シュレーディンガーの猫

前置き 

1932年、フォン・ノイマンは、量子力学の数学的基礎と題する書籍に、隠れた変数理論(因果的決定論)が不可能である数学的「証明」を掲載した(後に、1952年のデビット・ボームの論文によって、「証明」の仮定に誤りがあることが分かった。)。 そして、フォン・ノイマンは、射影仮説を導入し、観測時のみ例外現象として波動関数の収縮が起きるとした。 これに反発したシュレーディンガーが、量子力学の標準理論の問題点を明らかにする思考実験を発表した。 今日において、この思考実験は解決済みの問題とされる。

素人向けの解説書を読んだ人は、量子力学の標準理論の問題は例外現象の存在にあると誤解するだろう。 しかし、これは、量子力学の理論を持ち出すまでもなく、科学の基礎に明確に反する間違いである。 科学にも物理学にも例外を禁止するルールはない。 本当の問題は、その例外が何をトリガにして起きるのか明確に定義されていなかったことである。 いや、正確に言えば、「観測」をトリガにして起きるのだが、その「観測」が何を意味しているかが定義されていなかった。 それを示したのが、シュレーディンガーの猫の思考実験である。

実験内容と解説 

フォン・ノイマンは隠れた変数理論が実現困難であることを証明した(①)。 現在では、フォン・ノイマンが数学的証明は否定されているものの、また別の証明が存在する。 そして、量子力学の各種実験結果が、波動性と粒子性の二重性(一点に存在する性質(粒子)と空間的に広がりのある性質(波)の両立)を裏付けている。 その波的性質は波動関数で記述でき、粒子の位置や運動量等の可観測量(物理量)は波動関数確率的に決定される(②)。 ミクロ(微視的)では、電子も、中性子も、陽子も、原子も、分子も、②の性質を持ち、同じ法則が適用できる。 であれば、それと同じ構成要素のマクロ(巨視的)の存在も、ミクロと同じ法則に支配されているであろうことは容易に推測できる。 そこに、射影仮説のような例外現象を持ち込むためには、例外を説明できる程度のミクロとマクロの明確な違いが必要である。 大きさが違うだけで例外現象を説明することは極めて困難である(③)。

ここで、下図のような箱の中の装置と猫( 猫には見えなくても猫である)を用意する。 放射線を検出すると毒ガスが発生して猫は死ぬ。 放射性物質が放射線(α粒子)を出す確率が50%となる時間だけ、猫を箱に閉じこめた後、箱のふたを開ける。 この場合、猫は生きているのか、それとも、死んでいるのか。

シュレーディンガーの猫概念図

α崩壊は原子核の中に閉じ込められているα粒子が原子核の外に飛び出してくる量子力学的現象である。 これは量子力学的現象であるため、α崩壊して原子核の外にα粒子が飛び出してくるかどうか、すなわち、α粒子の位置を示す可観測量は波動関数により確率的に決定される。 ここで、①②を前提条件とすれば、α粒子を観測しようとする正にその時、可観測量は確定していないことになる。 さらに、前提条件に③を加えれば、次のいずれにおいても、可観測量は確定しないはずである。

  • 放射線の発生時
  • 検出器が放射線を検出した時
  • 検出器が毒ガス発生器に信号を送った時
  • 毒ガスが発生する時
  • 猫が毒ガスを吸った時
  • 猫が死を自覚した時
  • 蓋を開けて猫の生死を確認した時

蓋を開けて猫の生死を確認した時に、可観測量が確定していないなら、その時点で猫の生死は確定していないことになる。 猫の生死が確定していないことは、猫の生死の重ね合わせを意味する(④)。 もし、そのようなことが実際に起きたとしたら、我々は、生死の重なり合った猫を観測できるはずである。 「いやいや、観測のために光を当てたら可観測量である猫の生死が確定するじゃないか」と言う人は、よく考えてもらいたい。 その程度で可観測量が確定するなら、マクロの存在の重ね合わせを作ることは不可能である。 光が当たった程度でマクロ物体の可観測量が確定するなら、マクロと相互作用を起こした時点で可観測量が確定するはずである。 マクロと相互作用を起こしても可観測量が確定しない場合にだけ、猫の生死の重ね合わせが作れるのである。 だから、猫の生死の重ね合わせが本当に作れるなら、それを光学的に観測することも十分に可能なのはずである。

