性質は関係がない)し、粒子が2つに分裂するような考察も意味がない(粒子が分裂しても干渉縞は発生しない)。 二重スリット実験では、量子の放出時から、波的性質は広がりを開始していて、少なくとも、スクリーン上で測定されるまでは波的性質を維持している(測定後にどうなるかは実験では分からない)。 途中で波的性質を失うと干渉が生じないはずなので、スクリーン上で測定されるまでは波的性質を失うことはあり得ない。 一方で、粒子的性質については、測定されたとき以外どうなっているのか、この実験では分からない。 言い替えれば、不明な時期の粒子的性質はどうとでも解釈できるので、粒子が2つに分裂するような突拍子もない仮定を置く必要は全くない(オッカムの剃刀)。

「スリットを通った波は、そこから」 「放射状に広がり、スクリーン全体にぶつかることになるが、」 「最も強い波が当たるのは、スクリーンの中央部分だ。」 「スクリーン上の明るい線は、」 「その部分に到達した波が強いことを表している。」 「この明線の様子は、粒子が作った直線上の模様と似ている。」

「スクリーン全体にぶつかる」にも関わらず「この明線の様子は、粒子が作った直線上の模様と似ている」とするのは明らかなトンデモである。 「スクリーン全体にぶつかる」のであれば「最も強い波が当たる」「スクリーンの中央部分」以外にも波は到達している。 一方で、「粒子が作った直線上の模様」ではそれ以外の部分に粒子は到達していない。 それこそが両者の性質の違いとして極めて重要な部分であり、その性質なくしては波の干渉縞は生じ得ない。 その重要な違いを無視して両者が同様な性質を持っているかのように説明するのは明らかにトンデモである。

というか、波面を見ると中央部と周辺の波の強度には大差がないのに、それに比べて「スクリーン上の明るい線」が細すぎる。 この波面の通りの強度であれば、「スクリーン上の明るい線」はもっと太くなるはずであろう。 せめて次のような表示でなければおかしい。

正しい波の表示

上図のように「スクリーン上の明るい線」を波の強度と一致させていれば、「この明線の様子」は明らかに「粒子が作った直線上の模様」とは大きく違う。 どう見ても「この明線の様子は、粒子が作った直線上の模様と似ている」なんてことは到底言えない。 言い換えると、疑似科学を信じ込ませるためのトリックとして現実より遥かに細い「スクリーン上の明るい線」という嘘の絵を描いて、「この明線の様子は、粒子が作った直線上の模様と似ている」という事実に反する結論を無理やり導いているのである。

「単スリットに向かって電子を次々に発射してみよう。」 「スクリーンには、普通の粒子の場合と同じ一本の線ができる。」

まず、単一スリット実験において「スクリーンには、普通の粒子の場合と同じ一本の線ができる」状態ならば、スリットを二重にしても二つの経路が交錯しないために干渉縞を観測することはできない。 実際にこのような実験をすれば、次の図のように「一本の線」以外の部分にも低確率で粒子が到達し、単一スリットでも波と同様の回折現象が見て取れるはずである。

単一スリット

二重スリット実験の真相にて紹介した谷村教授の説明図でも単一スリットでは「一本の線」にはなっていない。

単一スリット実験

干渉と識別の相補性(谷村省吾) - 名古屋大学多自由度システム情報論講座

二重スリット実験において干渉縞が生じるためには、谷村教授の説明図のように、二つの経路が交錯することが必須条件である。 もしも、「一本の線」になるとすれば、シュレーディンガーの提唱した波動一元論が正しいことになる。 波動一元論が正しければ確率解釈は無用の長物となり、量子力学の標準理論は根底からひっくり返ってしまう。 量子力学の標準理論が正しいと仮定するなら、「一本の線」になることは絶対にありえない。 そもそも、Dr.Quantumの説明のように「スクリーンには、普通の粒子の場合と同じ一本の線ができる」では、スリットを二重にしても二つの経路が交錯しないため、二重スリットにおいて干渉縞が生じなくなる。 どうやら、Dr.Quantumは、この実験の大前提を理解されていないようである。

「発射された一個の電子は、」 「スリットの前で波となり、」 「同時に2つのスリットを通りぬけて、干渉を起こし、」 「スクリーンにぶつかるときは1個の粒子に戻ったんだ。」

