疑似科学

疑似科学の特徴 

科学の条件は当サイトの科学項目の目的で説明した。 一方、疑似科学は次のいくつかの特徴を持つ。

  • それが科学であると自称する、もしくは、科学と対等以上のものであると自称する
  • 客観的な検証姿勢を欠いている(自分たちの信じることを否定しないという結論が先に決まっている)
  • 実験事実や観察事実を説明するうえで全く必要性がない
  • 実験事実や観察事実と明らかに矛盾する
    • 矛盾が発覚した場合、理論を撤回するのではなく、新たなる珍説を追加して辻褄を合わせる
  • 独自理論に基づく原理説明が主たる内容である
  • 科学的手順を踏んで発表しない
    • 科学的手順で効果を証明しないうちに記者会見、一般向け書籍等で発表する
    • 極めてハードルが低いポスター発表等(専門誌上で全く査読のないコメント欄も含む)をもって「学会が認めた」と主張する
    • 自称“学会”等の偽装“専門”誌上で発表する
      • 特定の人物が提唱した個別の新理論のみを扱う自称“学会”の自称“専門”誌
      • 1つの理論のみを扱って同一分野の別の理論を対象外とする自称“専門”誌
      • 自称しているだけ、もしくは、同類からのみから実績認定された自称“専門”家が査読している自称“専門”誌
    • 捏造した実験データで専門誌に寄稿する

疑似科学を信奉する者は次のような理解をしていることが多いようである。

  • 科学は原理を説明するためのものである
  • 天才が唐突に発表した奇抜な脳内新理論が、後日、正しいと認められる
  • 新理論が正しいかどうかは理屈のみで検証できる
  • 疑似科学が採り上げた物には価値がある
    • 如何なる新理論も科学に昇格するまでは疑似科学である

偽医療では、更に、次の考えも付加される。

  • 理論のみで効能・効果が分かる

当サイトの科学項目の目的で説明したような科学の条件を理解している人には説明するまでもないが、当然、真相は次の通りである。

  • 科学は法則を確立するためのものであって、原理説明はその手段に過ぎない
  • 従来理論で説明できない現象や従来理論の矛盾等が確認された時に問題解決の手段として新理論が提唱される
  • 新理論が正しいかどうかは実験等で検証する必要がある
  • 未だ研究対象になってない物と比べても疑似科学が採り上げた物には何ら優位性はない(むしろ劣っている場合も多い)
    • 疑似科学が科学に昇格することはまずない(出自も手続も根本的に違う)
  • 理論での効能・効果の予測は極めて限定的な範囲でしかできない(人体の仕組の多くがまだ解明されてない)

疑似科学を信奉する者は次のような論法をよく採用する。

また、疑似科学を信奉する者は次のような姿勢をとることが多い。

  • 持論に有利と判断したことと反論に不利と判断したことには食いつくが、持論に不利なことや反論に有利なことは無視する
  • 相手の主張を捏造し、その捏造した主張に対して反論する(いわゆる藁人形論法)
    • 相手の主張に疑似科学理論等を加える
  • 自分のことを棚に上げて批判する

五里霧中ではゴールに辿り着けない 

本気で疑似科学が世の中の役に立つと思っている人がいるなら、その間違いをわかりやすく説明する必要があろう。 疑似科学は世の中の害にしかならない理由を以下に示す。

ここで、道に迷ったとしよう。 そして、さらに10cm先も見えないような濃い霧が発生したとしよう。 その場合、目的地に辿り着くにはどうすれば良いか。

この際、細かい手段の違いはどうでもいい。 重要なことは基本的大原則である。

全く何の手がかりもなしに、ヤマカンに頼って進むのは愚の骨頂である。 もちろん、天と地がひっくり返るほどの奇跡が起きれば、それでも目的地に辿り着けるかもしれない。 しかし、そのような奇跡が起きる確率は天文学的に低い。 ヤマカンは、圧倒的に高い確率で、目的地から遠ざける情報にしかならない。

最も確実な方法は、目的地に近づくための手がかりを掴むことである。 霧が晴れるのを待つのも一つの手段であろう。 5cm先の明るいスマホ画面なら見えるなら、ナビソフトを起動するのも手である。 どんな手段でも良いから、とにかく、手がかりを手に入れることが重要である。

科学分野では、科学の必須条件が有力な手がかりになる。 ただし、科学の必須条件は、ゴールに辿り着くことを保証してはくれない。 何故なら、科学の必須条件は、ナビソフトに匹敵するほどの正確な道案内をしてくれるわけではないからである。 しかし、それでも、ゴールに辿り着く確率を格段に向上させる程度の確率でゴールに近い方向を指し示す。 一方で、何の裏付けもない納得論法「かもしれない」論法でしかない疑似科学的珍説では、先の例えのヤマカンと同様、デタラメ過ぎてゴールに辿り着く確率を下げてしまう。

ただし、実際に地図上を迷走する場合と違い、科学分野の研究は間違った方向へ進んだ場合も出発点に戻ることは容易である。 だから、ゴールから遠ざかることそのものの実害は考慮しなくて良い。 しかし、疑似科学的珍説を真面目に研究すれば、当然、その分だけ予算や人や時間を浪費する。 結果、科学的仮説の研究に当てるはずだった予算や人や時間の割り当てが減ることになる。 それらを疑似科学的珍説ではなく科学的仮説の研究に充てていれば、とっくの昔にゴールにたどり着いていたかもしれない。 もちろん、科学的仮説を研究してもゴールにたどり着ける保証はない。 しかし、少なくとも、疑似科学的珍説を研究するよりは、科学的仮説を研究した方が、ゴールに近づく確率が圧倒的に高くなることは言うまでもない。 疑似科学的珍説に頼っても、天と地がひっくり返るほどの奇跡がない限り、ゴールから遠ざかるだけである。 もしも、それで奇跡的にゴールにたどり着けたとしたら、その功績は天と地がひっくり返るほどの奇跡にあるのであって、疑似科学的珍説は足を引っ張っているだけに過ぎない。

以上の通り、しっかりとした裏付けのある情報を手に入れてこそゴールに近づくことができるのである。 何の裏付けもない情報では、役に立つどころか、害にしかならない。

疑似科学の例 

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