しかし、そのようなことは我々の常識に反する。 ここで、この思考実験が、シュレーディンガーのゾウリムシでも、シュレーディンガーのミジンコでもなく、シュレーディンガーの猫であることを意識してもらいたい。 ゾウリムシやミジンコのような肉眼で見えないメゾスコピック(中間領域の存在)であれば、生死の重ね合わせが生じても我々の常識には反しない。 というのも、人間が肉眼で見えない世界を観測する頻度は、肉眼で見える世界を観測する頻度より、はるかに稀だからだからである。 だから、ゾウリムシやミジンコの世界であれば、さほど珍しくない現象であっても、それを、まだ誰も観測したことがないのだとすれば説明がつく。 肉眼で見える世界で誰一人として見たことがないことと、肉眼で見えない世界で誰一人として見たことがないことでは、その非常識さの度合いが全く違う。

もしも、観測しても可観測量が決定されないとしたら、二重スリット実験の結果も次のように滑らかなグラデーションになるはずである。

干渉縞

しかし、実際の二重スリット実験の結果は次の通りである。

二重スリット実験結果

よって、観測前のどこかの段階で例外現象が起きて、可観測量が確定しなければ実験結果と整合しない(⑤)。 ③のとおり例外現象の存在は非常に受け入れがたいにも関わらず、⑤のとおり例外現象がないと結果を説明できない。 これは見事な矛盾であろう。

解決策 

マクロと相互作用する段階で可観測量が確定してさえいれば、この問題は解決する。

  • 隠れた変数理論を肯定する(①の否定)
  • 何が「観測」足り得るかを具体的に定義する(③の否定)

前者についてはここで説明するまでもあるまい。 後者については、以下に説明する。

粒子検出器による測定後の状態は 1/√2|Sα粒子放出⟩|Mα粒子検出⟩+1/√2|Sα粒子非放出⟩|M粒子非検出 で表せ、その測定結果から次のことが言えるため、これは理想測定と言える。

  • α粒子を検出したときは|Sα粒子放出⟩|Mα粒子検出
  • α粒子を検出しなかったときは|Sα粒子非放出⟩|Mα粒子非検出

理想測定であれば、量子測定理論の知見により、その境目で遮断して射影仮説を適用できる。

つまり,理想測定と見なせる境目までは,量子論に従う系の一部として扱い,そこから先を考えることは,射影仮説により遮断する. それが,一般の測定過程の分析の仕方の処方箋である. この境目(「Heisenberg cut」と呼ばれる)の位置には任意性があるが,先の方にずらす分には,まったく同じ結果を与えるので,要するに,充分に大きな系を量子論に従う系として扱っておけば,結果には任意性は出ないのである.

量子測定の原理とその問題点 by 東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻相関基礎科学系&東京大学大学院理学系研究科物理学専攻:清水明教授

であれば、α粒子を検出した段階で、可観測量が確定すると見なせることになる。 もしも、粒子検出器による測定が理想測定でなければ、もちろん、その時点で可観測量が確定すると見なせない。 しかし、その場合は、α崩壊の有無と猫の生死を1対1で対応させることができなくなる。 α崩壊の有無と猫の生死を1対1で対応させられるからこそ、猫の生死が量子力学的確率=純粋状態と見なせるのである。 この関係が崩れた場合、猫の生死が量子力学的確率=純粋状態なのか、一般的確率=混合状態なのか、明確にすることが困難になる。

さらに、検出器以降については、理想測定ではない測定を行う方が困難であろう。 であれば、猫に到達する前に「理想測定と見なせる境目」が多数存在することになり、可観測量が確定する場所が多数存在することになる。

まとめると、この猫の思考実験は、扱う問題の性質上、マクロ系との相互作用を理想測定とせざるを得ないのである。 そして、マクロ系との相互作用を理想測定とする以上、マクロ系との相互作用の時点の段階で観測が終了し、猫の運命はそこで確定する。 以上。