「発射された一個の電子は、スリットの前で波となり、同時に2つのスリットを通りぬけて、干渉を起こし、スクリーンにぶつかるときは1個の粒子に戻った」とする仮説は、実験事実に基づかない唐突な仮説である。 「発射された」時点で「一個の電子」に波動性がなく「スリットの前」に達してから「波とな」るとする仮説は二重スリット実験の結果からは生まれ得ない珍説だが、Dr.Quantumの解説ではその仮説を提示する合理的理由が示されていない。

そもそも、文章で「波」と説明しておいて絵が2個の粒子なのはおかしい。 下の図(上側が電子の発射源で下側がスクリーン)の水色の部分のように空間的に広がりのある波として絵が描かれていれば、まだ、マシなほうだ。

空間的連続性

そして、発射直後から波として着弾直前まで広がり続けた後に、「スクリーンにぶつかるとき」に上の図で赤で示したような「1個の粒子に戻った」とするならば、一つの学説の説明にはなる。 しかし、Dr.Quantumの絵のような粒子状の「波」ではデタラメにも程があろう。 正しく量子力学を理解できているなら、Dr.Quantumの絵のようなデタラメすぎる絵は描かない。 Dr.Quantumの絵で二重スリット実験を説明することが不可能なことは既に説明した通りである。

「スリットの側に測定装置をおき、電子がどちらのスリットを」 「通ったのか分かるようにして、もう一度実験を行なったんだ.」

実際の研究結果は干渉と識別の相補性(谷村省吾) - 名古屋大学多自由度システム情報論講座を読んでもらいたい。 そこでは、不確定性関係(ここでは測定による擾乱のみで説明できる)によって通過スリットが特定できないという思考実験が紹介されている。 その次に、測定による擾乱の影響を受けない方法が説明されているが、波動性を維持する数式を用いて「干渉項は消える」と結論づけられている。

「彼らが観測を始めたとたん、電子の振る舞いは普通の」 「粒子となり、スクリーンに二本の線を描いたんだ。」 「観測された電子は、観測される前とは違う振る舞いをしたんだ。」 「まるで、自分が見られていることに気づいたかのように。」

Dr.Quantumの言う「観測を始めた」は、「まるで、自分が見られていることに気づいたかのように」としていることから、測定機器が測定対象と物理的相互作用を起こすことではなく、経路測定のための装置を設置することを指している。 谷村教授の説明を読めばわかる通り、経路測定のための装置を設置した場合も、波動関数から計算した確率の式が用いられている。 谷村教授の説明では、「彼らが観測を始めたとたん、電子の振る舞いは普通の粒子となり」ということは全くなく、経路測定のための装置を設置するかどうかに関わらず波動性が維持されていることを示している。 今日まで様々な経路特定法が考案されているが、干渉縞が生じなくなることは、干渉が生じなくなることまでは意味しないし、波動性が失われることも意味しない。 測定機器の設置で波としての性質が失われるわけでも、測定機器の設置で粒子としての性質が現れるのでもない。 波長や偏波面のずれ、その他の干渉縞の必須条件が成立しなくなることにより、干渉縞が生じなくなっているだけである。 そして、干渉縞が生じないことは、干渉が生じないこととイコールではない。 干渉よりも干渉縞の方が条件が厳しく、遅延選択量子消しゴム実験のように、干渉が発生していても干渉縞が生じないこともある。 これら経路特定法では粒子がどちらのスリットを通過したのか検証することは不可能である。

射影仮説ではマクロの物質との相互作用(この場合は、測定のための物理的作用)によって波が一点に凝集するが、それは「自分が見られていることに気づいた」かどうかとは全く関係がない。 二重スリット実験の真相で解説した経路特定法のいずれにおいても、「彼らが観測を始めたとたん、電子の振る舞いは普通の粒子となり」ということは全くなく、波動性を維持したまま違う観測結果をもたらしている。 また、J.Wheelerの遅延選択実験は、経路を特定するか否かに関わらず、波動性が維持されていることを示している。 さらに、遅延選択量子消しゴム実験では、経路を測定する仕掛けが位相を乱して干渉時が消えるが、位相の乱れが特定の値になる場合だけを選別すると干渉縞が復活することから、「観測された電子」は「観測される前」と同じ波動性を有していることが明らかである。