……………で終わっても消化不良なので、別のアプローチを試みる。 多世界解釈では猫の問題が生じないとされるが、正確には違う。 猫の問題を解決するのは、多世界解釈に含まれる射影仮説と等価な理論である。 それは、世界の分岐とデコヒーレンス理論によって構成される。 そして、多世界解釈から世界の分岐を取り除いたconsistent historiesでも問題は解決できることから、猫の問題を解決しているのは、デコヒーレンス理論と言える。

では、何故、デコヒーレンス理論は、猫の問題を解決できるのか。 デコヒーレンス理論でなくても、次の条件を満たす理論であれば、猫の問題を解決できる。

  • 射影仮説による波動関数の収縮は、ミクロ系の相互作用でも発生する
  • 相互作用の相手が小さいと収縮速度はゆっくりで、相互作用の相手が大きいと収縮速度が早い

このような理論は、ミクロとマクロに同じ理論を適用しているので、③と矛盾しない。 ミクロ系では収縮が極めて遅いので、一見すると、収縮していないかのように見える。 マクロ系と相互作用すると急速に収縮が進むので、あたかも、その場合だけに収縮が発生したように見える。 しかし、実際は、物体の大きさに応じて収縮速度が変化しているだけで、ミクロ系の相互作用でも収縮は発生しているのである。 言い替えると、これらの理論では、ミクロとマクロの間に明確な境界を想定するのではなく、ミクロとマクロの間に連続的な中間層を想定するのである。 ミクロとマクロに明確な教会を設けようとするから③と矛盾するのであって、このような収縮理論を導入すれば③とは矛盾しない。

デコヒーレンス

これを思考実験に当てはめてみる。 α崩壊は、ミクロ系だけの現象であるので、α粒子の波は広がったまま、ほとんど収縮しない。 一見すると、波動関数は、シュレーディンガー方程式に従った時間発展をしているかのように見える。 しかし、放射線検出器はマクロ系であるで、検出器がα粒子を捕らえようとした途端、収縮が急速に進行する。 そして、毒ガス発生装置に信号が伝わる頃には、完全に、α粒子の発生の有無が確定する。 そのため、毒ガス発生の有無は、ほぼ通常の確率現象になり、それ以降の現象も通常の確率現象となる。 もちろん、猫も生か死かどちらかの値しか取らず、生死の重ねあわせは実現しない。

ちなみに、デコヒーレンス理論は未完成な理論である。 よって、この思考実験のパラドックスを完全に解決できるわけではない。 しかし、デコヒーレンス理論の欠点が解消されるか、欠点のない何らかの収縮理論であれば、完全に解決可能である。

トンデモの事例 

素人向けの説明において、最も重要なことは、現代量子力学で未だにシュレーディンガーの猫が引用される理由である。 それ以上の言及は、少なくとも、シュレーディンガーの猫の説明としては不要である。 しかし、そうした素人向けの説明は殆ど見掛けることがない。 良く見掛けるのは、専門知識なしには理解不能な玄人向けの難しい説明か、分かり易いがデタラメな説明のどちらかである。 後者の事例には、共通して次のような特徴が見られる。

  • 実験事実に反している
  • 未検証事項を根拠なく断定的に述べている
  • 論理的に明らかに破綻している

良く見掛けるトンデモのパターンとしては次のようなものがある。

間違い 正解
量子力学の不思議さの説明量子力学の創世記の課題の説明
未来が過去を決める(因果律が逆方向)正逆方向を問わず因果律が成立しない可能性がある
蓋を開けたと同時に猫の生死が確定する猫の生死が確定する時期は不明(現代では、マクロと相互作用した時)
人間の意識が生死を決める生死を確定させる要因は不明(現代では、マクロとの相互作用)
毒ガス発生トリガがマクロの確率現象毒ガス発生トリガは「観測」前の量子の波
何処がおかしいと言う以前の超大物別格さん(説明するまでもない)