また、干渉縞が発生しない場合も、決して、「二本の線」にはならない。 マクロの物質と相互作用を起こすような経路測定方法を用いない限り、経路測定段階では射影仮説を適用できず、スクリーンに到達するまでは波が1点に凝集することはない。 仮に、経路を測定した時点で波が一点に凝集するとしても、ハイゼンベルクが論文「量子論的運動学および力学の直観的内容について」で指摘した通り、凝集状態を持続的に維持することはできないため、スクリーンに到達するまでの過程で波は時間とともに広がってしまう。 よって、理論的には、着弾模様は横方向にダラーっと広がった模様になる。 干渉縞が発生するようにスリットの幅や間隔を設定しているなら、当然、左右の波が交錯しなければならないから、着弾模様は左右が繋がっていないとおかしい。 「二本の線」のように着弾模様がクッキリと左右に分離することはあり得ないのである。 もしも、「二本の線」になるとすれば、シュレーディンガーの提唱した波動一元論が正しいことになる。 波動一元論が正しければ確率解釈は無用の長物となり、量子力学の標準理論は根底からひっくり返ってしまう。 量子力学の標準理論が正しいと仮定するなら、「二本の線」になることは絶対にありえない。 先に紹介した谷村教授の説明図と比較すると違いが良くわかるだろう。

単一スリット実験

干渉と識別の相補性(谷村省吾) - 名古屋大学多自由度システム情報論講座

尚、Dr.Quantumが説明に用いた方法では回折による波の広がりがなければ干渉縞を観測できないが、電子線バイプリズム方式を用いた電子の二重スリット実験では回折による波の広がりがなくても干渉縞を観測できる実験セットになっている。 一方で、光子の二重スリット実験ではDr.Quantumが説明に用いた方法と同様に回折による波の広がりがなければ干渉縞を観測できない実験セットが使われている。 Dr.Quantumが説明に用いた方法なら、回折による波の広がりを正しく考慮すれば「二本の線」が生じる余地はない。 また、電子線バイプリズム方式では、波としての性質を持たない粒子であっても「二本の線」が生じる余地はない。 いずれにせよ、Dr.Quantumが説明するような「二本の線」など生じる余地は全くないのである。

Dr.Quantumの説明の誤りをまとめると次の通りとなる。

  • Dr.Quantumは波的性質の本質を根本的に間違えている
    • 「スリットの前で波となり」ではなく、実際には発射時から少なくとも着弾直前までずっと波である
    • Dr.Quantumの説明では波の空間的広がりがない(この実験を語る上で最も重要な波と粒子の性質の違いは空間的広がりを持つか否かである)
      • 二重スリットで干渉縞が生じるなら、スリットをひとつにしても「一本の線ができる」にはならない(面となるのが正解)
      • 測定装置がなければ干渉縞が生じるのであれば、測定装置を置くと「スクリーンに二本の線を描いた」にはならない
      • 文章で「波」と説明しておいて絵では2個の粒子となっている(空間的広がりを持たない粒子では干渉縞は生じない)
  • Dr.Quantumは粒子的性質の本質を根本的に間違えている
    • 干渉縞が消える原因は実験セットの差による干渉縞の成立条件の変化であって「自分が見られていることに気づいた」かどうかとは全く関係がない
    • 量子力学的な測定は、(恐らく)マクロとの量子もつれであって、人間的意味での「観測」ではない
    • スクリーンにぶつかった後に粒子的性質が現れ始めるのであって、動画のように「スクリーンにぶつかる」タイミングにピッタリと「1個の粒子に戻」るように事前に収束するわけではない
  • Dr.Quantumは二重スリット実験の意味を履き違えている

Dr.Quantumが説明した不可思議なことのほぼ全ては、量子力学の標準理論に適合しない。 量子力学の不可思議さを真面目に勉強したいのであれば、参考にはしない方が良いだろう。 話のタネとしても、疑似科学の流布に加担することは、あまり好ましい行動ではない。

Dr.Quantumへの批判への批判 

Dr.Quantumへの批判への批判はネット上の二重スリット実験トンデモ解説に紹介している。

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