量子力学の不思議さの説明するものだとする誤解は、量子力学を勉強している学生さんにも見られるようだ。 これは、思考実験(及び、それに基づく想像)と現実に行なわれた実験を混同していることによるのだろう。 この思考実験の通りのことが現実に起こる確証は何もないのに、現実に起こり得ると誤った理解をしているのである。 シュレーディンガーの猫を考察すると不可思議なことになるが、それが、量子力学の不思議さによるせいだとは限らない。 何か間違った仮定をしているのかも知れないし、何か見落としているのかも知れないし、あるいは、何らかの未知の法則があるのかも知れない。 思考実験に不備があって不可思議に見えているだけかも知れないし、現実に不可思議な現象を引き起こせるのかも知れない。 どれが正解か分からない以上、思考実験の不可思議さは、量子力学の不思議さによるものだと断定できないのである。 量子力学の不可思議さを伝えるのに、シュレーディンガーの猫を使うのは適切ではない。 何故なら、先に説明した通り、④だけを挙げても何ら量子力学の不可思議さの説明にならないからだ。 量子力学の不可思議さは、主に、①②③⑤によって生じているのだから、それを省いては説明になっていない。 そして、①②③⑤を説明すれば、それだけで量子力学の不可思議さが伝わるから、シュレーディンガーの猫は必要ない。 つまり、シュレーディンガーの猫で量子力学の不可思議さを伝えようとする行為は、必要な説明を削除し、かつ、不要な説明を追加する行為である。 結論の出ない思考実験を採り上げて、かつ、その結論の出ない理由を適切に説明しないのでは、素人を誤解させるだけである。

シュレーディンガーの猫は、単なる思考実験に過ぎないのであって、実際に行なわれた実験ではない。 現段階では、原理的に実験が可能かどうかすら怪しい。 仮に、可能だとしても、蓋を開けた後の猫の生死しか分からない。 蓋を開ける前の猫の生死を調べることは、原理的に不可能である。 何故なら、「観測」を制限するために箱に閉じ込めるのだから。 つまり、蓋を開ける前の「観測」が認められておらず、「観測」できなければ猫の生死を調べようがない。 ただし、ベルの不等式のように、統計的な分析からの推測は可能かも知れない。 しかし、その場合も、得られる結果は限定的な情報であり、全容を知ることはできない。

射影仮説を導入しないと、蓋を開けても猫の生死は確定しないという結論になってしまう。 しかし、それでは、二重スリット実験の結果(多数の点の集合体)との辻褄が合わない(猫の生死が確定しないなら点の位置も確定しない)。 この理論と結果の違いを辻褄合わせする為には、射影仮説による波動関数の収縮という乱暴な処理を導入せざるを得ない。 しかし、波動関数の収縮に相当する現象が、実験等で確認されているわけではないのである。 つまり、波動関数の収縮とは、辻褄合わせのために導入されただけで、実在するかどうか不明の現象なのである。 問題は、その現象について、「観測」に応じて波動関数を収縮させる数学的処理を行えばよいこと以外、全く何も分からないことである。 「観測」とは何なのか、どのような条件を満足すれば「観測」と言えるのか、当時は、良く分かっていなかった。 「観測」が何か分かっているなら、「ここで観測が起きるから、それに伴って波動関数が収縮し、猫の生死が確定する」と結論が出せる。 しかし、「観測」が何か分からないかった当時では、猫の生死がどうなるのかも全く分からなかったのである。

シュレーディンガーの猫が、単なる、未来が過去を決める話であるならば、これほど大騒ぎはされなかっただろう。 というのも、熱力学の第二法則を除いて、因果律が反転しても物理法則は変わらないからである。 そして、過去が未来を決めても、未来が過去を決めても、どちらでも実験結果は変わらない。 つまり、どちらがどちらを決めたのか、それを知ることは困難である。 だから、因果律の反転に関する思考実験を提起するのは容易ではない。 本当の問題は、蓋を開けた時に死後1時間経過した猫が見つかったとしても、5分前の猫の生死が確定していないかもしれないことにあった。 未来が確定しても過去が確定しないかも知れないから問題だったのである。

意識云々は、一部にそう主張する人がいるだけで、主流学説ではない。

マクロの確率現象の話になっているのは、論外であろう。 これは、隠れた変数理論を巡る論争の中で"Do you really think the moon isn't there if you aren't looking at it?"(見ていないとき月は存在しないと思うか?)(月のような巨大な物質に限れば、量子力学的には見ていなくても存在する、が正解)等の逸話が一人歩きした物ではないかと思われる。